編集済
視点は……流行りものとしかとらえてません。
ケータイ小説は一人称多視点おおかったですし。
権威ある賞では受け付けないってことなのでしょうか。わたくしは
絵本、詩、ラノベ、同人誌、ときて、一気にケータイ小説だったので、その時々で最先端の媒体に触れてきましたが、一般に流布されるのには若干のズレが生じています。
仕方がないのでしょうが。
流行りが固定するのには、最低でも十年くらい必要ですよ。
やおいがBLになるまで、20年はかかってますし(カテゴリエラーすみません)
*>昔は神視点
うぬん。
>ひとりに寄った三人称
は確か、二十年前くらいから流行り出したんですよ。
さきがけの人はえらいもんですな。
作者からの返信
そうですね。昔は神視点が多かったらしいですが、最近は三人称もひとりに寄った三人称が多いそうです。
ただ、やっぱり一人称多視点は鬼門かな。上手く表現できている人は少ないような気がします。
編集済
作品の性質、構成から必然的に書いたものを、あえて完全一人称で書き直すのは違うでしょう。えーきちさんの一人称多視点はちゃんと効果として成立しているので作品の質を高めこそしても、落としてはいません。
実は僕も最初は、一人称単独視点の小説を書くことに抵抗がありました。
制約が多いから、どう考えても書ききれない部分ができる。穴だらけになっちゃうじゃんってことです。
ただ僕も、いざ書いてみるとなるほどと思うこともあったのです。どうせ物語の登場人物も自分の視点でしか見ることができないのです。でも、その登場人物こそが誰よりも全てをよくわかっている。そういうことってあるんじゃないか。はたで全部見ていた人間よりも、俺が一番よくわかっている。そういうこともあるんじゃないか。それを感じさせられないか……。そういうことです。
見えないことは見えないでいいじゃないか。どうせ後で聞いて納得して、補完して、主人公は物語の最大の理解者になる。
そういう考え方もあるということです。
えーきちさんの一人称多視点には、僕もびっくりです。手法の多彩さも完成度も並みではありません。
ただ、七海さんも書いていますが、オーソドックスな一人称作品も読んでみたいな……とは思います。
作者からの返信
ありがとうございます。
油布さんの言葉の中には、私が欲しい言葉がいつもあります。
油布さんをはじめ、私の作品を読んで下さる方は、凝り固まった事柄に捕らわれない、柔らかな感性の方々ばかりだと思います。
物語の面白さは、ストーリーであり展開であり文章であり、そして構成も含まれると思います。
その物語に必要な構成は、きっとあると思います。
一人称固定視点の作品は油布さんが言うように、視点主が見えない故の面白さがありますし、多視点の場合でも使い方によっては視点を変える事で見えたり見えなかったりする物語の組み立ても出来ます。
物語をより一層面白いものにするために試行錯誤した視点も、タブーと言う言葉を使い完全に否定する人が多い事がとても残念に思います。
エピソードで書いたように油布さんの『それでも読んで判断する』の考え方はとても素敵な事だと思います。
(件の否定コメント~の時に深く感じました)
オーソドックスな一人称は来年の公募で一作は書くと思いますよ。
一人称のメリットとデメリットを総て有効利用出来るような話の構成を考えていけたらなぁと。
その物語が一番光り輝く方法を目指して。
すみません、前回のコメントで、ちょっと余計なことを書いてしまったかもしれませんね。
賞の選考基準は、どれだけ考えたところでわかるものではありませんから、いろいろと憶測するだけ無駄なのかもしれません。
一人称多視点は、確かにえーきち様のカラーなんだと思います。
手法にこだわらず、のびのびと書いていっていただきたいです。
作者からの返信
いえいえ、貴重なご意見でしたよ。
私の家族も言っています。
「面白いのに、例えばそれが理由で弾かれたとしたらもったいない」と。
私のカラーではありますけど、そこはレーベルに合わせるという意味合いではなく、色々な可能性として話を作っていきたいなと感じた次第です。
現に、今までの一人称多視点だと面白くなくなる話も構想にありますし。
すみません、私はまだ、「そこのけそこのけ九尾が通る」と「革ジャン先輩」しか読めていませんが……。(すみません、今カクヨムコン参加作を追うのと自分の更新にいっぱいいっぱいで……(><))
えーきち様の一人称多視点を読みにくいとは感じませんでした。
ただ、えーきち様が想定されている主要読者である小中学生がどう感じるのかは、童心をとうの昔に失くしてしまったので(苦笑)、わかりませんが……。
児童文学だと、「これがもしかしたら初めて読む小説かもしれない読者のために、小説作法に則った作品を」と編集者さんは考えたりするんでしょうか?
字を習う時だって、世の中にはいろんな字体がありますけれども、まず楷書から習いますし、スポーツや他の習い事だって、まず基本を知った上での応用ですし……。
私が以前、小説を見ていただいていた先生は、「公募の応募作は編集者と選考委員に面白いと思ってもらう小説を書くように」とおっしゃっていました。「数多の本を読んできた選考委員と、一般的な読者が面白いと思うものには、差がある」と。
「だから、賞を取った作品でも、売れ行きがよくないものが出てくるんだ」と。
「革ジャン先輩」でえーきち様が小説作法に則ったものを書けるのはわかっておりますし、公募用の作戦を考えられるのも一つの手かも、と、前回の他の方のコメントを拝見して考えてしまいました。
余計なコメントでしたら、消しますのでおっしゃってくださいね~(*´▽`*)
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。
いえいえ、私も綾束様の作品を追えてないですから。
本当に、書く以外の時間は読んでばかりなんですけどねー。
色々な意見があるとは思うんですよ。
ただ、読まずに「それはタブーだ」と思ってほしくないのと、公募だと弾かれやすいのかなと思った次第で。
『九尾~』は一次通過したんですけどね。
他の人がやっていない手法だと言われればその通りですし。
けど、この一人称多視点は、たぶん私のカラーなんだと思います。
作品ごとにそのカラーを出すのか、別の色で責めるのかは今後の作品によって考えると思います。
ただ今は、タブーを気にせず色々やってみたいですね。
編集済
人称視点は、ややこしい話なんですが、たしかに、小説作法として間違っているという論拠で否定してくる人はいますね。
が、一人称多視点否定とかは、たぶん初心者向けの小説の書き方で解説されることであり、つまりは出版社が投稿者へ対して「読んで意味が分かるようにしてね」という思いで伝えているコツですから、小説としての禁止事項ではないですね。
なぜそれが駄目かというと、人称が混同すると、文章の意味が変わってしまうからであり、小説のルールというよりも、もっと根源的な問題だと思います、個人的に。
作者からの返信
結構いますね、否定してくる方は。
文章の意味が変わってしまうのですか?
コロコロ人称が変わることによって、感情移入しづらくなるという話は聞いた事があるのですが。
どちらにしろ、今現在は人にオススメはしていないです。
私もあまり一人称多視点は使いませんし。あ、昨年のセブンワンダーズは一人称多視点でした。