第13話 わたししかいない
再び隊長が支度をしている時だった。ドカドカと荒く階段を上がってくる音で、良くない知らせだと分かる。わたしはすぐにブーツを履き、
隊長は既に扉を開けている。現れたのはアルビーだ。
「何があった」
「家が倒壊した!ヒースができるだけ人集めろって…!」
「わかった。人手と、灯りを用意するよう皆に呼びかけよう。案内してくれ」
わたしも部屋を出ようとしたが、すぐ振り返ってグレース様の部屋をノックした。
「グレース様、失礼します」
ただならぬ様子を感じたのだろう、彼女は寝台から降りるところだった。
「どうしたの」
「民家が倒壊したそうで、救助に向かいます」
「わかりました。…気をつけてね」
そして、わたしを抱きしめてくれた。
あなたなら、きっとできるわ。
「はいっ!行ってきます」
外套を巻きながら階段を降りると、隊長が住民に呼びかけていた。
「出来るだけたくさん灯りが必要です。それと、動ける方は近隣へ呼びかけてください」
「わがった、行ごう」
あの人、昨夜ハノイに怒ってたおじさんだ。いいとこあるじゃない!
すると、一緒に向かう者、カンテラやろうそくを集めて火をつける者、次々とみんな動き出したんだ。
そして外に出てハッとした。
雪が止んでいる。
降り積もった雪に反射するのは、静寂だけ。徐々に闇が降りてくる外界には、ぞっとするような静けさと、近づくことを
アルビーと隊長の後について行く道すがら、嫌な感じがする。進むうちにその予感が確信に変わる。
倒壊したのは、避難を断固拒否したおじさんが一人で住む、外より寒い家だった。
「だから言ったのに…!」
思わず心の声が出でしまう。
「ヒース!どうだ」
「返事はありません。けど、この家主が外出することはまずねえってんで」
「おーい!おっちゃん!ルデオのおっちゃん!生きてんなら返事しろよ!」
おじさんの家の裏は切り立った小山になっている。どうやらその雪が崩れて粗末な家の上に押し寄せたようだ。
全員で雪をかいていく。数分で体が熱くなり、額から汗が流れた。雪の下から家の残骸が現れると、せーのでどける。
「ルデオさん!聞こえたら返事してください!」
いつの間にか近隣住民総出で雪を除け、周りには灯りがたくさん灯り、女子供までが心配そうに見守っていた。
「どなたか、お湯と、
隊長が指示すると、何人かの女たちがいそいそと引き返していった。
「おーい!いたぞ!」
すると住民が大声を上げた。駆け寄ると、壁なのか何なのか分からないけど下敷きになって、苦しそうな顔をしている。
「ルデオさん!わかりますか?」
言いながら素早く隊長とヒースが息を合わせ、覆いかぶさっている家の残骸を除けていく。家具と家具の隙間にはまるような感じになり、もろに潰されたわけではないようだ。その時おじさんが微かに這い出ようとした。
よかった!意識はあるみたい。
そして隊長ヒースと数名でがれきを持ち上げた隙に、わたしたちでおじさんを引っ張り出した。
「けがは?痛いところは?」
「う…で…」
かすかに聞き取れた声に、上着を脱がせようと少し腕に触れると、うっと呻いた。
この痛がり様だと骨が折れているだろう。
安全な場所に古い毛布を敷いて寝かせる。
「上着を切りますよ」
救急バッグからハサミを取り出して切り、もっと灯りをください、そう言おうとして息をのんだ。おじさんの右上腕は血で染まり、不自然に盛り上がっている。
一瞬引いてしまった。目を反らしてしまった。
…あぁ、ダメダメ。ラッセルはいない。わたししかいない。わたししかいないんだよ!
「灯りをください」
奥歯に力を入れて、更にシャツまで切り、折れた骨が皮膚を突き破った腕を確認する。傷自体は大きいものではないが、一刻も早く処置しなければならない。
「腕のほかに痛いところはありますか?」
痛みに顔を歪めて返事はないが、外傷は見当たらなかった。
「すぐに宿へ運びましょう」
腕を固定し傷口を軽く覆うと、男手が即席の担架におじさんを移した。
「メグ」
隊長のブルーの目が真っ直ぐにわたしを射抜く。
「やれるな?」
言葉はそれだけだった。
もうちょっとテンション上がるような事を言ってくれてもいいと思うんだけど。
「やります」
わたしもそれだけ答えた。それで充分だった。
「先に戻って準備しろ。ヒース、補助してやれ」
「了解」
心臓がフルパワーでガンガン胸を打ちっぱなしだった。
「ホレ、手ぇ
ヒースが自分の手袋を外してくれる。もちろんわたしもはめてるんだけどね、濡れて冷たくなっていたんだ。
「ありがとうございます」
温もりを感じて拳をキュッと握り、早足で宿へと戻った。
2階の一室を空けてもらうと、女将さんに頼んで古いシーツや消毒用の桶、できる限り多くの灯りなんかを準備しているうちに、ルデオさんが搬送されてきた。
傷口を再度確認する。出血量は少ないが、服も患部ももれなく血色で、しっかり骨が見えている。
ううぅ…痛いよぉ。血だよぉ。しかも肉!骨!
目を反らす。ぞくぞくっと毛穴がざわめく。
だめだめだめ!人体だと思わないこと!自分と同じ体だと思わないこと!
もう一度深呼吸して(全然吸えないんだけどね)必死で震えそうになるのを抑える。これは時間との戦いなんだ。
骨というのは空気に触れると非常に感染しやすい。わたしが持っている器具では応急処置が精一杯だから、少しでも感染リスクを防ぐためには傷を閉じて、できるだけ早く病院に連れていくことしかできない。
おじさんには身寄りがないと、昨日アルビーから聞いた。
開放部から細菌に感染して全身に広まったら死ぬ。良くても利き腕を切り落とさなければならなくなる。そうなったら、この人の生活は立ち行かなくなってしまう。
手を消毒液に浸し、手術用の器具を取り出す。麻酔薬の注射を打とうとしたとき、おじさんが身をよじった。
「…いやだ…やめで」
「あっ、動かないで!大丈夫です、これは麻酔薬ですから、痛みが和らぎますよ」
「いやだ…こわい」
そうだよね、注射されるなんて産まれて初めてだろうし、わけわかんない薬を打ち込まれると思うよね。自分のことで精いっぱいで、カチカチ歯を鳴らすルデオさんの心情は一切無視してしまっていた。
医療者失格だよね…。けれど、今は一刻を争うんだ。
「大丈夫大丈夫、すぐ終わるからホレ、あんたこっち向いてな」
すかさずヒースがおじさんを押さえてくれる。それでも抵抗していたが、ヒースの筋力の前では無意味だった。
いやだいやだと、か細い声を横目に麻酔を打つ。それからどうすべきかを頭の中でシミュレーションした。
授業で遺体は解剖したことがあるが(もちろん途中で吐いて、その後3日くらいは食欲減退だった)、生身の人に刃を入れるのは初めてだ。
余計なことは考えずに…。大丈夫、やれる。
麻酔が効いたのを確かめると、灯りを引き寄せて、まずは傷口を念入りに洗浄していく。
震え上がりそうになるのを必死で堪えて、これは人体ではなくモノだと自己暗示をかけることに徹した。この出血量なら血管に損傷はないと思う。
ふううぅぅ…ちょうどラッセルが帰ってきた、なんてならないかなぁ。
この期に及んでまだここから逃げ出す方法を考えしまうのだよ。
ほらほらしっかり!集中しなさい!
洗浄と消毒が済むと、損傷した部分の切除だ。
大丈夫、鶏肉で何度も練習して、ラッセルから合格もらったじゃない。刃はきちんと研いで切れ味を保っている。あとはわたし次第だ。
(メグ、ためらうな)
さあ、いくよ。
わたしは皮膚に刃を入れた。思い描いた通りに切っていく。切除はわずかだけど、失敗したら後戻りできない。
震えるおじさんをヒースがしっかり押さえてくれている。抵抗する人を抑制するのは、見た目以上に重労働のはずだ。
よし…!
器具を持ち替えて、今度は縫い合わせていく。テグスが皮膚を通り抜ける感覚が嫌なのだろう、おじさんが
「もうすぐ終わりますからね、ほんの少しの辛抱ですよ」
自分に言い聞かせるも同然だった。
縫い終わりを結ぶと、急に手が震えだした。
「…終わりましたよ。もう大丈夫です」
ヒースが抑制を解いても、ルデオさんはそのまま固まっていた。本当は汚れた服やシーツを替えてあげたかったけどね。
器具を洗浄するため部屋を出ると、こめかみから幾筋も汗が流れた。鼻に染み付いた血の匂いと、鮮やかな赤色の水が溜まる桶に吐き気を催し、全力で飲み込む。
急いで桶を流し、手を洗って、ざぶざぶ顔にかけた。寝起きだったら心臓が飛び出るくらい冷たい水だけど、構わなかった。
全ての洗浄が終わり部屋のドアを開けると、おじさんが目の前にいた。わたしの顔を見ると何も言わず、そのまま階下に降りて行ってしまった。
「いきなりむくっと起き上がってさ、こっちが様子聞いてんのに何も言わねぇの」
ヒースが汚れたシーツを畳んで、寝台を拭いてくれている。
「昔から変わった人みたいですよ」
「医療者ってのは大したもんだよな、ああいうオッサンにも偏見なく接するんだからよ」
言いたいことはわかる。ルデオさんは整容が保てていないし、異臭がするから多分長いことお風呂に入れていない。あの家の様子だと、まともな食事だって摂れていないだろう。
それでも好きで怪我したわけじゃないし、家を失ってしまったんだよね。お金がありそうにはとても見えないし、気の毒だよ。
「でも、ずっと押さえてたじゃないですか。助かりました」
「それだけか?」
手を拭きながら彼は口元を歪めた。
えー、なにそれ。
「ちゃんと言ってくんねぇ?」
人は本心は話さないもんだって、隊長が言ったばっかりだよ?
もー、罰ゲームか何かのプレーじゃなかったら、完全にハラスメントだよね?
「言わなくても察してください!」
「オレだって気持ち悪ぃの我慢してやったんだからよ、それぐらい言ってもらわねぇとな」
おかげで、こっちは吐き気なんかすっこんじゃったわよ!
片付けながら手にした刃を持って睨みつけた。いっそのこと刺してやろうか?
ニヤつきながらこっちを見る顔がまたムカツク。絶対言うもんか!
「まぁでもよ、たった一人で逃亡せずにやり遂げたんだ。立派だったぜ」
「そんなの当然じゃないですか」
「ラッセルは逃げたらしいぜ。初めての時」
「えっ」
思わず顔を上げる。
「新兵で病院に配属されて、初めての急患が車にひかれて内臓破裂してたんだと。助手として手術室に入ったはいいが、腹を開けたとたん耐えられずに逃亡。そのまま街を徘徊して翌日確保され、厳罰食らったってよ」
知らなかった。おれも血を見るのは得意じゃないよと公言しているけど、あのラッセルがそんなことしたの?
「それに、死んじまったグレアムだって、初めての時は逃げ出そうとしてラッセルに押さえつけられてたよ」
「お二人の患者は重症だったんじゃないですか。わたしは、今回のは重篤ではなかったし、やれることは限られてたし」
「関係あんのか、それ」
…もう、結局そこに戻されるわけ。仕方なくわたしは口を開いた。できるだけ棒読みでね。
「ヒースがいてくれたからですどうもありがとうございました」
見てよ!この勝ち誇った顔!あーッ腹立つ!!やっぱり刺したい!めらめらと殺意が湧いて来た。
簡単に動かされてしまったわたしも猛省だけどさぁ、こんなくっだらないことに他人の過去を利用するって、どういう神経してんの?
「女の方からお願いしますって言わせなきゃ駄目だって、アークが言ってたけど、お前ぇみてぇな単純な奴そういねぇし、まだまだだな。あ、これ独り言だから」
「はああ?言っときますけど、アークとヒースじゃ格が違いますからね!比べる方が失礼だから」
あーいえばこーいうしながら階段を降りていくと、階下から穏やかではない声がしたので、二人してぴたりと止まった。
「ぅるっっせぇ!言いがかりだっつってんだろ!」
「何が言いがかりだ!前から気に入らねぇんだよ!」
「二人とも、落ち着きましょう」
言い争う男性二人の間にグレイヴ隊長。住民たちは巻き込まれないよう遠巻きに見ている。
なになに、がなってる話を要約すると、片方が風呂に入っている間にもう片方の男が、そいつの奥さんと親密そうに2階に上がっていったんだそうな。人の妻に何すんじゃい、いや別に喋ってただけだし、じゃ何でわざわざ上行ったんだよってわけ。
「色目使ってんのはそっちの方だろ!気付かねぇ
「テメェ!黙れ!」
で、その妻っていうのが避難してきてるのに化粧バッチリで、他の女性と比べてダントツにあか抜けているし、けしからんほどのメリハリボディ。
「あの女見て何も感じねぇんなら、隊長やっぱ
今はそんなんどうでもええわ!!!
ここでヒースが出て行ってナンパでもしようなら余計にこじれると思って、問答無用で2階の部屋へ追い立てた。
で、やらかしてしまったことに、この時は気付かなったんだよねー。
わたしはそっと階段を降りると、渦中の人妻の横についた。
「大丈夫ですか?」
わたしの顔を見ても喜んだ風は無かったが、
「怖いわぁ…やめてほしい…」
とふわふわした声で言った。
っくー!かわいい!ちょっと腹立つけどなんでこんな声が出せるのよ!
「あのっ、奥様はやめてほしいと言っています。このあたりで痛み分けにしませんかっ」
すっくと立ちあがったわたしを男二人が、あんだぁ?外野のブスが何ほざいてやがる、とばかりに同時に睨みつける。でも術後ハイ(て言うかほぼヒースのせいだ)の今なら怖くないもんね!
ブスでも貧乳でも上等!気に入らないんなら、ここじゃないところで勝手にやりなさいよ!
「メグ…」
隊長っ!そこ苦笑いしない!
先に矛を収めたのは夫の方だった。妻の元に戻ると、やっぱり家に帰ろうと言い出した。既に外は真っ暗だ。雪が止んだとはいえ、慣れない雪道で大丈夫かと思ったら、隊長が「お送りしましょう」と言ってくれた。
「巡視がてら行ってくるから、頼んだぞ」
避難して空になった家を狙って強盗が入り込むのは、よくあることだ。
「了解」
わたしは何も言わなかったんだけどね、隊長はにっこりして、乾いた大きな手で頭をポンとしてくれたんだ。
だから体が熱くなって、
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