第八話 白馬の王子の化けの皮

 お昼どき、ライラは隣の部屋のバーンズのベッドの脇に立っていた。診察室の扉からは見えないように衝立を置き、ミューズが来たときにも一見してわからないように工作していた。

 そして当の本人は未だ夢の中だ。

「よくもまぁ、すやすやと寝られるねぇ」

 あきれ顔のライラは中指で眼鏡のブリッジをあげた。まだ髭を剃っていない頬をムニッと摘まむ。じょりっと髭が指を刺してくる。

 懐かしいその感触に、もういない人を思い浮かべてしまう。

 目の前の王子様とは似ても似つかない、厳つい顔だ。がっしりとした体を揺らして、視界の向こうでガハハとよく笑っている。

 ――あの時は、どうすれば良かったのかねぇ。

 ライラはきゅっと下唇を噛んだ。湧き上がる思いに目の奥が熱くなるが、瞼を閉じることで堰き止めた。

「……おはよう、ございます」

 控えめな声が、指の先から伝わってきた。ゆっくりと目を開けると、そこには心配そうに見てくるバーンズの顔がある。

「あぁ、起こしちゃったね」

 頬をムニムニと揉んでから、名残惜しげにスッと離した。

「ミューズは追い返したよ」

「……そういえば、今日もレゲンダを案内するって言われてました」

「こんなちっぽけな街、すぐに見終わるだろうに」

「若い女性を伴わせてて、あからさまに僕の目的を探ろうってのが見え見えなんで助かりました」

 バーンズの苦笑にライラは「若い女の子を食い散らかしたらコトリネを腹いっぱい飲ませるからね」とデコピンを食らわせた。

「僕、軽薄に見えます?」

「いい感じで軽薄だね」

 首をかしげるバーンズに、ライラはにこりと言い返す。

「あぁ、軽い男を演じられているってことですね。よかった」

「演技じゃなくって地なんじゃないの?」

「きちんと演じてますよ? 一応」

 バーンズは珍しくむっとした顔をした。

「じゃあ証拠に真面目なところをお見せしましょう」

 ベッドからむくっと起き上がったバーンズに、ライラの左手が取られた。流れるような動作で恭しく膝をつく彼に、その左手の指先が口もとへと運ばれていく。

 ライラの指が唇に触れる前、彼がじっと見上げてきた。

 ――なななんだァァ!

 バーンズの真摯な碧い瞳に射抜かれ、年甲斐もなくライラの心臓が高鳴る。耳にも熱が籠る。

 白馬の王子様にかしずかれた上に見詰められれば、女性なら当然の反応であろう。ライラのように慣れ以前にこんな扱いを受けたことが無ければ、尚更だ。

 ライラはどう返してよいやらわからず、ちょっとしたパニックに陥っていた。

「命の危機を助けていただき、感謝いたします。このご恩は、貴方の騎士となりお返しいたします」

 紺碧の視線に見据えられたまま、ライラの指先はバーンズの唇に吸い込まれた。柔らかな感触にライラの背筋にぞくりとしたナニかが走り、身体の芯がグツグツと熱を持ち始める。

 「え、ちょ、バーンズ、君?」

 頬が燃える勢いで火照るのを感じたライラはしどろもどろになってしまう。

 だが左手はバーンズに囚われたままで解放されない。バーンズは指先に口づけしたまま見詰めてくるのだ。

 ライラが左手を引こうとするが、岩に同化したかのように動かせない。ますますライラの身体が熱くたぎり、全身から汗がじわじわ滲んでくる。

「あの晩のライラさんは、素敵でした」

「い、いまそれを言うかァッ!」

 真剣な表情での予期せぬカミングアウトに下腹部まで痺れはじめる始末。

 火照った頬に冷や汗ではない物がツッと滑り落ちていく。心臓がうるさくて耳をふさぎたくなる。

「……とまぁ、こんな感じですよ」

 バーンズの顔がにへらっと緩んだ。だが焦がされたライラの身体は炭が燃えたようにすぐに鎮火できそうもなかった。

 その顔にライラのむかむかがマックスになる。

 ――くそ、こんな奴バーンズ君に! 掌でコロコロと玩ばれた! 

「この、女ったらしがァァ!」

 ライラが右手を振り上げた瞬間だった。

「きゃー、やっぱりぃぃ!」

 両頬に手を当て、絶叫するケイシーが、そこにいた。


 パンに串焼きに水が載せられたテーブルには、ご機嫌なケイシーにすまし顔のバーンズ、そして耳を赤くしたままで視線を逸らしているライラ。

「さぁ、とっとと食べちゃいましょ!」

「ケイシー、家は良いのかい?」

「旦那に任せてきたわよ。ライラちゃんの為だって言ったら協力してくれたわよ! なんだかんだ言っても、頼りになるのよね~」

 にっこり笑顔で惚気全開のケイシーに、ライラは肩を落とした。

 ――よりによって一番見られちゃいけないタイミングで見られたくない人物に見られるってのは、どこまで運が無いんだ?

 ライラは顔色を変えないバーンズを恨みがましく睨んだ。

「美味しそうですよ、ライラさん」

 ライラの視線も何のその、バーンズがニコリと微笑みを向けてくる。なんてことの無い笑みにもさっきの光景が瞼によみがえり、頭が沸騰しそうになってしまう。

「ライラちゃん、顔が真っ赤だけど、熱でもあるの?」

「いや、問題ないから。ちょっと頭を冷やしてくるよ」

 心配そうな顔に変わったケイシーを手で制し、ライラは立ち上がり、部屋を出た。そのまま診療所の入り口を出て、建物に寄りかかる。白衣のポケットに手を突っ込み煙管を探すが没収されたことを思いだしチッと舌打ちをした。

 砦に隣接されている診療所は、街の中心部だ。前を走る大通りは昼時で行きかう人で賑わっている。親子連れ、食事を終えて戻る最中の男たち、砦に出入りする兵士たち、荷車を引く馬。道端にはいくつか屋台の姿もある。

 バーンズのいないココは、普段を維持していた。

「ん?」

 いつもの風景を眺めていたライラは普段との違いを見つけた。大通りに見慣れない大きな荷馬車があった。大きく湾曲した幌を被せた馬車が二台並んで店を開いており、人だかりも見える。

「そういや一昨日から商隊が来てるんだっけか」

 この商隊は王都と各地を渡り歩いて商売していた。ここレゲンダにも定期的にやってきては珍しい物を売っていた。

 ――煙管!

 ライラの頭にピキーンと閃きが走った。

 没収された煙管は王都から取り寄せた、煙草の味を数倍美味しくしてくれる逸品だった。レゲンダで手に入る煙管は美味しくないのだ。


 人に当たらないよう、ライラは器用に小走りで近づく。馬車の荷台に並べた商品に群がる人の後ろから見ようとするが、うまくいかない。だが前の方に陣取る人たちを押しのけてまで前に行こうとは思えなかった。

 どうしようかと考えている時にわずかな隙間を見つけて、するっと身体を滑り込ませた。ちょうどいい具合に人と人の間にすっぽり収まった感じだ。

 目の前には沢山の仕切りがある木箱に、色々な雑貨が並べられていた。綺麗なイヤリングやペンダントなどの装飾品にペン、紙、石鹸などの生活用品もある。雑多なにおいが鼻を衝くが、香水も売っているのかバラような香りが漂ってもいた。馬車の中には酒樽らしきものもあり、ライラはそっちにも興味をそそられた。

「っと、いまは煙管が最優先だ」

 ライラは目を輝かせた少年のように煙管を探した。左からずずずいっと右に目を向けるさなか、視界の右端に煙管を数本見つけた。

 その中でも全体に綺麗な葉の彫刻がなされた、焦げ茶色の煙管にライラの目が吸い寄せられた。火皿と吸い口が真鍮の鈍い輝きを放ち、それらをつなぐ管は艶やかに光を滑らせている。

 まさに一目惚れだった。

「あった! けど、遠くて届かない」

 ライラが手を伸ばそうとするが隣の男性の身体が邪魔で伸ばせない。移動しようにも押し合いへし合いでままならない。

 ――あぁ、もうイライラするなぁ!

 煙管を取り上げられ、イライラが解消できないライラはここでも苛ついていた。

 そうこうしているうちに狙っていた煙管が誰かの手に取られてしまう。

「あぁ、ちょっと、それあたしも買いたいんだけど!」

 思わず叫んだ先にいたのは、にっこり笑顔のバーンズだった。ライラを見つめる碧い瞳がスッと細まる。

「これ、お願い」

「あいよ! 良い鑑識眼してるねぇ。こいつは王都でも人気の煙管なんさ!」

「へぇ、そうなんだ。あ、これお代ね」

「まいどアリ!」

 ライラが唖然としている隙にバーンズはとっとと会計を済ませ、人ごみに消えて行った。

 ――アイツ、あたしが狙ってたのわかって買いやがったな!

 ライラは身体を丸め、人の隙間に潜り込むようにして、商隊の馬車から離れた。きょろきょろと見渡して雑踏の中のバーンズを探す。

 突然、背後からポンと肩に手を置かれ、ライラはビクッと体を揺らした。

「どこに行っちゃったのかと思って探しましたよ」

 振り返ればそこには笑顔のバーンズ。片手には今しがたの煙管。

 雑踏の中に現れた王子様に、周囲の女性の視線は釘づけだ。

 ただしライラの視線はキセルに釘づけだ。

「その煙管!」

「お礼に差し上げても良いんですが――」

「む……」

 何か取引を持ちかけるようなそぶりのバーンズに、ライラは眉を寄せた。女の勘とでもいうのだろうか、非常に嫌な予感がしているのだ。

「ま、その件は後程。お昼もまだなんですから、診療所へ戻りましょう」

 バーンズの、何気ない動作でライラの右手は取られてしまう。周囲から「キャー」という黄色い悲鳴が飛ぶ。

 そのままクイっと引かれ、寝不足のライラは足がもつれた。

「うわっととと」

「おっと、すみません、僕の看病で徹夜明けでしたね」

 そんなことを言ったバーンズによって、ライラはがしっと抱きとめられた。バーンズの筋肉質な胸の感触を感じながら、ライラは黄色い悲鳴が木霊するのを聞いた。

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