第六話 医者の矜持と夜間診療

 レゲンダに来た初日から色々とやらかしているバーンズは、あれから連日、ライラの診察日を狙っては夕刻に押しかけてきていた。

 助手たちがいなくなるのを見計らっているのか、バーンズが彼女たちとかち合うことはない。ライラはそれも不満だった。

 煙管を没収され、かつイライラが募る事態に、ライラの額に皺が寄ることもしばしばだ。

 バーンズが来てからもう一週間。今日も今日とてライラは不機嫌だ。

「……ライラちゃん。彼が来なくなったからって、そんなにご機嫌斜めになることないじゃない」

 診察前の準備中、机の上にばっさばっさと書類を山にしていくライラに、ケイシーが苦言を呈している。

「あいつは関係ないって」

 ライラは顔もむけず即座に否定した。実際は大いに関係ありで、イライラの原因そのものだった。

「ふーん、どうだかね~」

 楽しげなケイシーの声にライラはキッと睨みつけた。彼女は「キャー怖い」とニヤニヤしながらベッドのある隣の部屋へ逃げ込んでしまった。

「ったく、朝から調子くるうねぇ」

 ブスッとした顔のライラは机に頬杖をついた。


 一日の終わりを告げる鐘が響く中、ケイシーたちは帰り支度に忙しい。

 ――今日は患者も少なかったし、バーンスが襲撃してくる前に帰ろう。

 そう心に決めたライラの前に、真っ白な顔の彼が現れた。立つのもつらいのか、扉枠に手をかけ、肩で息をしている。

 さすがに様子がおかしいとライラは立ち上がり、バーンズに近づく。

「顔が真っ青じゃないか」

「ほ、本気で、お腹が、痛いです」

 バーンズは額に脂汗を浮かべ、顔を歪めている。ライラは短い舌打ちのあとしゃがみこみ、バーンズの脇に体を滑り込ませた。

「ベッドまで歩けるかい?」

 ライラはぐっと立ち上がろうとするが、バーンズが重くてよろめいた。

「あたしがこっちに入るから、タイミングあわせて!」

 ケイシーがライラとは逆につき「せーの」と掛け声をあげた。

「よっ!」

「お、おもい~~~」

 ふたりがかりでバーンズ持ち上げ、ふらふらしながら隣の部屋のベッドまで運んだ。

「す、すみませグ……」

 バーンズが苦しそうに呻く。

「あぁ、苦しいだろうから黙ってな。っと、ケイシーたちは帰っていいよ。後はあたしがやるから」

「ちょっと、ライラちゃん!」

「家に帰って。家事があるだろ?」

 ライラが鋭く言い放つと、ケイシーも「何かあったら呼びに来なさいよ?」と念を押してきた。

「その時は遠慮なく行くよ」

 ライラがそう告げると、ケイシーはパタパタと部屋を出て行った。

 彼女を見届け、ライラはバーンズの脇に屈んだ。彼の詰襟を緩め、胸元もあける。

 ――顔色が悪い。汗もすごいね。

 ざっと目視した結果、仮病ではないと断定。ライラは眼鏡のブリッジをあげた。

「バーンズ君、ハイ、だったら手をあげて」

 ライラが声をかけると、バーンズは小さく手を挙げた。

「胸は痛い?」

「腕は痛い?」

「足は痛い?」

「お腹は痛い?」

 そこでバーンズが手を挙げた。ライラはみぞおちあたりに手を添えた。少しだけ重さをかけ押す。

「ッツ!」

 バーンズが更に顔を歪めた。

「ちょっと調べるから、いい子にしててね」

 ライラはそこから下腹部へと細かく触診していくが、バーンズの反応はない。

「痛いのは胃かな?」

 ライラはバーンズの額に手をあてる。顔も近づける。

「熱が高い。息は浅い、発汗も多い」

 声に出し、ひとつひとつバーンズの状態を確認していく。

「今日の食事はひとりでとった?」

 バーンズが力なく頭を振る。

「誰かとか」

「ミュ……ズ殿……と他に……」

「分かった、もういいよ」

 ライラはバーンズの頭を優しくなでた。

 ――何かの病気ってよりは中毒に近いかな。

 ライラはスッと立ち上がり、診察室へ戻った。薬を置いてある棚の引き出しをあけ、小さな瓶をふたつ取った。

 引き出しを戻しもせず、その足で水を汲みに診察室を出る。廊下を歩き、お昼などを食べるための休憩室に入った。

「水っと」

 水瓶から大きめの木のコップにゴポポっと注ぎ、こぼさないようにバーンズがいる部屋へと戻った。

「すみ……ま」

「患者を診るのあたしの仕事さ。解毒剤と痛み止めを飲んでほしいんだけど。顔くらいあげられるかい?」

 ライラは薬の小瓶うち、丸薬が入っている方を開けた。爪の先ほどの黒い丸薬だ。それを掌に二粒置いた。

 バーンズの後頭部に左腕をグッと差し入れ、彼の上半身を少しだけ浮かせた。

「口あけられる?」

 ライラの問いかけにバーンズの口がわずかに開く。その隙間に黒い丸薬を押し込んだ。

 すかさずライラは水の入ったコップをバーンズの口もとにあて傾けるが、うまく口に入らずにバーンズの胸元にだらだらと流れてしまう。

「仕方ないね」

 ライラは口をカップにつけ、水を含んだ。そのまま唇をバーンズの口に押し当て、水を流し込む。

 バーンズの喉からゴクっと音がした。念のためもう一度口移しで水を飲ませる。

「今のは解毒剤だ。すぐには効かないから今日はここで寝ていきな」

 そういいつつライラは濃い緑の粉が入った小瓶を開けた。コトリネだ。

「これで痛みを中和させるからね」

 ライラはまた口に水を含み、小匙にとったそれをバーンズの口に入れ込む。そして彼がむせる前に口移しで水を流し込んだ。

 言い得ぬ苦みがライラの口にも侵入してくるが、彼女は顔色一つ変えない。

 ゲホッと咽るバーンズにもう一度水を飲ませ、ふぅと息を吐いた。ライラは白衣のポケットからハンカチを取り出し、自分の口の周りの水滴を拭き取る。

「今のは口づけのカウントから外しときな」

 そういってバーンズの口元にハンカチを押し当てた。ついで濡れてしまった首から胸元も水も拭っていく。

 バーンズが物言いたげに見てくるが、ライラは彼の目の上に手を乗せた。

「少しおとなしくしてれば痛みも減ってくるから」

「すみま……せん」

 少しするとバーンズの呼吸も規則的になってきた。安堵にライラの顔がふっと緩む。

 陽も落ちきったのか、部屋はすでに暗くなっている。ライラはランプを探すために立ち上がった。

 だが立ち上がりきる前に、弱々しく腕を掴まれた。

「僕、大丈夫、ですから 家に、帰って、ください」

 バーンズが縋るくるのを、ライラは笑顔で返した。

「あたしはこれでも医者だよ。患者バーンズ君をほっぽっといて帰れるような安い矜持は持ち合わせてないんだよ」

 ライラは屈んでバーンズの頭をゆっくり撫でる。

「ちょっとランプを持ってくるから、そのままおとなしく目を閉じてるといい」

 そういうと、バーンズの手の力が緩んだ。


 天井に吊らされたランプが部屋を仄かに彩る。ベッドの横に椅子を置き、ライラはそこに腰かけていた。

 ベッドではバーンズが定期的な寝息を立てている。ライラはその様子を見て安堵と共に、不安を覚えた。

「バーンズ君が意図的に何かを飲まされた可能性が高いな……」

 ライラは該当する毒物を考えた。

 ――即効性ではなく、殺す気もないように思える。それよりもこれを誰が盛ったかだけど……

 そこまで考えたライラはぶんぶんと頭を振った。薬物を扱う人間は限られる。もちろんライラもその中に入っているし、同僚のイエレンもそうだ。

 医師が人に薬物を盛るなどとは考えたくなかった。

 さっきは食事を聞いたが、可能性はそれだけではない。紅茶にも入れ込むことはできる。

 問題は、どうしてそんなことをするかだった。

 ――麻薬調査がらみだろうねぇ。

 ライラは、静かに寝息を立てるバーンズを見た。真っ白に近かった顔色も赤みが差してきていた。

 解毒剤が効いたのかは不明だが、体調は回復に向かっていることに疑いはない。

「……妙なことに、巻き込まれなきゃいいんだけどね」

 そう呟いたライラのお腹がグーと鳴った。夕食を食べ損ねた上に、バーンズの容体も放置できないから寝るわけにもいかない。

 治ったように見えて悪化する、などということは良くあることだ。

「……よし、こいつに食事をおごらせよう。そうしよう、それがいい」

 何がいいのかわからないが、眠気で思考がぼんやりしてきたライラは大きなあくびをした。

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