第10話 剣客

ドアを開けると、そこには黒いフリルつきの服を着た人形がたっていた。

その人形は首だけを回転させ、虚ろな目で司を見た。

「あらあら、出てこられたのですね。さあさあ、ヨリシロをわたしてもらいましょうか」

感情のない、抑揚のない声で人形は言った。

「それは、断る」

司は言った。

こんな気味の悪い自動人形に志乃を渡すわけにはいかない。

それにしても志乃は不憫だ。

関東大震災で愛する人を失い、なおかつ今、人ならざる者たちにその存在を狙われている。

「なら、あんたらを殺すまでよ。クロの人たち」

耳障りなかん高い声で、人形は言った。

「そうは、させません」

人形を挟んで向こう側で対峙している老人が言った。

右手には軍用サーベル。左手は柄に手をかけている。

臨戦態勢であった。

「当ホテルでのこれ以上の狼藉、到底許せません」

聖都ホテルの支配人滝沢は言った。

眼光鋭く、人形をにらみつけている。

「アハハッ、人間風情がなにいっているのかしら」

グルリと首を滝沢に向け、完全に馬鹿にした口調で人形は言った。


人形は左手を滝沢に向けた。

大きな筆のようなそれは、花びらのように広がった。

鋼鉄の黒バラといったところか。

美しくも凶悪なものである。

花びらはバァッとさらに広がり、滝沢を包み込もうとする。

こんなものに包まれたら、圧死は確実であった。

人形は無表情である。

故に人形なのだろう。


「ヒュッ」

息を吐き、猛烈な速さで滝沢はサーベルを振り抜く。

鉄剣一閃。

サーベルが壁に備えられたランプの炎の光を反射させる。

剣風でゆらりと炎が揺れた。


バキバキバキバキ。


鋼鉄の花びらが舞い散った。

ぼとぼとと赤い絨毯のひかれた廊下に落ちていく。

一度サーベルを手元に引き戻し、再度振り下ろす。

その動作は一秒以下の速さだ。

残りの花びらを撃剣をもって、打ち落とす。

無機質な鉄の花びらをはすべて舞い落ちた。


「年には勝てませんな。昔はもっと早く動けたものを」

ため息まじにり老人は言った。

口には皮肉な笑みを浮かべている。


手首だけになった腕を人形は虚ろな目で見た。


「こっちも忘れてもらっては困るな」

司はそう言い、手刀を人形の右腕の肘の部分に突き刺す。

手袋の梵字は鈍くひかる。

バキリと乾いた音をたて、人形の肘からしたが吹き飛んだ。

天井まで弾け飛び、次に床に落ちる。

司に続き、滝沢も刺突を繰り出す。

人形の左肩に命中し、そこからしたも吹き飛んだ。


人形はなくなった両腕を交互に見た。

「なるほど、油断大敵というわけか」

そう言うと、人形の首の部分がずるりと外れた。首の付け根の部分には気味の悪い昆虫の足が無数に生えていた。

首だけになった人形は、床から壁、そして天井を這い、逃げ出した。

壁から天井に向かう途中、滝沢はサーベルを一閃させたが、悔しくもそれはよけられてしまった。

人形の首はどこへとも知らず、逃げていった。

「逃がしましたか……」

滝沢は悔しそうに言った。

「相変わらずの剣の冴えですね」

手袋を外し、司は言った。顔に浮き出た血管がすっと消えていく。紫色の瞳も、もとに戻る。呼吸だけは少し荒かった。

部屋からとことこと夢子が出てきた。その後ろに志乃が続く。

「滝沢さん、すごいです。お強かったんですね」

感嘆の声をあげ、夢子は言った。

「いやいや、お恥ずかしいかぎりです」

恐縮しながら、滝沢は言った。

「滝沢さんは日清、日露戦争で活躍された剣客さ。そして、剣の師匠はあの永倉新八なんだよ」

司は言った。

永倉新八とは、あの鉄の規律でしられた新撰組の二番隊組長をつとめた人物である。撃剣の達人であり、また長生きし大正四年まで生きた。滝沢にとって永倉新八は歴史上の英雄ではなく、厳しくも優しい剣の師匠であった。

「それにしても次から次へと……」

夢子は、あきれながら言った。

「あ、あの……」

志乃は震える声で言った。

「なんだい」

司は優しくといかける。このような異常な戦いが続いている。彼の精神がまいってしまうかも知れない。志乃の精神には細心の注意が必要ではないかと彼は思うのである。

「こんな時におかしいと思われるかも知れませんけど、中尉さんはどなたと話していたのですか。ここにはあの変な声の人はいないような気がするのですが……」

と志乃は言った。


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