第16話 旦那様はレンコン
冷たい手に心臓をわしづかみにされ、急にドクドクと脈打った。
「…病ですか」
目を見開いたヒース。
「ええ。現代の医学では治す事ができない病です。
軽い病ではないと分かっていたけど、まさかそうまでとは思ってなかった。
「盗賊団ジルバの襲撃を仕組んだのは私です。皆さんに危害を加える事のないよう取引をしたのですが、リビと荷物まで盗られるとは、私の考えが甘かったようです。…本当にごめんなさい」
彼女は深々と頭を下げた。
「本当に、もう治らないんですか…?」
妊娠でもなく、湯治でもなく、グレース様の本当の目的は?ではなくて、わたしの脳裏にはそればかりだった。
余命3ヶ月って…あとちょっとだよね?見た目はこんなに普通なのに?
「死ぬまでの準備期間が与えられるのが、この病の良いところなのよ」
何言ってるの?死んじゃうんだよ?フリーズしているだろう、わたしの表情を見て、グレース様はまるで小さい子に向けるような顔をした。
「産まれた時から将来が決められていて、結婚相手を選ぶこともできず、子供を産むこともできず、侯爵領からほとんど出たこともない。私の人生は一体何だったのだろうと考えました」
死と対面した時、そんな風に思うものなのだろうか。だとしたら寂しすぎる。だってグレース様は、何一つ不自由ない暮らしをして、高度な教育を受けて育ち、外見にだって恵まれているのにだよ。
「だから死ぬと分かって、自由な旅をしてみたいと思ったの」
それから、わたしたちひとり一人を順番に見た。
「私には、友と呼べる人がいません。近寄ってくる人は皆、お金か、ポストか、何か要求があって来る人ばかり。だから、あなたがたのような人たちと、旅がしてみたかった」
確かにね、わたしたちは隣国の国家組織に属しているわけで、グレース様に近づいたからといって出世できるわけじゃない。それにモナリス国として何かを要求できるような立場でもない。
「それじゃあ、ご主人とは?」
「一応円満と言えるでしょうね。離縁しようと思ったことは何度かあるけれど」
ええと、そこは毒吐かなくていいんじゃ…?
するとヒースがかねてからの疑問を口にする。
「それで、どうしてオレたちだったんすか」
「遠縁の大司教から話を聞いたのは本当で、私が旅をしてみたいと話をしたところ、この計画を立案してくれました。情報源はアークという人だそうよ。隊長さんのご兄弟なのでしょう?」
「…察しはついていましたが、やはりそうでしたか」
超上から目線でしたり顔のアークが浮かぶ。
「戦争や国外任務をしたわけでもないのに、一介の軍人の存在が侯爵のお耳に入ること自体が不自然です。誰かが故意に流しでもしない限りあり得ませんし、わざわざそんなことをする人物は一人しかいません」
確か食堂で話した時、「悪い話ではないんじゃないの?」なんて言ってたもんね。
「もちろん大司教なりに色々と調べた結果でしょう。隣国軍とのパイプができるわけですから、政治的な判断もありました。けれど、皆さんの経歴や過去を聞いて、もう死ぬと開き直ったからかしらね、この人たちを信じてみたいと決めたのよ」
そっか…グレース様は、飛び込んでみたんだ。どこの馬の骨とも知れぬわたしたちに賭けてくれたんだ。
「んで、ご期待に沿うことはできましたかね」
「毎日が最高の冒険でした。皆さんと巡り会えたことを心から感謝しています。身を焦がすような恋は無かったけれど」
そう言いながら、いたずらっぽくヒースを見た。
「それはこれからってことで」
しかしそんなグレース様とは対照的に、ヒースだって軽口を叩きながら目は笑ってなかった。
立ち直れないよ。グレース様はどうしてそんなに淡々としていられるの?言葉がなかった。ましてや責める気なんて持てないし、ほんとに本当なんだろうか。まるでこっちの話の方が嘘のようだ。
「長々と迷惑をお掛けするわけにもいきませんから、道が開けたら帰りましょう」
頷くしかない。これ以上、わたしたちに何ができようか。けれど、一人レクサスは立ち上がったんだ。
「あのっ、オレ、こんな時なんて言ったらいいかわかんねーっすけど、オレにできることがあったら何でも言ってください。グレース様の役に立てるんなら何でもします」
…そうだよね。締め付けられた胸に、今度は熱くこみあげる。みんなそう思ってるはず。そう言いたかった。あんた、やっぱりすごいよ。
「ありがとう」
心からグレース様は笑ってくれたと思う。
それから、わたしはグレース様と一緒にお風呂に入った。お互いの学生時代の話をして、わたしがリサの話をすると、とても羨ましがっていた。
夜は住民たちが差し入れてくれたお酒を飲みながらトランプで盛り上がって(これまたグレース様が強かった!)、ようやく休暇らしく過ごすことができた。
翌日、キッセイから自警団が支援物資とともに登って来た。これで一安心だ。
怪我人と盗賊団ジルバを引き渡して、いよいよわたしたちも帰路につくことになった。
住民総出で見送りに集まってくれたよ。たまたま居合わせただけなのに、こんなに感謝されてしまっていいのかな?
そうそう、宿代だけどね、全員並んで頭を下げたらご主人が「え、ああ~、あー、ある分だけでいいですから…」って、言ってくれたんだ!は~良かった良かった。
「またきてよね!」
「こんどはぼくがたいちょうだからね」
「おうよ!父ちゃん母ちゃんの言う事聞くんだぞ」
レクサスは子供たちに大人気だったもんね。
「ありがとうごぜぃました」
深々とわたしに頭を下げるハノイ。
「いえいえ!そんなことないです!ハノイの方がお母さんしててよっぽど大変ですから!」
あれから、ハノイと宿の女将さんはすっかり仲良くなったみたい。隣にはもちろんアルビー。仕事を抜けて来てくれたんだって。
「お父さんも頑張ってくださいねっ」
「ネーちゃんも負けんなよっ」
来るだろうと思ってたら、案の定またハグされた。
そんなルンルン気分でリビに
雪が残る山を下り、車に乗り換えて来た道をひた走り、国境までノンストップだった。
「この方たちの通行と滞在は私が許可します」
って関所でグレース様が言えば、手続きなくフェブラス侯国への入国完了。そのまま道なりに進んでいく。
「途中から車は入れないのですよね?」
「ええ。面倒をかけますが、馬車か馬に乗り換えてもらいます。お勧めは騎乗だけど、寒いから馬車にしようかしら?」
「えっ、馬っすか?」
そうだ、レクサスは乗馬経験が無いんだ。小さなリビだっておっかなびっくりだったもんね。って、わたしもそんなにあるわけじゃないけど…。
そういうわけで馬で進むことになった。こうして見ると、大きさも迫力もリビとは全然違う。
わたしとレクサスはできるだけ年老いて大人しい馬を選んでもらった。「初心者かい?しょうがないねぇ」って馬の方が気遣ってくれている気がする。
ここからはグレース様を先頭に縦隊でゆっくりと駆けていく。空気は冷たいけれど、馬の揺れに合わせていると意外に体は温まるものだ。雪は積もっていないから、この辺りでは降らなかったのかな。
絵になる道だ。まっすぐな道の両脇に整然とそびえる木はすっかり葉を落としている。きっと紅葉の季節は見事なんだろうな。
林道を抜けると、目の前に湖が広がった。セルパン湖だ。
「わぁ…」
青色とも緑色ともつかない、深くてきれいな色。想像していたより小さくて、向こう岸まですぐなんだ。地面は一面ふんわりと落ち葉に覆われて、湖面とのコントラストが鮮やかだ。
向こう岸には小さなガゼボがポツンとあってね、ほとりの景色はまるで挿し絵のよう。今は落ち葉だけど、緑の季節はきっと輝くようなのかな、それとも神秘的なグラデーションに彩られるのかな。
わたしたちは馬を止めて、しばし見入っていた。他には誰もいない。
「すぐ隣の国にこんなに綺麗なところがあると、今まで知りませんでした」
隊長に言われて、グレース様は微笑んだ。
その表情に、あぁ、この湖はまるでグレース様だと思った。最初に会った時に感じた彼女の静かな美しさは、そのまま湖面のようなんだ。
しんと張り詰めた冷たい空気。静けさが響いて、物語の世界の生き物が動き出しそうな気がする。
「いつまでもここに居たくなります」
「そう言ってもらえると嬉しいわ。私の主人が、10年以上かけて領民と共に整備してきたのよ」
人為的な景色なの?ちっともやり過ぎ感がなくて、ガゼボ以外はどこからが人の手を入れたのか、境界を上手く隠している。
底が見えるほどに澄んだ水は、思わずすくって口をつけてみたくなるほどだが、同時に犯しがたい聖域のようでもある。
ここだけ時計の針がゆっくり進んでいるみたいだ。
「良いところだなぁ…」
しみじみ言うレクサスは、おばあちゃん馬ともすぐ意気投合したらしく、へっぴり腰はどこへやら、意気揚々と再び駆けていく。
すると、数名の領民が落ち葉を掃いて、柵の修理をしていた。
「お帰り、ジュリエンヌ」
「ただいま帰りました、あなた」
薄茶色の髪に、同色の口髭をたくわえた、温かみのある男性だった。
グレース様にあなたって呼ばれたんだから、旦那様?ってことは貴族で侯爵のはずなんだけど、申し訳ない、言われなきゃ分からないわ。
領民と似たり寄ったりの、泥のシミがついたシャツに、お世辞にも綺麗といえないくたびれたズボン。ブーツだって傷と汚れだらけだ。醜男ではないけど、貴族って感じのきらびやかさはこれっぽっちもない。ビジュアル的にはアークの方がよっぽど貴族してる。
「良い旅だったようだね」
「ええ、とても。皆さんのおかげで」
「私どもの
そう言って頭を下げられちゃね、断る理由なんてないでしょ。
旦那様も一緒に駆けていくと、期待を裏切らない佇まいの城が見えてきた。白い壁に赤い屋根、塔や鐘楼もちゃんとある。王侯貴族と言ったらこれよね。
あのお城に滞在できるの!?ってテンション急上昇したけど、今は観光用に開放してるんだって。敷地内に別邸兼執務室があり、先代の頃からそっちで生活しているんだそうだ。でも、お城は後で自由に見学して良いって!楽しみだなぁ。
早速部屋に通されると、着替えを用意してくれた。ドロドロの靴下とタイツ(寒いから重ね履きしていた)や、ブラウスも洗濯してくれるって。なんてありがたいんだろう。
ピシッとアイロンがかかった真っ白なリネンのベッドはふっかふかで。やっぱこうでなくちゃね?しばらく野宿と雑魚寝だったから、下着のまま滑り込み、思いっきり手足を広げてして堪能した。品の良い雰囲気のお部屋に、わたしまで華麗になった気分。あーもう一生ここで過ごしたい!
なんてわけにはいかず。渡された着替えに袖を通すと、サーモンピンクのワンピースだった。上半身はぴったりと、下半身はふんわりしたデザインでとっても着心地が良い。自分じゃこんな服、まず選ばないな。
食堂に向かうと、既にみんな集まっていた。みんなスタンドカラーの白シャツに着替えている。
「よくお似合いだ。それはジュリエンヌが若い頃着ていたものだよ」
旦那様が目を細めた。きれいなシャツにベスト、仕立ての良いズボンに履き替えれば、さすがにレンコンからメロンだった。
「そうなんですか⁈すごく着心地が良くて。あの、ジュリエンヌって…」
使用人が椅子を引いてくれる。
「グレースというのは祖母の名前を受け継いだのだよ。本当は非常に長い名前でね、私も正しく言える自信がない」
そう言って自らお茶を淹れてくれた。
「あ、これ!」
そう、グレース様が何度も淹れてくれたハーブティだ。ご主人が育ててブレンドしたって仰ってたもんね。
「さあどうぞ」
「旦那様に淹れていただき、恐縮です」
隊長が代表して言ってくれた。
「使用人よりも、私よりも、この家でお茶を淹れるのが一番上手いのは彼なのよ」
食堂に入って来たグレース様だった。深い紫色のロングワンピースに着替えている。わたしの姿を見て、ぴったりねと言ってくれた。
「この人、いつもああして農作業や土木作業をしているの」
わたしたちがグレース様と呼んでいるのを知り、私も名前で呼んでくださいと仰るので、ショーン様とお呼びすることになった。もちろん良い意味で、レンコンっぽさが様になる方だ。本人もよほどその方が楽しいとみえる。
「秋から草刈りと剪定を始めて、今は春に向け林道整備と球根の植え付けだよ」
と日なたのような瞳で話す。
「すごく素敵な道でした。まるで別世界に入っていくような感じがして」
「この事業は先代陛下が若い頃に始めて、30年以上かけて木々が育ち、ようやく目指していた形になったのだよ」
「すごい!30年先を見越してですか。ブレずに根気強く待つのは並大抵ではありませんね」
ラッセルの言葉にわたしも大きく頷く。ブレずに根気強くかぁ…。うぅ、耳が痛い。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます