第8話 予期せぬ再会

 モナリス国には100年以上戦争が無く、わたしたちは軍人でありながら本物の戦場を知らない。

 その惨状には足がすくんだ。


 無惨に破壊されたのはバースの一等地、大通りから一本入ったところに面したグランドホテル1階のレストランだった。友好祭の昼時、多くの客で賑わっていただろう。


 悲鳴を上げながら周りを見ずに走る人にぶつかりそうになって、わたしは足を止めた。

「リサ!どうしよう?」

「この騒ぎだもん、すぐみんな駆けつけてくるよ!負傷者を助けなきゃ!」


 さすがリサだ。一人だったらもう進めなかっただろうけど、リサを信じてわたしも後に続いた。


 大きなガラス張りだったウィンドウは原型を留めぬほど粉々で、砂埃がもうもうと立ち込めている。袖で口を押さえながらテーブルや什器が散乱する中に入っていくと、埋もれているのは人だ。


「しっかり…」

 うつ伏せの人を起こそうとするが、既に事切れていた。内臓が露わになった姿に思わず心臓が凍り腰が崩れそうになる。


 自力で起き上がり壁にもたれている人、動けずにうめいている人。何もかもが混沌としたこの場で、何から始めればいい?

 腰から這い上がって来た震えを、両腕を抱いて押さえた時だった。


「メグリサか⁈いィところに来てくれた!救急車が来次第重傷者は病院に搬送だ。お前ェたちで判断しろ。軽傷は広場で処置、歩けない奴は介助してやれ!」

 濃紺の軍服、ジャック隊長だ!一気に視界が開けたように感じる。


「はいっ!」

 わたしたちだけでなく、居合わせたり駆けつけた軍人を編成しては次々に指示を飛ばしている。


 わたしはリサと頷きあう。

「動ける人を広場に運ぼう!」

「うん!」


 受傷の程度を診て、支えながら、励ましながらグランドホテル前に広がる噴水広場へ連れて行くと、救急バッグを持った白い軍服の医療班が次々と駆けつけていた。

 重傷者は動かさずに、応急処置担当の医療班を呼んで救急車の到着を待つ。


 災害時には全員を同じように救出処置することはできない。すぐに処置をすれば助かる人を優先的に救急車で搬送し、明らかに処置が間に合わない人や命に別条がない軽症者は後回しとなる。


 広場から戻ると、テーブルの下から男性が這い出そうとしているのが見えて、わたしは駆け寄り手を貸した。頭から流血している。


「あまり動かないで!傷を診ま——」

 その顔に、一瞬言葉を失う。

「失礼しました——バトラー司令官」


 敬礼しようとしたわたしに、

「構わんから、続けてくれ」

と言った。間違いではなかったようだ。軍服の上は着用せず、白いシャツだったからすぐに分からなかったが、第7支部の最高責任者だ。


 50代後半にして若々しく締まった体つき、素顔で目尻が下がった顔がその人柄を物語っている。わたしみたいなペーペーには雲の上の宇宙のような存在なんだけど、行きつけの居酒屋『エクスカリバー』で鉢合わせることもある(!)から、顔はよく知っている。


「頭を打たれたのですか?」

「椅子が飛んできた。ぶつかってしばらく気を失ったようだ」

「ご無事で何よりです。この指を目で追ってください」

 緊張して若干震える指を司令官の顔の前で右、左、上、下に動かす。


「君は確か、グレイヴの隊だったな。フェブラス侯爵の任務はご苦労だった」

「覚えていただけて光栄です。吐き気はありますか?」

「いや大丈夫だ」


 そして、近くにうつ伏せたまま動かない人を見て、

「彼は駄目か」

 小さく言い、自力で立ち上がると、最初1、2歩ふらついたが、その後しっかりと歩き出した。


「処置をしますので、こちらへどうぞ」

 ジャリ、と割れたガラスを踏んで広場へ出ると、ちょうど小走りに向かってきたジャック隊長が肝を冷やしたようだった。


「司令官⁈なぜこちらに…?お怪我は!?」

「何とかな。状況は?」

 目を丸くしながら、ジャック隊長は的確な報告をしていった。


 処置担当の医療班が駆けつけたので、わたしは引き継いでその場を離れ、またレストランの方に戻る。

 ホテルの上層フロアにいた人々が次々と避難していた。


 ここで初めて周囲を見回すと、レストランの厨房でのガス引火事故ではなさそうだった。重傷者はバックヤードではなく、客席に多い。

 救急車が何台か到着したので、重傷者の搬送を手伝おうとしたけど、さすが慣れた人たちは手際が良く、わたしは邪魔にならないよう見ているだけだった。


 さっき司令官が駄目かと言ったうつ伏せた人を起こしてみたが、やはり既に脈は触れない。

 しかし、その遺体は何か不自然な感じがした。何がと言われても答えられないけど、何だろう…。


 その時、担架に乗せられた知った顔が横目に入り、戦慄する。

 知っているもなにも、昨晩話したばかりだ。


 ――ミスティ。

 膝から震えが上がってくる。冷たい棒に内臓をかき回される。


 息はあるのだろうか。そう希望を持ちながら、しかし首を横にして目を開いたまま微動だにしない顔に否定される。もうなにも映らない瞳がこちらを見ている。

 わたしは膝から崩れ落ちて、そのままガタガタ震えていた。


 わたしの職業は一応軍人、医療者。父親を事故で亡くしている。人の死には割と近くにいる方だと思う。

 それでも衝撃は凄まじかった。…だって昨日、わたしに笑ってくれたんだよ?負けるなよって言ってくれたんだよ?


「メグ!どうしたの?大丈夫?」

 気付いたリサが飛んで来てくれた。

「ミスティが…わたし、昨日ミスティに会ったんだよ。あんなに元気に笑ってたのに…なんで…」

「わかった。わかったからまず一緒に深呼吸しよう」


 リサが深呼吸するのに合わせてやってみる。ゆっくり吐く。もう一度。

 呼吸は人体内部を自己コントロールする唯一の方法だって、隊長が言っていた。

 落ち着いて…大丈夫。大丈夫。そう言い聞かせる。

 リサはわたしの手に手を重ねてくれた。


「メグ、今は、救助を待っている人のことだけ考えよう」

「うん…役割を果たさなきゃ」

「そうだよ。よし、行こう」

 心底、やっぱりリサはすごいと思った。もう心根から違うよね。


 わたしたちはレストランに隣接したロビーへ移動した。内装は崩れたりガラスが割れたりしていたけど、幸いなことに皆軽傷で済んだようだ。

 爆風で飛んできたランプが顔に当たった人や、精神的にショックを受けて動けない人やパニック状態の人を介助しながら広場に連れていく。


 広場には司令官と共にキビキビと指示を飛ばすジャック隊長の姿があった。

「上のフロアの客を避難させろ!それからお前ェらは他に爆発物が無ェか確認だ。隅々まで見落とすな!」


 やっぱり、事故ではなく事件なんだ。銃撃のことと関係があるんだろうか。一体何が起こっているんだろう…。


 広場には処置を待つたくさんの人が座っていて、誘導が落ち着いて来たので今度は処置を手伝うよう医療班の先輩から指示された。

 はいー、苦手の処置ですよ!


 傷の洗浄消毒と保護、簡単な縫合まではここで行う。傷を見るたびに体がビクついてしまうけど、痛いのはわたしじゃないもん、そんな顔するわけにいかない。

 それに、軍隊のくせに警備がなってないとか、こんな目にあわせて、と言われることもあった。気持ちは分かるけど、文句言われながら処置するのにはこたえたな。


 処置が終わっても皆その場から動けずに呆然と座り込んでいた。避難が完了したホテルには規制線が張られ、捜査関係者がひっきりなしに出入りしている。


「おう、どうだ」

 振り返ると、ヒースだった。

「どうって…ひどい有様ですよ。そっちは?何かあったんですか?」

「こっちは何ともない。それにしてもひでぇな…やっぱ事件なのか?」


「ヒース、爆発でミスティが…さっき搬送されたけど、たぶん、あれ、もう…」

 言いながら、涙がこぼれてしまった。なんだろう、ヒースが来てくれて気が緩んだとしか思えない。


「しっかりしろ!泣いてる場合じゃねぇだろ!」

 バシッと音がするくらい頭をはたかれる。痛い。


「今は自分の感情優先してる場合か!?だから使えねぇんだよ!」

 真上から杭を打たれたようだった。ガンと響いて、思考が停止する。


 え、なんで。人が亡くなったんだよ?必死で動いたよ?文句言われたって黙って処置したよ?

 真っ白になったわたしの表情を見てか、それ以上は何も言わずに、彼はどこかへ行ってしまった。


 別に優しさを期待したわけじゃない。もう涙なんて乾いている。色んな負の感情が身体中を渦巻く。

 今使い終わった器具を消毒しようと、機械的に体を動かした。考えるのをやめるために体を動かしていた。

 わめきたいほどムカつくけど、人のせいにしたいけど、彼が正しい。


「メグ・リアスか?」

 しゃがみこんだ顔を上げると、紺色の軍服を着た若い男性が立っていた。

「はい…」

「君の知り合いだという民間人がいて、確認のため一緒に来てほしい」


 言われるまま、機械的に器具を片付けると、その人の後ろについて歩いていく。爆破現場から少し離れたテントの中だった。

「失礼します」

 椅子に座っていた男性と目が合って、その人はあっ、という顔をした。


 わたしは体内を縦に貫かれたように感じた。

「え…どうして…」

 ハッキリ覚えていたかと言われると正直曖昧だけど、まず思ったのは、変わらないなってこと。少しキツめの黒い目と、茶色の短髪。


「メグ…久しぶり…。髪、短くしたんだな」

 彼の口元が弱々しくほころぶ。そうだ、こんな声だった。

「アルフレッド・マディソンに間違いないか?」

 

 年配の捜査官に聞かれて、固まった表情のままわたしは頷く。

 彼はわたしの元恋人だった。

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