第33話鵺

ねっとりと湿り気のある夏独特の空気のため、由利麟太郎の顔に汗がにじんだ。それを見た御船千鶴子はそっと博士の手を握り、

「少し、お手を拝借します」

と言った。

彼女がそう言うと、不思議なことにひんやりたした空気につつまれ、汗がすっと引いていく。

「周囲の温度を5度ほど下げました」

「ありがとう、千鶴子さん」

軽く頭をさげ、麟太郎は礼を言った。

「ここはどこなのだ」

呆然とした表情で出口梅は言った。

「ここはあなたが設定した未来より、ほんの先の時代です。未来予知ができるのはあなた方だけではないのです」

微笑をうかべ、千鶴子は答えた。

「なるほど、未来か。あのラジオから聞こえるお声はきっとあのお方に違いあるまい。少し、お年をめされているようだが、間違いない。放送の内容からして、この国はある戦いに敗北したようだ。しかも、この光景をみたまえ、これほどまでに無惨な光景は史上類を見ないだろう」

瓦礫だらけの街並みを眺め、麟太郎は言った。

「そうだ、これが、この国のたどる未来だ。だから、私たちは、このような未来を避けるため、真なる王を誕生させるのだ」

血液まじりのつばをはきながら、梅は言う。

「なるほど、君のいいたいことはよく分かる。このような未来、さけることができるのなら、避けたいものだ。だが、未来の話よりも今現在のほうが、大事なのではないか。千鶴子さん、現実世界の映像を投影することは可能かね」

麟太郎は千鶴子に尋ねる。

「容易ですわ」

両手の親指と人差し指でエル字をつくり、それを上下にあわせる。

カメラマンが構図をねるポーズと同じだ。

空間にひかりの枠が浮かび上がる。

千鶴子はそれを徐々に広げる。

何もなかった空間に映像が投影される。


そこには赤い袴姿の女性がいた。

背が高く、意思の強そうな瞳が特徴的だ。

黒く、長い髪に額には純白の鉢巻

右脇に長大な薙刀を挟んでいる。

「お母様……」

袴姿の女性を見て、梅は言った。

「ということは、彼女が救世会の総帥にして教祖の出口なおか」

形のいい顎をなでながら、麟太郎は言った。その横顔を梅はにらみつける。その視線は肯定の意味もあった。

袴姿の女性は頭上で大薙刀を回転させ、駆け出す。ほっそりとした見かけとは裏腹になんという腕力であろうか。

彼女は軽々とその大薙刀を振り回していた。

額同士を接触させている梅と高橋貞子に対し、その凶悪な大薙刀を振り下ろした。

「危ない‼️」

短く叫ぶと小野寺はタイプライターを素早く打ち込む。学天即が反応し、高橋貞子の体を脇に抱え飛び退いた。

まさに間一髪であった。

二人がいた場所に大薙刀は高速で駆け抜けていく。

高橋貞子は学天即によって救いだされたが、出口梅はそうではなかった。

大薙刀は彼女の細い腰を完全に切り裂いた。

上半身と下半身が真っ二つに別れた。

大量の血液が辺り一面に撒き散らされる。

赤い雨のようであった。

我が娘の血を浴びながら、

「不肖の娘よ、せめて我が理想と魔道の糧となれ」

と出口なおは言った。

「いやぁぁぁぇ」

その光景を見て、出口梅は白目になり、涎や涙を撒き散らしながら、声がかれるまで叫んだ。

彼女は発狂した。

「どうやら、現実世界にはもどれなくなったようだね。だが、我々となら生きていけるよ」

出口梅の肩に手をおき、麟太郎は慈愛の笑みを浮かべ、言った。

がくがくと出口梅は両手で頭を抱え震えているだけであった。

「さあ千鶴子さん、パノラマ奇館に戻ろう」

「承知しました」

こくりと千鶴子は頷いた。


文字通りの血の海を見て、ごくりと小野寺はつばをのみこんだ。

陰惨この上ない景色であった。

彼の背後にはひざを抱えて座るひとりの青年がいた。

労働者風の青年でごくごく平凡な顔立ちをしている。

「あら、遠藤くんじゃないの」

時昌は青年に声をかける。

場違いなほどのんびりした口調であった。

どうやら、旧知のようだ。

「やあ時昌さん。表にでてくるのは、何年ぶりかな。異物をとりこんだのでね。馴染むのに時間がかかりそうだ。今、ほかの面々で押さえつけてるのだか、なかなかやっかいだ。僕はここでやすませてもらうよ」

遠藤と呼ばれた男は言った。

「わかったわ」

時昌はこたえる。

「おい、なにか始まるぞ」

小野寺が二人に声をかける。


暗雲がたちこめる。

空が一瞬にして雷雲へと変化した。

ゴロゴロと低い雷鳴が空を駆け巡る。

鮮血を浴びた出口なおの横に立つのは、救世会の開祖であり思想的リーダーであるデクチ・オニサブロウであった。

和服姿の初老の男である。

黒く染まった天を彼は見上げていた。

彼の足下には、いつの間にか娘である梅の二つに分断された死体と無数の腹淫虫が集まっていた。

「彼らは何をするつもりだ」

小野寺は時昌に問う。

「これは、厄介なことになりそうね」

形の良い顎をなでながら、時昌は答えた。


大薙刀の末端で何度もドンドンと地面を叩きながら、出口なおは呪いの言葉をはく。

「三千世界のかなたより、きたれ、受肉せよ」

地面をはっていた腹淫虫たちが一瞬にして梅の死体を貪り尽くすと、そのあとオニサブロウの身体に飛びかかった。

虫たちは超巨大な肉塊となる。

ぐにゃぐにゃと肉塊はうごめきだし、一体の巨大な生命体へと変化した。

どうやら、獣のようだ。

ゴオオッと不気味な咆哮を上げた。

猿の顔に狼の身体、手足は虎、尾は蛇の合成獣が姿をあらわした。

「あれは、最強の妖獣鵺だわ」

苦いものを食べたような表情で時昌は言った。


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