エピソード2 スネークショット

第1話 背後の気配

 空は灰色の雲に覆われ、今にも雨粒が落ちてきそうだ。受ける風は冷たく、湿った匂いがするから間違いないだろう。午前中はあんなにいい天気だったのに。やだなぁ、憂鬱さ5倍増し。


「気を抜くな」

 わたしの頭の中を見透かしたように言ったのは、グレイヴ隊長。わたしたちの直属の上官だ。


 上下カーキ色の野戦服、背中には装備が詰まった背嚢はいのうに寝具、肩にはライフル、腰にはナイフと、弾薬箱や小物を入れるポーチ。こんなフル装備で、演習場の山道を下っている。


 これはわたしたちが所属するモナリス国軍伝統の新人演習で、1から8まである全国どの支部でも毎年この時期に行っている。効果測定を兼ねての演習だ。

 新人を擁する部隊はフル装備を背負っての行軍演習、途中先輩部隊から攻撃を仕掛けられるという内容。指揮を執るのはもちろん新人将校だ。


 行軍ルートは定められており、攻撃側にそれを把握されているという、圧倒的不利な状況下で奇襲を受けつつも、活路を開き生きて帰還することが任務だ。

 銃撃は空包だし、敵に遭遇したら相手に致命傷を負わせないことが大前提になっているとはいえ、 武器を使用した本気の近接戦が待っている。


 早朝から歩き通し、昼食は携帯食だけ。はあぁ、いつ来るか分からない、けど確実に襲われるっていうこの緊張感。疲弊はそろそろピークを迎えつつあった。

 しかし午前中には、隊列の後部が襲われてビリビリっとした。わたしたちの小隊は戦闘にならなかったけど、後ろから敵が迫ってくるというのは怖いものだ。


「メグ、頑張ろうぜ」

 わたしの前には同期の新兵レクサス。海軍志望だったのに、勘違いで陸軍しかない我がモナリス軍に入隊してしまった、いろんな意味でにぎやかな奴。でも飯が美味いからいいんだってさ!フル装備を担いでも安定した足取りだ。


 このフル装備というのは20キロ以上ある。最初は持ち上げるのもままならず、背負ったら後ろに倒れそうだったけどね。今でも油断すると体が反ってしまうけど、わたしもすっかり慣れたものだ。

 と思ったら、石につまづいて前のめりになる。


「気をつけろよ」

 後ろのラッセルが背嚢はいのうを引っ張って転倒を防いでくれた。くりくりの茶色のくせ毛(剛毛)に、いかにも人のよさそうなたれ目、小柄な体型。彼は医療班の大先輩だ。3人娘のお父さんでもある。


 わたしは軽くうなずいて、自分の足元に集中することにした。

 

 わたしの名前はメグ・リアス。

 今年入隊した新人で、6月からこの第7支部に医療班として配属されてもうすぐ10か月になる。金に近い明るい色のショートヘアに、鳶色とびいろの目。


 でもね、血を見ると今でも震えあがってしまうし、戦いが得意なわけでもないし、ほんとは向いてないんじゃないかって思う。毎日ヨレヨレの雑巾みたいになりながら何とかついていってるよ。


 医療班のわたしは、戦場で最前線に立つわけではない。けれど平和なこの時代、モナリス軍は深刻な人手不足に陥っていた。

 これは極めて重大な国防の危機であり、政府はあらゆる対策をしているけど、どれも効果が上がらない。というわけで、医療班といえど戦わぬわけにはいかないのが現状なんだ。


 この山中で、いつどこから狙われているかもしれないという緊張感。感覚を研ぎ澄まして常に安全確認していないと、恐怖に押しつぶされそうになる。

 

 そうしている間に、ついに雨粒が頬に当たった。みるみるうちに本降りの雨となる。

「最悪。頑張れよ」


 ラッセルの後ろからヒースが声をかけてくれる。黒髪にくっきりとした眉、色っぽい瞼の黒い瞳。筋肉質な体形で、わたしとレクサスにとっては直近の先輩だ。

 一番厳しいのはもちろんグレイヴ隊長。茶色の短髪に、冷たい感じのする綺麗なブルーの大きな目が印象的だ。


 第7支部に赴任する前は特殊部隊の副隊長を務めていた将校で、口癖は「そんなんで人を助けられると思ってんのか」「死ぬ気でやれないなら一度死んでこい」「諦めんな!!!」

 他人だけでなく自分自身にとてもストイックで、常日頃から軍人の鑑のような生活をしている。


 先頭を行くグレイヴ隊長から順に、レクサス、わたし、ラッセル、ヒース。この5人がモナリス軍第7支部第6班、グレイヴ隊のメンバーだ。


 その時、前を歩く隊長の歩みが止まった。隊長の横には、小隊指揮官である新人将校。わたしが言うのもなんだけど、ちょっと頼りないんだよねー。その彼から、伏せろの合図。


 わたしたちは姿勢を低くし、注意深く辺りを観察した。急に心臓がドックンドックン強烈に脈打つ。

 来るなら早く来てほしい。けど、敵さんだって当然こっちが疲れた頃を狙ってくるわけだからね。演習も後半に入ったこれまで、散々焦らされている。


 しばらくの間、雨の音だけが存在するようだったが、

「前方および東側面400m地点より60名小隊接近中!迎撃準備!た、隊列を乱すな…!」

新人将校の声が、最後の方はちょっと弱めに響く。


 首から下げた単眼鏡で覗くと、うわー!確かに前進してきている。しかもあれ、

「クリス隊がいるじゃねえか。ついてねえな」

代わりにヒースが言ってくれた。全員からため息があがる。


 クリス隊長とは、グレイヴ隊長と同期で士官学校卒の将校。この第7支部基地で、本気になった隊長と唯一互角に戦える人と言って良い。二人の戦いが始まると、みんな訓練の手を止めて見入ってしまうほどなんだ。

 彼を筆頭に、クリス隊は武闘派揃いの連中だった。おまけに全員美男でね。


 わたしたちは行軍の第2陣、50名程の小隊だ。西側には沢があり、しかも東側の方がやや高い地形だった。


「逃げ場無しだな」

 レクサスの口調は、なんだかワクワクしているのがありありだ。

 本物の銃撃戦なら上から狙い撃ちされるんだよ?なんでそんな気持ちになれるんだか信じられない。


「じ、銃撃構え」

 低い姿勢で構えながら、我々小隊の指揮官である新人将校が、グレイヴ隊長の隣で号令を出す。「それじゃ聞こえないぞ」とやり直しさせられていた。


「あのラインまで前進、目視で捕捉次第銃撃開始」

 緊張を隠せぬ、やや上ずった声。たぶんね、指揮するよりも、鬼隊長に隣でチェックされてる方が緊張するんだと思う。


「着剣は」

「あ、ちゃちゃ着剣」

 うん、分かるよ、その気持ち。同期将校に心からのエールを送る。


 この低い姿勢での前進が、最初はきつかった。今までに使ったことのない筋肉をフル活用して、ひたすらに練習したもんね。


 わたしたちが壊滅するようなことがあれば、行軍隊列は分断され、前を行く第1陣は敵に前後から挟まれることになってしまうだろう。

 側面の敵を1陣に向けさせないこと、彼らが活路を確保するまで敵を封じること。それがわたしたちの役割だ。


 冷たい雨が顔を流れていく。拭うこともできず、銃身の下の部分に着剣した新型ライフルを両手で構えながら前進する。導入されてから射撃訓練はしたけど、演習は初めてだった。


 あー、怖いよぉ、進みたくない!けれど1人遅れを取るわけにもいかず、なるべく何も考えず無になって、機械になったつもりで体を動かした。


 新人将校が指定した防衛ラインは、なだらかな丘陵と丘陵の間だった。草むらの中に埋もれながら、立て膝でライフルを構える。

 目の前に虫たちが飛び交っているのが気になって仕方ない。


 この新型ライフルの射程は300m程度。狙って撃てる距離ではないと分かっていても、この射程範囲は脅威だ。適当に撃たれたって、わたしみたいのは運悪く当たるかもしれないからね!


 この状況を覆すには先制攻撃しかない。目視で捉え次第銃撃し、敵がこちらの防衛ラインに辿り着くまでに、いかに数を減らせるかに尽きると思うんだけど、合ってますかね隊長?


 横目で隊長を見ると、覗いていた単眼鏡を外し、

「撃ち方よう――って俺が言うんじゃなかった。先に言ってくれよ」

 普段はボソッとした口調で、聞き逃さないようにこっちが気をつけてないといけないんだけど、戦場でのベテラン指揮官はハリのある声で笑った。


「申し訳ありません!撃ち方用意!」

 総員改めて空包を装填し、照準を正す。


 来る…来るよ!

 最高潮に高鳴る鼓動に、もう虫も雨も関係ない。

 前衛を肉眼で捉えた!


「撃てっ!」

 乾いた音が一斉に鳴り響く。繰り返すけど空包だ。本来ならこの連続射撃で頭数を減らせるはずなんだけど…今日はそうはいかない。


 目視できるということは、ものの10秒ほどで白兵戦が始まる。向こうも撃ちながら丘陵を駆け下りてくる。

「銃剣構え!全速!」


 立ち上がると、隣で地面を蹴るレクサスに続く。みるみるうちに敵が近づき、銃剣同士が激しくぶつかった。

 わたしは前線より一歩後退したところで援護…のはずなんだけど、一人こっちに来る!


 急いで銃剣を構え直すと、攻撃を受け止める。でも相手は男性だからね、衝撃を止められるはずもなく、3歩、4歩バランスを崩しながら後退する。


「絶対コケんな!!コケたら死ぬぞ!」

 ヒースだ!さすが、自分は自分で戦いながら、よくこっちを見てゲキを飛ばす余裕があるものだ。


 それを受けて、なんとか踏み止まった。けれどすぐ次の一撃が襲い来る!ヤバいと思って反射的にしゃがむと、なんと上手くかわせた!


 その姿勢から銃剣を繰り出す。かわされる。もう一回!

「はっ!」

 気合と共に突き出す。今度は向こうも銃剣で受けた。


「なかなか良い突きだけど、ごめんね~」

 このチャラさがムカツクけど、押し返された力に抗うことはできず、足がふらついたところを蹴られる。

 もろに食らって倒れこむと、泥が顔に跳ねる。うぅー、痛いし。


「はい、いっちょ上っがり~」

 背中を軽く踏みつけられた。


 この演習では、敵に殺害されたら顔にマジックで×印を書かれるという、極めてハラスメントに近い辱めを受けるのだ。

 こうなるだろうと思ってはいたけどね…。


「新人の医療班狙いなんて卑怯だけどさ~、どうしてもメグにこれヤりたくてね~」

 そう言いながらマジックを取り出すと、頬っぺたにデカデカと×印を書かれた。

「もう一個書かれないよう注意しろよ~」


 チャラい彼、オーウェンはニヤニヤしながら去っていった。クリス隊の一員で、喋らなければいい男なんだけどね、もったいない。

 なんて、ぼーっとしてる場合じゃない。


「ホレ!立てよ!死にたくなかったら走るんだよ!」

 再びヒース。今度は走り抜けざまに頭をボカっとされてしまった。


 本当にもう1個書かれないようにしないと!2回死んだなんて、さすがに情けなさ過ぎて隊長に顔向けできない。蹴られた太腿ふとももはジンジンするけど、立ち上がる。


 その時、パァン!と乾いた音が一筋走った。

 銃声だ。戦場に銃声など、何も不思議ではない。事実わたしは気にも留めなかった。


 しかし、

「医療班!!」

次に耳に入ったクリス隊長の声に、全身を剣山に刺されたかのような、嫌なものを感じた。


 声がした方を向くと、誰か倒れている。わたしは一目散に走り出した。

 どうしたの…?まさか今の銃声…本物?


 先に着いたラッセルが背嚢はいのうから救急バッグを取り出している。

 倒れているのはクリス隊の一員、ジェフリーだった。2年目の将校だ。意識はあるが、噴き出すような出血に朦朧もうろうとしつつある。


「すぐ止血だ!」

「はいっ!」

 思わず手が震えたけれど、死に物狂いの速さでわたしも救急バッグを取り出し、ガーゼを傷口に当て、直接圧迫した。


 ちょうど右鎖骨の上あたりを撃ち抜かれている。なんで実弾が…弾は抜けたんだろうか?一体何が起こったの…?

 あっという間に綿が鮮血に染まっていく。この出血量は血管が損傷している。何が起こったんだと異変に気付き、徐々に戦いは中断し人が集まり出す。


「押さえてろよ」

 ラッセルがガーゼを脇の下に通し、傷口の内側で思い切り縛った。このまま放置すれば右腕全体が壊死してしまうが、この出血量の緊急処置にはこうするしかない。

 わたしも傷口を手早く覆った。


担架タンカを!」 

「一刻も早く病院に搬送を。輸血が必要になるでしょう。血液型は?」

「5型だ。カルロス、オーウェン、同行しろ」

「了解」


 クリス隊長に呼ばれた二人(この二人もクリス隊だ)とラッセルが場を離れると、クリス隊長の声が戦場に響く。

「誤射なのか!撃った者は名乗り出ろ」


 しかし、聞こえるのは雨の音だけだった。

 堪忍袋の緒が切れるどころではない、堪忍袋自体が爆発しそうな、クリス隊長の表情。

「ここにいる誰かが必ず撃っただろう!なぜ黙っている!」


 その怒りは鬼神のごとし。降り注ぐ雨がジュッと音を立てて蒸発するんじゃないかというくらいだ。やった人、早く正直に名乗り出たほうがいいんじゃない…?多分全員がそう思っている。


 しかし、やはり聞こえるのは雨の音だけだった。

「落ち着けクリス」

 肩を抑えたのはグレイヴ隊長だった。あんなクリス隊長をなだめられるのは、この場にグレイヴ隊長しかいない。


「一旦戻ろう。ジェフリーの容態も心配だ」

 クリス隊長は、肩に置かれた手を払い除けると、

「撤収!総員行軍に合流」

 と固く言い放った。


 グレイヴ隊長はレクサスを呼ぶと、先に行って中隊長へ報告をするよう命じた。

「引き続き行軍を続け、基地へ帰還する」

 文字通り冷や水を浴びせられて、ピークのはずの疲労は流れていった。

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