第18話 陽炎のように

 緊急招集された将校たちがちょうど出撃ブリ部屋から出てきたところに行きあった。これから兵装のチェックだろう。

 わたしはクリス隊長の後について、ライフル、弾薬ポーチ、ナイフ(既に持ってた)、救急バッグを3秒で身に着けた。


「クリス」

 ボソッとどこからか現れたのはグレイヴ隊長だ。

「話は聞いた。後方支援になったから、俺たちも抜けられる」

「いいの?命令違反だけど」


 軍隊における命令違反とは犯罪である。相手は副司令官なわけでしょ、アークの予測が外れるか、失敗したら銃殺じゃないかな。でもそれを恐れる気持ちは、わたしには露ほどもなかった。


「俺とヒースで加勢する。ラッセルとレクサスには通常任務を遂行するよう、もう指顧した」

 だってこれがうちの隊長だもん。わたしたち、部下としてガッチリ掌握されてるわけですよ。


「クリス隊長」

 後ろから小さく声をかけてきたのは、カルロス、オーウェン、クレモン。クリス隊の3人だった。


「ジェフリーが自供した。お前たちは、副司令官に向かうアークを援護しろ。死なせるな」

 彼らにも、この一言だけで充分通じているみたいだ。


「了解」

「隊長、ご武運を」

 3人が敬礼すると、クリス隊長も答礼する。

 はぅ、カッコいー。そういやうちの隊ってあんまり敬礼させられないなぁ。


 そんなわけで、クリス隊長、グレイヴ隊長、ヒース、わたしは市中での後方支援と見せかけて、途中からこっそりと、会談場所である市議会議事堂へ進路を変えた。


「ところで、なんでお前ぇがこっちにいるんだ?」

 わたし行きます!なんて言っちゃったけど、ごもっともなヒースの発言。

「それを説明すると長くなるんで、今は気にしないでください」


「ラッセルから聞いたぜ?元カレが出現して怒りの一撃食らわせたって」

「殴ってませんから!」

 いくら軍女だからってひどくない?


「結構かっこいいんだよ、メグの元カレ」

 っかー、クリス隊長!掘り下げなくていいですから!

「へぇ。なに、純潔ささげたん?」


 議事堂は市役所の隣にあり、爆破予告を受け対応に追われる職員や議員が行ったり来たりしている。

「クリス・バーンズ大尉だ。司令官と市長に至急報告がある」

「会談は3階第2会議室です」


 こういう時、ぺーぺーと威風堂々たる将校の格の違いを見せつけられるというか。ろくろく階級章も確認せずに、守衛は通してくれたもんね。


 3階は不自然に静かだった。わたしたちは気配を殺し、銃を構えながら前進する。警備の者すらいないのだ。否応にも緊張が高まる。

 先頭からクリス隊長、グレイヴ隊長、わたし、ヒースの順。すると背後を警戒していたヒースが機敏な動きで銃撃姿勢に入るのが横目に見えた。


 ほたんど同時に銃声!思わず伏せて目を閉じてしまう。ダメダメ!

 素早く次弾を装填するヒース。その間にグレイヴ隊長が発砲、相手の息の根を止めた。


「ヒース!」

「…かすっただけだ」

 そう言うものの苦痛の表情で、右腕から血が染みてきている。


「前!」

 言うなり今度はクリス隊長が発砲。慌ててわたしたちは廊下のくぼみに身をひそめる。グレイヴ隊長がちらりと前方を覗き見ると、また銃声が飛んでくる。


「誰だか知ってるか?」

「顔は見たことあるけど、名前までは」

「ま、顔見られたら殺せって命じられてるだろうな」

 ボソッと怖い事言わないでよぉ。


 そう、さっき絶命した人も、第7支部の人だった。きっとコーエン副司令官の手の者なんだろう。

 わたしは大急ぎで止血を始めた。彼の言う通り、弾は腕を貫いたわけではなかったが、決して浅い傷ではない。


「俺が行く。援護しろ」

「了解」


 グレイヴ隊長は特殊部隊経験者だ。洗練されたという表現が最高の賛辞だと思うその動き。銃を構えると低い姿勢で遮るものの無い廊下に出る。不安定さなど髪の毛一本程もなく音を立てずに前進、だが向こうに人影が現れる!


 先に発砲したのは隊長のようだった。すぐさま次弾装填。その間に向こうも撃ってくる!しかし前進したクリス隊長が援護射撃で撃たせない。

 相手が銃撃を避けるため体制を崩した瞬間、グレイヴ隊長の鍛え抜かれた大臀筋と大腿筋が咆哮する。叩きつけるような加速で相手に摑みかかった。


 床でもみ合いになる。向こうは殺す気で反撃してくるけど、こっちは情報収集しなきゃならないからね、極力それは避けねばならない。その間、クリス隊長が全方位へ警戒を向ける。

 良いコンビネーションだ。さすが、隊は違っても黄金世代のライバル同士。


「いいからお前ぇはさっさと処置しろ!」

 分かってる!でもそう言われても!

 どこから狙われているのか…何人いるのか…分からないけど、必ず狙われる。これは新人演習と一緒だ。


 ようやっと処置を終えると、ヒースも銃を構えた。

「その腕で無茶な…!」

「じゃぁ殺られんの待つか」


 そうだよね、ヒースの援護はわたしがしなければならない。もし彼が外しても、わたしが仕留める。

「了解」


 後方を警戒しながら、わたしたちも隊長・クリス隊長の方へ走り寄る。さっき隊長ともみ合っていた人は床に伸びているけど、死んではいないようだった。


「アリシアはあそこか?」

 言ったそばから、あそこの扉から銃声!全身から冷汗が噴き出す感覚。慌てて廊下の角へ身を潜める。


「突入する」

 ライフルと拳銃が発砲可能な状態であることを視認して、グレイヴ隊長。

「部屋には複数名いるだろう。可能な限り殺害は避け、戦闘能力を無効化」

 厳しい…殺害して制圧する方がよほど楽じゃないか。


「突入の前に、まず話をしてみよう。俺がやる」

 一瞬グレイヴ隊長は止めようとしたが、すぐに首を縦に振った。

 警戒体勢のままクリス隊長がじりじりと扉へ近づく。もちろんわたしたちも構えている。緊張感が昇っていく。


「アリシア!いるんだろ!俺だ、クリスだ。アークがコーエン副司令官を捕えている。だからもうやめよう!」

 しんとしたフロアに響く声。少しの沈黙の後、帰って来たのは扉に打ち込まれた銃弾だった。クリス隊長が首をすくめ、木製の扉に穴が開く。


「穏やかじゃねぇなぁ」

 受傷して、この状況で、なんでこの人は半笑いしてられるんだろうか。しかし、そうかこれがヒースのスタイルなのだと気付いた。ほどよい緊張と集中と保つため、そして痛みに動揺する体を正常に動かすため。で、これね、もうちょっとするとエッチなこと考えたり下ネタ言い出すから。なんか、わたしもわかってきたと思わない?


 あ、一応後方や周囲の警戒は怠ってないからね。って、敵発見っ!わたしのライフルが火を噴くが外れ。


 手は震えているはずだけど、幸運なことに発砲の熱と衝撃にかき消されていた。次弾装填して敵の姿を探すが、見えなくなっている。

 えー、どこ行っちゃったのよ。困るよぉ…。


「見失ったろ。ありえねぇ」

 くーっっ!!何も言えません!わかってきたと思わない?なんていい気になってた数秒前の自分がアホみたい。


「そこじゃねぇ、もう一つ奥だ。右。行き過ぎだ、そう。一瞬出てくんのを逃すなよ」

 ヒース自身も構えながら、廊下の奥、その時を待つ。何も考えずには落ち着けなくて、数を数えてみる。1…2…3…4…。


 8を数えようとした時だった。ちらりと現れた影に引き金を引く。遠くでウワッ!と呻き声がする。どうやら腕かどこかを撃ち抜いたようだった。


「もうちっと引き付けりゃ致命傷だったな。まぁあれじゃもう、まともな狙撃はできねぇわな」

 そうか、早すぎたのか…。まだ心臓はドクドクいっている。


 一方で、クリス隊長。

「もう続ける必要は無いだろう!頼むからやめよう!」

「あるわよ」

 貫くような声はアリシアだ。


「銃と武器を捨てて全員床に伏せろ。司令官が死ぬぞ」

 異を唱えさせぬ物言いは将校そのもの。

「アリシア…!今ならまだ間に合う。引き返そ——」

「何度言わせる」

 銃声と司令官のうめき声!全身が総毛立つ。


 隊長二人は目を合わせると、音を立ててライフル、装備品のナイフを放り投げた。

「わかった、言う通りにする。こっちは全部で4人だ」

 わたしたちも同じように続く。床に座って上半身をかがめる。


 やがて静かに扉が開くと、軍人と思しき奴にボディチェックされ、部屋の中へ引きずられた。

 部屋の中はさほど散乱しておらず、軍人らしき男が2人と、紺色の軍服に身を包んだアリシア、ここからでは死んでいるのか気を失っているのかわからない市長が床に転がり、太腿から流血した司令官がその隣に座り込んでいた。


 床に座らされて、クリス隊長は続ける。

「もう君に勝ち目がないのは分かるだろう。なぜ続けるんだ」

「…あんたたちには関係ない」


 司令官に向けていた拳銃を下ろした彼女は、夜の湖のようだった。一切の興奮状態はなく、静かで、暗くて、人の侵入を拒むような。

 その銃を、次はどこに向けるつもりだろうか。


「マイルズとのことを聞いた。本当なのか」

 わたしには取り付く島もないように思えたが、クリス隊長はその湖のほとりの、たった一本の葦を離さなかった。


「そこまで辿り着いたの。…アークレット・ウェルシア。容赦ないのはやっぱり変わらないのね」

「奴の死に関わっていたのか」

 糾弾するでもなく、問いただすでもないクリス隊長の声。


 アリシアが手にした拳銃を撫でた。まるでそれ以外に愛撫すべきものなど無いと言わんばかり、最上の優しさだった。

「乱暴されたのは事実。私は耐えた。でもマイルズは、言う通りにしなければそれを公表すると脅迫し、お金や関係を迫ってきた。だから殺さなければ終わらないと思った」


「なぜ訴えなかったんだ…!他に方法はあっただろう」

「誰にも言えなかった!そんなことで、あんな男のせいでキャリアと人生を台無しにしたくなかった!」


 尖ってささくれ立った壁に押し付けられて引きずられたように感じた。

 この人はそんな思いをたった一人で抱えていたというの?ずっと?何年も?

 わたしなら、死んだ方が楽だと…思うだろう。


「だから、あの人に報いたいの。必要とされたい」

 ただただ暗く、冷たい夜の湖。その絶望の中にいた彼女にとって、コーエンはたった一人、真実を知ってなお優しかったのだろう。


「コーエンは、君の悲しみや弱味につけ込んで、利用しているだけだ。君ならわかるだろう」

 クリス隊長は突きつける。

「分かってる。でも…それでも、愛している。離れても、何年も会っていなくても、愛しているの」


「けど…っ!」

 クリス隊長はそれ以上言うことができなかった。今、彼女の脳裏には愛する男の姿があり、その顔は今までに見せたことのない、慈愛に満ちたものだった。


「代わりに手を汚すことでコーエンを幸せにしたつもりか?それが君の心の底なのか?」

 今度はグレイヴ隊長だった。


「そんなの、報われるわけがない」

 愛されるわけがない。陽炎のように、揺らめいては絡みつき、まとわりついて離れない、彼女を支配する幻影なのだから。

「それでもいい」


 そして手にした拳銃の銃口を右顎下に当てる。隊長二人がこれ以上ない全力で地面を蹴るが、間に合わない。


 しかし銃弾は顔をかすることなく大きく逸れ、窓ガラスを撃ち抜いた。歩けない足を引きずりながら、密かに彼女の背後に忍び寄っていた司令官が、体当たりしたのだった。すぐに隊長たちが彼女を取り押さえ、拳銃を回収する。

 あぁよかった…!心拍数はいきなりマックスだよ。


「逃げることだってできたはずだ。けれど、君はそうせずに一人で耐えてきた」

 掴まれて、ぺたんと座り込んだ彼女の目線に合わせて、クリス隊長も膝をつく。


「何のためにここまで強くなったんだ?親のため?男のため?違うだろ」

 うなだれた顔に黒髪がかぶさる。


「だから逃げないでくれ。今は投降していい時だよ。罪を償って人生を再建しよう。アリシア、俺たちは同期じゃないか」

 歯を食いしばって、けれど最後まで彼女は決して泣かなかった。


 残りの2人もあっさりと武装を解き、市長は殴られて気を失っているだけだった。わたしはアリシアの元に駆け寄る。


「あのっ、アルフレッドにチェセモニクの小瓶を仕込んだのはあなたですか?逃げないで、ちゃんと自供してください!わたしの友人が殺人犯にされてるんです!」


 上げた顔には、夜の湖に月が昇ったような、弱々しくほのかな光。

「そうだったの…。ごめんなさい、全て私のしたことです」

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