とある遺跡の記録:laissez vibrer E
White clouds remains ――――A long time ago “E”
遺跡にけたたましい爆発音が響く。
腹に響くその音とともに、所々では火の手も上がっていた。
長閑であったそこは見る影もなく、焼けこげた臭いが辺りを漂うその様は、さながら戦場のようであった。
数日前に訊ねて来た男によって、襲撃を受けているのである。
有言実行、と言えば聞こえが良いが、迷惑極まりない事だ。
地獄のようなその中で、年老いた魔法使いは険しい顔で、弟子とウッドゴーレムを守るように立っていた。
その彼の前には、襲撃犯の男が、雇った傭兵を従えて立っている。顔にはニヤニヤと嘲るような嫌なな笑みが浮かんでいた。
「あなた方が、大人しくゴーレムの資料を渡していれば良かったのですよ」
男は、さも魔法使いが悪いと言うように言い放つ。
あれで譲歩していたのだ、とでも言うつもりだったのだろうか。
だがそんな言葉に、魔法使いは負けなかった。
「フン、お前なんぞに誰が渡すものか」
魔法使いはそう言って、腕を組んだ。
魔法使いは体中傷だらけであった。満身創痍と言っても良い。立っているだけでも辛そうであった。
彼だけではなく、魔法使いの弟子も、ウッドゴーレムも、襲撃を受けてあちこち傷を負っている。
「相変わらず、減らず口を叩くジジィだな」
男は丁寧な口調をかなぐり捨てて、そう言った。自分の優位を確信してか、その態度は余裕そのものである。
「化けの皮が外れるのが早かったの」
「この状況でそんな事を言えるとは、頭がイカレてるんじゃないのか、ああ?」
男はそう言うと、背後に控えた傭兵達に視線を向けた。すると傭兵達はそれぞれに武器を構える。
弟子の表情に緊張の色が走った。
「やれ!」
男は鼻で笑うと、短くそう命令する。
それに従って男達は魔法使い達に向かって襲い掛かって来た。
だが。
「わしの子供達に、貴様のような輩が触れるでないわ!」
その時、魔法使いは目をカッと見開き、空気が震えるほどに怒鳴りつけた。
魔法使いの剣幕に、声に、傭兵達に一瞬の隙が出来た。
それを魔法使いは見逃さない。
魔法使いは大きく手を開くと、音を立てて打ち付ける。すると、魔法使いの体から、ぶわり、と強く青い光が浮かび上がった。
その光はまるで柱のように空へと向かい、そこで大きな球体へと姿を変えた。
「何……」
何だこれは。
傭兵達がそう考えるよりも早く、天高くで球体は弾け、その光は大量の水へと姿を変えた。
魔法である。
「まずい!」
そう男が思った時には、すでに遅かった。
現れた大量の水は、魔法使いを中心に渦巻き、濁流のように男達に襲い掛かり、男達を押し流す。
魔法使いの弟子は、水に流されないようにウッドゴーレムにしがみつき、グッと目を閉じた。
だが不思議な事に、その水は弟子とウッドゴーレムを避けて広がって行く。
偶然ではない。守らている事に気が付いて、弟子は顔を上げて魔法使いを見た。
その時の魔法使いの顔は凛々しく、歳など一切感じさせない雰囲気であった。
「お師匠様……」
弟子がぽつり、と呟く。その言葉に魔法使いは答えなかった。
ただただ、己の魔法を操り、敵を押し流す事にだけ集中をしていたのだ。
それから少しして。
やがて水が収まると、遺跡を燃やしていた火も消えていた。魔法使いが水を操り、消化したのだろう。
そして男や、彼らの雇った傭兵達の姿も、もうどこにも見当たらなかった。あの水で、どこか遠くの方へと流されて行ったのだろう。
(もう、大丈夫……なのか?)
弟子がほっと息を吐いて、辺りを見回した。
色々と破壊されたが、大部分は何とか無事である。良かった、と本当に思った。
――――だが。
「…………ッ」
弟子の視界の端で、魔法使いの身体が不安定に揺れた。
「お師匠様?」
「少々、張り切り過ぎたかの……」
魔法使いは掠れた声でそう呟くと、がくり、と地面に倒れ込んだ。
弟子はこれ以上はないというくらい目を見開き、青ざめるながら魔法使いに駆け寄る。
弟子がその体に触れ、抱え起こした時、そのあまりの冷たさにゾッとした。
「ああ、どうしよう。どうしよう、お師匠様、待っていて下さい! 直ぐに部屋に……!」
弟子がウッドゴーレムに指示を出そうと顔を上げると、魔法使いはそれを制するように手を挙げて、その手をそのまま弟子の額にあてる。
「……のう、弟子よ」
「お師、匠様?」
「あいつを頼むぞ。あいつはわしの子だ。大事なわしの子なのだ。……どうか、出来る限り、一緒にいてやってくれ」
掠れた声で魔法使いは言った。
それはまるで別れの言葉のように弟子には感じられた。
――否、ような、ではなく、そうなのだろう。
魔法使いの体の冷たさに、弟子はその事を確信した。だが、認めたくなどなかった。
弟子の目からはボロボロと、大粒の涙が零れ落ちた。
魔法使いはそれを見上げ、
「何を泣いておるんじゃ」
と、優しげに目を細めて笑った。
(ああ、しかし……わしのために、泣いてくれる奴がまだおったのか)
魔法使いはその事が、とても嬉しく思った。
魔法使いはずっと一人だった。そして独りでもあった。ウッドゴーレムが傍にいてくれて一人ではなくなり、そうして弟子がやってきて、魔法使いは本当に独りではなくなった。
数年と言う短い期間であったが、魔法使いにとっては何よりも長く、幸せに感じる時間であった。
本当に、本当に――幸せであったのだ。
「……お前も、悲しんでくれるのか」
そんな魔法使いを、ウッドゴーレムも覗き込んでいた。
表情は無い。感情も、恐らくはないだろう。だが魔法使いには、ウッドゴーレムが自分の死を悲しんでくれているように思えた。そうであれば良いなと、心から思った。
魔法使いはウッドゴーレムに優しい眼差しを向けた後、弟子に目を戻す。
「本当はお前にも、もっと色々、残してやりたかったんじゃがなぁ……」
「お師匠様からは色々な事を教えて頂きました。その恩返しも、まだ、まだ出来ていません。僕は、僕は……」
ボロボロと零れ落ちる弟子の涙が、魔法使いの頬に当たる。
熱を持った水の雫に、魔法使いは笑う。冷えた身体に、その熱はとても心地良く感じた。
「…………恩を返すのは、わしの方だ」
魔法使いは笑顔のまま、そう言う。心の底から幸せだったと、残された僅かな時間に、弟子とウッドゴーレムに伝えたかったのだ。
「お前が来てからは、毎日がとても、楽しかった」
ずっと思っていて、ずっと言わずにいた言葉だった。
こんな時にだけ言うのは卑怯かもしれないと魔法使いは思ったが、それでも伝えずにはいられない。
「ありがとうよ、わしの子供……達……」
そして、最後の力を振り絞り、そう伝えた。
そこまで言うと、糸の切れた人形のように、魔法使いの手が地面へと落ちる。ぱしゃり、と水が跳ねる音がした。
弟子がハッとして魔法使いの首に手を当てる。小さく「違う」「まだ」と呟いていた。
だが、弟子のその願いは、虚しく霧散した。
魔法使いの体は冷たい。そして、鼓動も消えていた。
何が起きたのか弟子は理解したくなかった。納得したくなかった。
だが――だがその魔法使いの表情が苦しさの欠片もなく、とても穏やかな笑顔であったため、認めないのは失礼だ、と無理矢理理解させる。
「…………ッ」
弟子はひく、と顔を引き攣らせた。そして魔法使いの胸に顔をうずめると、声を押し殺して鳴いた。
ウッドゴーレムも、建物や木々から伝った水が顔に落ちたのか、顔に水の筋をつけている。まるで泣いているかのように。
人生をゴーレムに捧げた魔法使い。
彼は、彼の作ったゴーレムと彼の弟子に見守られながら、とても穏やかで安らかな顔で、その一生を終えた。
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