第五話 白衣の姉御も女の子
食堂から診療所への道を、ライラとバーンズは肩を並べて歩いていた。昼が終わり、人々の活動も再開され、レゲンダの通りには、人で混み始めていた。
奇異と好意と羨望の視線を感じ、ライラはちょっと早足になっていた。
「美味しかったです」
ライラの早足にもびくともしないバーンズから声か降ってきた。バーンズはライラよりも頭一つ大きい。横に立つバーンズからは声が降ってくるのだ。
「ここいらじゃ一番の店だからね」
「だからですかね~」
ライラが視線をあげると、バーンズの笑顔が出迎えてくる。邪念が感じられないその笑顔を、ライラは見つめた。
――この子は何なんだろうかね。
レゲンダでも、いいとこの生まれは鼻にかける人間が多かった。だが、明らかに生まれが良さそうなバーンズには、そんな陰が見られない。
人当たりをよく見せるような訓練でも受けているだろうか。
――ないな。
ライラは浮かび上がった疑念を、即座に放り投げた。
人間は慌てる時などには本性が出るものだ。厳つい顔の大男が大怪我をした時に、泣きそうな顔で「俺は死んじまうのか?」と喚く姿も見てきた。
さっきの鎮痛剤の騒ぎでも、バーンズには
子ども扱いすれば彼は恨みがましい視線を送ってきた。大いに楽しんだあの夜も、ひん剥いてベッドに押し倒した時に彼は困惑の表情を隠せていなかった。
――その後は凄かったけどね。
昨晩を思い出していたライラの目もとは、少し緩んでいた。
「あのぉ」
「ほぇ?」
いつの間に足を止めたのだろうか、往来の雑踏の中、ライラはバーンズを見つめたまま石像になっていたのだ。
ライラは周囲の目が突き刺さるのを感じ、足早に歩き始めた。
――なんだいまったく。調子が狂うねえ。
「あ、ライラさん、置いていかないでくださいよー」
呑気なバーンズの掛け声が、余計に人の目を集めていた。
診療所に戻ったバーンズは参謀のミューズのもとへ行くといって、出ていった。
普段と違う原因がいなくなったことで、ライラは〝いつも〟を取り戻した。診察用机から煙管を取り出し、草をキュイキュイと詰め込む。
「ライラちゃん、そろそろ煙草をやめたら? 吸いたくなる気持ちも、わからないでもないけどさ」
助手の中でも一番年上のケイシーが午後の診察の準備に追われながらも、ライラに声をかけてくる。
柔らかそうな栗色の髪に白いものが混ざってきたと嘆いている、現在四十五歳の女性だ。細身な身体だが、子供を五人育てているパワフルなおっかさんだ。
「数少ない嗜好品なんだから、これくらいいいじゃないか」
「ライラちゃん、昨日もお酒飲んでたでしょ?」
「酒は人生を豊かにするって言うだろ?」
「言わないわよ、そんなこと!」
ケイシーがつかつかと歩いてきて、ライラの煙管をひょいと摘まんだ。ライラが「あっ」と言い終える前にケイシーはくるっと反転し診察室を出て行ってしまった。
ライラの手は掴む先をなくし、空で虚ろに揺れている。
「あぁ、わざわざ王都から取り寄せた煙管の最後の一本だったのに……」
「その前に、ライラちゃん?」
しょんぼりとしたライラを挟むように立つ助手の女性がふたり、にこやかとは言い切れない笑みを浮かべている。ともにライラよりも年上で既婚者ばかりだ。
この診療所はもう一人の軍医イエレンと交代制となっていて、助手も丸ごと交代することになっている。
女医であるライラの助手は、女性でも安心して働ける環境となっており、既婚未婚問わず人気が高い。
「……またお説教かい?」
「うっ」
ライラは上目づかいでふたりを見た。彼女たちがライラを妹扱いしているのを知っての、あざとい仕草だった。
ふたりが息をのみ
「お説教じゃなくって、もっと大事なこと」
ケイシーがライラの前でドンと腕を組んだ。五人の母親が放つ迫力は、なかなかのものだった。
「煙草以上に大事なことって、なに?」
「あのハンサム騎士様とは、いったいどんなご縁があったのかしら?」
「どんなって……」
口を曲げたライラがケイシーに挑むが、にこっと笑顔の反撃が襲ってきた。満面の笑みの裏に、絶対に聞き出すという強い意志が感じられる。
――酔った勢いもあったけど、男前だって言われて押し倒したなんて、口が裂けても……
「初めて会ったにしちゃ~ずいぶん親しげだったけど?」
「たまたまバー出くわしてさ、そこで意気投合したわけさ」
「あのほっぺたのビンタの跡は?」
「それはあたしじゃわからないよ」
「朝方、宿から出てきたライラちゃんを見たって、うちの息子が言ってたんだけど」
ケイシーに追い詰められ、冷や汗を流すライラには、三人からの視線が突き刺さっていた。たまらずライラは眼鏡のブリッジをあげ、視線を逃がす。
「酔っぱらったバーンズ君を送っていったら、遅くなってて帰るには危なかったんだよ」
「優しい騎士様は泊めてくださったわけですね?」
「バ-ンズ君は紳士だからね」
悪化する状況に心臓が跳ねそうなライラだったが、助けるように午後の仕事開始を告げる鐘の音が轟いた。
「ほらほら午後の診療を開始するよ!」
ライラはこれ幸いと手を叩き、助手三人を追い払ったのだった。
夕刻、一日仕事の終了を告げる鐘の音に背中を押されるように、ケイシーたち助手三人は足早に診療所を後にしていた。お母さんは忙しいのだ。
ライラは今日の診察内容をまとめる作業に入っていた。
普段ならこの作業は診察の合間に終わらせているのだが、今日は午後から患者が途切れることなく訪れてきており、後回しになっていた。
「怪我が多いけど、ま、病気じゃないし、今日もレゲンダは平和だ」
患者は多かったが大きな病気などもなく、軽い怪我で済んでいたことに安堵したライラがフフーンと鼻歌交じりで書類を整理している。
機嫌よく仕事中のライラの耳に、扉の向こうで誰かが歩く音に入ってきた。
「んー、忘れ物でもしたのかな?」
助手の誰かだろうとあたりをつけたライラは扉を見た。コンコンと上品にノックされた扉からにゅっと姿を現したのは、お腹を押さえ、苦笑いのバーンズだった。
――何しに来たんだよ。ってか、また腹痛かい?
険しい表情のライラが出迎えたからか、バーンズの苦笑いに引きつりも追加された。
「あの、おなかが痛くって」
情けない声のバーンズに、ライラは盛大な溜息で返した。
だがそこは軍医。気持ちを切り替えれば、顔つきも変わる。
「来たからには追い返すわけにもいかないしね。ちょっと座って」
おいでおいでをするライラに招かれ、バーンズが顔を歪めて椅子に座った。
「何か悪いものでも食べた?」
「いえ、昼を食べてからは何も」
「なんでお腹痛いの?」
「それを聞きに来ました」
ライラの診察は適当だった。作業を邪魔された挙句、目の前にいるのがケイシーにやいやい言われたバーンズだ。ライラもご機嫌ななめなのだ。
ため息をついて口を開く。
「またコトリネでも飲ませるか」
「え」
コトリネという単語に、バーンズの顔が渋くなる。
「原因不明。だけどお腹は痛い。ほっとけば治りそう。すっごい合理的に判断したんだけど?」
「ほっとけば治りそうってところに、すっごい矛盾を感じるんですが」
即座に言い返してきたバーンズに、ライラのこめかみがピクリと脈打った。
「既に時間外なんだけども」
「えっと、時間外手当があれば診てもらえますか?」
「緊急時以外の夜間診療はお断りだよ」
「僕的にはすっごい緊急事態なんですけど」
バーンズの顔は苦笑いで埋め尽くされていた。ライラはこっそり手を伸ばし、バーンズの横っ腹をくすぐった。
「え、ちょ、や、くすぐふあーー」
ライラは悶えるバーンズからすっと手を引いた。くすぐりから解放されたバーンズが恨みがましい視線をぶつけてくる。
「なにするんですか!」
「……腹痛は、どう?」
「あ、え……」
バーンズが凍ったようにカチーンと固まった。ライラの目が吊り上っていく。
「仮病であたしの仕事の邪魔するんじゃ、ねぇぇ!」
本日二度目のビンタが、バーンズの頬に炸裂した。
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