第6話 拡散運動ケイデンス

「何だ。一体どこに連れてかれるかと思えば、すぐ目の前の廊下じゃん」




 拍子抜けして俺は言った。ここは教室1-Aから1-Eまでを一望できる廊下の最西端。背後には避難時専用の非常口を背負い、特に知り合いのいない1-Aの入口の目の前に立っていた。左手の方向にズラッと並ぶ窓辺に沿ってフック付きのハンガーラックが伸びており、そこに体操服や、屋内シューズの詰まった袋が隙間なく掛けられている。




 そろそろチャイムがなり2限目も始まる頃合いだと言うのに、俺たち4人はアホ面を下げて立っていた。他の生徒はみな次の授業に備えて着席を済ませている中、たむろして格好を晒しているのは俺たちくらいのものだった。




「なあ、今じゃないとダメなのか?」




 円興が気だるそうに言う。円興も学校についてからというもの爆速で惰眠を貪っていたものだから生あくびが絶えない。そしてそわそわと落ち着かない阿古丸を従えているが、付き合わせていることには罪悪感をいだきつつも、阿古丸自身がそれを望むのでこちらが言うことはなにもない。




 このままでは2限開始に間に合わず、こぞって俺たちはサボり魔、不良のレッテルも免れないだろう。俺はすでに不良予備軍に認定されてるとかなんとか言われてるが、それを承知で、灯庵は言った。




「全クラス体育や教室移動がないのはこの時間だけなんだ」




 はて、それが一体何の関係があろうか。俺は灯庵がやろうとしていることを何一つ想像できないでいた。元来、この男は奇想天外なことを思いつく。そして、何がすごいかといえばその行動力と決断力だ。




 やろうと思ったら善は急げ。例えそれがどんなにたくさんの人間を巻き込もうとも。型破りの名を体で表したような男である。




 灯庵が今このときまでに何を見出したのか、その表情からは伺い知れない。しかし、教室のドアや、窓の外をしきりに気にしているというのには気づくことができた。やはり何の関係性も見出だせない。先生が各教室に着く時刻は着々と迫っていた。




突如、灯庵が円興に指示した。




「よし、円興。Cクラスの前でめっちゃリアルにカラスの鳴き真似」




「ええ?」




突拍子もない内容に、さすがの円興も若干後ずさる。が、




「まかせろ」




 フェイント!?今ちょっと引いたのはフェイント!?白い歯をきらめかせサムズアップとは、こいつやる気に満ち溢れてやがる。嘘みたいだろ?理由とか、何も聞かされてないんだぜ?




というか円興。おまえ、やりたいだけだろ。




 俺と阿古丸に至ってはもう、開いた口が塞がらなかった。灯庵の正気を疑うが、どうやら大真面目な様子。腕を組み、ピンと背筋を伸ばした姿からは、根拠はないがなにか自信有り気な様子であるのを感じる。円興は言われるがままに配置につくが、ある意味平常運転な気がしてきたので考えるのはやめよう。




続けざまに、灯庵は指示を加えた。




「寂蓮は、いつでも走れるように構えといてくれ。阿古丸はここでちょっと待機な」




 せめて事前に目的を教えてほしいものだが、従うほか選択肢がないようだ。


こんなことは、実は以前にも一度あった。アレはいつのことだったか、たしか一月ほど前の出来事だ。




 俺は昼はよく学校の2階にある購買で、「謎パン」を買うことにしている。真っ黒の袋に包装され食べてみるまで中身がわからない、具が日替わりのへんてこなパンだが、食パン2枚で具材を挟むシンプルなものながら、間に挟まれるものがお好み焼きであったり豚の生姜焼きであったり、何より量が多い。コストパフォーマンスが非常にいいのが俺の中で高評価を得、それを毎日楽しみにしている。昨日は、運悪く白身魚のフライを引き当ててノックダウンされたのだが。




 しかしそれを楽しみに生きているのは何も俺だけではない。そのパンを求める声は思いの外多いようで、購買部は長蛇の列。稀に中身がエビカニグラタンコロッケオイスターソース仕立てという噂が流れることがあり、その日は特に戦争になる。




 まさにその噂の日だった。俺は授業が終わるやいなや真っ先に購買部へ向かい、我先にと手を伸ばそうと足早に教室を出る。その時だ、灯庵が声をかけてきたのは。これが俺と灯庵の馴れ初めだった。




 灯庵は俺のはやる気持ちを抑するように呼び止めた。そしてこう言った。今は行くな。謎パンは必ず手に入る。


 何を言っているのか俺にはまるで理解できなかった。俺はその言葉を無視することも考えたが、その言葉の意味を知りたくて問いかけた。何言ってんだ。今行かなきゃ手に入んねえだろ。それでも灯庵は首を振った。




 俺がついには無視して教室を出ようとしたところ、灯庵は仕方なさそうに俺についてきた。


 だが、いつもの購買に向かおうとするのだけは静止した。今は信じて俺について来い。そう言うと有無を言わさず1階の家庭科室へ連れてこられた。学校の校門に一番近い場所にある家庭科室。何故か鍵だけ開いており、しかしやはりそこには誰もいなかった。




 俺は気を悪くして、灯庵に二度と何を言われようと無視して購買部へ行こうと踵を返したところ、突然たくさんのパンや弁当を積んだ配膳台が室内へなだれ込んできた。俺はその時一瞬見た灯庵のニヤケ顔を一生忘れることはないと思う。見事俺たちは戦争をすることなく一番最初に戦利品だけ得て無事に教室へ帰ったのだ。




 後でどういうからくりなのか灯庵に聞いたところ、単純な話、その日はたまたま配膳台を2階に送るための専用エレベータが故障していたそうだ。そのため急遽頒布場所が家庭科室に変わっただけの話である。故障の原因は階層ボタンの接触不良。ただ、故障の要因となるような意図的な磁気の干渉の形跡があったそうだ。




 その話を聞いてから、俺の灯庵への信頼は絶大なものとなった。惜しむらくは、その日食べた謎パンの中身がケチャマスタード鶏肉ハンバーグだったことくらいか。噂は所詮噂ということだった。




「・・・・わかったよ。だいたい何がしたいのか察したし。」




 俺はすべてひっくるめた上で、灯庵の口車に乗ることを約束した。




「そりゃ何よりだな。んじゃ、100点の解答で帰ってこい」




 そう言って、灯庵は円興に合図をした。




円興は頷くと、全力の叫び声を上げた。




「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!ア゛ア゛ア゛ア゛!ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!ア゛ア゛ア゛ア゛!」




 それは人智を超えた、SAN値を削りに来る声だった。人智!SAN値!一言で言えばいや、あれは非常にカラス極まりないのだが、やるとわかっている俺たちが聞いてもめちゃくちゃビビる大声量。あいつ人間やめてるよ。




 俺と阿古丸は思わず抱き合い、円興の迫真の生演劇を見守る。見守る、というかすくみ上がる。目玉をひん剥き、俺自身がカラスになることだ___と自己暗示するまでは良いとして、なぜあいつは俺たちの方を向いて鳴くのか。こっち見んな。




 その瞬間、どこかの教室から何かが飛び出した。同時に、空が一瞬暗くなり、大気が揺れたような気がした。




「あれだ!追え!寂蓮!」




「えっ?あっ・・・お、おう!」




 つい呆然としてしまっていたが、飛び出したのは1-Cクラスの女生徒のようだった。少し長めのスカートをブワッと揺らめかせて、彼女は一目散にどこかへ駆けていってしまう。追え、と言われたので俺は阿古丸を引っ剥がしてそれを追う。女生徒の足はめちゃくちゃ早く、角を曲がられると一瞬で見失ってしまいそうだった。




 追う最中、時折空が黒く染まる事に気がついた。円興のものまねで今の今まで意識を向けていなかったがが、ガア、ガアと外から聞こえることがわかる。それが、昨日襲ってきた奴らと同じかは、恐らく考えるまでもないだろう。




 チャイムが鳴る。俺は追いかける途中教材を抱えた先生とすれ違い、その際になにか小言を言われたがすり抜けるようにして駆け抜けた。




 もうほかの物音など聞こえないところまで走ってしまった頃合い。


灯庵は円興に次なる指示を出していた。




「円興ー、もういいぞー!次は昨日のあれ、鳩マネ頼むわぁ」




 円興が鳩マネを始めると、カラスの飛ぶ方向が一瞬ばらつく。そしてすぐに少女と寂蓮を追うように飛んでいたカラスの大群は標的を鳩マネしている円興へと切り替え、窓を割らんばかりの勢いで畳み掛けてきた。




 一寸先は黒烏こくうの闇。一瞬で夜になってしまったかのように、この一帯は暗くなってしまった。教室の方の窓からは、何だなんだと野次馬のようにして、他の生徒らが顔だけをのぞかせている。異常な光景を目にした彼らは唖然として言葉を失っていた。




「うっお!灯庵、大丈夫かこれ!?」




「万が一割ってきたらこっちの非常口から逃げるぞ。大丈夫さ、怪我したら阿古丸が手当してくれる。」




ちょっと心外そうな顔をした阿古丸が、灯庵の言葉に重ねた。




「非常口からはすぐ外だよ?教室に逃げたほうが安全でしょ?」




「教室に逃げたらクラスメートが標的になるかも知れないだろ。俺らは囮に徹しようぜ。」




「そんな無茶な!」




「そんな顔すんなって。寂蓮があの子を捕まえてくれたら、多分一段落するからさ」




んじゃ、後は任せますか。そう言って灯庵はこの亜空間で、落ち着き払って壁に背を預けた。

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