第6話 凍ったような深緑の下で

「お怪我けがはありませんか」

 さっきまでとはうって変わって紳士的な口調の隊長。

「大丈夫です。皆さんは?」

 ラッセル以外は無いようだ。


「危険な目にあわせてしまい申し訳ありません。それにいただいたお金を半分使ってしまいました」

「よいのです。最善の判断でした」

 そうねぎらいながらも、やはり怖かったんだろう。グレース様の顔は血色を失っていた。


 しかしリビがいなくなってしまったので、歩いていくしかない。早くしないと夜になってしまう。

 わたしは現金や救急バッグや装備が入ったリュックは背負っていたけど、リビにくくり付けていたカンテラや携帯食が入った荷物は奪われてしまった。


「グレース様、お荷物が…」

 彼女は着替えなどほとんどを括り付けていたはずだ。

「大丈夫よ、貴重品はここにあるから。でも、少し困ったわね」


「あっ!あれ!」

 言うか言わないか、レクサスが走り出した。その先にはそう!リビが1頭だけ戻ってきたんだ。しかもあの子、グレース様が乗っていたのじゃない?

 レクサスが手綱を引いて戻ってきたのはやっぱりそうだった。ちゃんと荷物もある。


「いい子ね。戻ってくれてありがとう」

 彼女に鼻面をでられると、嬉しそうに顔をすり寄せた。

 動物も従うべき人を見極めているものだ。わたしたちのは1頭も戻って来なかったもんねー。グレース様にはリビに乗ってもらい、登山再開だ。


 ラッセルに肩を整復するよう頼まれたのだけど、聞くとやるとでは大違い!何度も痛い思いを味わわせてしまった。結局整復してくれたのは隊長だった…。

 それなのに、

「さっきはよくやったね」

痛む肩をさすりながらそんな風に言ってくれたから申し訳なくて。


「…無我夢中でした」

 グレース様を、そして自分の身を守ることで。敵に切りつけ、命を奪うつもりでさえいた。まるで人格が切り替わったかのように、そこにためらいはなかった。訓練の成果と言えるだろう。

 自分がそうなったことが今になって信じられないような感じがした。


 試合と違い、実戦では生きたいというむき出しの欲望がぶつかり合う。どちらがより貪欲どんよくにしぶとく生きたいと思うかが勝敗を分ける。

 そこに理屈や意義など存在せず、ただ欲望だけだと。これは隊長の言葉だ。


 ただただ今ある生にしがみつくことができた。目的の為にためらうことなく行動できた。

 演習や初任務では足がすくんで動けなくなり、隊長とヒースからゲンコツとビンタをもらった苦い記憶がある。足を引っ張らずに済んでよかったー!


 しかし、大義さえあれば人はこんな風に簡単に変われるのだと思うと、それは怖い気がした。

 でもこれがわたしたちの仕事なんだ。


 地図とコンパスを頼りに、ヒースとレクサスが元来た山道を探しに走っていく。さすが方向感覚抜群の二人だよね、森を通過しながら山道に出るルートを割り出した。

「さすがね。皆さんにお願いして正解でした」

 グレース様が少し安心したんだろうか、口を開いた。


「相手に殺意がなかったのが幸運でした」

「隊長さんは百戦練磨ひゃくせんれんまなのでしょう?以前は特殊部隊にいたとか」

「買いかぶりですよ」

 特殊部隊でのことは機密事項だから、あまり話せないんだって。けれども任務が過酷かこくなら訓練は更に過酷らしく、想像しただけでも倒れそうだ。


「失礼ですが、我々のことはどちらでお聞きになったのでしょうか」

 手綱たづなを持ちリビを引き、斜め後ろを振り返りながら隊長は問う。

「公国の貴族で、縁戚えんせきの者からです。彼はフェブラスやバースの辺りを管区とする大司教で、おうわさを聞いたそうよ」

「…なるほど」


 それじゃ答えになってない。では彼はどこから情報を入手したのだろうか。

 軍内には改悛かいしゅんを担当する聖職者はいるが、彼らが直接大司教と話す機会があるとは思えない。しかし、隊長はそれ以上の追求を避けたようだった。


 会話はそこそこに、わたしたちは必死で歩いた。途中から駆け足になった。冬の日は短く、目に見えて辺りは暗くなっていく。


「どうします?」

 山道に出て、恐らく目的地まであと少しというところでラッセルが隊長に指示を仰ぐ。

「やむを得ない。ここで夜を明かそう」


 何せ、わたしたちには灯りが1つもなかった。購入したカンテラは全てリビにくくりつけていたんだ。松明たいまつで登るという選択もあるが、万一グレース様が落馬(落リビ?)して怪我させるような事があってはならない。


 それに灯りが無い以上、完全に暗くなる前に火を起こして夜営の準備を整える必要がある。幸い平らな場所が見つかったので、わたしたちはすぐに取り掛かった。


 演習でやった通り、焚き木を集め火を起こし、タープを木の枝に結びつけて少しでも雨風を防げるようにした。いよいよ気温は低下し、いつ降り出してもおかしくない湿った匂いがしてきたからね。

 そびえ立つ凍ったような深緑の常緑樹が、まるで冷気を吐き出しているようだ。


 やがてとっぷりと日が暮れた時には、赤々と火が燃えて、各々バッグに残っていた携帯食を出し合った。パン、干し肉、干しブドウにナッツ、蜂蜜を加工して固めたもの、水筒の水、チョコレート、硬いビスケット。まあまあじゃない?それに、グレース様がハーブティーを提供してくれた。わたしの手鍋で煮出すと、甘さとすうっとするのが混ざったいい香りが漂った。


 ペーペーだけど一応医療班だからね、薬草をせんじたり薬湯を作るのに手鍋は欠かせないと思って。持ってきて良かった!


 リビは火が怖いのか、少し離れたところで座って、頭を地面に下ろしている。

「寒いわね…メグ、もう少し近くに来てくれないかしら」

 外套をかき寄せながらグレース様。買っておいて本当に良かった。


「あの、もしお嫌でなければレクサスもお側に置いてはどうですか?彼、いつも無駄に熱を発しているのですごく暖かいですよ」

 わたしがぴったりくっつきながら言うと、グレース様はレクサスを手招きした。


「し、失礼します!」

 わざわざ敬礼して座り、わたしとレクサスでサンドイッチする形となった。

「いつもは暑苦しいんですけどね」


「本当!こんなに寒いのに指先まで温かいなんて信じられないわ!」

 炎にかざしたレクサスの手に触れると、彼は照れて笑った。

「オレ、燃費が悪くてすぐ腹減るんすよ」


「ふふ、面白いのね。わたくしのビスケットを食べてちょうだい」

「ありがとうございます!」

 そのレクサスにくっついているのはヒース、更に向こうはラッセルで、隊長という順だった。


 食事を終えるとすることが無い。しかし寝るには早すぎて、自然とこんな話になった。

「メグはなぜ軍人になったの?女性軍人は決して多いわけではないのでしょう?あなたなら他にも選べる道はあるように思うのだけど」

 別に隠すような事情も無いし、抵抗なくわたしは話した。


「植物学者だった父の影響で薬草に興味を持ったんですが、事故で父を亡くしました。進学を諦めようとしましたが、担任の先生が後押ししてくれて。民間医療学校の学費はとても払えませんが、国立医療学校なら在学中から俸給がもらえるし、病の母の生活を支えていくこともできると教えてくれたんです。


 成績はずっと下から数えた方が早かったんですけど…。今後10年間は軍もしくは付属病院に在籍しないと、俸給を返納しなきゃいけないので…とても10年も続けられると思えないんですが…」


 国を守りたいとか、国家の役に立ちたいとかいう崇高な気持ちは、申し訳ないくらい一つも無いんだな。


「素晴らしい先生に出会えたのね」

「はい。医療者は誰でもなれるわけじゃないし、なってからだって一生勉強だから、その志を捨ててほしくないと。母親は軍なんて反対だったんですけど、何度も説得してくれて」


 トビー先生は間違いなくわたしの人生を真剣に考えてくれた一人だ。父を亡くしたショックで学校に行けなくなった時も毎日様子を見に来てくれたし、卒業して浪人生活の時も励ましてくれた。


 医療学校に入学してからはだんだん手紙の頻度も減ってしまったけれど、今頃どうしているのかな。


「父が亡くなった時からずっと支えてくださったし、先生のためにも頑張らなきゃと思うんですけど…」

 先を考えると不安しかない。


「10年って長いようだけどあっという間でもあるのよ。そうでしょう、先輩?」

 そう言われたラッセルは頷いた。

「10年経っても日々迷って考えて、これでいいのかなってことだらけだよ。いつまでたっても成長しない自分に辟易へきえきする」


 ラッセルのような先輩がそんな風に感じているとは予想外だが、隊長までもが同意してうんうんとうなずいているのはもっと驚きだった。わたしにとってラッセルは燦然さんぜんと輝く大先輩だし、隊長など雲の上の存在に等しい。


 年月を重ねればいつかは、と思っているけど、そう単純にはいかないんだろうか。あー、隊長たちですらこうなのに、ますます自信なくなるよう!


「先輩はなぜ軍人に?」

 グレース様はそのままラッセルに話を振った。


「家が裕福ではありませんので、医療者を目指すには国立医療学校しかなかったんです。

年子の姉がいるのですが、幼い頃から体が弱く、病院通いが続いて親は苦労していました。姉を治したい、家族の役に立ちたいというのが直接の動機ですね」


「そう…。お姉さまはご健在で?」

「苦労の甲斐かいあって、今では家庭を持っています」


「若い人が夢をあきらめずに頑張っている姿は嬉しいものよね」

「まだ若いつもりでいるのですがね」


 ラッセルが言うと、さも意外な顔でグレース様は返した。

「あら、ラッセルと隊長さんはこちら側でしょう?」

「え、わたしもですか」

「寂しい事言わないでほしいわ」

 隊長まで軽口を言うなんてね!みんなでくっついているせいだろうか。


「隊長さんは?何となく想像がつくけれど」

 赤々と燃える炎を瞳に映して隊長が答えた。

「ご想像通り、代々軍人の家系なので自然にそうなりたいと思いました。父は亡くなりましたが、10歳年上の兄も軍人です。…面白味おもしろみがありませんね」


 隊長の家、つまりアークの家は代々軍人を輩出してきた家系で、ひいおじいさんは歴史の教科書にも載るような総司令官、亡くなった父上は将軍だという。

 現役のお兄さんは史上最年少で司令官になった人で、天才ってのはああいう人を言うんだと二人の弟たちが自慢げに話していた。


 そしてその弟自身も黄金世代の怪物アークでしょ、血筋でものが言える人というのをわたしは初めて見た。


「でも、同じ道を選ぶのはいばらの道ではないの?必ず比較されるでしょう」

「私は養子でして。ですから父と兄のことは身内でありながら手放しに尊敬できるのです。比較されたところで絶対に敵わないですから。家名に泥を塗ることのないよう、私は日々励むだけです」


 隊長はそう謙遜けんそんしたが、実際には快く思わない人がたくさんいることも知っている。親兄弟が有名人なのも良いことばかりじゃないよね。

 いばらの道と分かりながらそれでも選択したのには、やはり並々ならぬ覚悟があったんではなかろうか。


「それに憧れていましたから」

 そう言って手中のカップのお茶を一口すすった。

 あぁ、そっか。そうじゃなきゃ、あんなにまっすぐに仕事に向き合えない。少なくともわたしには真似できない。


 その姿勢は尊敬するし、同じようにしろと言われても絶対無理というか、そこまでしたくないし。それでもほんの少しうらやましく思う気持ちはあるんだ。


「レクサスは?」

 さっきからグレース様の隣で緊張しっ放しの彼は、背筋を伸ばすと話し始めた。同じ新兵同士だけど、わたしも聞くのは初めてだ。


「オレはモナリス領カザレンカ島ってとこの出身で、産まれてから一度も島の外に出たことがなかったんすよ。家は漁師なんすけど、沖合に出るとたまに哨戒しょうかい中の軍艦に出くわすことがあって。黒い船に白いを張って、カッコいいんすよ!それであんな船に乗って広い世界を見てみたいと思って入りました」


「ちょ、ちょっと待って!」

 断っておくけど、モナリスには海がない。従って海軍は存在しない。カザレンカ島はバロンヌ国南方に位置する諸島の一つで、大昔に割譲かつじょうされた。その海域を守備しているカッコいい軍艦は、大陸最強と名高いバロンヌ海軍だ。


「試験の時におかしいって思わなかったの⁈軍艦なんて無いし、国まで違うんだけど」

「思わなかった。っつーか、疑いもしなかったからな!第7支部配属になって、あれって思ったけど、飯は美味いし良い人たちだったから、いいんだよ」


 これには全員爆笑した。

 信じらんない!前向きだなぁ。根拠はないけどきっと生き残っていくだろうな。


 そして全員の目がヒースに向くが、彼は「オレのは話すほどのもんじゃないっすから」とだけ言った。

「皆さん、聞かせてくれてありがとう」

 グレース様は何も語らなかった。


 そうなんだ…。彼女には語るべき理由がない。産まれる前から公務を背負っていて、今までもこれからもそれ以外の選択は無いのだ。

 この平和で民主的な時代に、そんな人がいるのだと再認識して愕然がくぜんとした。



 

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