第28話 決戦前夜

アイシンカグラ家とはかつて中華大陸を支配した皇族の名である。川島芳子は清王朝の皇族の血をひいていた。世が世なら皇女として豪華な宮殿で生活をおくっていたかもしれない人物である。

だが、時代が彼女を安穏な暮らしをおくらせはしなかった。

大陸の動乱をさけ、思想家川島浪速の養女となり川島芳子として日本での生活を余儀なくさせた。

芳子はヒデマロのつくり笑顔をじっとみつめる。人の心の奥底まで見るのではないかと思わせるほどの強い視線であった。

「そんな怖い顔をしなさんな」

へらへらと笑いながらヒデマロは言った。そのすぐ後、ウェイターが芳子の目の前にカップをおいた。その飲み物にはかわいらしい熊の絵がかかれていた。いったいどのような技術なのだろうか。

芳子は不思議に思った。

「飲んでみなさい。なに、毒などはいってませんよ」

ヒデマロは言う。

そういわれて飲まないのは臆病者だと思う芳子であった。

それが彼女の短所であり長所であろう。

冷静に見えて後先考えないが決断ははやいのである。

カップの中身を一口すする。

とても甘く、かすかにほろ苦いコーヒーであった。

「甘くて美味しい」

思わず、芳子は言った。

「そう、これがこの時代の普通の人たちが飲む飲み物なんだよ。こういったものが街中にあふれている。豊かなで平和な社会さ。まあ、それでもいろいろ問題があるみたいだけど、確実にいえるのは父さんや梅が見た世界とは違うということだよ」

「ここが未来の可能性のひとつだと」

「そうさ。こんなのを見たら、破滅の未来からこの国を救うってのがバカらしく思えてきてね。だから僕はこの戦いから手をひこうと思ったのさ。なに、ただとは言わない。僕たちが拠点としている場所を教えてあげるよ」

そういうとヒデマロは左右の手のひらをパンと合わせた。

世界はもとに戻った。


気がつけば芳子は樋口の腕のなかにいた。まばたきを何度かする。意識ははっきりとしている。口の中にはまだ甘いコーヒーの味が残っていた。

「大丈夫かね、芳子くん」

樋口はきいた。

「ええ、ありがとうございます」

そう言い、芳子は樋口の手をかり、立ち上がった。

「樋口のお兄さま、この人のこと信用していいと思います。いえ、この人のやる気のなさを信用していいと思います」

芳子は言った。

「そうか、君がそういうなら」

ヒデマロはその二人のやりとりをぼんやりと眺めていた。


志乃は眠れずにいた。決戦は翌日となり、それまで休息をとることになった。


「向こうから攻めてくる心配はないのか」

と小野寺がきいた。学天即が腕をくみ、首をかしげた。生きているかのごとくなめらかな動きだ。

「それなら大丈夫。ちゃんと宣戦布告状をだしといたから」

ウインクをして時昌は言った。

それを聞いた小野寺は無言であった。


志乃は夢子と同じ部屋で休むことになった。

夢子は静かに寝息をたてている。その神経の太さは師匠譲りといっていいだろう。夢子のかわいらしい寝顔をちらりと見て、志乃は部屋を出た。

明日、死ぬかもしれない。そう思うと眠れないのは当然だ。

気がつけば彼は司の部屋の前にいた。すると、ギイとドアが開いた。

「入るといい」

司は言った。


志乃はベッドの上に腰かけた。司はとなりに座る。

「眠れないないのか」

ときいた。

こくりと志乃はうなずく。

「では、昔話をしてあげよう」

司は言った。


むかし、むかし。大江の山にそれはそれは恐ろしい鬼がいました。

鬼の名は朱天といいました。

空を血で染め、朱色にかえるという意味の名です。

子供のような風貌から朱天童児と呼ばれました。

多くの人が朱天とその一党によって殺されました。

これをうれいた時の帝は、都で随一の名将である源頼光に討伐を命じました。

頼光には四人の勇士がいました。渡辺綱、坂田金時、卜部季武、碓井貞光の四人です。

彼らは源氏の四天王と呼ばれました。

また、軍師として平井保昌が従いました。

軍師保昌は一計を案じました。

酒好きの朱天のために大きな樽に酒を用意し、献上しました。

朱天は喜び、酒をたらふく飲み、酔いつぶれました。その隙をつき、頼光は朱天の首をはねました。

残りの鬼たちも四天王たちによって討ち取られました。ただ、副将である茨木だけは捕り逃しました。

首をはねられた朱天は呪いの言葉を吐きます。

ぬしらの子孫にとりつき、とってかわってくれる。

この時、朱天の首をはねた刀は鬼切り丸と名付けられました。


肩にかすかな重みを感じたので、司はその方向を見た。志乃がもたれかかり、ねむっていた。司のそばで安心したのか、彼の寝顔は穏やかであった。

「鬼退治は俺たちの専売特許さ。だから、安心するといい」

微笑を浮かべ、司は言った。

奇しくも敵はオニの名を持つ。そのような相手に彼らは負ける訳にはいかないのだ。


その寺は凶悪な空気に包まれていた。

素人でもわかるほどそれは、まがまがしいものであった。

数十人の憲兵たちによって包囲されていた。

指揮をとるのは樋口少佐である。

「お待たせしました、樋口少佐」

そう声をかけたのは闇夜をきりとり染め上げた色の軍服を着た男であった。




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