第37話異界の門

腹部からドロリとしたオイルをたれ流しながら、それでもピノキオは不敵な笑みをやめない。

「仕方がない、右腕は捨てるか」

そうピノキオが言うとガチャリという不快な音とともに、彼の右腕は抜けてしまった。

と同時に後方に飛び、北一輝の横に立つ。

残された右腕は司の手にぶらさがったままだ。

一息にそれを抜き、司はそれを地面に叩きつけた。

機械の右腕は火花をあげ、転がっていく。

軍服のポケットから白いハンカチを取り出し、傷ついた左手にまきつけ、乱暴な止血を行った。

「これがオーガの能力か。聞いていた以上だ。一度ブラウン博士のもとに戻り、修理せねばなるまい……ゼペット座長」

ピノキオはそう言い、北一輝に話しかける。

「1936年の2月26日。チャンスはもう一度巡ってくる。歴史を修正する機会だ。この日を忘れないで欲しい。僕はあなたのもとに再びあらわれる。必ず……必ず……」

その言葉を最後にピノキオは忽然と姿を消した。

それは瞬きよりも短い時間であった。


「承知した。13年後の2月26日。約束の日。226と記憶しよう」

どこか感慨深げに北一輝は言った。


残る人形は金魚のクレオだけとなった。

彼女は、けなげにもゼペットこと北一輝の前にたち、彼を守ろうとしていた。

傘の先端を司たちに向けている。

それがかすかに震えている。

人形でも恐怖を感じているとでもいうのか。

「もうよい。クレオ。今回は貴君らに勝ちを譲ろう。だが、私は諦めない。かならずや革命の戦を起こし、この国を正しき姿にしてみせる」

そう言いはなつと北一輝は信じられないことに、自らの左目に指を突っ込み、義眼を引き抜いた。

そして、それを地面にたたきつける。


白い煙が周囲を支配する。


「させるか‼️」

そう叫び、滝沢が飛び出した。

霊剣ジェラールで切りつける。

しかし、同時にあろうことか残されたピノキオの左腕が滝沢に向かって襲いかかった。

それ自体が意思のある生き物のようだ。

仕方なく滝沢は迎撃する。

空中で四つに分解切断する。

ピノキオの残された腕はバラバラに舞い、飛び散る。


それは数秒にも充たない時間であった。

白煙がはれるとそこには、誰もいなくなっていた。

「逃がしたか」

悔しそうに滝沢は言った。


カァー。

かん高い烏の鳴き声。

それは漆黒の翼を持つ霊鳥ガケオウであった。

雄美な翼を夢子の肩に休める。

彼は夢子の耳元で何かささやいた


キュウエンモトム。


と。


「司さま、辰巳神社で鵺があらわれた模様です。師匠からの救援要請です」

貧血でふらつき、あえぎながら夢子は言った。

「そうか、わかった。直ぐに行こう」

司は答えた。

「しかし、ここからはかなりの距離があります。すぐと言われても……」

「夢子、お前の流派にある秘術を使う」

「で、でも、あれは人の身にはあまりにも危険すぎます」

「人の身ならばだろう」

戦場にありながら、司は軽やかな笑みをうかべた。

じっと夢子は紫色の瞳をみつめる。

「ほんとうに良いのですね」

「ああ、かわまん」

司は答えた。


司のもとに駆け寄り、

「いったい何をするのですか」

志乃は言った。

「今から夢子に幻界の扉を開いてもらい、時昌のもとへ向かう」

細い志乃の肩をつかみ、司は答えた。

「それって……」

「人の身で幻界をくぐることはできない。だが、私のなかの鬼と同化すればそれは可能だ。」

「そうすると司さんは……」

「下手をすると人にもどれないかもしれないな」

「それでも、いくのでしょう」

「ああ、そうだ」

「短いつきあいですが、あなたなら、そうすると私にはわかります」

数秒、志乃は司の鬼眼をみつめる。

「必ず、必ず、戻ってきてください」

と志乃は言った。

「わかった、約束しよう」

司は言った。


霊剣ジェラールを鞘に納め、滝沢は右手をさしだした。

その手は血で赤く濡れていた。

激闘のため、腕の血管の何本かが破裂し、それが皮膚外に流れだしていた。

かなりの痛さをともなっているはずだが、滝沢はそれを表情に一切ださない。

「司さま、いや、渡辺中尉殿。御武運を」

司は滝沢の手をだまって握り返した。


「よろしいですか、司さま。これより山海大将の霊力を用い幻界の門を開きます。もう一つの門は我が師時昌が開いてくれています。すいません、私の霊力もここまでです。お供できなくて申し訳ありません」

青い顔になみだをため、夢子は言った。

「門を開いくれるだけで充分だ」

「それでは門を開きます」

ふくよかな胸元で夢子は複雑な手印を結び思念を集中させる。低い音律の呪をとなえる。


眼前に真っ黒な穴があらわれた。


音もなく山海大将こと沙悟浄は消えていく。


ふらふらと倒れそうになる夢子を志乃と滝沢は支えた。


手をかせ、朱天。

よいのか、司よ。

我と一つになるか。

かまわぬ。

良い答えじゃ。


心臓が今までにないほど高鳴り、鼓動する。顔面に太い血管が浮かび上がり、額に二本の角が生える。

口から牙が生える。

爪が伸び、赤くそまる。

司は軍帽を投げ捨てた。

髪は血のように赤く染まっていた。

鬼眼から血の涙をながす。

「ウウウウウウッッッ」

内臓にひびくほどの声を司は出した。

人のものではなかった。

獣でもない。

それは鬼の啼き声であった。

「お供しましょう。我が主よ」

青鬼茨木は朱天童子と化した司に言った。

「さあ、行くぞ」

牙が食い込み、唇から血が流れる。

その声は司と朱天が混じりあったものだった。

そして二人の鬼は暗い穴に消えていった。


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