第11話 白い足跡

 風呂から上がったハノイに赤ちゃんを引き渡し、1時間程して再び診察で隣の部屋を訪れたときも、赤ちゃんはすやすやと眠っていた。その隣でハノイも横になっている。並んでみると同じ寝顔だ。この寝顔を、アルビーは普段どんな顔して眺めているのかな。


 男性陣が戻ってきたのはそれから更に1時間後、23時を過ぎてからだった。

「無事に保護したよ」

 隊長の声を聞いてどれだけホッとしたことか。


 遭難した男性と母親は低体温におちいっているため、ダグラスとラッセル、男手で公民館に運び、治療しているそうだ。


「あぁ、うめぇ…」

 夜食の熱いスープにしみじみとレクサス。ただでさえ経験したことのない寒さに、あの横殴りの雪に打たれたら、体感は一体何度なんだろうか?本当に、本当にお疲れ様と声を大にして言いたい。


 一息ついたところで、わたしはアルビーに赤ちゃんの容態と治療内容を説明した。

「マジで⁈一人残しちまってハノイ大丈夫だった?ネーちゃんいてくれてよかったー!恩に着るぜ!ありがとう!」


 言いながらギューっとされたものだから、ドギマギしてしまった。もー、軽いよね!こっちはそういうの慣れてないからさ!


 一瞬でわたしを離すと、彼は2階へ駆け上がっていき、家族が休む部屋へと消えた。今は薬が効いて下熱しているけど、また上がるかもしれない。その頃には雪もおさまっているといいんだけどな。


「グレース様は?」

 さすがに疲れた顔のヒース。

「微熱はあるようですが、平気だと治療を手伝ってくださいました。今は先にお休みになられています」


 ラッセルがまだ戻って来ないが、わたしたちも限界だった。部屋に引き上げると、全員毛布に直行する。目を閉じると、絨緞じゅうたんに吸い込まれていくようだ。


「メグ、ちと腰揉んでくんねえか。雪かきしたら痛くてさ」

 えー、わたしだってもう疲れたよー。


 でもしょうがない、ヒースは宿に戻ってから、誰も何も言わなくても宿の出入り口付近を一人で雪かきしてくれていたんだ。

 立ち上がるのも億劫おっくうで、四つん這いになってうつ伏せのヒースの隣に座る。


 両手親指でグッと押すが、「もうちょっと強く」と言われてしまった。

「お前の体重そんなもんじゃねえだろ」

 なんて失礼な!


 ちゃんと体重をかけて本気でやるために体制を整える。もう少し下、右、とやっているうちに、だんだん親指が痛くなってきた。


「赤ん坊、一人で診たのか。やりゃできるじゃねえかよ」

 ヒースは顔を伏せながらだった。

「重篤ではなかったのが救いでした」

 話したのはそれだけだったけど、彼が何を言いたいかは分かった。


「はいっ、お疲れさまで、し、た」

 最後にバシッとお尻を叩いて終わると、「んー、サンキュ」と目を閉じたまま横向きになった。

 わたしも毛布を被るとあっという間に眠ってしまった。


 女将さんが朝食を知らせに来るまで誰も起きなかったんじゃないかな。休日でもしっかり起きてくる隊長まで朝寝坊するなんてね。ラッセルは戻っていないから、公民館で休んだのだろうか。


「え…嘘だろ」

 窓を開けたレクサスの口がポカンと開いている。それもそのはずで、積雪は1メートル近くになっている。これじゃ玄関ドアが開かないよね?

 昨夜に比べると雪は小振りになってきたが、細かい粒はまだまだ降りてきている。


 朝食はソーセージ入りのクリームスープに焼きたてのパンだ。スープの大根がアッツアツでね、みんなハフハフしながら頬張った。

 グレース様も下に下りてきて、みんな一緒に食事したんだ。体調は大分良さそうだ。


 すると入口のドアが開き、冷気とともに入ってきたのはダグラスだった。

「おはようございます。いや、昨夜は本当に助かった」

 そう言ってわたしたちのテーブルにつくと、母親の女将さんが朝食を持ってきた。


「おはようございます。遭難者はどうですか」

「治療の甲斐かいあって、命に別状はないそうだ。ラッセルは一晩中ついていてくれたよ。本当に頭が下がる」

 そう言われて、隊長は嬉しそうに口角を上げた。


「今、公民館を回ってきたんだが、体調を崩す者が出てきている。村には医者がいないからな、ラッセルが診てくれている。彼から、薬箱と救急バッグを持って誰か一人よこしてほしいと依頼があったのだが」


「オレ行きます。公民館の方なら昨日避難誘導で回ったし」

 レクサスだった。隊長が頷く。


「今日は雪かき、雪下ろし、安否確認に回りましょう」

「そうだな。動ける者がいる家は雪かきをしているようだ。燃料が底をついた家もあるだろうから、避難所が足りなくなるかもしれんな。宿と学校を解放するよう要請しよう」


 朝食を終えると、わたしは赤ちゃんを診に行った。熱はまだ38度2分あったけれど、昨夜のように異常に泣き叫ぶことはなかったし、少しだがおっぱいを飲めているという。


 女将さんが赤ちゃん用に滋養のあるおかゆを作ってくれたし、ハノイも要領を得てきているみたいだから大丈夫だろう。薬団子がまだ残っているので、つらそうなら使うよう渡して、わたしもありったけの服を着こみ、外套がいとうを巻き付けた。


「気を付けて。中のことは任せてちょうだい」

 と、グレース様は避難してきた子供の髪を結ってあげたり、絵本を読んであげたりしていた。


 さすがだよね。あっという間に「つぎわたしのかみやって!」「つぎはこれよんで!」って囲まれていた。


 グレース様って、見るからに知的で美人でスマートで、大人はちょっと敬遠してしまうようなロイヤルな雰囲気を持っている。

 けれど子供にはそんなの関係ないんだよね。好意をもって正面から接してくれる人をちゃんとわかっている。


 再び食堂に集合すると、昨日住民が木と布で作ってくれたというカンジキをブーツに装着した。これで歩くと足が雪に埋もれないんだって。

 顔まで防護したレクサスとダグラスが一足先に出て行く。


「昨日訪問した中で、要注意の家を回ろう。まだ雪が止む気配はないから、除雪は避難に必要な最低限でいい。メグはヒースと行動しろ」

「了解」


 スコップを片手に隊長と男手は公民館の方面へ、わたしとヒースは宿周辺の安否確認を行うことになった。

 アルビーは赤ちゃんの様子を見て、後から合流すると言っていた。


 銀の実亭の玄関周りは雪がないのでドアの開閉や人の出入りに全く支障がない。ヒースのおかげだよね。大絶賛したダグラスが、その熊のような手でバッシバシ彼の背中を叩いていった。


 降り積もって、まだ誰も踏んでいない雪は真っ白で綿のよう。そこに足跡をつけるのはちょっと嬉しい感じもするけど、楽しめる量ではなかった。ひざまで埋まってしまうんだもの。

 うそっ!1歩踏み出していきなり次が出なかった。


「一歩一歩重心移動を意識しながら歩いてみ」

 カンジキのおかげで、実際には膝まで埋もれることはないんだけど、もしかしてこのまま抜けないんじゃないかと、変な焦りに襲われる。


 ズボッッ!と右足が抜けたと思ったら、勢い余って今度は変な位置についてしまい、前後に開脚して転ぶ羽目になった。

 うぅ…冷たい。雪に顔の跡がついてるよぉ。


「おい、そんなんで人を助けられんのか?」

 返す言葉もない。「除雪はいいから転ばずに歩くのに集中しろ」と、置いて行かれた。


 多くの民家は玄関がふさがれないよう、多少なりとも除雪されていたが、年寄一人の家ではドアが開かない状態だったから、まずは玄関周りの除雪からだ。


 よし!今度こそ役に立たなくっちゃ!

 スコップで雪をすくうと、えっ?てくらい重たい。こんなに大変な作業だとはまさか思わなかった。ものの数分で体が暖まってしまった。


「そんなペースでやってたらすぐバテっから。それと体をひねっちゃダメだ。腰やるぞ」

 わたしたちは重たいものを運ぶのには慣れているけど、それとも違うようだ。


「詳しいんですね」

 先ほどから見ていると、雪中の歩き方や除雪の仕方など、かなり手馴れている。

 ヒースは何も答えず、民家のドアを叩いた。お年寄りの一人暮らしたけど、今のところ困っていることはないそうだ。


 次の民家に向かう途中、上の方から「助けてくれー!」と声がした。

 見上げると2階の屋根から落ちそうになっている人が!


 カンジキダッシュって、無理なんだけどダッシュした。男性はいつ割れるか頼りない軒に足を引っかけて、何とかバランスを保っている。

「おい、肩貸せ」

 急いでカンジキを外し、ヒースの後に続いた。


「ここだ。行くぞっ」

 わたしは肩幅に足を開いて家の壁にしっかりと背中をつけ、両手の平を上に組んだ。ヒースの靴が手、肩へ食い込む。けれど一瞬だった。見事な速さでのきへ上り、更に上の屋根に手をかけ、安心して見ていられる動きで上がっていく。


 男性に向かってロープを投げると、腰に巻き付けるよう指示した。その間に反対側を自分にくくり付け、命綱をつけて足場をしっかり固めた。


 ゆっくりと引き上げていく。男性は左足を痛めているようだったが、自力でも上がろうと努力していた。

 息をつめて下から見ていると、何とかヒースが男性を確保し、今度は逆側の窓から室内に下ろしていった。


 こうしちゃいられない!

 わたしは玄関の除雪をしようと思ったが、男性が熱心に行ったようでこの家はきれいになっていた。


「足診てやってくれ」

 窓からヒースが顔を出す。玄関を入り階段を上がっていくと、夫婦と小さな子供の4人で暮らす家だった。男性は屋根の雪を下ろそうとして足を滑らせたらしい。


 靴下を脱がせると、足首が腫れていた。ちょっと触っただけでも痛いようだ。骨が折れているかもしれない。

「添え木になるものはありませんか。材木でも麺棒でも何でも結構です。何本かお願いします」


 わたしが言うと、奥さんが台所から麺棒と薪を持ってきた。両側から足首を固定し、布できつく巻き付ける。本当は病院で手当てしたいけど、この足でキッセイまで下りるのは無理だ。

「2週間は固定していてください。骨が曲がってしまうので、極力動かさないようにしてくださいね」


「すぃません、お世話かけまして」

 そう言って財布を取り出してきたので慌てて、

「いえ!お金は結構ですから!」

と断ってから、金欠だったことを思い出した。ヒースのひじにどつかれる。


「わ、わたしたち公務員なので…気になさらないでください…」

 でもそれじゃって、奥さんがチョコレート菓子をくれた。ここらでは割と貴重なんだと思うよ。


「欲がねえなあ」

 外に出ると菓子を口に放り込んで、ヒースからダメ出しされた。

「…すいません」


「お前ぇがそういう奴でよかったよ」

 おろ、妙に優しいじゃない?拍子抜けしてしまった。

 歩き出した背中に、今なら聞けるんじゃないかと思い近くに寄る。


「雪に慣れているんですね」

 モナリスで雪が降る地方は限定されているから、彼の出身地が分かる。

「ガキの頃散々手伝わされたからな。思い出したくなくても、体が覚えてるもんだな」


「…どうして音信不通に?何があったんですか」

 遠回しに聞けなかったのは、きっとこの雪と寒さのせいだ。


 わたしたちの間にはしばらく、雪を踏む音だけだった。。わたしが雪道を歩くのに慣れたからか、それともヒースが合わせてくれたのか、いつの間にか横並びになっている。後ろにはただ二人分の足跡が続いていた。


「笑える話じゃねえぞ。親父が事業に失敗して、酒とギャンブルにハマって借金こさえてさ。母親が昼も夜も働いてたから、家の中はひでえ有様だ。けど母親も無理がたたって体壊して、今度は姉ちゃんが2人とも学校やめて働くハメになった。オレはまだ小さかったから、見てることしかできなかったがな」


 いつもくっだらないエロいことしか考えてなくて、でもやるときはやる、厳しくて頼れる先輩で。その横顔の裏にこんな苦労があったなんて、想像もしなかった。


「クソ親だろ?裕福な方だったのに、あっという間に借金まみれのみじめな生活に転落させて、しまいにゃ一家離散状態だ。だから家に居たくなくて街を出てさ、犯罪まがいの事もしたし、ヤバい奴らに追われたこともあった」


 ギュ、ギュと雪を踏む音。

「理不尽だと思うだろ?」

「はい」

「そうやって憎めた方が幸せだったろうな。母ちゃんと姉ちゃんが苦労してるのも、父ちゃんが苦しんでんのも、全部オレがいるせいだ。あん時ゃそう思ってた」 


 いつも通り、色っぽい瞼と黒目でジロッとこっちを見る。

「だから言ったろ、お前みたいにまっとうな家庭で育ったわけじゃねえって」

 こんな話、やっぱりわたしなんかがコメントしようがないよ。

 でも、他人に語りたくない過去をヒースがわたしに話してくれた。


(新兵のヒースは荒れてたなあ。そんなあいつを、オルド隊長とバナは厳しく、時に優しく面倒を見ていました。まるで父親と兄貴のようにね)

 昨日のラッセルの話を思い出す。


 だからといってね、わたしにとってのヒースは何も変わらない。

「この話じゃ、とても女性は口説けませんね」

 笑えない話と言われたけど、笑いを含んだわたしの表情を見て、彼も同じ顔をした。


「そうか?隠した傷を自分だけに見せてくれたってのは、案外女心をくすぐる設定だと思うけどな」

「一つもくすぐられませんでしたが」


「そりゃおぇの心臓が干からびてっからだろ」

「どうせ身も心もカラッカラですよ」

「はん、欲求不満だな?最後にしたのいつだよ?」

 言い合いながらね。


 こうでもしてないと、不安だった。彼はもうすぐ契約満了になるが、更新しないのではないか。


(グレイヴ隊長を信頼していましたが、バナにとって、やはり隊長はオルド隊長だけだったんでしょう)


 ふと、そんな吹雪のような白い寂しさを感じたんだ。

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