第40話鬼眼の王

ねっとりとまとわりつく空気は不快だった。

耳にこびりついて離れない怨嗟の声。

暗闇の異空間にその低い声たちは響き渡る。

朱天童子と同化した司は油断すれば乗っ取られそうになる自我を、どうにか保ちながら、異空間を進んでいた。

「うるさい、黙れ」

吐き捨てるように青鬼茨木は言うと、彼らにとりつこうとする幾人もの亡者の腕を引きちぎり、投げ捨てた。

まったく容赦のない所業であった。

この異空間には行き場のなくなった魂たちが無数にただよっていた。

生者の匂いをかぎつけた彼らは司たちの肉体をあるいは貪るべく、あるいは乗っ取るべく、彼らに近づいた。

その亡者の群れを茨木は残された右腕で無慈悲になぎはらう。

耳をおおいたくなる悲鳴をあげ、彼らは異空間の彼方へと飛んでいく。

一体どれ程の時間、この空間をさ迷っているのだろうか。

司にはもう何十時間もこの場所にいるのではないかと感じられた。

だが、実際はほんの数分しか時計の針は進んでいるのにすぎない。

やがてうっすらとではあるが、現実世界の光が見えてきた。

ほんのわずかな隙間であった。

その隙間に茨木は手を突っ込みぐいぐいと力ずくでこじ開ける。

人が通れるぐらいの大きさになると先に司を外に出した。

穴を跨ぎ、自分も外に出る。

時空の穴は二人を吐き出したあと、瞬時に閉じた。

鬼たちが見たのは、無数の妖怪たちと戦う雷獣鵺の姿であった。


のそりのそり、しゃなりしゃなりと妖狐玉藻は歩みを進める。

ふうっと紫煙を吐き出す。

天空を駆ける騎兵となった出口なおをにらみつける。

かっと口をひらく。

ちいさな青い炎が眼前に揺らめく。

その炎めがけて玉藻は一気に息を吐き出した。

炎は瞬時に燃え上がり、巨大な青き炎竜となって、鵺を包み込もうとする。

その必殺の青き炎を視認した鵺はそれめがけて、稲妻を浴びせかけた。

炎と稲妻のエネルギーは、ほぼ同等だったようだ。

相殺され、消えゆく。

「なんじゃ、あれはせがれよ。狐火がきかぬではないか」

妖孤玉藻が時昌にかたりかける。

「お母上、かのものは自身の娘と多くの兵士をかてに生まれいでしもの……生半可な敵ではござりませぬ」

時昌が答えた。

「こしゃくよのう……」

皮肉めいた笑みを玉藻は浮かべる。


腰にぶらさげた太刀をぬるりと山本五郎左衛門を引き抜いた。さびたそれの切っ先を鵺にむける。

どしりどしりと歩く。歩くたびに地面が割れ、へこんでいく。

上段にかまえ、一気に振り下ろす。

衝撃波が発生し、かまいたちとなって空気を切り裂き、鵺をおそう。

見えない刃を勘だけでかわすが、出口なおの端正な顔の頬にうっすらと線がはしる。

そこから赤い血が流れる。

指でその血をなぞり、それをなめる。

「傷をつけられたのは幾年ぶりだろうか」

独り言を彼女は言う。

そのすぐ後の瞬間。

出口なおの白い首にかけられるしわがれた手があった。

「絞め殺してやろうかの」

手と声の主はぬらりひょんであった。

このしわがれた老人のような妖怪はいつの間にか出口なおの背後に接近していた。

「のらりくらりと‼️」

怒声を発し、彼女は急速旋回する。

凄まじい速度のため、小型の台風のように見えた。

たまらず、ぬらりひょんは鵺から離れ、着地した。

「さすがにやりよるのう……」

うひひひっと下品な笑いをもらし、ぬらりひょんは言った。


肌が焼き焦げるのではないかと思われるほどの強烈な妖気を感じ、時昌はその方向を見た。

そこには黒い軍服を着た鬼が立っていた。

額から二本の角を生やし、唇から鋭い牙が見えた。顔にいくつもの血管が浮かび、熱い息を吐いていた。

紫色の鬼眼がかつてないほど、ぎらぎらと輝いていた。

「鬼になったのね」

寂しげに時昌が問うと司は頷いて答えた。

「奴をつれていく……」

苦しそうに司は言った。

その声は男か女か、老人か若者か。そのすべてが入り交じったような声だった。

「鵺を三千世界の向こうにつれていこうと言うのね」

再び司は頷く。

「倒せないなら、別の世界に閉じ込める。いい考えではあるけれど……命の保証はないわね」

赤い瞳で時昌は紫色の司の瞳をみつめた。

「必ず帰ってきなさいよ」

そう言い、軽く背中を叩いた。


無数のハエが彼女の前に集まっていた。

それは絶命した哀れな憲兵の死体にわいたものであった。

そのハエが集まり、一塊になり、巨大なハエになった。

「魔王ベルヘゼハブじゃ。我の今の魔力ではこの程度が限界じゃが、このものもそなたの軍勢に加えよ」

そういうとふらりと魔女リリスは倒れる。その体を受け止めた小野寺が次に腕の中で見たのは、元のすがたのコバヤシ少女であった。


太鼓と銅鑼と笛が鳴り響く。

鳴らしているのはそれぞれの九十九神であった。それは祭り囃子に似ている。

一歩一歩、階段を登るように、司は空中を登る。

そのすぐ後に青鬼茨木が続く。

「さらばしゃ……」

妖孤玉藻がにこやかに笑い、その後ろを歩く。

巨大なハエである魔王ベルヘゼハブが暗雲のなかを駆ける。

ぬらりひょん、山本五郎左衛門らが後ろを歩く。

とごから現れたのか、無数の妖怪妖魔、悪鬼悪魔らがその列につき従った。

その光景はまさに百鬼夜行であった。

最後尾に豆腐を遠藤に食べさせた小僧がいた。

彼は遠藤に手を振っていた。

遠藤も手を振り、それに答えた。






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