第10話 軍人も母親もオバさんも女子ですけど何か

 わたしはお荷物。じゃなくて、わたしの役割を果たそうと1階に降りた。


 20:30、完全防備したダグラス、アルビー他3名の男手と、隊長たちがドアを開けると、唸りとともに真横に叩きつけるような雪だった。心細げなカンテラを持って出て行く姿に、心から無事を祈る。


 2階からではわからなかったが、ずっと泣いている赤ちゃんの声はちょっと異常だった。

「あの、ずっと泣いてますよね、大丈夫ですか?」

 黒髪を結わいた母親は疲れ切った顔で、すぃませんと謝った。若い人だ。わたしと同じくらいじゃないかな。


「わたしは医者です。診せてもらえますか」

 は~!よく聞くセリフ。実は自分からこう名乗ったのは初めてで、ものすごくドキドキしている。


 何かが切れてしまったかのように泣き叫ぶ赤ちゃんを抱くと、やっぱり体が熱い。

「今何ヶ月ですか?」

「9ヶ月でさ」


 母親からもらった免疫が切れて、ちょうど体調を崩し出す時だ。この若い母親にとっても初めての経験なのだろう。

「もしかして、アルビーの奥さんですか?」

「へぇ。ハノイといいます。この子はタータ」


 丸顔に黒髪、黒いぱっちりした目で、なまりの似合う高い声。丸いきれいな額がチャームポイントだ。この奥さんならアルビー可愛がるだろうなぁ。


「熱を出すのは初めてですか?」

「へぇ。どうしたらいぃかわかんなぐって…。なぁ、皆さんの迷惑だから、静がにすんだ」

 そう言って、赤ちゃんの口を塞ごうとした。


「えっ!ちょっと!」

 わたしは赤ちゃんを抱えて体の向きを変えた。

「とにかく、まず診察させてくださいね」

 と言ったって、こんな小さな子を診るのは実習以来だ。必死に頭の中で教科書をめくる。


 大丈夫…小児演習は唯一のA評価だったじゃない!

 子供の口を塞ごうとするくらいなんだ、母親だって追い詰められてる。父親のアルビーは捜索に出てるんだから、わたしが力になってあげなきゃ。


 布団に寝かし、前合わせの服を開けた。お腹と背中にいくつか発疹が出ている。


「この発疹はいつから?」

「こんなん今まではながったです」

 赤ちゃんが最初に発熱する時に、発疹が出ることは多い。


 泣き続ける赤ちゃんに「ごめんね」と体温計を挟んで押さえる。

「吐いたり、けいれんはありませんか」

「ねぇです」


 まずは、細菌が髄膜で炎症を起こす最悪の事態を想定する。目と耳を見ようとしたが、暗くてよく見えない。


「すみません!どなたか灯りをお願いします!」

 すると2人ほどの年寄りがもそもそ動いてくれたが、最終的にカンテラを持ってきた人に、ぎょったした。


「グレース様!」

「私なら平気だから、続けて」

 いいんだろうか。迷ったが、ここでお戻り下さいと言う方がかえって目立つような気がして、そのまま続けることにした。


 体温計を見ると39度8分。唇の色は正常で、呼吸を苦しがっている様子もないし、光を怖がる様子がないことから、この病の可能性は無さそうだ。


 鼻が詰まっているから、耳の中に炎症が広がったのかもしれない。泣き叫んでいるのは、耳の痛みのせいかもしれない。

 あー、どこがどんな風に痛いか苦しいか、喋ってくれる大人はなんて楽なんだろう!


 口を開いた隙に喉の奥を見ると、真っ赤だった。

「おっぱいは飲めていますか?」

「飲みたがるんだけんど、ちっと飲んだらまたすぐ泣き出してえ」

 耳と喉が痛くて飲むのもつらいのだろうか。


「下痢は?」

「ねぇです。昨日から出てねぇ」

 お腹を触ると、少し張っているし、腸が動いている感じがしない。


「一昨日は出たんですね?色や形はいつも通りでしたか?」

「うんだ」

 足を体の方に引き付けてはいないので、お腹が痛くて泣いているわけではなさそうだ。腸閉塞ちょうへいそくではないと思う。


 教科書通りならこうだ。けど、本当にこれで合ってるだろうかと迷う。いつもならラッセルが「うん、そうだね。じゃ次の可能性を潰していこう」と言ってくれるはずだった。

 …しっかりするんだ!わたししかいないんだから!


「おい、あんだ医者け?よそのガキ黙らぜろや。うるざくてかなわんわ!」

 突然怒鳴りつけてきたのは年配男性だった。


 すぃません、申し訳ねぇです、と、ハノイがかわいそうなくらい何度も何度も頭を下げているのに、

「お前も黙らぜろ!母親だろが!」

だって!なんて心ない人だろう!


 そう思ったのが顔に出てしまったんだろうね。男はますます怒ってわたしに突っかかってきた。

「えっらぞうな顔すっでねぇ!こっちばな、ずーっと我慢しでんだ!」


 しまったと思いつつも、っはあぁ?大の大人が何を言ってんの?と呆れた。赤ちゃんだって頑張ってるのにだよ?

 その間にも赤ちゃんは泣いてるし、こっちだってもう両耳おかしくなりそうよ。


 言い返したいのをグッとこらえて、とりあえず謝っといた方が良いだろうかと、口を開きかけた時だ。


「避難されてきて、ご不便な思いをされているお気持ちはよく分かります。ご自宅が心配なお気持ちも、お察しします」

「あぁ?あんだは何だ!」

 グレース様だった。


「しかし今は、皆で協力しなければなりません。決してこの子が悪いわけでも、母親が悪いわけでも、あなたが悪いわけでもありません。どうかお気持ちを鎮めてはいただけませんか」


 さすがだよね、ほんの一瞬前までつける薬はない程に怒ってた人が、黙ってしまった。


「お風呂入って、気分転換してぎたらどうだい?その間にお夜食用意しどくからさ」

 後ろから女将さんが超ナイスな援護射撃!更にその後ろから、お年寄りたちの白い目!


 バツが悪くなったんだろうね、男は黙ってしまい、浴場の方へ向かった。

 グレース様が女将さんに向かって、ありがとうと指でマルを作ると、女将さんが親指を立てて答えた。その笑顔も体型もダグラスそっくりだ。


「…ありがとうございます。火に油を注いでしまいすみませんでした」

「こういうのはオバさんの仕事だから気にしなくていいのよ。続けて。それに、あの人だって怒りたくて怒っているわけではないわ」

 ハノイが今度は、グレース様にしきりに頭を下げて礼を言っている。


「いいのよ。初めての子育てで大変でしょうに」

「わたしぃ、親を早くに亡ぐして、アルビーもお母さんいないがら、頼れる人がいなぐって…ちゃんと子育てできなぐって…」

 言いながら涙をこぼした。


「大丈夫、赤ちゃんお母さんもお互い初めて同士なのだから、悩むのが当たり前よ。一人で不安よね」

「そうだよ。助けになるって、いつでもここに来なね」

 女将さんも一緒になって、彼女の背中をさすった。


 ハノイのことは一旦二人に任せてわたしは2階に駆け上がり、自分の薬箱とラッセルの薬箱を並べて開けた。

 さあ、ここからだ。

 当然ながら、赤ちゃんにそのまま使えるような薬は持っていない。


 現場でやられて応急処置の後走らなきゃならない時や手術で使う局所麻酔

 心臓が止まりそうな時に打つ薬

 超強力な抗炎症・鎮痛剤(ただし依存性があるので使用時要注意)

 こんな劇薬ラインナップだもんねー。


 わたしは私物のポーチから生理痛の時に使う鎮痛剤を取り出した。これは副作用が少ないし子供にも使えるんだ。


 が、問題は量だった。はかりなんかないから目分量だし、あんな小さな子供に処方したことがない。

 小児用量から更に体重で判断していいだろうか…?


 すると、グレース様が灯りを持ってきてくれた。

「どう?」

「はい…何とか」

 暗算は苦手なので、紙に書いて計算した。もう一度見直し、大丈夫、計算間違いはない。


「あの子、鼻が詰まって苦しそうだったわ。ラッセルが処方してくれたあの薬草、何ていうのかしら。とてもよく効いたけれど、あれを処方できない?」

「アーッ!それ、さっき教えてもらいました!」


 けど、何だったっけ?半分意識飛んでて…。メモを取りながら聞いていたんだけど…案の定ミミズがのたうったような線が書いてあるだけだった。もーっっ!


 彼の薬箱をあさると、薬草が入った小袋にはきちんと名前が書いてある。

 名前さえ思い出せれば!ノートを見返して最初から思い出そう、うん、結構初めに名前は言っていたはずだよ。


「喉の腫れを鎮める効果があると言っていたわ。炎症止めの作用と拮抗きっこうしないはずね」

 わたしは頷いて、過去にまとめた薬草リストのページを開いて照らし合わせ、該当しない小袋をけていった。


「よく勉強しているのね」

 断じてそれはない。本当だったら暗記すべきことだもん。

「…わたし、落ちこぼれなんです。この間も効果測定試験で追試になりましたし。向いてないと思うんです」


 グレース様は一瞬言葉を失ったようだった。しかし、

「その話は、終わったらまた聞かせてちょうだい」

と柔らかく言ってくれた。


 そうだよね、今は弱音吐いてる場合じゃない!

「ねえ、これじゃないかしら?ティーノと書いてあるわ。鼻が詰まっていても分かるくらい独特な匂いがしたもの」


 ティーノ!うん、それだ!瞬時に頭の回路がパッとつながった気がする。すりつぶした時に、すうっとしてちょっとツンとくるような、独特の香りがしたっけ。


 その名の通り、本来の用途はお茶として品種改良されたんだ。しかしお茶としては失敗だったみたい。炎症を鎮めると同時に、呼吸を楽にする効能もあるって教わった。なんたって元がお茶だから副作用がほとんどない。


 再び、問題は量だ。標準用量が分からないからグレース様に使った量から割り出すしかない。

 ラッセルの計算は単純ではなかった。体重だけでなくグレース様のあらゆる可能性を含んで計算していた。


 この部分は、注意されて意識を取り戻した後で、かろうじてメモが残っていた(よかったー!)から、思い出し応用しながら紙に計算式を書きつけていく。


「よし…!」

 もう一度計算ミスがないかチェックして、散々迷ったけれど、もうこれでいこう!と腹に決めた。


 薬草を通常よりも念入りに細かくすりつぶし、鎮痛剤と合わせて少量の水でこねて、指でつまむのがやっとの小さな小さな団子状にする。


 急いで下に降りると、ハノイが赤ちゃんを抱いていた。

「湯冷まし用意しどいたよ」

「ありがとうございます」


 さすが女将さんだ。湯冷ましをそっと赤ちゃんの口に流すと、泣き声が止んで飲み込んでくれた。飲み込むと再び泣き出す。

 うん、いけそうだ。


「解熱剤と喉のお薬を飲ませます。少し熱を和らげて赤ちゃんを休ませて、病気と闘う体力をつけてあげます」

 ハノイが「お願ぃします」と頭を下げる。


 舌の奥に団子を置いて、飲み込んだところに湯冷ましを流す。

「いいよ、上手上手」

 3回繰り返し、無事に全部飲み込んでくれた。30分もすれば効いてくるだろう。


「上手にできたね。頑張ってくれてありがとう」

 さすがに泣き疲れてきたのだろうか、先ほどまでの火が付いたような泣き方よりはクールダウンしてきている。


 しばらくそのまま母親が揺らしていると、眠ってしまった。こんなに静かだったけと思うほど、食堂は無音になった。

 ようやくハノイが赤ちゃんとわたしたちに笑いかけた。ほっとしたんだね。笑うと両方の頬にえくぼができるんだな。


「ありがとうござぃます、ありがとうござぃます」

「あぁ、そんなに揺らしたら赤ちゃん起きちゃいますよ」

 わたしに言われると恥ずかしそうにまた頭を下げた。


「赤ちゃんは私たちが見ているから、あなたもお風呂に入って少し休んではどう?」

「そうですね、お母さんも今のうちに体力回復しておいた方がいいと思います」

 ハノイはしきりに恐縮していたが、最後には「お言葉に甘えで」と浴場へ向かった。


 赤ちゃんと一緒に2階の部屋へ戻ると、グレース様がハーブティを淹れてくれた。

「いつまで見ていても飽きないのよね、本当にかわいい」

 自分のベッドに寝かせると、その横でじっと見つめている。温かいハーブティは、緊張状態だった頭と体を心地よくほぐしてくれるようだった。


「このハーブはね、結婚したばかりの頃、邸内の農園で夫が育て始めたの。今でも彼は農園の手入れを日課にしているのよ」

「香りもいいし、すごく美味しいです」

 月並みな感想だけどね、もちろん嘘じゃない。


「いつから、どうしてこんな風になってしまったのかしらね」

 赤ちゃんを慈しむ優しい目をしながら、そんな言葉は寂しすぎる。


「あの、やっぱり政略結婚なのですか?」

「いいえ。彼は幼い頃からずっと仕えてくれていて、私を好いてくれていたから、恋愛結婚になるのかしら」

「…グレース様は?」

 そこが重要だ。


「そうね、自分で選んだわけではないけれど、嫌いな男に嫁いだわけではないから幸運だったわね」


 結婚するなら、すごく好き、ではなく嫌いなところが無いというのが一番だと言う人もいる。でもねえ、ずっと寝食を共にするんだもん、自分で好きな相手を選びたいって思うものじゃない?


 そんな当たり前の自由がグレース様には無かったんだ。知ってはいたけど、現実のものとして今はっきり目の前にある。


「メグは好きな人はいるの?」

「えっ!わたしですか?いないですっ!」

「あら。でも、軍隊なら出会いはたくさんありそうよね?」

「それがそうでもなくって…あ、わたしにはですよ」


「私から一つアドバイスできるとしたら」

 グレース様の深緑色の瞳が、灯りの火を映して揺れる。


「思い切って、恋するために飛び込んでみるべきだと思うわ。私はに許されないし叶わない事だったから、ずっと見ないようにしてきたけど、何て勿体もったい無い事をしてしまったのかと、今では後悔しているのよ。傷ついても、破れても、叶わなくても、ずっと忘れられないような恋をしてみたかったとね」


 その時、グレース様が本当の気持ちを話してくれたと、確かに感じたんだ。


「今どき女子たるもの、自分から動かなきゃですね」

「ええ。私もまだまだ」

 そう言って二人で笑いあった。

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