第19話 つないだ手を離したら

「あの軍服の女の人、かわいそうだったんだな」

「でも、アルを犯人にしようとしたんだよ」

「そうだけどさ、同情するよ」

 いろいろ片付いて、アルフレッドが解放されたのは夕方近かった。


 女の弱みにつけ込み利用してきたコーエンという男は憎らしいし、最低のゲス野郎だと思う。


 けれどアルのように、アリシアのことを手放しにかわいそう、同情するとはわたしには言えなかった。それがわたし個人の歪みなのか、男性と女性の違いなのかは分からないけれど、見ず知らずの、しかも自分を嵌めようとした他者に添うことができるアルの純朴さは、何にも代え難いと思った。


 今からなら、彼の故郷モンベリアールへの中継地であるニベア行きの最終バスに間に合う。わたしたちはバスのロータリーに向かって歩きながら話していた。


「それにしてもすごい仕事だよな。今だって、銃撃戦を潜り抜けてきたんだろ?」

 実際に人が撃たれて、亡くなっている。

「そうだけど、人が言ってるの聞くとなんか現実離れしてるね。あー、今日非番だったのになぁ、明日も仕事だー」


 再び司令官の応急処置をしたから、すっかり顔と名前を覚えられてしまった。本当なら病院へ搬送するべきだけど、司令官は事態の収束のためすぐに基地へ戻っていった。撃たれてなお仕事するって考えられらないんだけど、これが上に行く人とそうでない人の違いなのかな。


 連行される際、アリシアは小さい声で、隊長二人にありがとうと言っていた。蛇の世界も蹴落とし合うだけじゃないよね。


 わたしなんかに彼女の苦しみが分かるなんて言ったら不遜すぎるけど、初めてコーエン以外の人に話して、少しだけ、ほんの少しだけでも彼女の心が綿に包まれたのかもしれない。そう願っている。


 少し前まで、この時間はもう1日の終わりを知らせる日差しだったのに、今は、まだ、ホレもういっちょ!と言われてる感じだ。


「おれさ、今の仕事、もうちょっと頑張ってみようと思うんだ。それに生糸の買い付けで結構色んなところに行けるからさ、行った先で見たものや食べたものを手記にして、いつか、すぐじゃなくてもいつか、雑誌にできたらいいと思って。…今更なんだけどさ」

 ほんの少しはにかんで、でもその顔はわたしには嬉しそうに見えた。


「うん。諦めることないって。わたし、アルの文章好きだよ」

 言ってから、わたしもはにかんでしまった。


「あんな風に、おれに本音で怒鳴ってくれる人、今まで他にいなかったからさ。泣きそうになりながら頑張ってるんだもんな。おれもやるよ」

 えーと、今回は泣いちゃったけどね。


「あ、あれを褒められるとちょっと…」

「いや決して褒めてはないけど」

 二人とも笑顔になる。


 そう、アルの会社が例の違法な輸送を担っているかもしれない件、アークにもう一度聞いたら「あぁ、あれは君にカマをかけるためちょっと盛ったから。証拠のない噂話だよ」だってー。でも、火のないところに噂は立たぬって言うしね。

 だから一応アルには、噂だけどって伝えておいた。


「その噂ならおれも聞いたよ。でも今のところおれは関わってないし、もし見つけたら告発するよ」

 おぉ、どうしたの別人のようだわ。


 ほんと、ちょっとしたことで浮き沈み、やる気になったり逃げ嘘ばかり考えたり。やんなっちゃうけど、それがわたしたちだ。


「この後はどうすんの?打ち上げ?」

「すぐ寝るよ。昨日徹夜だもん」

「そっか。男ばっかりの職場だから、結構誘われたりするんじゃないの?」

 何を聞きたいのかと思ったら、そんなこと気になるの?


「ないない!わたしなんて女と思われてないし。ザコ寝、着替えだって一緒の、家族みたいなものなんだから」

 わたしがそう言うと、アルの目が丸くなった。


「へえ…そりゃすごいな。仕事仲間のことを家族みたいだって言えるなんて、そうそう無いと思う」

 そっか…言われて気付いたけど、そうなのかな。


「ちょっと羨ましいな」

「命と体張って、寝食共にしてるからね。特殊な職場ではあるよね」

 頑張れる気がする。あの人たちと一緒なら、わたしもやれる気がするんだ。


 バスの出発時刻になった。

「じゃあ、行くな」

「うん。元気でね。また会えてよかった」

「おれも。体に気をつけろよ」


 どちらからともなく、手をつないだ。

 恋愛感情はなくても、同じ過去を共有していた人との別れは、やっぱり寂しさを感じる。


 もう二度と会うことは無い。だからお互いに、またね、は言わなかった。

 バスが見えなくなるまで見送ると、眩しい西日に目を細めて、わたしは一人基地への帰り道を歩き出した。

 きっと、明日もいい天気だろう。

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