エピローグ

 訃報は、朝食の食堂でいつものように新聞を読む隊長からだった。

 わたしたちはその朝刊にかじりついたが、そこには闘病の末亡くなったこと、ショーン様が侯爵として公務を執り行うことが形式的に書かれているのみだった。


 タクマダで過ごした雪の日から3ヶ月が経とうとしていた。


 遠からずこの日が来ることは分かっていたけど、それでもやっぱり早すぎる。どうしてグレース様のような人が死ななければならなかったんだろう…。


 その日の巡視と訓練は、何か心の一部を持っていかれたような感じがして身が入らず、隊長からのゲンコツだった。


 モナリスでは、近しい人が亡くなると、紙で作った船にろうそくを灯して川に流し、死者の冥福を祈る風習がある。夜になってみんな集まった。

 基地から市街へ向かって歩くこと15分、緩やかに広がるオード川の岸辺で輪になって座り込み火を灯すと、そっと川の流れに浮かべた。


 小さな船はゆらゆらと水面を滑りながら炎を運んでいく。

 ほんの数日だったけど、あの旅の事は一生忘れないと思う。


 グレース様、わたし頑張りますから!見守っていてくださいね。

 小船が見えなくなるまで、わたしたちはずっとそうしていた。


 帰りは汁そばでも食べに行くか、となった。最近できた『星麺』がいつも行列なんだって。


 あんな大雪が降ったのが嘘のように春めいてきた。上着を着てきたけど、暑いくらいだ。

 久しぶりにグレース様を思い出したせいだろうか、次の季節を感じさせる夜気に、なんだかドキドキと前のめりな心地になる。


 川を越えるとバースの街は賑やかになる。中心街へ向かいながら、ガス灯がともる石畳の道をダラダラ広がって歩いた。隣はヒースだった。


「ヒース、そういえば、あの…契約更新どうするんですか」

 ずっと引っかかっていたけど、何となく聞けなくて。変に引っ張ってきた。

 グレース様が亡くなったのは一つの節目のような気がして、背中を押してもらったんだ。


「考え中」

 それが答えだった。


 うん、まだ辞めるって決めたわけじゃないんだ。でも、辞める可能性がゼロってわけでもないんだな。

 ヒースがこっちを見ていないのはわかっていたけど、わたしはわざと下を向いた。


「そろそろ決めないといけないんじゃないですか」

「そだな」

 それ以上答えようとしてくれない。しばらく沈黙して、諦めかけた時だった。


「おぇ、どう思ってんだ」

 なに、その友達以上恋人未満な二人の会話みたいな。わたし関係なくない?一体何言ってほしいわけ?と反射的に言いそうになって、一呼吸置いた。

 …悔しいけど。


「これからもいて欲しいですよ。まだ教わらなきゃならない事、たっくさんあるし。なんせペーペーですから」

 それを聞いて、彼は顔をクシャッとさせた。


「言うようになったじゃねぇか」

 ふふーんだ、今日はグレース様のおかげだもんね。


「お前ぇら二人、放っぽり出すわけにもいかねぇしな」

 その後は、ビールと汁そばと替え玉で考えてやるとか何とか言いくるめられて、結局おごらされた。どんな先輩よ!


 それから2週間程経って、ショーン様からわたしたちに手紙が届いた。そこにありのままの姿が見えて、わたしは涙が止まらなかった。


 グレース様は、最後までわたしたちとの冒険を嬉しそうに語っていて、そのおかげで夫婦としてこれまで過ごしてきたどんな時間よりも多くを共有し、安らかな時を過ごせたこと。


 2日前まで変わらず生活していたのが、苦しむ間も無くあっという間に昏睡状態になり、最期は穏やかに、眠るように息を引き取ったと綴られ、改めて感謝したいと結ばれていた。


 侯爵となった今もショーン様は、時間さえあれば領民と一緒に草むしりをして、植物の種を植え、林道整備の工事に精を出しているそうだ。


 そして毎日湖のほとりを歩いていると、湖の精霊になった彼女が、会いに来てくれているのを感じるのだと締めくくられていた。


 産まれながらの王者にして、湖のように深い知慮と優しさで人と邦を愛した、美しき領主。

 その存在はいつまでもわたしの胸に、白雪のようにきらめくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る