第7話 夜明け前のスローダンス

 その後、時間交代で見張りをすることにして横になった。わたしはグレース様、レクサスとくっついて寝ていたんだけど、寒くて目が覚めてしまった。


 隊長とラッセルは寝ていて、ヒースの番だった。体を起こすと気づいたヒースに手招きされる。何だろうと近づくと、ぴったりと密着してきた。

「ちょっと!近すぎ!」

「いいだろ!うーぶ寒ぶ寒ぶ!」


 一応小声でね。頭と頭がぶつかるくらいの距離で引き寄せられるというか押さえつけられる。火には手鍋でお茶が温めてあるが、その場しのぎにしかならないだろう。


 しばらくそのまま黙って凌いでいたが、少しずつ体温が溶け出してきた頃、ヒースがぽつりとつぶやいた。

「子供を産む道具みてぇに扱われてさ、ひでえ話だよな」

 なんだっけと記憶を巻き戻すと、昼間の車中での話だった。


 昔の王族女性はそうだったと聞いたことがある。そのために何人も側室そくしつを設け、丈夫な男児を待ち望んでいたのだと。

 それから数百年が経って、モナリスは男女問わず長子を後継とする風習となった。フェブラス侯爵領も変わらないだろう。


 それでも血を絶やさない為には、女が子を産むしかない。どんな事情であれ今も昔も子を授かりたい女性の願いは変わらないからこそ、危険を犯してこんな山奥まで来たのだ。


「自然に授かればいいですけど、女なら動物でも出来ることが自分にはできないというのは、傷つくと思いますよ」


「それで殺されるって、まるで自分の人生じゃねえみたいだよな。その旦那だって、どうせグレース様が自分で選んだ相手じゃねえんだろ」

 至近距離すぎて彼の表情は見えないが、今どんな顔をしているんだろうか。


「意外ですね、ヒースがそんな風に思うなんて」

「どういう意味だよ」

「それこそ、欲のはけ口としか思ってないのかと」


「ひっでえの。んなわけねぇだろ」

「だって、教えましょうかなんて言ってたし」

「冗談に決まってんだろバーカ。グレース様が本気にするわけねえだろ」

 言われてみれば、そりゃそうだ。


「金があれば大方のことは幸せなんだろうと思ってたけどさ、そうとは限らねえもんだな」


 もちろん無いよりはあった方がいい。お金があったらわたしは間違いなく軍には入らなかった。軍に入らなかったら、少なくとも投げ飛ばされたり、腕立て腹筋スクワットを毎日やらされたり、泥まみれでほふく前進することは無かったはずだ。


「軍に入ったのは退職金のためですか?ラッセルから前に聞きました」

 一般兵は一期3年で満了となる。退職金はなかなかいい金額で、多くの者はそれを目当てに入隊している。

 彼は今年6年目になる。


「最初はな。けど、あんなことがあって、オルド隊長があの世で認めてくれるまでは辞めらんなくなっちまったからな」

 わたしは口をつぐんだ。


 ヒースとラッセルには、かつての隊長と仲間を失った経験があるんだ。いくら彼らといえど軽々しく聞けることではないし、こうして思い出したようにぽつり、話してくれる断片をつなぎ集めている。


「あの…」

辛気しんきくせえ話は無しにしようぜ。余計に寒くなる」

 聞いてみようとしたわたしの出鼻をくじき、

「母親養ってるって、お前そこそこ苦労人なんだな」

と話題を変えてきた。


 国立医療学校を受験すると話した時は、軍隊なんかに入れるために産んだんじゃないと大反対された。医療学校に行きたいなら家を売ってでもお金を作るからと泣いて懇願こんがんされた。


 トビー先生が一生懸命説得してくれて、でもそれから1年間の浪人生活中も家には居づらくて、毎日図書館で勉強していた。それ以来かな、母には本音を言えなくなってしまったんだ。


 入学してからはだんだん応援してくれるようになったけど、本音を言えないのは今でも変わらない。だから厳しくてついていけなくて毎日のように辞めたいと思っていた学生時代のことも母は知らないし、入隊してからこの半年間、手紙は来てもこちらからの返事は当たりさわりのないことや、頑張っているとだけしか書いていない。


「ヒースは、ご家族は?」

「そりゃ自然に湧いて生まれたわけじゃねえからな、いるよ」

「だから…」


「母親と姉ちゃんが2人。けど音信不通だ」

 もう。これコメントのしようが無いじゃない?地雷踏ませないでほしい。

「…すみませんでした」

 一応先輩でしょ?謝るしかできない。


「ロクでもねえんだから、お前みたいのが謝んなよ」

 その言葉には途方もないへだたりを感じた。

「どういう意味ですか」


「お前みたいにまっとうな家庭で大事に育てられたお嬢さんばっかじゃねえってことだよ」

 わたしの声色が固いのに気づいてが気づかずにか、こんな事を言ってきたんだ。


「何その言い方!バカにしないでください!」

 今度は地雷を踏んだのはヒースの方だった。

「してねえし、何怒ってんだよ。お前は頭いいんだから、オレやレクサスとは違うだろ」


「そんな言い方しないでください!頭なんてちっとも良くないし、処置だってトロいし」

 向いてないし、と続けそうになってこらえた。なのに、

「なんだそのねた言い方。悲劇ぶってんじゃねえよ」

だって!だから堪えたのに!一番言われたくない!


「ブス顔してんぞ」

「もともとこういう顔です!」

「うるせえぞ」

 隊長にピシャッとさえぎられ、わたしたちはすみませんと音量を落とした。


 立ち上がった隊長は外套がいとうを体に巻きつけると、時間だとヒースと交代した。


 手鍋のお茶をカップに注ぎ、両手で包んで火の前に座った。ヒースは今まで隊長が寝ていたところに横になったが、わたしは立つタイミングを逃してしまった。


 さすがに隊長はぴったり身を寄せてくることは無かったが、いつもより近い距離でいきなり二人きりになると何を話していいのか分からない。しかも隊長はそんなことを気遣うような人ではないので、黙ったまま茶をすすっている。


 ヒースと離れたことで改めて寒さに取り込まれた。外套のえりもとを伸ばして、耳とほおおおった時、

「今日はよくやってくれた」

ボソッと隊長が言った。聞き間違いかと思ったが、そうじゃなかった。


「グレース様を危険な目にあわせて、俺の判断ミスだった。よく守ってくれたな」

「いえ、そんな…」

 不意打ちで褒められ、何と返していいのか困ってしまった。あれが判断ミスだったのかどうか、わたしには分からない。隊長は白く息をつき、それきりまた黙った。


 もしかして気を落としているんだろうか?泣く子も黙る鬼隊長が?いや、隊長だって人間なわけで。でもわたしなんかに弱味を見せる?

 色々考えてみたけどやっぱり気の利いた話題なんてものは思い浮かばなかった。


 火の方を向いている面だけは熱を感じるが、地面から冷えが伝わって震えてしまう。すると隊長が手鍋を差し出して、わたしのカップに注いでくれた。鍋の残りが少なくなったので、水筒の水を足しておく。


「ありがとうございます」

「…さっきの話だが、向いてないともう決めるなんて、俺は許さんぞ」

 何かと思ったら、わたしのこと?


「まだ始めて何ヶ月だと思ってる?お前の限界はそんなものなのか。違うだろう」

 お茶をふうふうしようとして止まる。

 …つらいことばっかりだ。訓練や任務が楽しかった事なんてあっただろうか。

 隊長がこちらを見ているのがわかったが、わたしは目を合わせられなかった。


(今日は眠いし、疲れたから明日にしようって、先延ばしにしなかったと言える?)

 効果測定のレポートが赤点で再提出になった時、ラッセルから言われたんだ。隊長なら、自分に甘えんな!とゲンコツするだろうね、って。

 周りのせいにして、本当は逃げ出す口実を探しているだけなのかな、わたし。


「お前だって最初は毎日吐いたろ。けどここまで続けて来れたんだ。それは自信にしていいんじゃないか」

 甘えんな!と言われるのを覚悟していたけど、違っていた。


「現場に出れば、信じられるのは自分と仲間だけだ。このチームの中でお前にしかできない事がきっとあると思う。だから、今日はよくやってくれた」


 楽しい事なんてない。…けど、頑張って良かった。暗くてよく見えないけど、隊長は笑ってくれていると思う。

 ペーペーでいつも足引っ張ってばかり、ウジウジグズグズ、言い訳ばかりのわたしにね。


 信頼する人が見てくれている、一人の新兵として認め、言葉をかけてくれる。寒さのせいじゃなく、震えるほど嬉しかったんだ。


 真っ黒な空を見上げる。空よりも黒い常緑樹がやりのように天を突いている。そして、突き刺された空からぽろり、と雨粒がこぼれてきた。涙なのかと思ったけど、2度目を顔に感じて隊長を見た。


「…降ってきましたね」

「降って来たな。中に入れ」

「はい」


 雨除けの下で横になると、火から離れたせいで余計に寒く感じた。けれど暖かな気持ちでわたしは目を閉じた。

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