第17話 精霊の棲む湖

 早めの食事が終わるとグレース様は「申し訳ないけれど先に休ませてもらいます。ごゆっくりどうぞ」と下がっていった。


 隣室へ移動すると、沢山の種類のお酒や葉巻が並んでいる。あれ、かわいい女子もいるじゃないのと思ったら、グレース様が呼んだ領民女子だって。

 若者男子2人はもちろんそちらへ、既婚者と中間管理職の2人とわたしはショーン様と一緒だ。


「何を飲むかな」

 と、取り出してくださったのは見るからに高級なウイスキー。


「すみません、病み上がりなもので」

「わたしも一昨日飲みすぎまして…」


 ショーン様は笑いながらソーダ水で割ったものを作らせた。隊長は「いただきます」とロックだった。

 行きつけの居酒屋ではいつも特製プロテインドリンクしか飲まないから、てっきり下戸げこなのかと思っていたけど、意外な発見。


 軍隊生活のことや、日ごろの訓練内容から始まり、ショーン様は今回の旅でわたしが行った初めての治療のことまで丁寧に聞いてくださった。

 話を聞いてもらうのがとても心地よくて。多分お人柄もそうだし、相槌あいづちの打ち方、視線、声のトーン、絶妙な返し、すごく自然で親身になってくれてね。

 やっぱり身近なレンコンなのよ。ロイヤルレンコン。


 少し酔いが回って来たのをいいことに、わたしは思い切って聞いてみた。

「あのう、お二人はどんな馴れ初めだったのですか?グレース様にお聞きしたんですけど、内緒だと」


「聞きたいかな?」

「わたしには出会いがないんですけど、今後の参考にぜひ」

 ショーン様は目尻に皺を浮かべて「ではメグ殿のために特別に」と言ってくれた。


「私の家は爵位など持たぬ下級貴族で、代々侯爵家にお仕えしていてね、だから彼女とは身分違いの結婚なんだよ。友人たちとよく遠乗りに出かけたもので、私を含め皆が憧れていたんだよ」


 卒業後もショーン様は植物と環境学の勉強を続けながら、先代陛下にお仕えしていたそうだ。

「一方で彼女は公務が忙しく、また政治の世界に揉まれていたのだろうね。17年前の夏、湖に藻が大量繁殖して私が調査のため湖に潜っていた時、気が付くと、彼女が従者もつけず一人で湖のほとりに立っていたんだ」


 どうしたのかと聞くとそれには答えず、私も泳いでいいかと言いながら、乗馬ブーツを脱いで、白いシュミーズ1枚になってショーン様の方へ泳いできた。


「今は保全のため遊泳を禁じているが、子供の頃は夏になると毎日のように泳いだものでね。私の方はまさか彼女が来るなんて思いもしないから、下着しか身に着けていないので焦ったよ。あの日は気温も水温も高く、藻のせいで湖面はまるでエメラルドのような緑色で。光る湖面を泳ぐジュリエンヌは例えようもなく美しかった」


 そう言ったショーン様の顔は、見ているこちらが幸せになるものだった。 

「ひとしきり泳ぐと私たちは日干ししながら、子供の頃の楽しかった思い出話をした。それから城までお送りしようとしたのだが、なぜだろうね。今考えても、湖の精霊の所為せいとしか思えないのだがね」


 その場で求婚した。身分違いで、高嶺の花であることなど百も承知しているのに。

「しかしこの時を逃したらもう二度と無いのだと、それしか考えられなかったのだよ」


 ショーン様はウイスキーを一口含んで、わたしを見つめた。

「直前まであんなに楽しそうにしていたのに、氷のような表情で彼女はこう答えた。『あなたは残酷な人ですね。私には是否を答えることなどできないのよ』…何と身勝手なことをしたのだろうと、激しく後悔したよ」


 カラン、とショーン様のグラスで氷が音を立てる。

「その後、何事もなかったかのようにお互い日常の生活に戻り、彼女は私のことなど歯牙にもかけないだろうと思っていた。だがその一方でどうしても後悔の念は拭えなかった」


 何より言葉にしてしまった以上、彼女が他の男と結婚するのは、想像しただけでも耐えられなかったのだという。


「私は城を去る決意をし、先代陛下にすべてをお話しすると、陛下はその場で、結婚を許可すると仰ったのだ。訳が分からなかったよ。私はそんなつもりではないと申し上げたが、どうか娘を妻に迎えてほしいと陛下は仰った。誰もが驚き、一体どんな手を使ったのかと詮索されたよ」


 嫌いな男に嫁いだわけではない、とグレース様は仰っていた。

 でもそれ、叶わないと思っていたから、好きにならないよう努力してたんじゃないかな。


「旦那様が愛人を作って自分の命を狙っていると聞かされましたが、グレース様とお話をしていて、ご主人を罵倒するような言葉は一つも出てこないのですよ。普通、夫婦関係がそこまでこじれたら、妻の方は死んでほしいと夫を憎むものでしょう?それでおかしいと気付きました」


 さすが既婚者だ。と思ったら、

「おや、ではラッセル殿はそういうご経験が?」

と突っ込まれ、

「さすがに死ねは無いと思いますが…いやあるかも…この間皿投げつけられたし…」

だんだん声が小さくなっていった。


「妻は私の人生に数え切れない程の喜びをもたらしてくれた。だから妻が笑ってくれることが私の幸せだと、新婚の頃、その寝顔に誓ったでしょう?」

「も、もちろんです。今でも原則そのはずです」


「メグ殿、見た目や財力だけではなく、結婚相手にはこういう男性を選ぶのだよ」

「はあ…」

 あの湖のほとりでプロポーズなんて、なんてロマンチックなんだろうとドキドキしながら聞いてたのにぃ。言いたかったのそっちですか?


「…よく、ショーン様もグレース様も我々を信じてくださったと思うのですが、不安はなかったのですか」

 隊長に言われるとショーン様は頷いた。


「もちろん心配は尽きなかったよ。しかし、あなた方のことはバトラー司令官が推していたからね」

「司令官がですか?」


「うむ、聞いていないのかな?この依頼を司令官に持ち掛けた時、駆け出しだが良いチームだ、必ず期待に応えるだろうと、返信には太鼓判が押されていたよ」

「…初耳です」


 繰り返すけど、司令官は第7支部の最高責任者だ。そんな人がわたしたちぺーぺーのことを知っているんだろうか?でも駆け出しって言ってるくらいだし、無責任に大言壮語するとも思えない。


「帰ってきたジュリエンヌの顔を見て間違いではなかったと確信したよ」

 そしてわたしの顔を見ると、まるで娘に語りかけるように言ってくれた。


「メグ殿、あなたとレクサス殿の力だ。だから、先輩方の為にもこれから頑張ってほしい」

「わわ、わたしですか!?」

 思わず背筋伸ばしちゃったよ。なに?わたしたちの力って何?


 そりゃ、まあ、いつか、遠い将来は隊長たちの役に立てるようになれるといいなぁ、なんて思っているけど…。その道のりは、果てしないを何乗すればいいんだろうか。


 そんなわたしを見ながら、美味しそうにウイスキーを口にした。

 ズキン…痛みが広がる。その針が深みに落ちていく。思い出さないようにしていたのに、否応なく体中に響いていく。


 父の姿が鮮明によみがえった。思慮深くて、いつもどこか違うところを見ているような人だった。実験で何日も帰ってこない日もあった。


 帰ってきた父の膝の中におさまって、本を読んでもらうのが嬉しかったんだ。話しかけるのはいつもわたしから。母には心配をかけたくないと思っていたけど、父には何でも話せた。

 さっきのショーン様の顔と父の姿が重なって、…こらえる間もなく涙が溢れた。


「…失敬、何か傷けるようなことを言ってしまったかな」

「いえっ!そうではなくて…亡くなった父のことを思い出しました。わたしの父も植物学者だったんですが、6年前に事故で急に…」


 家の近くにイチョウの大木があって、そこでよく一緒に遊んだんだ。

「秋になると銀杏ギンナンが潰れてすっごく臭いんですけど、それをぶつけ合って、二人してお母さんに叱られて。植物の名前をいっぱい教わったんです。ショーン様とお話ししていたら、急にそのことを思い出して…」


 そう言う間も後から後から涙が頬を伝い、袖で拭った。

「あなたのような娘さんがいながら早くに逝くとは、お父上はさぞ無念であろうな。そのイチョウは今もあるのかな?」

「はい…」


「先代陛下は、ほら、あの窓の向こうにケヤキの木があるのだが、あの木を愛でるのがお好きだった。だから、あの木がいつも私たちを見守っていてくれる。私にはそういう気がしてならないのだよ。きっとお父上も、そのイチョウの木と共にあなたとご家族のことを見守られていると思う」


 わたしは涙を拭きながら頷くのが精いっぱいだった。隣のラッセルが背中を撫でてくれる。


 その晩、夢でお父さんに会えた。あのイチョウの下でボール遊びをして、植物の名前当てクイズをして、お母さんと3人でお弁当を食べた。


 外が白んできた頃に目が覚めて、わたしはまた泣いた。

 温かい。仰向けに涙が伝い枕が濡れるのも構わず、流れるままでいた。

 こんな風に泣くのは久しぶりだった。無意識のうちに、ずっと感情に蓋をしていたみたいだ。


 今までわざと口実を作って先延ばしにしていたけど、帰省してみようかな。そしたら、お母さんと一緒にあの木に行ってみようかな。


 翌朝、何かお手伝いできることはないかと、薪割をすることになった。

「隊長やったことないんすか!?」

 全員から「へぇ~っ」って顔されて、都会育ちの隊長はちょっと口を尖らせていた。


 でもね、斧なんて持ったことないって言いながら、初発でしっかり真ん中に当てていた。3回目にはぶっとい立派な丸太がきれいに真っ二つよ。

 早朝から体を動かし美味しく朝食をいただくと、ショーン様とグレース様自ら、お城や近場を観光案内してくれた。


 その後、グレース様がわたしだけを自室に呼んだ。

「これをあなたに」

 そう渡されたのは、手鏡だった。表はシンプルだけど、裏側に桔梗の花をモチーフに、青や紫色、緑色の宝石の装飾が施された、とても豪華なものだ。


「きれい…でも、こんな高価なもの…」

「結婚して10年目に夫がくれたものよ。メグに貰ってほしいわ」


 いつも通り、グレース様は穏やかな笑顔だった。

 けれどこの顔になるまで、夫婦でその何百倍も泣いたのだろう。

 喜びも悲しみも全部一つになって。


「私の人生で、選べる事は少なかったけれど、こうして愛してくれる人がいて、メグやみんなとの思いがけない出会いがあった。幸せなことだわ」

「ありがとうございます。わたしの宝物です!一生大切にします」


 人の想いがこんなに詰まった物を譲り受けるなんて、わたしまでその愛情で満たしてもらえる気がする。まるで、雪の上に続く長い足跡の先に立ったように。


「そのワンピースも良かったら持って帰ってちょうだい。気に入っていた服だから、捨てるよりも貰ってくれた方が嬉しいわ。他にも欲しい服やアクセサリーはある?」

 と、クローゼットをオープンにして、あれはこれはと、普段じゃ考えられない女子!って感じの会話で盛り上がってね。


 お上品デート用コーデを何パターンか作ってもらっちゃった。着る機会、あるんだろうか?いや、作らねば!


「顔にアザを作ったり…楽な道ではないけれど、あなたの無事と幸せを祈っているから、忘れないでいて」

 もう、昨夜から涙腺決壊しっぱなしだよ。

 こうして名残惜しさは尽きないけど別れを告げて、わたしたちの任務は終わった。

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