第8話 特務機関黒桜

「ひどい目にあったな」

黒い軍服の男は志乃にいった。かすかにふるえながら、彼は頷いた。

「あの……あなたがたは……」

と志乃はきいた。

「我々は帝国陸軍特務機関黒桜のものだ。そして、私は帝国陸軍中尉渡辺司だ。君を帝国陸軍の名において、保護させてもらう」

と司は言った。

「じゃあね、私も同じ特務機関黒桜の一員です。陸軍准尉待遇の平井夢子って言います。よろしくね、志乃さん」

笑顔でそう言い、夢子は志乃の細い手を握った。

人懐っこい笑みを浮かべている。


帝国陸軍特務機関黒桜。

帝国陸軍の創設とほば同時期に設立された組織である。皇族や高級華族を霊的障害から警護するためにつくられた組織である。組織の性格上、警察組織では手に負えないオカルト要素の強い犯罪を取り締まることもある。機関員の特徴として、皆、闇のように黒い軍服を着用している。

彼らの存在を知る陸軍内部の人間は特務機関黒桜の機関員のことをクロと呼んでいた。

ちなみに平井夢子は正式な軍人ではなく、その才能を買われて、黒桜に所属することになった。故に准尉待遇なのである。

渡辺司は士官学校出身の尉官であるが、その出自により闇の勢力と戦うことを宿命づけられていた。


「どうして、私が」

志乃はきいた。

「君が身をよせていたジョージ・アストレイド神父が君の背中に刻んだものが問題なんだ。我々の諜報員からの報告だと魔術儀式につかわれるいろいろな材料が崩壊した教会から発見された。事実、君の背中には魔王を呼び出せるかもしれない召喚陣が刻まれている」

司は言った。

「私の背中に……」

両手で顔を多いながら、志乃は言った。

彼としては、なかなかに受け入れづらい事実であった。

自分を愛した神父はいったい何者だったのか。何故、こんなものを残したのか……

疑問が頭のなかを駆け巡る。

と、その時。


コンコン。

ノックの音がした。

「すいません、滝沢です」

ドアの向こうからホテルの支配人である、滝沢の声がした。

「渡辺さまに伝えたいことがございます。ここをあけてもらえませんか」

ドアの外から、そのような呼び掛けの声がする。

「はいはい」

そう返事をし、夢子は当然のようにドアノブに手をかける。


突如、司の瞳が紫色に変化した。

司の意思ではない。

強制的に変化したのだ。


「司よ、気をつけよ。外にいるのは人ではない」


それは、司だけに聞こえる声であった。老人なのか若者なのか。男なのか女なのか。どれとも区別がつかない。

そのような声だった。

声の主はもともとの鬼眼の所有者であり、司の一族にとりつきその生命力を代償に能力をあたえるものである。

心の声は時として宿主が危機にある時、このように鬼眼を強制発動させるときがある。


「どういうことだ」

「耳を働かせろ。声は聞こえるが、心の臓の音がせぬではないか」


精神力を聴覚に集中させる。

研ぎ澄まされた司の聴覚は、外の人物の心臓の鼓動音を確認しない。

心臓の音がしない。

すなわち人ではない。


鍵穴からなにか細く、黒い物体が伸びてきた。

一直線にドアノブに手をかけた夢子の喉元めがけて、伸びていく。

「危ない」

夢子の軍服の襟首に手をかけ、一気に手前に

引き寄せる。

「ぐぇっ」

急に引き寄せられて、首がしまり、カエルのような声を夢子は挙げた。

「ひどいですよ、司さま」

涙目で夢子は言った。

「よく見てみろ」

司は言う。

夢子がついさっきまでいた所に黒い針金のようなものが左右にはげしく動いていた。

司が引っ張るのがほんの少しでも遅ければ、その針金のようなもので、夢子の細い首は切り裂かれていたであろう。


「あれぇ、失敗したのかな」

ドアの外から、滝沢ではない、まったく別の女の声がした。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る