第七話 白衣の姉御は未亡人
小鳥の声で目覚めるのは気持ちがいい、なんていうのはお話の中だけだ。
目の下にクマを作ったライラは、外から聞こえてくる小鳥の囀りにそう文句を垂れた。
ベッドではバーンズが「ねんなー」と何ごとかを言っている。気楽なもんだ、と思いつつも、回復してよかったとひとりごちる。
そんなバーンズの顔に、ちょいちょいと髭が生えているのを見つけた。
「へぇ、王子様でも髭は生えるんだねえ」
ライラは思わず手を伸ばし頬にふれ、そのじょりじょり具合を確かめた。その感触に昔を思いだし、キリキリと胸の奥が痛むのを感じた。
「……死んじまった旦那の頬を、こうやって撫でてたっけかね」
下唇をかみ、そんな感情から逃げるようにバーンズの頬から離した手が掴まれた。寝ていたはずのバーンズが目をパッチリ開け、じっと見詰めてきていた。
「……結婚、されてたんですか?」
「……あぁ、びっくりした」
ふたりは同時にしゃべった。そして、お互い目をぱちくりさせた。
「亡くなられてるって」
「体調はどうだい?」
お互いに聞きたいことを優先していて、またも同時にしゃべった。
今度はお互い「あー」という顔をする。
「えぇ、おかげさまで」
「あぁ、四年前にね」
互いの返事がかみ合わない事にふたり同時にため息をついた。そしてふたりして苦笑いを浮かべる。
「……あの、入っていい?」
突然、あらぬ方角から声がかけられた。
ライラとバーンズがビクリと肩を震わせ、オズオズと声のした方に顔を向ける。
診察室から顔を覗かせるケイシーが、そこにいた。
「いやほら、あの様子じゃ泊まりになるから早めに来て朝食をって思ったんであって、別にふたりの邪魔するつもりはまったく全然これっぽっちもなかったのよ?」
持ってきた大きめのバスケットから、ケイシーがひょいひょいとパンを取り出し、持ち込んだ小さめのテーブルに置いていく。次いで、野菜をちぎっただけだが、皿にのせていく。
「具合悪そうだったし、朝になっても体調が悪かったらライラちゃんの手伝いも必要だったでしょ?」
言い訳だからか、ケイシーはライラと目を合わそうとしない。
「別に邪魔じゃないって」
テーブル横の椅子に腰かけたライラが口を尖らせた。お腹が空いているのか、バーンズはベッドに腰掛けてじっとパンを見つめている。
「手をつないで見つめ合ってたら、ね」
ケイシーはバーンズに向かって微笑んだ。
ライラを避けているのがまる分かりだ。
「……解毒剤とコトリネを飲ませた」
「解毒剤?」
驚いた顔のケイシーが振り向いてくる。ライラはゆっくり頷いた。
「症状が似てたんでね。それに前日の夕方まではピンピンしてたし、病気の線は薄いかなと」
「……毎日夕方に逢引きしてたの?」
ライラはしまった、という顔をして眼鏡のブリッジをあげた。感じるケイシーの視線に、じんわりと身体に汗がにじみ出てくる。思わず明後日を向いた。
「なんでかお腹が痛くなるんで、迷惑にならない夕方過ぎに来てたんです」
「へぇ~」
バーンズが弁明をするが、ケイシーの視線はいやらしさを増した。ライラはその意図に気が付いたが無視しておいた。ヘタに反応すると予想の反対にとられてしまいかねない。
「そういえば、診療所にくる住民って多いですよね。王都では費用が高いのでそれなりの人しか来ない感じでしたが」
ポンと手を叩いたバーンズが問うてくる。王都との違いを疑問に思ったのだろう。
医師にかかることは、金がかかることと同義だ。薬が高額なせいもあるし、医師そのものが少ないせいもある。小さな村には医師などいないし、ここレゲンダでは「軍がいるから診療所がある」というだけなのだ。
決して裕福には見えない患者たちを見たバーンズの疑問はもっともだった。
「あー、それはねぇ、診察費用は税金でまかなっているからなんだ」
ライラはバーンズに答えた。驚いたのかバーンズは目を開いている。
「税金で、ですか?」
「まぁ、税金で全てを賄えるほどレゲンダは豊かじゃない。足りない分は軍から補助してるって聞いてる」
「軍で補助……」
最初はうんうんと頷いていたバーンズだが最後の方では顎に手を当て、難しい顔になっていた。何か不審な点でもあるのか、とライラは感じたが、いかんせん軍の運営には関しては全く知らない。麻薬の調査とも関係なさそうだし、と首を捻るばかりだ。
「ライラちゃん、可愛く首かしげてどうしたの?」
ケイシーの言葉と仕事開始の鐘の音が重なった。
――眠い。
ライラは半開きの目で診察をこなしていく。バーンズは大事を取って隣の部屋で寝ている。
時折いびきが聞こえてくるから夢の世界で楽しくやっているんだろう。そう考えたライラは、なんとなく腹が立った。
「うん、これならもう大丈夫かな」
以前、腕に火傷した女の子を連れてきた親に、そう告げた。
腕に跡が残ってしまったけど、処置できなくて切り落とす羽目になるよりは、ましだろう。
小さな村だったらこれで生涯を閉じていたかも、と考えれば、これで良いんだ、とライラは思う。
医師といってもなんでも治せるわけではない。どうしようもない怪我や病気には祈るほかない。ライラは神を信じているわけでもないが、神にすがりたいことも、過去にはあった。
「ありがとうね、ライラちゃん」
「せんせーありがとー!」
親子にお礼を言われ、ライラは手をあげ「何かあったら来るんだよ」と告げた。
〝何かあったら来るんだよ〟
これはライラの口癖でもあった。
気安く診療所には来てほしかった。できることは少ないかもしれないが、医師としてやれることはあったし、薬もある。
ライラの医師としての矜持だ。
そのおかげで、母親たちは気軽に子供たちを連れてくるようになった。軍の金銭的な負担は増えたかもしれないが、軍に対する不満の声は減っていったとライラは感じていた。
いまでは年上の母親たちには〝ライラちゃん〟と呼ばれている。先生と呼んでくれるのは男と子供だけだ。
「もう四年か……」
ライラは天井を見上げてぼそりと呟いた。
「ライラちゃん、いいかげん再婚を考えたら?」
ケイシーがトレイで紅茶を持ってきた。焼き菓子もおまけにのっていた。トレイがコトリと机に置かれると、紅茶の香りが鼻をくすぐる。お腹もくぅと反応した。
「あぁ、ありがと」
「ギリアムが亡くなって四年よ? もう喪もあけたでしょ?」
「……あいにくそんな気にならなくってね」
誤魔化すようにライラはカップに口をつけた。口に含み、その熱さに目を開いた。
「あっちぃ!」
ライラはペロっと舌を出した。ひりひりする舌の感覚にやや涙目だ。
「あら、冷ましが足りなかった?」
ごめーんとケイシーが謝ると同時に扉がノックされた。
診察室に入ってきたのは眼光鋭い参謀ミューズだった。意識してやっているのかはライラも知らないが、ギロリと見てきた。
ケイシーは空気を読んでそそくさとバーンズのいる隣の部屋に避難してしまった。
「おや、参謀閣下」
「……顔色が優れないようだが、大丈夫か?
「ちょっと寝不足でね」
「……また遊んでいたのか? もう四年たった。別な相手を見つけて落ち着いたって良い頃だろう」
ミューズが呆れの息を吐く。ライラは彼の様子をじっと見つつ、隣の部屋から音が聞こえるかを気にしていた。
昨晩の出来事から察するに、自分におお小言を申しにきたわけではないと判断したからだ。
「バーンズ殿を知らんか? 昨日別れてから見ておらなんだ。今日もレゲンダを案内する予定だったんだが」
ミューズが眉を下げ、困った様子を見せた。珍しいとライラは思ったが、眼鏡のブリッジをあげるに止めた。
「あー、昨日調子悪そうにして来たから宿に返したよ」
ライラはしれっと嘘をついた。
「……そうか。ならば明日に延期するとしよう」
ライラを一瞥したミューズは疑うことなく部屋を出て行った。閉じられた扉を睨むライラの胸中は複雑だった。
本当に盛られたのか。盛ったとしたらそれは誰なのか。そして目的は。
「ったく!」
ライラは机にダンと拳をぶつけた。ライラは怒っているのだ。
誰が誰にということにではない。この〝盛った〟という行為そのものにだ。
――医師に喧嘩売るなら、買ってやるよ。
ライラは眼鏡の奥で目を細めた。
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