第9話 出動

 日が昇っても薄暗く、雨は間もなく雪に変わった。

「うわぁ・・・」


 空から形あるものがこんなに降ってくるのを見るのは初めてだった。見渡す限りずっとそれが続いているのだ。まるで鈍色の空が端から剥がれてバラバラ落ちてくるように感じて、少し怖い。


 さっきまでは地面にたどり着いてもすぐに色と形を無くしていたのに、いつの間にかうっすら白んでいる。

「グレース様、雪ですよ!たくさん降ってます」

 昼食を食べて熱が引いた。また夕方にかけて上がるかもしれないけど、本当に良かった!


 ずっと寝ていると腰が痛くなるからと、今は半身を起こしている。

「すごいわね。あまり積もらないと良いのだけど」

 そっか、思わずはしゃいでしまったけど、雪かきとかしなきゃならないもんね。


 モナリスでは雪が積もる地域は限定されていて、第7支部があるエリアではほとんど無い。隣国のフェブラス候領も気候はそう変わらないみたいで、グレース様も珍しそうにずっと窓の外を眺めている。


 雪景色なんて写真でしか見たことがない。こんなに雪が降っているのは人生で初めてだ。一旦白んだと思ったら、そこから積もっていくのは思っていたよりずっとずっと早かった。雪の粒は大きく、溶けるような兆しはこれっぽちもない。


 このまま降り続いたらどうなるんだろうか。

 にわかに不安を感じ、落ち着きなく窓の外を見て、また少しして外を見て、と繰り返していた。しかしその不安はすぐに現実となる。


「メグ、ちょっと下に来いって」

 レクサスに呼ばれ階段を下りると、食堂には何名かの村人と隊長たちがいた。


「こんな雪は初めてだけぇ、年寄だけんでも避難させた方が良いんでねが」

「キッセイへの道はもう降りらんねぇぞ」

 すると、他の村人より一回り大きいガタイの男が頷いて言った。


「道が閉ざされた今、ここは孤立してるわけだ。今ある物資で救援が来るまで持ち堪えなきゃな。各戸へ避難を呼びかけよう」

「我々にも手伝わせてください。大きな声で言いたくないのですが、正規軍第7支部です」

「!!そりゃ助かる。恩に着る」


 大男に握手を求められると、隊長が応じた。

「お客さんなのに申し訳ないが、この村は年寄ばかりでな、この雪の中動ける男手は限られている。あんたがたが手伝ってくれれば百人力だ」

 わたしたちを見回すと、二カッと笑って男は言った。


「私はダグラス。普段は村長の秘書で、この宿の息子だ」

 小柄で小太りな宿屋の主人の息子とは思えぬ姿はまるで大熊だった。このガタイで秘書?違和感あるなー。むしろボディガードと言った方が…。


「宿代はサービスするよう親父に言っておこう」

 ほんと!?わたしたちは色めき立った。そこ、超重要なんでお願いしますね!


 グレース様は、わたくしは一人で大丈夫だから気を付けて、と送り出してくれた。

 村のことを全く知らないわたしたちは、村人との組になって動くことにした。わたしの相方は、アルビーという30代の男性だ。


「ネーちゃんほんとに軍人なの?え?新人?だよなー、軍人の女って、こうもっといかつくておっかねえ顔してるもんだと思ってたよ。彼氏いんの?」

 見た目もそうだけど、歳の割にチャラいというか…隊長と同年代とはとても思えない。普段は水道工事の仕事をしているそうだ。


「水道管が凍結したら水が出なくなるからなー。今のうちに飲み水も確保しておかねーと」

 そうなんだ…。どうやらまともなことも言えるようで、少し安心した。


 外に出ると、足首の上まで雪に埋まる。一歩一歩足を上げなくてはならないから、お年寄りには大変だと思う。かといって、人を乗せて運ぶそりなんてあるわけないしね。


 避難場所はわたしたちが泊まる南側エリアの銀の実亭と、村中央の公民館になった。

 わたしが回るのは、宿周辺の一番住民が多いエリア。みんなこんな大雪の経験ないからね、どうすればいいのか途方に暮れていた。


 しかし我が家に居たいと思うのが当たり前の反応で、まだ被害が出ていない段階で避難誘導に応じる人はほとんどいない。


 わたしが説得している間にアルビーは水道が凍結しないよう、蛇口をわずかにひねってバケツをセットしたり、食糧や燃料の備蓄状況を確認したり、遠慮なく家に上がり込んで歩き回っていた。

 うん、なかなかやるもんだ。


「あの、おじいちゃん、一人で何かあったら困るでしょ?今のうちに一緒に避難しましょう」

「えー?なんだってー?耳が遠くてのー」


 もちろんわたしだって、お年寄りの手を引いて雪の中歩くのなんて初めてだよ。転倒させないよう細心の注意をしたし、途中おばあちゃんをおんぶもした。

 中には雪の重みに耐えられなさそうな古い家に住んでいる人もいた。


「うわ…寒ぃなこの家」

「ほんと…外よりも家の中の方が寒いってどういうこと?」

 隙間風が吹き抜けるんだろうか?家のどこにいても底冷えする。なのに、家主はわたしたちよりも薄着で平気で暮らしている。


「おらは行かん」

 頑なに動こうとしない一人暮らしの年配男性だった。目も合わせてくれなければ、名前すら教えてくれない。

「ルデオのおっちゃーん、みんな心配してんだぜ?こんな干からびた肉一切れだけで、どう凌ぐってんだい?」


 家中チェックを終えたアルビーも説得に加わってくれたが、結局この人を動かすことはできなかった。

「あのおっちゃんは昔っから変わり者でさ。人の言うことなんて聞かねーし、死なねーだろ」

 そうは言われてもね…。また明日様子を見に行こう。


「なんか…雪、強くなってません?」

「これ絶対ヤバいっしょ」

 夕方になるにつれ、雪に加えて風がその強さを増してきた。


 日が落ちたところで宿に戻り、互いに報告をし合ったけど、結局、避難してくれたのは全員合わせても声かけした2割にも満たなかった。

 大丈夫かな…。


 避難してきた人の為に男部屋を空けようと、全員貴賓室の居間で寝ることになった。幸いなことに温泉で暖は取れる。ラッセルがグレース様の診察をしている間に、わたしはお風呂に入らせてもらった。


「ふわ〜っ」

 浴場に一人だったから、思わず声に出てしまったよ。冷え切った頭のてっぺんからつま先までほぐれていく。


 雪道では普段と別の筋肉を動かしたらしく、足がパンパンだ。マッサージをしては何度も伸びをして、存分にその気持ち良さを味わった。上がってもまだ指先までポッカポカでね、これはもう何度でも入らないと!


 バースにもお風呂は沢山あるけど、ここの山の中ひっそり隠されてる感じがまた良いんだよねー。

 そうだ!と思いついて、風呂上がりのレクサスを捕まえると、たらいを借りて湯を張った。


「グレース様、足だけでも温泉を味わってください」

 まだ少し熱があり温泉には浸かれないから、足湯を用意したんだ。

「ありがとうメグ、レクサス。とても嬉しいわ」

 喜んでもらえてよかった!2階まで運んでくれたのはレクサスなんだけどね。


 夕食を摂り部屋に戻る。窓を少し開けて外を見ると、吹雪いていた。出かけることも出来ないから、全員まったりしちゃってね。


 隊長、ヒースは毛布を被って仮眠。わたしとレクサスは、ラッセルからグレース様の薬の処方を教わっていたんだけど、まぶたがだんだん重くなってきて…。

「メグ、聞いてんの」

 いかんいかん!


 そうそう、アルビーって、赤ちゃんが産まれたばかりなんだ!

 奥さんと赤ちゃん二人だけで家に居させるのは心配だからって、銀の実亭に避難させていた。


 赤ちゃんが一人いるだけで癒されるし、特に年配女性はがぜん親切になるものだ。女将さんが赤ちゃん用の布団を出してきたり、せがれが小さい頃に来ていたという服をほどいておむつにしたり、世話を焼いてくれた。

 食堂だとプライバシーも無いから、授乳の時は2階やカウンターの中を使って良いと言ってね。


 その赤ちゃんが1階で泣いているのが遠くに聞こえ、しばらく経っても泣き止まず、長いなあと思った時だった。

 木の扉を良い音でノックしてきたのは、ダグラスだった。眉をしかめている。


「隊長さん、休んでるとこすまないが、力を借してくれ」

「どうしましたか」

 隊長は今まで寝ていた人とは思えぬ機敏な動きで立ち上がった。


「ソールの野郎が、母親を迎えにいくと出て行ったきり戻って来ないんだ。自宅を見に行かせたが、二人とも居ないそうだ。どっかで動けなくなっちまったのかもしれない」


「自宅はどちらですか」

「公民館より向こう、川沿いなんだ…まさかとは思うが」

「すぐ行きます」


 寸分の迷いなく言うと、まだ乾いていない外套を手に取り、冷たいブーツに足を入れた。全員、文句一つ言わずそれに続く。

 このために訓練し、鍛えているのだ。


 心の底を探れば、絶対外に出たくない。隊長の心の隅にだってきっとあるはずだ。

 けれど、誰かが救助に向かわなければならない。わたしたちは、その誰かから逃げることはできない。


 わたしが外套を着ると、

「メグは残って、避難してきた住民を見ていてくれ。それに、夜グレース様を一人にするわけにいかない」

「…了解」


 そういう言い方をして、配慮してくれたのだと思う。いや、この真っ暗な吹雪の中なんだ、むしろ足手まといの方かな。


「何だよ、ブス顔」

 最後に部屋を出るヒースだった。

「なんか…皆んな寒くて大変な思いしてるのに、わたしだけ」

「ボソボソ何言ってっか全然聞こえねえな。自分の役割果たしてから言ってほしいもんだ」

 すれ違いざま、わたしの鼻を思い切りつまんでいった。


った!鼻水出るじゃない!」

 ヒースは振り返らずに出ていった。

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