第3話 垂直更新ユートピア

 来たる放課後。空は夕暮れの紅を示し、校舎からは約半数の学生が門外へ流れ出た頃合いだ。

 昼休み時に約束していたとおり、俺達4人は集まって生徒会室へ向かうことにしていた。教室で荷物をまとめながら、俺は灯庵に向かって尋ねた。


「生徒会室へ向かうは良いけどさ、なんて言って入れば良いんだ?」


 トラウマ持ちの代表人物として俺が先頭を歩くことにはなったが、生徒会へのファーストコンタクトの算段が立たないので灯庵に助け舟を乞う。灯庵は言い出しっぺのくせに俺に聞くなとでも言いたげに眉根を寄せた。


「プリント見てきました。でいいだろ。」


「イタズラだったら?」


「その時はプリントを生徒会に突きつければいい。何ならイタズラの犯人探しを俺たちでするのも面白そうだ。」


「俺が赤の他人に魚の骨の暴露する恥は?」


 灯庵はデビルマンの敵役みたいな笑顔でニタァと笑った。


「楽しみィ」


「ははは、死んでくれ」


 荷物をまとめ終え、カバンを担ぐと、それを合図とばかりに4人は教室を出た。すでにこの階に人影は見当たらない。殆どが帰宅か部活のためにその場を後にしており、静けさに囚われた廊下をまっすぐ抜けて、別棟の生徒会室を目指した。陽の光で赤い道はなんとも言えず不気味な様相を醸し出していたが、ミステリファンをこじらせた灯庵に限ってはそれが逆にたぎるらしい。何を考えてるかニヤケ顔がやまず、探偵とか言うよりはドラキュラ城の主とか言ったほうが似合っていた。


「ねえ、見て。」


 不意に阿古丸が窓の外を指さした。促されるままに刺された方向に視線を向けると、外の電線には一面ずらりとカラスの群れが並んでいた。


「うわ、やば」


「流石にあの数は気色悪いな」


 特に意味はないが、なんとなくみんな腰をかがめながら移動した。


 この学校は3つの棟に分かれている。一つは今自分たちのいる高校教室棟、もう一つは中学教室棟。最後が多目的棟だ。多目的棟に視聴覚室や体育館などが密集しているので、特別教室授業などのためによくそこへは赴く。多目的棟を中心に高校、中学教室棟を川の字に並べ建っているのが、我らが学び舎『法僧学園』だ。生徒会室があるのはその多目的棟である。それぞれは連絡橋でつながっていて通行の不便は感じない。

 そう距離があるわけではないが、連絡橋へ差し掛かったあたりで俺達は生徒会室へ向けた足を徐々に渋り、最終的には立ち止まってしまった。


「なぁ」


 俺はたまらず灯庵に声をかけた。


「わかってる。ちょっとおかしいな、これ。」


 歩くうちに、俺達は気づいてしまった。カラスの群れが並んでいるのは、何も電線の上だけではなかったということに。見れば屋上の縁から低い位置は2階のベランダの手摺まで、びっちりと黒い影が覆っている。

 体育館が近いのでバスケットボールのドリブルする音が響き続けるが、それ以上の刺激で一斉に飛び立ちそうな、張り詰めた雰囲気があった。


「行こうぜ。」


 気になるのは無理ないが、立ち止まってもしょうがない。いつの間にか先頭が入れ替わり灯庵が前に出たその時だった。


「ポッポーーーーー!!」


 殺伐とした夕闇の連絡橋に円興の渾身のハトマネが!

 そして飛び立つカラスの群衆。今まで鳴き声一つ挙げなかったのが嘘のようにガアガアと猛り狂い、空で大竜巻のようにとぐろを巻いている。圧巻の光景に俺は思わず後ずさる。そして空を災禍が塗りつぶすやいなや、破竹の勢いでその数えるのも億劫な弾丸が一匹残らず俺たち目掛けて突撃してきた。


「「「いや、ナンデェーーーー!??」」」


「すげえ。こっち来た」


「言ってる場合か走れ!」


 連絡橋は雨ざらしである。窓も屋根もあったものではない。したがって黒い鉄砲玉は何に遮られることもなく、俺達が隠れる物陰すらありはしない。ならば選択肢に躊躇するいとまのあることもなく俺たちはとにかく走った。戻るのではなく進むことを選んだ。


 この先には防火扉がある。つい先日行った避難訓練のおかげでここにいる全員がそれを承知している。学校で行われるかったるい行事トップ5が報われた瞬間である。そこまで避難すればどうにか凌げるはずだ。だが炎が燃え上がるのと違い、人が走る速度がカラスの猛攻を振り切れるはずもない。飛行速度は約60km毎時。あっという間に追いつかれ、爪や嘴で襲撃された。たまらず声を上げたのは俺と灯庵だった。


「いでででで!」


「マジでいてえなクソ!そこだ!その壁の緑の扉!寂蓮、左側閉じろ!」


 言われずとも、俺は近い方の扉に手をかける。視界の殆どを遮られてるために他の友人らの安否を確認できない。空いた手だけでどうにか抵抗していると、普段おとなしい阿古丸がそこからは想像もできない、カラスの雄叫びにも勝る大声でめいっぱい叫んだ。


「み、みんないる?号令!!」


「灯庵、ヨシ!」


「寂蓮、ヨシ!」


「阿古丸、いるよ!」


「俺、実はマッチョ」


「「「聞いてない!!」」」


 全員無事そうなので、俺と灯庵はせーので防火扉を閉める。防火扉は誰でもすぐに閉められるよう壁への固定は簡素なものになっており、軽く引っ張るだけですぐ動かせた。完全に閉まるギリギリで阿古丸と円興が扉の内側へ転がり込み、殿を俺と灯庵で担当した。

 何匹か扉に挟まれてしまったものもいるが、そこまで意識を払う余裕はなかった。数匹こっちがわに入り込んでしまったが、5,6匹くらいなら払いのけられる。先程の猛襲に比べればよっぽどマシで、一度払い除けたカラスは地面に降り立つともうその数では襲いかかってくることはなかった。防火扉の向こうではまだ執念深いのが何十匹も怒声を撒き散らしているが、ひとまず安心だろうと俺はへたり込んだ。


「あいつら容赦ねえ」


「おおかた円興のハトマネがうますぎて縄張り荒らされてると思い込んだんだろ。」


 灯庵はこんな事があっても冷静だった。こんな事になった元凶かも知れない円興のハトマネを責めることもなく、体についた羽を払い落としていた。その間にカラスの鳴き声や羽ばたく音が遠ざかり、ようやく解放されたとわかった。やべーやべーとは言いつつも俺と灯庵は顔が笑っていた。


「みんな怪我とかしてない?大丈夫?」


 阿古丸は俺らの様子を一人ずつ確認する。本当に優しいやつだ。自分のことよりも先に他人の事を考えてくれる。阿古丸の視線が、俺の手の甲に留まる。そこへ意識を向けるとひっかき傷ができていて、少し流血とミミズ腫れを起こしているのに気がついた。阿古丸はその場に腰を下ろして自分のカバンの中をガサゴソやると、青いキャップの見慣れたアイツを取り出した。


「寂蓮。その手は消毒しよう。野生のカラスにつけられた傷を放置するのはまずい。」


「悪い、ありがと。」


 怪我した手を差し出すと、阿古丸は優しく握って丁寧に手当をしてくれた。しかしその手は微かに震えていた。無理もない。それこそ、あんなのトラウマになったって誰も文句を言えやしない体験だったのだから。


「いつも傷薬なんて持ち歩いてるのかよ。女子か。いや、阿古丸が女だったら割と真面目に惚れてたかも」


「きしょい。」


「くぅん、ひどぅい」


 冗談に冗談を返せるくらいなので、心配はいらなさそうだ

 薬品特有の匂いがつんと鼻につく。最後にガーゼをぺたりと貼ると、次に項をやられてしまったらしい円興の方へ手当に向かった。ふと阿古丸の横顔を見ると、夕日に照らされてほんのりと赤くなってるように見えた。


「悪い。こんなことになるとは思わなかった。」


 阿古丸の手当を受けながら円興が言った。表情は全然変わらないし、声色も棒読みで全然反省してるようには見えない。けれど、円興はこういうやつなのだ。他人には伝わりづらいが、彼なりに真面目に悪いと思っているのは理解している。円興が良いやつなのは、ここにいる全員がわかっていた。


「しゃーないしゃーない。誰もあんなの予想できねえよ。トラウマ関係の話しに行くのに途中でトラウマ増やしそうになったのは笑える話だけど。」


「まあほんとに悪いと思ってるなら生徒会室まで全員の荷物持ってもらおうぜ。マッチョらしいし」


「お、そうするか」


 俺と灯庵で勝手に決定。4人の荷物は円興に一任することとなった。立ち上がると円興の足がふらついた。うちの学校は分厚い教科書が多い。平日6限まで授業のある日はカバンの重さが10kg近くになることもある。両腕に20kgずつぶら下げるのは、自称マッチョ円興でもきつかったか。


「・・・流石にきつそうだな。限界だったら言えよ?」


「い、いや。よゆーだし」


 防火扉だけもとに戻しておくのを忘れずに、歩き出した。

目的地につくまでに、さっきのようなトラブルはもうなかった。


 生徒会室は多目的棟の3階のもっとも隅に位置している。この階層は他にも応接室や情報処理室など重要な教室が割り当てられており、他の通常教室のある階層に比べて別の建物のように周辺が綺麗である。掃除も行き届いているし、今年塗り直したであろう日焼けの黄ばみのない真っ白な壁が清潔感を際立たせる。このあたりに来ると高学年の人通りをちらほら見かけ、よほどのことがなければ俺たちのような底辺学生には縁なき場所であることを伺わせた。扉の前で微妙に尻込みしつつも、俺は覚悟を決めた。


「・・・相手は先輩ってだけなのに妙に緊張するな。」


 コンコン、と2回ノックすると、中から「どうぞー」と女子の柔和な声が聞こえた。それにしたがって、失礼しますと一言添えて戸を開けた。室内は長テーブルが2つ寄せて中心に据えられており、それを囲むように四人の役員が腰掛けていた。

 窓が1箇所開いており、涼しげな風が入り込んでいる。ただ、ミニオフィスのようなコンパクトな一室には必要最低限本棚やコンピュータ、デスクが置かれている程度で、良く言えばシンプル、悪く言えばつまらない雰囲気であった。観葉植物の一つもあればもう少しゆとりのある景観を得られようというのにもったいないことだ。


 男女比はちょうど1対1、ある人はいかにもライトノベルな表紙絵の本を開き、ある人はわら半紙の裏で絵しりとりをして遊んでおり、またある人はラー油の瓶を傾けてその真っ赤な液体を喉奥に流し込んでいたり、その面々の誰もが退屈そうに過ごしていた。


「いらっしゃい。1年生?」


 彼はこの中で唯一冬服のままの阿古丸のネクタイの色を見てそう聞いてきた。この学校で学年はネクタイの色で識別される。赤、緑、青の三色があり、それがローテーションしている。青ネクタイの3年生が卒業したら次の入学する1年生が青ネクタイに・・・といったようにだ。他にも識別する要素はあるが、一番パッと見で判別しやすいのはそれだ。今年の1年生は赤色だった。

 最初にそう声をかけてきたのはこの中で一番背の高い、ライトノベルを手にしている人物だ。典型的な塩顔で爽やかスポーツマンと言った風貌をしている。体格を見ると過去に野球の経験をしていそうな上半身と下半身のバランスをしている。見た目と行動のギャップが、二の句を次ぐのをためらわせた。首を回して今一度部屋を一望してから尋ねた。


「あ・・・・ええと、はい。ここって生徒会室であってます・・・・よね?」


「そうだよ。1年生がここに用があるってことは・・・・もしかして、カウンセリング希望の人?」


 驚いた。生徒会はあのトラウマいかんのくだりを大真面目であるとのたまったことにもそうだが、このメンツでどうカウンセリングするのかとか、結局わからないことが増えてしまった気がする。


 あのプリントは何から何まで意味不明だった。その秘密の元凶が彼らであると信用するのには、そう易くはなかった。俺が混乱しているのを見かねて、口を開いたのは灯庵だった。俺の肩に腕を掛け、もたれかかるようにして


「そうッス。なんかこいつがトラウマ抱えてるって言うんで、廊下に張り出されてるの紹介したんスよ。そしたら気になるから行くけど一人じゃ不安だからついてこいって、俺ら連れてこられて。いや~参っちゃいますね。何だっけお前、まんじゅうが怖いんだっけ?」


「ええっ」


 こいつ、俺をダシに有る事無い事喋りやがって!何たる邪悪か、この面の皮の下にいかなる表情を隠しているのか、剥がして見ることができるものなら顔面に芝刈り機を掛けてやりたい。誰もその芝をお世辞でも青いと言えなくなるまで丹念に地肌が露出するまで刈り尽くしてやりたい。そしてこう言ってやるんだ。「haha,見ろよボブ!耕しがいのある畑になったぜ」

 だがそれではただのクレイジー野郎なので俺は灯庵の耳元で「お前あとでチャーチで懺悔な」と言うに留めるのであった。そして天使にラブソングを歌わせてやる。ただし逃げたらシャイニングの刑である。

 先輩はライトノベルにしおりを挟むと、それは気の毒にとでも言うような顔で椅子を立った。


「わかった。じゃあ、早速話を聞こうか。隣の部屋が開いてるからそこに移動しよう。生徒指導室だけど、話し合うのにちょうどいいってだけだからそんな緊張しなくていいからね。」


 そう言って先導しようとしたところで、絵しりとりをしていた女生徒のうち片方が何気なさそうに言った。


「その傷、どうしたの?血が染みてるけど、今日怪我したの?」


 俺は左手を見て、ああこれのことと答えた。


「今日も何も、ついさっきです。急にカラスの大群に襲われたんです」


 それに補足して、灯庵が言った。


「ま、信じてもらえないかもですけどね、ヒッチコックの映画がUSJのアトラクションになったかと思いましたよ。」


「それな」


 アトラクションにするにしてももう少しセレクトを吟味してほしかったと頭の中で愚痴る。このところ俺は運が悪い。トイレでスマホをいじっていたら便器に落としてしまったり、カップ麺を食おうとしたら湯を入れたのを忘れて伸び切ってしまっていたり、狭い道で前から来る車を避けようとしたら泥濘に足をつっこみバランスを崩して隣の田んぼに頭から飛び込んでしまったり。なので叶うなら次はバタフライエフェクトあたりを所望したい。

 そんな妄想を脳内で繰り広げていると、途端に先輩らの目の色が変わった。


「・・・・何?」


 ヘラヘラとしていた数秒前とは打って変わって、冷酷な声色だった。ひゅっ・・・と、なぜか俺の喉が詰まる。急に空気が冷えたかのような、この空間の二酸化炭素濃度が1%増えたかのような、そんな錯覚を覚えた。さっきまであれほど平和の2文字を呈していた生徒会室内が、途端に事件対策用のブリーフィングルームに置き換わったみたいだった。それを直感したのは俺だけではなかったようで、他の3人も急な雰囲気の転換に対応しきれず、互いの背を預けるようにして一歩後ずさった。


「君、今の話は本当かい?できれば詳しく教えて欲しい」


 鋭い眼光で問いかけられる。怒っているというわけではない。だが、有無を言わせぬ態度の変容っぷりに、俺は為す術なく口を開いていた。


「は・・・はい。ホントっす・・・。もう、カラスが魚群みたいに群れて俺らに…。まるで、そう。操られてるみたいにまとまってました。」


 その一言で、先輩らは動き出した。今まで臥せていた肉食獣が、狩りのために立ち上がったような迫力だった。


「わかった。悪いけどカウンセリングは後回しだ。そこまで案内してくれるかな?駿河スルガ滴水テキスイ松平マツダイラ!【能力者・・・】の可能性がある。行こう。」


 ブレザーを脱いで椅子にかけ、ネクタイを緩めて部屋を出る。合図をうけた他の先輩3人も後へ続く。その姿はまさに映画のワンシーンのように見て取れたが・・・・事情を知らない俺達にとっては何がなんだかわからずに。


「なんだ・・・?あれ・・・」


「さあ・・・?エクスペンダブルズに影響されたとか・・・?」


 という、冷めた目でしか見れなかった。生徒会とは何なのか、トラウマのプリントの正体は、能力者という言葉の意味とは。何一つ解決しないまま時間がすぎる。ともかく俺たちは彼らのことを、


『なんか知らんけど近づいたらやべーやつ』


としか思えなくなっていた。

 円興がぼそりと「帰りてえ」と呟く。俺たちはその言葉にどんよりと頷くのが精一杯だった。窓から入る風が、長机の上のライトノベルのページを捲る音だけが、最後にその部屋で残響していた。

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