第20話 止まらない列車
大きく息を吐き、司は鬼斬り丸を鞘に納めた。カチャリという金属音が響く。
角が消え、浮き出た血管も沈んでいく。紫色の鬼眼からもとの黒い瞳に戻る。
額に浮かぶ汗を軍服の袖口で拭う。
かなりの疲労が彼の体を支配した。
「司さま、むちゃくちゃですよ」
膨れっ面で夢子が言う。呪法をつかって列車などを破壊しないように気をつかったのに、それが台無しである。
「まあ、そう怒るな。これでかたがついたではないか」
荒い息を混ぜながら、司は言った。
鬼斬り丸の力は絶大ではあるが、それと比例して生命力の消耗もはげしい。
「それにしても晴天ですな」
吹き飛んだ天井から見える青空を眺めながら、滝沢は言った。
呑気なものだ。彼の辞書には慌てるという文字はない。
滝沢になにか言ってもらおうと思った夢子であったが夢子は諦めた。どうやら、この剣客も同じ穴のむじなのようだ。
小さなため息をつき、夢子は頭を左右にふった。
「この列車、誰が弁償するのだ」
小野寺が言った。
「さあ」
とぼけた声で司が答えた。
まったく頭の痛くなる連中だ。ずば抜けた戦闘能力は買うが、それいがいが、抜けている気がする。常識がありそうなのが、少女退魔士だけとは……。
小野寺は苦笑した。
予算をけちる上層部が悪いのだ。専用車両などが使えればこのような襲撃はなかったかもしれない。
終わったら、文句のひとつでも言ってやろう。
「なにか、おかしくないですか」
奇術師天勝が言った。
その直後列車がガクンと大きく揺れた。
志乃と夢子は司につかまり、コバヤシ少女は天勝に抱きついた。剣客滝沢は平然と立っている。小野寺だけがバランスを崩して、しりもちをついた。
「列車の速度が速すぎる」
破壊された壁から、外を見て、滝沢は言った。
列車は山道をかなりの速さで走っている。その下はきりたった崖である。みどりの木々がはるか下に見える。
「様子がおかしいですね、機関室の様子をみてきます」
そう天勝は言い、連結ドアを開け、奥へと消えていった。
ものの数分で彼は帰って来た。いや、彼になって帰って来たというほうが、ただしいのだろう。
鹿撃帽にインバネスコートを腕を通さずに着ている。肩にかけているだけだ。手には古びたパイプ。かのロンドンの名探偵と同じような服装である。
「いやぁ、おはようございます」
と男は言った。
「明智、おはよう」
コバヤシ少女がその男に抱きつき、言った。
いったい、あの服はどこから持ってきたのだと夢子は疑問に思い、美貌の奇術師が消えてしまったことに小野寺は残念そうな顔をしていた。
「なかは、ひどい有り様でしたよ。機関士も車掌も首をはねられ、殺されていました」
そう言い、明智は自分の喉元を親指で横に引いて見せた。
「と、いうことはこの列車は誰も制御していないということなのか」
額に汗をにじませながら、小野寺は言った。まずいではないかと小声でつけ足す。
「弁償どうこうの話でなくなりましたね。この列車は崖ぞいの山道を猛スピードで下っています。僕の計算では、後五分ほどで列車ごと下に落ちるでしょう」
ハハハッと明智は何故か楽しそうだ。
楽天的な笑顔を見て、小野寺は苛立ちを覚えた。
「どうすればいいのだ」
吐くように小野寺が言うと、
「ここから飛び降りるしかあるまい」
崖下をのぞきながら、滝沢は言った。
「どのみち、列車ごと落ちてしまうなら、そうするしかないな」
と司が続けて言う。
「いやいや、自殺行為ではないか」
小野寺はが否定する。
「この程度なら、問題ない」
そう言い、滝沢は列車から飛び降りた。彼の姿はすぐに小さくなり、消えていく。あっという間に見えなくなってしまった。
「時間がない」
そう司は言うと志乃を抱きかかえた。志乃は両腕をしっかりと司の首にまわした。
「しっかりつかまっていろ」
志乃にそう言い、
「はい」彼は答えた。
そのまま床を蹴り、二人は崖下に飛び降りた。
「じゃあ 我々も行きますか」
のんびりした声で明智はいう。まるでピクニックにでも出掛けるような口調だ。コバヤシ少女は明智の首にしがみついた。
やっというかけ声をだし、明智たちも飛び降りた。
残るは夢子と小野寺だけになってしまった。
あきれた顔をして夢子は、
「じゃあ私たちも行きますか」
と言った。
「どう見ても無理だろう」
小野寺は拒否する。
「まあ、私もあの人たちとちがって体は普通ですからね。そのまま飛び降りたりはしませんよ」
そう言い、夢子は愛用のリュックから呪符を一枚とりだした。額にあて、思念を集中させる。
「北海黒竜王に願いたてまつる。我らを守護したまえ」と唱えた。
シュッという音をたて、呪符はどこかに消えてしまった。
ぐいっと小野寺の腕をつかむと二人は車両から飛び降りた。
うわぁぁという小野寺の悲鳴が山中に響きわたった。
小野寺は後悔した。
このかわいらしい少女も常識はないのだと。
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