第3話虫

背広男の下腹部がぐにゃりぐにゃりと蠢く。

確実に何かいる。

ゴボッという音をたて、その何かが腹を突き破った。

赤黒い血と臓物が床にぶちまけられた。

男はきっと助からないだろ。

臓物に混じり、べとりと床に何かが、流れ落ちた。

肉塊であった。

長さは50センチほどあるだろう。ところどころ毛が生えており、とてつもなく気味の悪い存在であった。

白黄色の粘液を吐きながら、ミミズのように地面を這っている。


「腹淫虫ですよ、あれ。初めて、見ましたけど、気持ちわるいです」

床を這いずりまわる肉塊を見て、夢子は言った。

「人に寄生して、生命力を根こそぎ奪う妖魔です」

と続けた。


「来るぞ」

司が短く、声をかける。

「はい」

夢子は言い、手印を結ぶ。


突如、その肉塊は跳んだ。汚ならしい汚液を撒き散らしながら。

夢子めがけて一直線に飛来する。

かなりの速さだ。


「臨兵闘者皆陣烈在前」


九字の呪法を唱え、夢子は、縦に五本、横に四本の線を空にきる。

空中に刻まれた線がキラリと光輝く。

網目や籠目などの複雑な紋様は妖魔悪鬼の嫌うものである。

また、その呪法は夢子が得意とするものであった。

彼女は大正デモクラシーの時代に生きる数少ない退魔士の一人であった。


九字の網目に衝突すれば、肉塊こと腹淫虫は退魔の光に包まれ、消えて無くなるはずである。

だが、そうはならなかった。

肉塊は、物理法則を無視し、大きく弧を描いた。

光の網をかわす。

それを見た司は大きく腕を伸ばし、腹淫虫をつかもうとする。

彼の脅威的な身体能力をもってすれば容易であった。

だか、一度は掴んだものの、へばりついた粘液のため、手のなかをすりねけてしまった。

腹淫虫は二人の手を逃れ、あろうことか、志乃の身体にとりついた。

その肉塊は素早く志乃の身体を這いずりまわり、口腔から体内へと侵入を試みた。

「嫌、嫌」

志乃は叫ぶが腹淫虫は動きをやめない。

彼の白く、細い首にまとわりつき、口から中にはいっていく。

長く、太い肉塊は素早く前後し、志乃の身体に入っていく。志乃の男性にしてはほそすぎる喉はぱんぱんに膨れあがった。

何度も嗚咽をするが、肉塊は侵入をやめることはない。ついには、その身体のほとんどを志乃の身体の中へと侵入させた。

それは、一瞬のできごとだった。


「くそっ」

短く言い放つと司は志乃の細い両肩をつかんだ。

グッと自分の方に抱き寄せる。

力強い抱擁であった。

強引に唇をかせね、肉塊の尻尾に当たる部分を噛んだ。


彼の瞳が紫色に変化した。

キラリと輝く。


力任せに引き抜くと噛んだまま、床に叩きつけた。

べこりとその肉塊は床にめり込んだ。

よく分からない粘液を撒き散らして。


「殺れ、夢子‼️」

「はいっ」


そう答えると夢子はリュックから一枚の呪符を取り出した。

「今度は逃がしませんよ」

そういうと目を薄く瞑り、思念を集中させる。

突如、指で挟んでいた呪符が燃え出した。それはすぐさま紅蓮の炎に成長する。

「南海紅竜王の名において命ず、かのものを灰塵とかせ」

そう唱えると燃え盛る呪符を床にめり込み、びくびくと動いている腹淫虫に投げつけた。

呪符は腹淫虫を燃やし尽くす。後には黒焦げた炭だけが残った。


二人は志乃の方にかけよる。司は彼を抱きあげた。志乃は体をビクビクとけいれんさせ、口から肉塊によって流し込まれた汚液を吐き出していた。

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