第14話 淡花
結局、グレイヴ隊長に報告することはできなかった。
わたしは一人、司令棟の前に来たが、衛兵は頑として通行証の無いペーペーは通してくれなかったので、固まるしかない。
やっぱり隊長に報告して話を通してもらうしかないと思い引き返した時、
「メグ?どうしたの?」
建物から出てきたのはアリシアだった。
「あの、アークに話があるんですが、わたしじゃ入れてもらえず、戻ろうかと」
「そう、じゃあ私と一緒なら問題なしね。アークなら捜査本部にいると思う」
「ありがとうございます…!お出かけのところ申し訳ありません」
黒のパンツスーツに、書類が入っているのかな、大きな革のトートバッグを肩にかけている。
「まだ時間あるから平気。司令官と市長の会談に、私も呼ばれてね」
アリシアが入館証をかざすのに続いて建物に入る。一応衛兵に会釈すると、今日は入館名簿に所属と名前を書かされた。
やっぱり、法務省も司令官をマークしているのかな…。
「こっち」
ここに入ったのは3日前、最初に隊長アークたちとアリシアの上司(不倫相手?)に会った時だ。どこの部屋にどう通されたのか全く覚えてないけど、何となく通ったことがあるような無いような…。って、帰り一人で出られるかな?
「ここをまっすぐ行った突き当たりの部屋だから」
「はい、ありがとうございます!」
くるりと向きを変えると、じゃあねとアリシアは来た道を戻っていった。
突き当たりの扉の前で、扉をノックしようとして再び固まる。いきなり聞こえてきたのは、
「こんなんすぐやれよ!浅い仕事すんな!!オレは難しいことなんか一つも言ってねえだろくそったれ!」
アークだ。あのアークが、感情剥き出しにこんな事言うの?
すぐに紺色の軍服男性が部屋から飛び出してくる。
「何か」
その人は扉前にいたわたしに驚きもせず、静かに問う。
「あの、アークにお話があります」
「…今、超絶不機嫌だが」
「そのようですね…」
怒鳴られていたのはこの人なんだろうけど、全くこたえている様子がない。それどころか、
「銃撃事件以来まともに寝てないから、無理もない」
と擁護発言まで。
うぅー!よりによって!でも、わたくし、不機嫌の要因をこしらえてしまった一因かもしれない…。
「メグ・リアスだったな。ちょっと待て」
そう言って、その人は扉の中へ戻っていった。なんでわたしの名前知ってるんだろう?
すぐにまた出てくると、2つ隣の部屋にわたしを通し、待つように言った。参謀部のブリ部屋のようだ。
「あの、大変失礼ですがどちらかでお会いしたでしょうか」
「昨日会った。それに今は重要参考人だ」
すみません、聞いたこっちが全く思い出せませんでした。それに、全く身に覚えが無いからすっぽり抜けてたけど、わたしも関与を疑われてるんだったー。
わたしを残してその人は去ってしまった。
立ったまま深呼吸。既に手の平が湿っている。
やがて足早に靴音が近づくとその人が現れた。ブルーグレーの視線が痛い。
「途中で退席し申し訳ありませんでした!」
私は腰を直角に折る最敬礼で謝罪した。
「職務放棄は感心しないな。でもまさかそれだけ言いに来たんじゃないだろうね」
わたしが頭を上げると座るよう命じ、自分も手近な椅子にドサッと座った。
「5年前から2年前まで、彼がどこで何をしていたのか情報を集めました」
消印の場所と特記事項をまとめたメモに目を通すと、手紙を1つ手に取り封筒をひっくり返した。
「なるほど。これは読んでも?」
「はい、構いません」
その目はわたしをじっと見つめている。たぶん、ちょっとした無意識の体の反応や目の動き、全てをつぶさに観察しているのだろう。
「いいよ、君を信じよう。これでも他人のラブレターを読むほど無粋じゃないつもりだ。それで結論は」
「彼は夢を失って、目の前の仕事にうまく頭の回路を合わせらせず、迷って悩んでいました。誰にも本音を打ち明けられず一人で。そういう人なんです。だから文章で自分を表現したいって——。彼の、内側へ思考が向いていく部分は、犯罪に利用しやすいと考えます。それは今も変わらないように思います。
しかし、迷いながらも彼は手紙を書き続けてくれました。最後は、また会いたいと書いて…本当に会いに来てくれました。自分の過去を犯罪に利用して——わたしを裏切ってまで、達成したい目的が彼にあるとは思えません。組織の為に自己を犠牲にするとは考えにくいです」
「それは君の希望じゃないの」
言葉に詰まる。彼を信じたい。その気持ちは絶対にある。けれど、そんな一言で気持ちは揺れてしまう。
わたしは立ち上がって頭を下げた。
「もう一度、彼と話をさせていただけないでしょうか。自分の都合で退席しておいて、調子のいい事を申し上げているのは重々承知です!しかしどうか、お願いします!」
少しの沈黙。
「元カレに会えてどう思った?」
顔を上げると、机に片頬をついて尋ねられた。
「…懐かしい気持ちはありますが、気まずい以上には何も」
「意外に冷めてるね。他に好きな男でも?」
「そうではありませんが…」
「君はアルフレッドのどんなところが好きだったのかな。座りなよ」
命じられるがまま、元の椅子に腰掛ける。
好きぃ?ってどんな気持ちだったっけ…。動揺させられながら、わたしは考える。
「話していると、同じ景色やモノを見ても、わたしとは違う世界が見えているんじゃないかと思わせるところに惹かれました。なんでも自分の言葉で伝えたくて、独自の世界観を持っていて。すぐアツくなったり、冷めやすかったり」
「ふうん。じゃあ、今思う、逆の面は?」
「…どちらかというとネガティブで被害的で心配性で、付き合ってる時はそうは思わなかったんですが、束縛されてたと思います。心根の部分は繊細で傷つきやすくて、強くはないんだと思います」
わたしは、アルのそういうところを見ないふりして逃げてきたんだ。
「交際期間は2年半くらいだっけか。初めての恋人?」
「えっ…そ、そうです」
「告ったのは彼の方からかな。いいねえ、僕もそんな時代に戻りたいもんだ」
うって変わって愛らしいほどの笑顔。でもでも油断するなー!また目から光線がビシバシ飛んでくるからね!
「え、ええと…あの、それは捜査に関係があるんでしょうか」
「あるかもしれないよ。きっとその頃の君には、自分の世界観を持った彼が大人っぽく見えたんだろうな。だから振り回されても束縛されても、嫌われたくなくて努力した」
「はい…おっしゃる通りです。今考えるとバカですね。傷つくことも、それに耐えるのも愛だと思っていましたから」
「そんな風にさ、恋した相手の為なら想像もつかない力が湧くものだろ。恋に狂ったら、人は犯罪すら正当化できるんだよ。まして君は、寂しさを紛らわすためや金目当てで男と付き合うタイプじゃない。本気だったろ」
「——はい」
それはまぎれもない真実だ。
何を思ったのだろうか、アークの鋭い眼光にふと柔らかい感情が浮かぶのを見た。
扉が控えめにノックされ、さっき怒鳴りつけられてた紺色の軍服が紙袋を持って入室した。アークの前で袋から取り出したのは、半円型の薄く平たいパンに野菜とソーセージを挟んだサンドと、飲み物だった。
「2食抜くのは心身に
そしてわたしの前にも紙カップを置いてくれた。
「今飲みたいやつドンピシャなんだけど。しかもオレに合わせて冷ましてあるし」
それは甘くて濃厚な温かいミルクティーだった。あー、香りだけで癒される!疲れた体には最高だ。
「2年近くあなたの副官やってますので、熱いと八つ当たりされるのは覚えてます」
「オレと結婚してくれ」
「その命令は拒否します」
即答。
アークはミルクティーを半分ほど飲んでから言った。
「アレン、もう一つ仕事だ。アルフレッド・マディソンをここに連れて来い」
「それは越権行為ですよ!?」
怒鳴られてもプロポーズされても微動だにしなかった副官アレンさんが、初めて声を震わせた。
「メグ・リアスが無実を証明すると伝えろ。暴れたり逆らったりしても何の利益も無い事くらい、彼なら理解するだろう。それと、看守長にはオレが全責任を取ると言え」
「しかし!監査部が黙っていませんし、処分は
「事件解決にはアルフレッドの証言が不可欠なんだよ!処分で足りないなら、辞表でも、首でも何でもくれてやる」
アークは拳で机を叩いた。
「命令だ。復唱しろ」
「…アルフレッド・マディソンをここに引致。メグ・リアスが無実を証明すると伝える。この件に関する全責任はウェルシア少佐が負う。以上」
「よろしい。行け」
彼が出ていくと、再び茶をすする。
首までかけるなんて…しかもその首って、職じゃなくガン首のことでしょ?あぁ蛇の世界は恐ろしい。大丈夫なのかな…。
「これが僕にできる限界だ。あとは君が引き出すんだよ」
右の口角をクイッと上げると、サンドの包みを開けて頬張った。
いつ見てもいい食べっぷり。この人やレクサスの幸せそうな食べ姿を見ていると、きっと一生誰かしら食べさせてくれるだろうなあって気がしてしまう。
あっという間に終えると指と口を拭い、椅子に深くもたれて腕を組み、瞼を閉じた。次第に首が右に傾く。
うわぁ…こんな間近に寝顔見ちゃった…。でもその顔は疲労の影が濃いし、ブツブツした髭だって伸びてきている。髪型は相変わらず整っているけど…なんてドキドキしてる場合じゃない!
今のうちにアルと話すことをシミュレートしなきゃ。
そして、副官が再びブリ部屋に現れた時、後ろには看守に連れられたアルフレッドがいた。
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