第31話虫使いの娘

数十人のの憲兵たちが、時昌たちを取り囲んでいた。

皆が虚ろな目でこちらを見ている。

憲兵の一人が口からなにかを吐き出した。

粘液に濡れたそれは腹淫虫であった。

憲兵たちは次々と腹淫虫を吐き出し、倒れていく。

不幸な彼らは虫をうえつけられ、絶命していった。

辰巳神社の広い境内は憲兵の死体と腹淫虫によって埋め尽くされた。

「やだっ、気持ち悪いわね」

赤い紅を引いた口をおさえ、時昌は言った。

地をはう虫たちの中から、一人の女性が姿をあらわした。

黒髪が印象的な喪服を着た美しい女性であった。

切れ長の瞳で時昌たちを見ていた。

出口梅である。

「どうですか、私の自慢の子たちですの。あなた方を食べたい、食べたいといっているわ」

笑みを浮かべ、梅はいう。

虫のうちの一匹が彼女の白い手のひらに飛び乗る。

梅はそれを優しくなでる。

「よくあんなのを触れるな」

不快な表情で、小野寺はいう。

彼の肩には学天即が腰かけていた。こくりと人のようにうなづいた。

「一応、聞いておくわ。その子をおいて、この場を立ち去るのなら、命だけは助けてあげましょう」

不適な笑みを浮かべ、梅は言った。その言葉とはうらはらに梅は断ることを望んでいるように見えた。

彼女は人を殺したいのだ。

殺人鬼の顔だ。

「断るわ」

秀麗な顔を左右にふり、時昌は答えた。

「降伏するくらいなら、最初からこの場には来んよ」

小野寺が続いて言う。

コバヤシ少女がこくりとうなづいた。

「やはりそうきましたか。なら、死んでおしまいなさい」

出口梅がそういうと、虫たちがとび跳ね出した。

虫たちは彼女の支配下にある。

出口梅は虫使いであった。

虫のうちの一匹がじくざぐに動き、時昌たちに襲いかかる。

「舞え、学天即」

短く叫び、小野寺はタイプライターをリズミカルにはじいていく。

学天即は両手をひろげ、独楽のように回転した。

高速で回転する学天即の腕は鋭い刃のようだ。

飛来する腹淫虫を一刀両断にした。

粘液と緑色の血を撒き散らし、腹淫虫は絶命する。

「しかし、数が多いな」

一匹しとめた小野寺が言った。

彼の視界には無数のうごめく虫たちが地面を支配していた。


「私に案があります」

小野寺が振り向くとそこには和服姿の小柄な女性がそこにいた。

その場には粋できざな探偵明智がたっていたはずだ。また、人格が変更し、体格、性別まで変化してしまったようだ。奇術師天勝とは違い、地味なかんじの女性であった。

「わたくしは高橋貞子ともうします。わたくしの活動時間は限られております。わたくしのテレパス能力をもってすれば、彼女を精神の牢獄に閉じ込めてしんぜましょう。ですがそれには、物理的接触が必要なのです」

まくしたてるように、高橋貞子を名乗る女性は言った。

「いっていることがよくわからないけど、触れあえばなんとかなるということね」

首をかしげながら、時昌は言った。

「ええ、そのような理解でかまいません」

高橋貞子は肯定する。

「わかったわ。なんとかしてあげる」

時昌はウインクして見せた。

小野寺がちらりと地味な身なりの高橋貞子を見た。どうせなら、天勝のほうがよかったのにと心のなかで彼は思うのであった。


「臨兵闘者皆陣列在前」

時昌は九字の呪法を唱え、複雑な手印を結んでいく。

「三千世界のむこうより、きたれ、我がともたち」

空間がぐにゃぐにゃと歪む。透明な水に絵の具をぽとりとおとしたような風景だ。

黒く輝く翼をもつカラス、カゲオウが姿をあらわした。

彼は優美に空を舞う。

続いて、もう一体の鳥があらわれた。

白いふわりとした羽をもつ鳥であった。

フクロウである。

アメノヒワシノミコトと呼ばれる大神の使いである。

時昌は大神の使いの霊鳥すらも使い魔としていた。

彼はこの霊鳥をハクテイと呼んでいた。

「羽ばたけ、カゲオウ、ハクテイ」

時昌は命じる。

二匹の霊鳥たちはそれぞれに羽を大きくひろげ、羽ばたかせる。一陣の風が舞い、疾風となる。

疾風がかけぬけ、虫を跳ね飛ばせしていく。虫たちであるれていた地面に一本の細い道ができあがる。

「小野寺さん、まかせたわ」

時昌がいうと、

「了解」と小野寺は短く答えた。

学天即が小柄な高橋貞子の体を抱き抱える。人形に抱えられるその姿はどこか滑稽であった。

学天即は一気に駆け抜ける。吹き飛ばされた虫たちが元にもどり、梅を守ろうとする。

だが、学天即のほうが一瞬はやい。

高橋貞子は梅の目の前に降り立つ。

両手で梅の端正な顔を挟むと自らの額をおしあてた。

「さあ、皆がおまちかねよ」


目を開けるとそこは、広い洋館の一室であった。

出口梅は皮ばりの大きな椅子に座らされていた。ゆったりと広いその椅子はかなり座り心地のよいものであった。

ただ、奇妙な部分があった。

ひじ掛けから太い男の腕が生えていた。

腕はおもむろに梅の細い腰を掴み、身動きをとれなくした。

「離せ、離せ」

必死にもがき、椅子から逃れようとするが、腕の力が強く、離れることができない。

コツコツといくつもの足音をたて、数人の男女があらわれた。

古びた背広を着た、無毛の男が出口梅に声をかけた。

「ようこそ、パノラマ奇館へ。美しいお嬢さん。私はランポというしがない探偵作家です。どうだね、人間椅子の座り心地は……ほう、どうやら屋根裏の散歩者くんも歓迎しているようだね」

ランポと名乗った男はちらりと天井を見た。

天井の板と板の隙間から、赤く充血した両の目だけがみえた。

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