第40話 リサイクルは大切?

 近ごろめっきり寒くなってきましたね。

 コロナ騒動もワクチン接種率が上がって、少しづつですが沈静化してき……ていますよね? 頼むよ、本当にもうっ!

 皆さま、ワクチン接種しましたか?

 先月書いたように、心配していた2回目の接種も無事終わり、「熱が出たら仕事を休むからな」なんて言っていたクセに、大した熱も出ずに会社へ行ったえーきちです。いかがお過ごしでしょうか?

 今年も残すところ、あと三か月になりましたね。

 今年は年の頭からずっと執筆や推敲&改稿をしていて、やっとこ落ち着いた次第です。プロット大賞にも二作投げたしねっ!

 いや、いっぱい公募に応募しました。結果は……ははっ。



 *    *    *


 さてさて、先月にも少し書きましたが、今回は作品のリサイクルのお話です。

 リサイクル――要するに使い回しですね。

 先月は落ちた時のダメージ面からお話ししましたが、今回は使い回しはアリなのか、ナシなのかにスポットを当てていきますね。

 でね、実際使い回しって永遠のテーマなんですけど、公募業界では使い回しはダメと言うのが古くからある考えですね。

 使い回すくらいなら新作書けよ、と。

 下読みさんがいる公募なんかは特にそういった傾向が強かったりします。なろうコン(だったかな?)とか、問題ないと公言しているコンテストもありますけど。

 それでは、使い回しのいったい何がいけないのか?

 公募に落ちたら落ちたなりの理由があるのに、その落ちた作品を使い回すなんて何事だ? と、思っていたりしませんか?

 それもあるんですけど、実はこれ、もう少し出版業界のいやらしい話が潜んでいるんですね。

 たとえば、公募に出した作品が二次とか最終選考にいったとします。それで落ちた作品を改稿して別に小説賞に出した場合、上から下読みさんにストップがかかります。それは、なぜか。

 よそで落ちた作品を受賞させたら、落とした出版社よりも格下に見られるから。

 という考えが残っているようです。これは実際に下読みさんが書いていました。

 これって、滅茶苦茶ナンセンスだと思いませんか?

 最近公募について少し考えが変わってきたんですけど、小説賞ってダメな作品を落とすことじゃなくて、なんだな、なんて思います。

 なので、一次選考通過しなかった作品であっても、誰かが気に入れば大賞を取ることができるんです。誰かが気に入ってくれさえすれば、強く作品を推してくれるでしょうし、気に入らなければ落とされるだけなんですね。

 なので、気に入るのかどうかもわからずに使い回しだからダメって言うのはどうなんでしょう?

 別に編集部を責めるつもりはありませんが、要するにその落とした作品が売れないと思ったからじゃなくて、売る能力がなかったとも考えられませんか?

 実際、一次選考を通過しなかった作品でも大賞を取って何巻も刊行していることだってあります。落とした出版社では、その作品を売ることができなかったんです。言わば負け組です。いい作品は使い回しだろうがなんだろうが拾い上げた方が勝ち組になれる気もしますけどね。

 マンガの世界でも、『進撃の巨人』や『この音とまれ!』なんかは有名な話ですね。とある出版社ではボロクソに酷評され、別の出版社で売り出したら大ヒット。

 一概に選考を通過しなかったからダメと落ち込むくらいなら、よそに出してみようと思うのはあながち間違ってはいないと思います。

 ただし、線引きが難しいところなのですが、公募の落選は何が理由なのかわからないんですよね。

 小説としても、アイデアとしても、本当にダメなのかもしれない。それに時間を費やすのは正しいのか? ってことです。

「だったら新しいアイデアで新しい物語を書いた方が建設的だろ?」と、編集者の方々も言いたいのかもしれません。

 そこは賛成です。が、使い回しはダメという風潮はなんとかしてほしいな。

 もちろん、新作も書き続けますから!


 次は別の視点から考えていきましょう。

 ここから先は(今まで全部ですが)私個人の考えなのであてにしないでくださいね。ほら、色々な意見がありますし。

 物語を書く。新作を書く。これは、経験です。

 とにかく新作を書く。それも完結作じゃないといけません。完結作を書かないと上達しないからです。

 某編集者様がおっしゃっていましたが、終わっていない十万文字の作品を書くよりも、短編完結作十作を書いた方が上達するそうです。それはなぜか?

 物語にはアイデアと文章力と構成がありますが、その構成が上達しないからなんですね。

 起承転結でも序破急でも三幕構成でもいいです。物語を完結させてこそ、その構成力が身につきます。

 これって、一冊の本としてはかなり重要だと思いませんか?

 導入があって、展開して、意外性を発揮して、オチでどんでん返す、とかね。物語って構成がいいとめっちゃ面白いですよね。

 文章力なんか、書くだけで多少なりとも成長しますから。

 次はアイデアですが、某ペンが吼えるマンガにも書いてありましたが、三回のうち一回いいものができればOKだと。

 先ほど『終わっていない十万文字~』の話を書かれていた編集者様は、二割と言っていましたね。

 アイデア全部がいいなんてありえないんです。だったら数を書くしかないでしょ、ということですね。

 たくさん書けば、いいアイデアの話も生まれる。そして構成力も身につけ、そのころには文章力も上がっている。

 新作を書くことは至れり尽くせりじゃないですかっ!

 それに、私は思います。

 新作を書く能力と、推敲&改稿をする能力は違う、と。

 推敲&改稿する能力だって大切です。私なんか、草稿は読めたもんじゃありません。なぜなら、設定がずれても整合性が取れなくても、まずは完結させることに重点を置いているからですね。書いてる最中はろくに読み返しもしない。書き上がってから徹底的に直します。

 ですが、そこにウエイトを置いていると新作を書く能力が育たない。

 ちなみに、あらすじを書く能力と、プロットを書く能力、あとエッセイを書く能力も違うと思っています。

 何事もバランスが大事ってことですね。

 使い回すことに関しては賛成です。しかし、先月も書きましたが、あくまで新作を書いている上での話です。

 推敲&改稿ばかりに時間を費やすなんてもったいないです。



 *    *    *


 使い回しは作者と編集者の意識的問題ですよね。

 今年、私はたくさんの公募に作品を投げていますが、もちろん使い回しもしています。一次通過しなかった作品だって、選考通過します。

 なので、皆さまも気軽に考えてみてはどうでしょうか?

 先月も書きましたが、使い回しで受賞しようなんて考えず、くらいの気持ちで。

 ちなみに今のところの私の戦績は、児童文学は三作投げて玉砕。児童文庫は三つの出版社で一次通過、二次通過、優秀作品(最終選考外)です。

 あと、つばさ文庫に一作、青い鳥文庫に二作、プロット大賞に二作投げていますけどね。

 なかなか最終選考へ行かないなー。

 誰か私の作品を強く気に入ってくれないかなー。

 なんて考えながら、今日もまた別の小説賞へ向けて物語を作るのでした。

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