第9話 未開封の手紙

「アルフレッド…どうして?」

 鼓動が早くなり、変な汗で一気に脇が冷たくなる。


「モンベリアールに帰省したら、偶然アイリスに会ったんだ。それでメグがここにいるって聞いて、どうしてももう1回話したいと思って」

 モンベリアールとは、わたしの故郷の隣町。比較的大きな街で、郊外には第5支部基地がある。地元の幼馴染アイリスは、モンベリアールの中央大橋たもとという一等地の老舗カフェ店員をしていて、彼は偶然そこに立ち寄ったのだろう。


「だからって、連絡くらい…」

 そこまで言って、後が続かなかった。連絡を絶ったのはわたしの方なんだ。


「積もる話もあるだろうが、爆発の状況などを聞かせてもらいたい。基地までご同行願います」

「ロビーにはいたけど、正直あんまり覚えてない」

「結構です。今はどんなに小さな情報でも欲しいので」

 頷くとアルフレッドは立ち上がった。


「また後で…会えるのかな」

 わたしが返事をする前に、捜査員に車両へと連れて行かれてしまった。


「友人以上、かな」

 ボソッとどこかの隊長のように言ったのは、さっきわたしをここまで案内した紺色の若い軍服だった。テントにはその人とわたしだけ。

 ギクッとして、わたしは答えられなかった。


「現場ホテルのロビーに居たが、奇跡的に無傷だ。君に会いに来たというのは本当か?」

「…知りませんでした」

「そうか。では現場に戻りなさい」


 無機質に言われてテントを出ると、今度こそ何も考えられなかった。一気に色んなことが起こりすぎだ。


 噴水広場に戻ったところでこんな状態じゃ使い物にならない自信があるし、ライフル展示場に戻ろうにも中途半端に現場を投げ出しては、またヒースに何を言われるかわからない。


 未だ混乱が続く街中に立ち尽くすが、指示をくれる人はいない。人が、喧騒が、わたしだけをおいて通り過ぎていく。


 どのくらいそうしていただろうか。時間の感覚が持てないまま、実はごく数分だったのかもしれない。


 近くにいるのにやっぱり素通りはできないから、爆発現場に戻ってみたけど、多くの野次馬でごった返していて、中に分け入っていく気が湧かなかった。


 次に、隊長のところへ行こうと基地へ戻る道を進む。

 友好祭は定刻を切り上げての閉会となっていた。ライフル展示はとうに片されていて、誰もいない。設営の解体やゴミ拾いを終えると、すっかり暗くなってしまった。


 結局お昼を食べ損ねたので食堂のいつもの席に向かうと、運良くリサと合流できた。ホッとして温かい焼肉定食を掻き込むと、甘辛いタレが胃に染みわたる。

 白い略装は汚れ、疲れ切っていて、お互い何も言わずに無心で食べた。あんなひどい現場を見た後によく飲み込めたものだと、自分でも思う。


「リサ、あのね」

 手の中で茶が入ったカップを回しながら、アルフレッドのことを話そうと思うが、何を伝えればいいのやら。


 元カレが連絡なしに会いに来たの。なんで?わかんない。終了。

 ほんと、今更何なのだろう。連絡を絶ってからもう4年は経つというのに。


「あーいたいた、良かったここにいて」

 困り顔のわたしと、続きを待つリサを中断したのは、白シャツ黒ベスト黒パンツのアークだった。


「メグに話があるんだけど、来てくれる」

「えっ。わたしですか」

 まさかそう来るとは思っていなかったので、お茶をこぼしそうになってしまった。


「女性の取り調べには女性が陪席しなきゃならない規定だったな。ちょうどいいや、リサも来て」

「えっ。私もですか」


 ほらほら時間ないから、と追い立てられながら食器を片し、最寄りのブリーフィング室(通称ブリ部屋)へ向かう。途中、偶然すれ違ったグレイヴ隊長を有無を言わせず捕まえていた。


「何の用だよ」

 食事に向かうところを邪魔された隊長は、ブリ部屋に座ると苛立たし気にネクタイと軍帽を外す。


 そんな隊長は完全スルーして、アークはわたしの正面に座った。

「アルフレッド・マディソンとの関係は?」


 ドッキーン!!いきなり来た!呼び出された時点でちょっとは予測していたけど…。

 友人ですと答えようとして、この人の強い瞳の前では取り繕っても無駄だと悟る。


「以前…付き合っていました」

「以前っていつ?」

「地元にいた頃です。学生時代から1年浪人して、医療学校に入るまで」


「彼の話では入学以降、会うことはなかったというけど?」

「はい。手紙はくれたんですが…」


 国立医療学校はとんでもなく厳しい全寮制だ。ついていくだけで精一杯で、最初の何回かは返事を書いていたけれど、そのうちに返事を書くのもおっくうになり、開封すらしなくなって。やがて手紙は来なくなりほっとしていた。

 だから自然消滅というか、音信不通というか、わたしの一方的な無視だ。


「それが、ほぼ5年ぶりに会いに来たわけだ。何か心当たりでも?」

「ありません」

 即答したわたしに、リサが目をぱちくりさせている。


「未練たらたらな男が、やっと掴んだ情報を頼りに会える保証もないのにわざわざやって来たが、感動の再会とはいかずってとこか」

「…そうなんですか?」


「会える確率の方が低いのに、おかしいかい?一目でも姿を見られればいいってね」

 芝居掛かったような、でも本気にも聞こえるようなアーク。


「アルフレッドがそう言ったんですか?」

「さあね」

 はぐらかしながら、鋭い眼光を隠そうともせずわたしを見た。


「じゃあ、彼が今どんな仕事してどこに住んでいるかとか、全く知らないのかな」

「…はい」


 なんだろう、まるでアルが事件に関係あるかのようなこの状況。

 言わされているのが分かったけど、聞かぬわけにはいかなかった。


「あの、アルが何か…」

 アークはわたしから目を離さぬまま、ベストの内ポケットから小瓶を取り出し、わたしの目の前に置いた。


 チェセモニクという薬剤の小瓶だ。医療班だもん、このくらいは知って当然。

「彼の上着のポケットに入っていたんだ」

 どうしてこんなものが…。一般に流通しているような薬剤ではない。


 一つ息をつくと、アークはテーブルに腕を乗せた。

「爆発の犠牲者の中に、致死量のチェセモニク服薬による死者が2名いる。その1人がミスティだ」

「え…!」


 チェセモニクは急激な血圧低下時や、蘇生時に使用する劇薬だ。呼吸障害を起こしやすいため使用には必ず人工呼吸器を用意し、熟達した医療職でしか取り扱えない。わたしたち医療班の救急バッグに必ず入っているけど、使うにはそれなりの状況と、かなりの決断が要る。


 薬と毒は表裏一体だ。チェセモニクは危険な薬剤だけど、このおかげで助かる人はたくさんいる。

 人の命を助けるための薬剤を人殺しに使うなんて…!


「どうしてアルフレッドがそんなものを…!それにミスティが殺されたって…」

 強く口を突いた。


 アークの顔はいつもの華やかな笑顔ではなく、目から何か発せられているのではと思うほどわたしの深部を突き、えぐってくるようだった。そして静かに言う。


「軍人の知り合いがいればチェセモニクなんて簡単に手に入る。医療班なら尚更だよな」

 ぞわりと鳥肌が立つ。


 半分口を開けたまま、言葉が続かなければ口を閉じることもできなかった。

 ——それが、わたしが呼び出された理由。


「否定できるかい?」

 アークの口調は優しい。けれど壁を背にして立たされたように感じた。

 否定できない。だってわたしは、今まで彼の事は何一つ知ろうとしてこなかったのだから。


「わたしはっ…!わたしは関係ありません!彼の事は何も知らないし…彼がここに来ているのだって知りませんでした。本当です!」

 こんな情けない言葉で自分を弁護するしかなかったんだ。


 恐ろしい沈黙。目だけでわたしを圧倒しながら、アークは次の質問を口にした。

「彼は輸送の仕事をしているそうだ。表向きはね。けどその会社、裏では武器や麻薬の取引を仲介してるんだよね。知らないかな」

「わかりません…わたしは、何も知らないんです…」


 ブルーグレーの瞳はわたしの何を見ているんだろう。すると今度はわたしではなく、隊長とリサに視線を移した。

「これから話すことは口外しないように」

 なんだろう…わたしの心臓はずっとダッシュしっぱなしだった。


「もう一人、チェセモニク服毒死したのはバーナム・ノートンという男だ。何者か知っているかい?」

 わたしは首を横に振ったが、

「旧型ライフル製造工場のオーナーだな」

代わりに隊長が答えた。


「これは明らかな他殺だ。犯人はミスティで間違いないだろう」

 なぜ、と問いたいわたしをアークは目線で制止する。

「しかし彼女もまた殺害された。カムフラージュに爆破のおまけつきだ」


 つまり、アークの言いたいことは、

「その犯人がアルフレッドだっていうんですか…⁈」

ありえない。あんなひどい場面を彼が作り出したなんて!


「彼は、知らない、弁護士を呼べの一点張りでね。けれど君になら話すと言っている。手を貸してくれるね」

 わたしに何を聞けというんだろうか。わたしだって疑われてるというのに。


 もう、何と言ったらいいのかわからないよ。

 また涙がじわっと湧いてきた。今度はこぼれないように必死で顔の筋力を総動員する。


 すると、

「メグ、俺はお前が関わっているとは思わない。けど、可能性がゼロになるまで疑わなきゃならないのがこいつの仕事だ。その元カレとちゃんと話して、自分の無実は自分で証明するんだ。いいな」

 スッと一筋流れる清流のように、隊長だった。思いがけない言葉が、混乱した頭に冷たく心地良く沁みていく。


「…はいっ」

 すんでのところで涙は引っ込んだ。隊長が、リサが頷いてくれる。

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