白雲の遺跡 3


 白雲の遺跡の奥の丘、そこはまるで空の上にいるかのような錯覚を覚える場所だった。

 丘には見渡す限りの、ふわふわとした白い花――――白雲の花で覆われている。

 名前の通り白い雲のような花だ。白雲の遺跡は、この花の群生地が近いことから、その名前で呼ばれていた。


 さて、そんな白雲の丘では、セイルとハイネルは遅めの昼食を終えたところだった。

 冒険者の町ライゼンデの屋台で買ってきたものを幾つか摘まんだ二人は、食後の休憩を取っている。

 ハイネルは頭の後ろに手を組んで、ごろりと寝転んでいた。そうして食後のまったりした雰囲気で、ハイネルは隣に座るセイルを見上げる。

 セイルはと言うと、水音の杖を抱いて座ったまま、目を閉じていた。

 眠っている――のではなく。これは記録――ログを貯めている最中なのだ。

 セイルの周囲では、先ほどハイネルが見た、金色の砂のような光がキラキラと舞っている。朝日のように輝くそれは、煌めきながらゆっくりとセイルに吸い込まれていた。


「これがログというものですか」


 ハイネルが聞くと、セイルは目を閉じたまま頷いた。


「ええ、そうです。ハイネルは、ログを見るのは初めてですか?」

「そうですねぇ……ログの白い霧や雲は時々見かけますが、その金色の砂のようなものは初めてですね」


 ハイネルがそう言うと、セイルは「なるほど」と呟いた。

 ログとは世界の記録であり、記憶である。

 どういうものかと言えば、セイルが生まれてから今まで生きてきた人生の世界版、と説明すれば分かりやすいだろうか。

 人生、歴史、そう言ったもの世界バージョン。目に見えなくとも存在しているもので、この世界をこの世界たらしめているものである。 

 これがなければ世界というものは形を成していない、大切なものである。


 この世界は時折、その世界のログが霧散し消滅してしまう事があった。

 ログが消滅すれば、例え人が残っていても、建物が残っていても、田畑や食べ物が残っていても、この世界が何で今がいつで今まで何があったのか、その一切を思い出せなくなる。

 つまりは忘却である。

 消滅したログは二度と元には戻らず、忘れた事も忘れて、またゼロから始めるのだ。


 それは世界だけではなくもっと小さなもの――――例えば、人や動物、道具屋建造物、森や泉など土地に至るまで、全てに起こりうる可能性がある。

 愛する人も、愛したものも、例外なく全て忘却する。忘れたという事すら忘れて。

 そうならないためにログティアは存在する。

 ログティアは自分の中にログを貯める事が出来る。その特異な性質から、世界が貯めているログを自分達も同様に貯める事で、万が一ログが霧散しても復元出来るようにしているのだ。

 セイル・ヴェルスはそんなログティアの一人だった。


「ログティアが触れたログは、こんな風に金色の砂になるんですよ。今はログを貯めているのでこんな感じですね。遺跡全体は時間が掛かり過ぎてしまうので、ひとまず白雲の丘の部分だけ」

「なるほど……。しかし、美しいですね」

「でしょう?」


 ハイネルの言葉に、セイルは少し得意げに答えた。

 ログとは色々あるけれど美しいものだ。セイルもそう思っているため、ハイネルの言葉が嬉しかったのである。


「――――よし」


 やがてセイルの周囲を待っていた金色の砂がなくなると、セイルは目を開けた。

 ひと仕事を終えてセイルが息を吐くと、合わせたかのように風が吹いて、さらさらとその髪を揺らす。

 それから、ふと、セイルが思い出したようにハイネルを見た。


「そう言えばハイネル、マジックアイテムを三つも使わせてしまってすみません。高いですよね、あれ」

「いえ。確かになかなか良い値段ではありますが、道具というものは使ってこそ。気にしなくて大丈夫ですよ」


 セイルが申し訳なさそうに言うと、ハイネルは軽く手を振って、笑った。

 マジックアイテムとは、魔法使いでなくとも使える、魔法のような道具である。

 魔法というものには素質が必要だが、マジックアイテムは違う。誰もが魔法――のようなもの――を使える夢の道具なのだ。

 そしてその値段は、夢は夢でも悪夢レベルの高さである。

 セイルは以前、魔法道具を取り扱う店を覗いた事があるのだが、そこで見たマジックアイテムの値段に絶望した。お財布事情と合致すればあわよくば一つくらいは手に入れたい、そんな事を思っていたセイルの目に飛び込んで来た値段は、とにかく馬鹿高かったのである。心躍らせた夢の国とはかくも過酷な道のりなのかと、セイルは涙の雫を振りまきながら店を出た。


 まぁ、とにかくとして。

 そんな様に思い出すだけで絶望を覚えるレベルの値段のマジックアイテムを、ハイネルに三つも使わせてしまったのである。

 生きていてよかった、という次点で、申し訳ない気持ちが溢れて来たのだが、そんなセイルにハイネルは「別に良いですよ」と言ってくれた。しかも、特別気を遣った、というわけでもない様子で、である。

 その笑顔に、セイルは思わず手を合わせて拝んだ。

 それを見てハイネルは苦笑しながら、


「それよりも、先ほどのセイルが使ったものはログ魔法というものですよね? 他にも何かできるのですか?」


 と尋ねた。ログ魔法――セイルがゴーレムに向かって使ったアレである。

 セイルはこくりと頷いた。


「ええ。出来るには出来るんですけど。実はあれ、一回だけの使い切りなんですよ。今までに貯めたログを使うので、一度使うとまた貯めないとだめなんです」


 そう、ログ魔法とは消費型なのである。使い切りという辺りがマジックアイテムと似ているかもしれない。

 ログティアはログを扱う事が出来る職業だが、そのログは無限に利用できる、というわけではない。使えば、消える。そういうものである。

 セイルの説明を聞いたハイネルは腕を組み、


「つまり、焼き鳥の火加減がちょうど良いというログでしたら、一度は良い感じに鳥が焼けるというわけですね?」


 なんて事を言い出した。セイルは思わず噴き出す。


「違わなくもないですが、何故そのチョイス」

「何となくです」

「何となく」


 その答えが面白くて、セイルはくすくす笑う。

 そうしていると、ハイネルは少しだけ真面目な顔になった。


「ところで、セイル。聞いてしまったのでアレなのですが、それを僕に言ってしまって、良かったのですか?」

「え?」


 ハイネルの言葉に、セイルは目を瞬いた。


(そう言えば、確かに)


 そしてそんな事を心の中で独り言つ。

 ログティアとは前述の通り、ログというものを扱う特殊な性質を持つため、存在を秘匿される事が多い。

 理由は、その力を悪用しようとする者や、逆にログティアの力を『盗み見』だと快く思わない者もいるからだ。

 ログティアは自身の力を悪用しようとはしないが、暴力的な要因でそうさせられる可能性はある。そして後者は、ログから何でも分かってしまうから、プライベートな詮索をされる事を嫌悪しているのだ。

 もちろんログティアにも暗黙のルールというものがあり、他者のログを許可なく盗み見る事はマナー違反、とされている。皆が皆守っているかというと難しいが、ほとんどのログティアは他者のログを勝手に見る、という事は無いのだ。

 だが、それは自分たちのルールであって、ログティアではない他人からは分からない。

 そう言った理由から、ログティアは自ら正体をバラすような事は、極力避けていた。知られると厄介な事に巻き込まれる可能性があるからである。


「いえ、僕が好奇心に負けて、色々聞いてしまったので。その、申し訳ない事をしたな、と」


 困ったようにそう言うハイネルに、セイルは「いえ」と首を横に振った。


「何か、ハイネルなら大丈夫そうな気がしました」

「え、そうですか?」


 あっけらかんと笑うセイルに、あっさりとそう言われ、今度は逆にハイネルが目を瞬く。

 いいのかな、と少し思案した様子だったが、セイルが「良い」と言っているのでそういう事にしようと思ったのか、頷いた。


「内緒ですね」

「はい、内緒です」


 口の前に指を立てて言う二人。

 どちらともなく笑い出すと、ハイネルが「ところで」と切りだした。


「ところで、セイル」

「はい、何でしょう?」

「もし宜しければ、今後も一緒に、色々と見て回りませんか?」


 ハイネルは少し緊張したように、そして少し照れ臭さを交えた表情でそう言った。

 今後も。

 一緒に。

 セイルは少し目を見開いた。


 それはハイネルにとっては、単純な思い付きであった。

 セイルとハイネルは、同じ日に冒険者の試験を受けて、遺跡を冒険して、ウッドゴーレムを倒した仲だ。

 ごくごく短い付き合いで、お互いの事も良く分からないが、一緒にいても気負う事はない。気楽だし、話も合う。

 何より。


「一緒にパーティを組んだら、楽しい事が起こるのではないかと思ったんですよ」


 そういう風に、ハイネルは思った。


「おお……」


 セイルは目を輝かせる。

 実の所、セイルもセイルで、同じことを聞いてみようかと思っていた所だったのだ。

 ハイネルも言ったが、セイルも楽しそうだと思ったのだ。

 冒険者とは危険と隣り合わせの職業だ。冒険中に命を落とすかもしれない、そうでなくても何かに巻き込まれて死ぬかもしれない。辛くて、しんどくて、冒険者をやめた冒険者もそこそこいる事をセイルは知っている。

 だからこそ楽しいという感情が大事なのだ。

 楽しいと言う感情は、行動力に直結する。

 セイルはログティアであり、生きている間ずっとログを貯め続ける。それはきっと明るく楽しい物ばかりではないだろう。けれど、でも、だからこそ。

 楽しい方が、いいじゃないか。


「いいですね!」


 セイルはにこにこと笑うと、ハイネルの前に元気よく手を差し出す。

  ハイネルはそれを聞いてほっとしたように目を細め、その手を握り返した。


「では、よろしく」

「よろしく」


 握った手を上下に軽く降ってニッと笑う。

 一つのパーティの誕生である。


「……しかし、バランスめっちゃ悪いですね」

「使い切りコンビ」

「不安しか感じない」


 お互いに肩をすくめると、もう一度噴き出すように笑い出した。





 冒険者の町ライゼンデへの帰り道、セイルとハイネルは再び、ウッドゴーレムを倒した場所へと差し掛かった。

 ウッドゴーレムは相変わらずそこに倒れており、動く気配はない。ウッドゴーレムの足はあちらこちらに亀裂が走っており、再び動き出しても、修復されるまではろくに歩くことは出きないだろう。


(何だか、かわいそうですね)


 それを見て、セイルはそう思った。

 襲われた事に対しての恐怖心はあるものの、セイルはログで、ウッドゴーレムが暴走するに至った経緯を見ている。だかこそ、同情心が湧いたのだ。

 ハイネルもハイネルでセイルからその事を聞いた為、気の毒そうにウッドゴーレムを見ている。

 そして襲われたとはいえ、やったのは自分達なのだ。そこに多少の罪悪感があった。


「……さすがにこのままというのは、いささか気の毒ですね」

「かわいそうですもんねぇ」

「応急手当でもしましょうか」

「しましょう、しましょう」

 

 そう言うと、セイルとハイネルは、ぱっと動き出した。

 遺跡の石柱に巻き付いている蔦を切り取り、川岸に流れ着いた木片を拾う。

 そうして集めたそれらを、ウッドゴーレムの足の亀裂の部分にあてがい、添え木にした。人間が骨折した時のアレである。

 ついでにその割れ目に、近くに生えていた雑草を根から掘り出し、埋めておく。上手く根を張って、接着剤の代わりになれば良いと二人は思った。


「……よし! こんなものですかね!」


 応急手当を終えた頃には、空がうっすらと橙色に染まり始めていた。

 セイルとハイネルは、手をパンパンと払った後、満足そうにその場を後にする。

 自己満足であるという事は二人も分かっているが、それでも何もしないまま立ち去るという事は出来なかったのだ。


「さて、セイル。今日の夕飯は何にしますか?」

「はいはい! わたし、ガッツリ肉が食べたいです!」

「ええ……夜に重たい」

「えっ朝食の方が良かったですか?」

「待って」


 空の色が濃くなるにつれて、賑やかな声もゆっくりと遠ざかって行く。

 その背後の方では、何時の間にやら目にうっすらと緑色の光が灯らせたウッドゴーレムが、静かに、静かに二人を見送っていた。



 そんなセイルとハイネルが町に戻ったのは日がどっぷり暮れた頃。

 戻ってこない新人を心配した冒険者ギルドのギルドマスターアイザックによって、捜索隊が出される寸前の事だった。

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