ログティアの役割 3

「ストレイ!」

「大丈夫ですか!?」


 制御盤を落ち着かせた後。

 セイル達は急いで回廊を降りて、ウッドゴーレムの所へと駆けつけた。

 そこではウッドゴーレムに守られるように、ストレイがその巨体に寄りかかっている。ストレイはセイル達に気が付くと、疲れたような顔でこちらを見た。


「ああ、お前さん達か。……助かったよ」


 ストレイは小さく笑ってそう言った。ボロボロで土埃まみれではあったが、目立った外傷は特になさそうだった。


「良かった……」

「良く無事で……」

「ああ」


 二人の言葉に、ストレイはウッドゴーレムを見上げる。


「こいつが庇ってくれてなぁ……」


 そして、その手で触れた。ストレイにつられてウッドゴーレムを見ると、その姿は無残な物であった。

 片腕は取れ、ハイネル達が手当てをした足も砕けている。

 外装も所々剥がれており、胸の部分には白色に弱々しく光る『核』が見えていた。


「二人とも無事で良かったです。それにひとまず、ゴーちゃんも核は無事……でしょうか?」


 ほっとしたように息を吐くハイネル。

 だが彼とは正反対に、それを見たセイルが目を見開いた。


「――――違う」

「セイル?」

「これはログ溜まりです!」


 ハイネルとストレイ、それにリゾット達はぎょっとしてウッドゴーレムの胸の核を見る。

 信じられないものを見るような目の三人と違って、ストレイだけは納得したように静かに目を伏せた。 


「ログ溜まり……ああ、そうか。そういう事か。だから、他のゴーレムがおかしくなっても、こいつだけは影響を受けなかったのか……」

「どういう事です?」


 ハイネルが首を傾げると、ストレイは続ける。


「すでにあの魔石には、ゴーレムを動かすための魔力が足りなかったんだろうよ」

「稼働するための魔力を魔石だけではなく、ログ溜まりからも得ていたんだ。だからこいつだけは他のゴーレムが動かなくなっても、稼働し続ける事が出来たんだ」


 ハイネルはストレイとウッドゴーレムを見比べて、困惑した顔になる。

 信じられない、という気持ちの方が強いのだろう。


「そんな事が可能なのですか?」

「ログティアが使うものがログ魔法というくらいですから、性質としては魔力と似ていますよ。精神的な意味になりますが」


 ストレイの話を引き継いで、セイルは言う。


「……ですが」


 そして、目を潜めてえ、遺跡を見上げた。

 この遺跡を覆っている白い霧。絶対的な忘却の先駆けであるログの霧だ。

 その白さが先程よりも濃くなっている気がする。

 セイルはそのままウッドゴーレムの核を見た。核は今にも消えそうなくらい、弱々しく光っている。


「……恐らく、今までゴーちゃんがログ溜まりから魔力を得ていた事で、ログの霧散が抑えられていたのでしょう。けれど、長い間そうだったからなのか、核がログ溜まりと一体化しかけている。その核が破損した事で、一気にログの霧散が始まったのだと思います」

「……む、霧散すると、どうなるの?」


 リゾットが恐る恐る尋ねるとセイルは目を伏せる。


「この霧の様子を見るからに、ログ溜まりの影響を受ける範囲は白雲の遺跡全体です。わたし達がここへ到着した時よりも、ログの霧の色が濃い。今まで抑えられていた分、一気に活性化し、近いうちにこの遺跡のログは消滅します」


 セイルは断言する。

 その言葉が意味するのは、遺跡の消滅。そしてこの場所の死だ。


「この遺跡はなかった事になります。誰の記憶からも消える。そこに関わったもののログも、そこで積み重ねられたログも、その全てがなかった事になります」


 セイルとハイネルが冒険者になる為に実技テストに訪れた事も。

 遺跡でウッドゴーレムと戦って、仲良くなった事も。

 ストレイと一緒にお昼ご飯を食べた事も。

 ウッドゴーレムがストレイを守り続けた事も。

 こうしてここにいる事も。

 その全てが消え去り、なかった事になるのだ。

 そしてそれこそが、この世界をずっと脅かし続けている、絶対的な忘却だ。 


「ずっと忘れたまま。誰のログからも思い出せない。ただひとつの例外もなく、どこまでも平等に」


 だから、とセイルは続ける。


「そのために、ログティアがいます」


 セイルは一歩踏み出してウッドゴーレムの目の前に立った。

 ログティアとは、世界にある記憶を記録し、ログを整理し、自身の中に貯め、扱う職業だ。それにはこのログ溜まりの対処も入っている。

 ログ溜まりのログを整理し、あるべき形へ戻す事。それをログティアは『解放』と呼んだ。


「…………ゴーちゃんは、どうなりますか?」

「核がなくなれば、動きを止めます」


 感情を抑えたようなハイネルの問いかけに、セイルは静かに答えた。


「ここで何もしなくてもどの道、という事か……」

「そ、そうだ、新しい核があったらどうなの?」


 後ろで聞いていたリゾットがそう尋ねると、ストレイは首を振った。


「俺達の命がひとつなように、ゴーレムの核もゴーレムにひとつさ。新しい核で動けば、そいつはもう別のゴーレムだ」


 もしかしたらウッドゴーレムが、まるで感情を持ったかのように動くのも、ログ溜まりの影響もあったからかもしれない。そう思ったがストレイは何も言わなかった。

 ハイネルはウッドゴーレムを見上げたまま口を真一文字に結んでいる。

 リゾットとパニーニも――元々の原因が彼らではあるにせよ――何とも複雑な顔でウッドゴーレムを見上げていた。


「――――ログはいつだって共にある」


 静かになった場に独り言のようなセイルの声が響く。

 その言葉に全員の視線が集まった。


「ずっと昔からの、遠い明日の約束です」


 ログティア達の間に伝えられている、唯一無二の言葉だ。

 セイルは杖を握りしめると、くっと顔を上げた。

 柔らかな緑色の光を宿したウッドゴーレムと目が合う。

 やってくれ。そう言っているようなウッドゴーレムにセイルは小さく頷くと、杖をぐるっと回転させるように動かして杖の底で地面を叩いた。


――――ポーン。


 澄んだピアノのような音の波が響く。

 ハイネルを、ストレイを、リゾットとパニーニを、そしてウッドゴーレムの体を、それは風のように吹き抜けて行く。

 セイルは杖を両手で握ると、目を閉じて、ログ溜まりに意識を集中する。

 すると、ウッドゴーレムの周りから、淡い金色の砂のような光が浮かび始めた。

 さらさら、さらさらと。現れた光の砂はゆっくりとセイルの方へ集まり、吸い込まれていく。

 瞼の向こうにログが見え始めた。




 それは今よりもずっと遠い、遠い時代のログだった。

 遺跡がまだ、立派な建物だった頃のログだ。

 ウッドゴーレムの目の前には、一人の年老いた魔法使いがいた。

 気難しそうな、それでいてどこか寂しそうな表情の魔法使いだ。

 ウッドゴーレムと魔法使いは長い間二人ぼっちだった。

 幾度か季節が巡っていく内に、彼らの下に一人の若い青年が現れた。

 青年は魔法使いの弟子となった。

 彼らは学び、遊び、笑い、時には泣いたり、時には怒ったりと、ずっと一緒に楽しそうに過ごしていた。

 そこへ数人の男が現れ、遺跡を破壊し始める。

 魔法使いがウッドゴーレムと弟子を守り、倒れた。

 全ての力を使い果たしたのだろう。

 魔法使いはウッドゴーレムと弟子に見守られながら息を引き取った。

 弟子は嘆き、悲しんだ。それはきっとウッドゴーレムもだろう。

 やがて青年はその遺跡でゴーレム作りに没頭するようになる。

 弟子が作るのは彼の師匠が作ったようなウッドゴーレムではなく、頑強なストーンゴーレムだった。

 ここを守るために。自分の師が大切にしてきたものを守るために。弟子はストーンゴーレムを作り続けた。

 その中で時折、ウッドゴーレムと弟子は白雲の花を摘み、魔法使いの眠る墓へと供えた。

 そして眠る魔法使いに向かって話しかけるのだ。

 楽しかったこと、嬉しかったこと、新しい発見や、秘密の相談ごと。

 そこには常に寂しさはあったが、穏やかな時間だった。

 そうして長い、長い時間が経った。

 その時間の中で、やがて青年だった弟子も年老いていく。

 別れの時が近づいてくる。


『…………僕がいなくなったら、お前はどうなるのだろうな』


 ベッドに横たわりながら、弟子はウッドゴーレムを見上げてぽつりと呟く。

 ウッドゴーレムは少しだけ首を傾げた。

 弟子は微笑むと、その胸に手をあてる。


『“ログティア”――――――――より、ウッドゴーレムへ』


 弟子の周りに金色の光の砂が浮かぶ。


『僕のログの全てを、君にあげよう。どうか、ここを守っておくれ。そしてどうか、どうか――――幸せであっておくれ』


 光の砂はウッドゴーレムの胸へと吸い込まれて行く。その光が収まった時、弟子は静かに息を引き取っていた。




 あたたかなログだ。

 遺跡の一室でセイルが触れたログと同じ、あたたかく、どこまでも優しいログだ。

 何故ウッドゴーレムの胸の核にログ溜まりが出来たのかようやく理解出来た。

 この核にログを込めたのがログティアだからだ。

 ログの中に見えたあの人はログティアとして間違っていたのだとセイルは思う。

 ログ溜まりを生む可能性のあるあの行為は、ログティアとして決してやってはならない事なのだ。

 それは事実であり、真実だ。

 だが。

 だが、そうだとしても、セイルには彼の行動を否定する事が出来なかった。

 彼はログティアとしてではなく、一人の人間として生きた。

 一人の人間が、大切なものの為に、自分の積み重ねてきた全てを賭して残したものなのだ。

 セイルは自分の師匠が言っていた言葉を思い出した。


『そう。そうだよ。あたし達は死ぬまでずっと、ログと関わり続ける。だからこそ、覚えておきなさい。真実は一つだ。だが、見方によっては如何様にも色を変える。この光のようにね』


 あれは、こういった事を言っていたのだろうか。

 あの時は分からなかった言葉の意味が、セイルには何となくだが分かったような気がした。


『ゴーちゃん!』

『ゴーちゃん!』

『く、悔しくなんてないんだからな!』


 最後の最後に、そのログの中にセイル達の姿が浮かんだ。

 ハッとして目を開けたセイルの頬を、涙が一筋伝った。

 悲しいのか、苦しいのか、嬉しいのか分からない。

 セイルは嗚咽を飲み込んで、微笑む。

 ウッドゴーレムは静かにセイルを見下ろしていた。


「さらば」


 ゴーちゃんの核の部分の輝きが増し、ぶわり、とそこから金色の光の柱が空へと上がる。

 高く、高く。

 遺跡の隅から隅までを見渡せるほどに高く伸びた光は、やがて大きく広く弾け、雨のように遺跡へと降り注いだ。

 音のない雨だ。

 キラキラと輝く金色の光の雨に触れると、白い霧はゆっくり晴れて行く。


「…………美しい」


 空を見上げて、ハイネルはぽつりと呟く。

 その声は光の雨の中に消えていく。


 それからしばらく。

 降り続いた光の雨が収まった頃。

 長い間ずっと遺跡を守っていた一体のウッドゴーレムは、その長い生に幕を降ろし、静かに、静かに動きを止めた。




 空が橙色に染まる頃、ハイネル達は白雲の遺跡を出てライゼンデに向かって歩いていた。

 あの後、倒れたセイルをストレイが背負っており、その隣をハイネルが歩いている。

 ハイネルの手からは蔦が伸びており、その先でリゾットとパニーニがグルグル巻きに拘束されて、肩を落として歩いていた。


「……ったく、あいつら余計な事しやがって」

「まったくですね」


 じろりと睨みを利かせると、リゾットとパニーニが「ひいっ」と息を呑んで震えた。

 ストレイは大きくため息を吐くと、背負っているセイルに視線を移した。

 セイルはすうすうと寝息を立てている。


「疲れたんだろうな」 


 セイルを見てストレイが言った。

 ログティアは常に体にログを貯めている。ログを留める為に、常に体力を消費している。

 その上でログ魔法を行使するという事は、体への負担も大きいものだ。

 遺跡では立て続けにログ魔法を使ったと、後からハイネルに聞いたストレイは、最後まで良くもった方だと思った。


「ありがとうな」

「いえ」

「そんで、後でアイザックさんに怒られろ」

「忘れていたかった、そのイベント……」


 結果的にゴーレムを止める事は出来たものの、アイザックの指示を無視したのだ。

 基本的に冒険者は自由ではあるが、緊急事態においては、冒険者ギルドの指示を優先とする。

 指示に従えばストレイ達の命も、ログの消滅による被害も危なかったのかもしれない。

 だが、それはそれ、これはこれなのだ。


「まぁ、ちょっとは弁護してやるよ」

「是非お願いします」


 ハイネルが眼鏡を光らせて言うとストレイは苦笑し、ふと、思いついたように顔を上げた。


「……ああ、そうだ。なぁ、ハイネル」

「はい?」

「しばらく俺も、お前さん達と一緒にいてもいいかい?」


 ストレイの言葉にハイネルは目を丸くする。


「前衛、いるだろ?」


 ストレイはそう言ってニッと笑った。


「ええ。セイルが起きたら喜びますよ」

「はははは。よろしくな」


 やがて、ライゼンデが見えて来た。

 その門の所にアイザックや冒険者達の姿も見える。どうやらこちらの方も大丈夫だったようだ。

 ストレイとハイネルが手を振ると、向こうも大きく振りかえしてくれた。

 笑い声が響く。

 その笑い声の中で、セイルはもそもそと少しだけ体を動かしながら、夢の中で微笑んだ。

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