とある遺跡の記録:laissez vibrer B

  White clouds remains ――――A long time ago “B”



 それはある雨の日の事だった。

 

 その日は、早朝から空を黒い雲が覆っていた。


(これは、悪くなりそうじゃなぁ)


 年老いた魔法使いは空を見上げ、そう思っていた。すると案の定、雨が降り出してしまった。

 雨は最初の内はしとしとと、静かに降っていた。だが昼過ぎになると急に土砂降りとなり。

 そのせいで、石造りの建物のあちこちで、ピチョン、ピチョンと雨漏りが始まっていた。


「ううむ、ここも雨漏りも増えてきたのう……」


 魔法使いはそう言いながら、回廊の天井を見上げた。

 彼の隣に立つウッドゴーレムも、魔法使いの真似をして、空を見上げる動作をする。それは子供が親のしぐさを真似するような、動きであった。


 さて、そんな一人と一体が見上げた天井の僅かな隙間からは、灰色の空が流れていた。そこから落ちた雨の雫が、ウッドゴーレムの鼻先――と思わしき場所――に落ちる。


 魔法使いが住んでいるこの建物は古い。雨が降るとあちこちで雨漏りが発生するほどボロボロだ。

 魔法使いとウッドゴーレムは、雨が降る度にこうして建物の点検をして回っているのだ。

 だが、そうして点検するたびに、新しい箇所で雨漏りは発生し、なかなかどうして、補修が間に合わずにいる。


「わしと同じで、この建物も老いぼれか……いやいやいや、まだまだ現役じゃ!」


 ぽつりと呟きかけた言葉に、魔法使いはぶんぶんと頭を振って否定する。

 その最中も、ウッドゴーレムの頭の上には、ピチョン、ピチョンと一定のリズムで雨の雫が落ちていた。


「おう、おう、ちょっと頭を下げなさい」


 そう言って魔法使いがウッドゴーレムに手を伸ばす。その指示を受けて、ウッドゴーレムはゆっくりと頭を下げた。

 角度が出来ると、ウッドゴーレムの頭を濡らしていた雨水が、そこからツツ、と垂れて地面に落ちる。

 魔法使いはウッドゴーレムの濡れた頭を、自分の服の袖で優しく拭いてやった。ウッドゴーレムの頭は水滴でしっとりとしっている。


「これは本格的に修繕を考えねばなるまいな」


 魔法使いは、むむ、と眉間にしわを寄せ、呟く。

 雨漏りが困るのはもちろんだが、こうして雨漏りが増えればカビも増える。自分の愛するこのウッドゴーレムにカビが生えたところを想像して、魔法使いは顔をしかめた。ついでに想像上ではキノコまで生えてくる始末である。


(かわいそう。うちのかわいいウッドゴーレムがかわいそう)


 カビも、キノコも、大事なウッドゴーレムに生えさせたくはない。そんな事はさせるものかと、魔法使いは強く思った。

 そして建物の修繕を硬く心に誓うと、魔法使いは建物の見回りを再開する。


 雨漏りは、やはりあちこちで起こっている。直ぐに修繕は出来ないので、とりあえずバケツなどを置いて簡易的に対処をしつつ、一人と一体はやがて入り口の門付近までやって来た。

 ここが見回りの終点である。

 魔法使いが雨漏りの箇所の点検を終えて、さて戻ろうかと思った時、門の向こうに何者かが立っている事に気が付いた。


「うん?」


 良く見ると、それはひょろっとした痩せっぽちの、背の低い青年だった。

 雨避けのつもりか、深くフードを被っているが、見るからに役目を果たしておらず、それらはぐっしょりと濡れている。


「誰だ?」


 思わず魔法使いが声を掛けると、青年は顔を上げた。

 丸眼鏡で顔にそばかすのある、どこか気弱そうな雰囲気を持った青年だ。


「あっ! あの、こちらに、ゴーレムを作られている魔法使い様がいらっしゃると、聞いたのですが……」


 青年は魔法使いに、おどおどしながらそう尋ねた。

 その言葉に魔法使いは眉を上げ、怪訝そうな顔になる。青年を警戒したのだ。

 魔法使いの所へ来る相手は、その大半がゴーレムをよこせだの、資料をよこせだの、そんな連中ばかりだった。

 その度に魔法使いが追い返しているものの、奴らはなかなか諦めない。

 なのでこの青年も、連中と同じだと思ったのだ。

 なので魔法使いはフン、と鼻を鳴らすと、


「わしがその魔法使いだが、何の用じゃ? あいにく、ゴーレムを手放す気は――――」

「やった! 魔法使い様! どうか、僕を弟子にして下さい!!」


 魔法使いが全部を言うより早く、青年は目を輝かせながら地面に手を突き、頭を下げた。

 あまりに勢いよく下げたからだろう。青年の額は地面を叩き、ばしゃっと水溜りを跳ねる。

 服も、顔も、泥だらけだ。

 魔法使いは目を瞬いた。青年の言葉が理解できなかったからである。


「何じゃと?」


 なので、聞き返した。聞き間違いかとも思ったのだ。


「どうか、僕を弟子にして下さい!」


 だが、青年は再度、そう言った。聞き間違いではないようだ。

 この青年は魔法使いの弟子になりたいと、そう言ったのである。

 魔法使いはますます困惑した。そして、


「…………は?」


 なんて、ポカンとした顔で呟いた。青年は相変わらず、額を地面につけたまま動かない。

 何とも言えない光景の中で、魔法使いの隣に立ったウッドゴーレムは、殊更不思議そうに首を傾げていた。

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