どちらに書こうか迷ったのですが、こちらに。
私などの名前を出していただき、ありがとうございました!しかもお褒めいただいており、とてもうれしいです。
ただ、ひとつだけ。私、最終選考に残ったことはないのです!
最終候補に残す作品を選ぶ選考で落ちた、という意味で「最終落ち」という言葉を使いましたが、この言葉がわかりづらかったのかもしれません。
最終に残ると残らないじゃ、全然違いますものね。。こちらだけ、修正していただけたらと思います。
以下、小説作法は人それぞれ違うので、あまり踏み込んだことを言ってもな、と思って迷っていたのですが、少しでもえーきち様にとってプラスになれば、と思い、書かせていただきます。
えーきち様が今回応募した三作品は、すべて「一人称多視点」を使用しています。(「名探偵鈴木2号ジュニアの調査報告書(仮)」については「証言」という形なので少し違うかもしれませんが、一般的に一視点で貫かれる小説とは異なる形式であることは確かです)
もしかしたら、なんですが、「一人称多視点の形式でしか書けない」と判断されてしまった可能性はないでしょうか。
一人称多視点は、手法として大いにアリだと思います。私も使ったことがあります。
ただ、児童向けだと、マイナスに取られてしまうのかもしれません。
視点がコロコロ変わることにより、物語世界に深みが出るのは確かですが、子供が読む場合は混乱してしまう可能性があります。子供は特に、主人公と自分を同化させることで物語に入り込みますので、視点が変わることで集中が一旦リセットされてしまう危険性があります。
物語の内容ではなく、形式で判断されてしまうのは、とてももったいないことです。
ですので、次回はぜひ多視点を使用しない作品で挑戦されてはいかがでしょう?
単に、えーきち様の書いた視点固定の作品を私が読んでみたいだけ、というのもありますが。。
つらつらと、えらそうなことを言ってすみません。
数々の受賞作を読んできて思ったのが、「文章の上手い・下手」ではなく、「物語世界の個性」という分野で飛びぬけているものが世に出られるのだ、ということです。
えーきち様は、その魅力的な個性を十分にお持ちだと思います。
そのままご自分の「面白い」を貫いていただけたら、と思います。
作者からの返信
すいません、勘違いしておりました。訂正しました。
私の「一人称多視点」につきましては表現の幅を広げる為の手段であり、作品ごとに手法が全然違います。
えーっと、七海様は「九尾~」と「タイマーズ」を読んで頂けたんでしたっけ?
「九尾~」は切り取る様に他のキャラクターに視点を変えました。これは「鈴木2号ジュニア」もそうですが、「鈴木2号ジュニア」は視点変更で物語を進めています。
「タイマーズ」は口語文による視点変更のみ。「餅つき」は切り取り型+リレー形式の視点変更をおこなっています。
私のフォロワー様にも視点変更をよしとしない方がいます。
コロコロ変わる視点に入り込めない、それを解消するなら視点変更の意味が薄くなる、なら最初から一人称じゃない方がいい。
私もそれを理解した上で、「一人称多視点」を多用しています。
子供たちに深くキャラクターを感じてほしい。物語に入り込んで欲しい。それが最後の盛り上がりに繋がる。そう思っての手法です。
視点固定で面白い話が思いつくのなら書くと思います。
それはストーリーによる、としか言いようがないですねー。
貴重なご意見ありがとうございました。
色々と試してみる価値があると思います。
追記
そう言えば、今連載している「印刷屋さん」は固定視点だった。
途中、革ジャン先輩の補足説明が入るけど。
多視点だとこの話は面白くならない。
編集済
自分の面白いを追求する。
その通りですね。自分で面白いと思えないものは、書いていてもスカスカの作品になっちゃいます。僕もあさましい人間なので、異世界ウケとかを狙って書こうとして、つまんなくて、密かに断念したことが何度もあります。
高度な技術と市場分析からテンプレを選択し、商業作品を書いている人もいると思いますが、それってどうなんでしょう。
自分の世界を認めさせるくらいの気持ちで書かなきゃ、作品がかわいそうですよね。
ここで本題ではない一次選考の話ですが、僕なりに思うことがひとつ。
一次選考は足切りです。足切りということは減点法です。つまり減点に引っかからないことが、通過への近道だということです。
えーきちさんは文章力にコンプレックスがあると言っていますが、僕は現時点でも決して低くはないレベルだと思います。目を奪うような表現や斬新な手法がいくつも見られます。
カクヨム作者の平均を50として、仮に100だと考えてみましょう。
そこで分析です。
能力が高いのに減点法に引っかかるとしたら、その理由は何か?
僕はえーきちさんの書こうとしているもののレベルが、かなり高いものだと思うのです。
たとえばただの平板な一人称や三人称で日常的、あるいはテンプレ的な話を進めていくだけなら、特別な表現は必要とされません。50の文章力でも破綻のない作品が書けます。
でも奇想天外な話を目の前にあるように表現し、それに現実味を加えた作品を子供にもわかるように書くということは至難の技です。100でも足りません。200は必要です。
単なる一次選考突破の作戦ならば、簡単な題材を選べばいいんです。
でも、それじゃあどうせ最終選考は突破できません。
だから、えーきちさんの方向性は正しいと思います。
僕も200の文章力を目指して悪戦苦闘している一人です。
作者からの返信
そうなんですよね。私も私の世界で勝負です!
なるほど。目から鱗です。
自分の世界を表現するために、更なる磨きをかける事が必要だと。
それくらいやらないと表現しきれない、もしくは理解してもらえない。
しかし、それを自由自在に扱う事が出来るのであれば、それはもう自分だけの作品になるという事ですね。
やっぱり、「〇〇〇〇ってタイトルの本、面白いよね」より、「えーきちの書く本って面白いよね」って言われたいですから。
私も油布さんと共に、その他大勢の中の一人ではなく、オンリーワンの作家を目指して足掻きますよ。
レーベルカラーって、難しいな、と思います。
自分がふだんから読んでいるレーベルなら、なんとなくカラーの雰囲気が掴めたりもしますけれど……。
求められているもの、となると、ほんとわかりません(><)
なので、自分が面白いと思うものを地道に書き続けるしかないのかな、と。
えーきち様に文章力がないなんて、絶対にそんなことはないですよ!
「教えて、革ジャン先輩!」もいつも楽しく読ませていただいておりますし(*´▽`*)
えーきち様はキャラクター同士のやりとりが軽快で、ほんと魅力的だと思います(*´▽`*)
私の場合、よくキャラクターが弱いと言われるので、羨ましいくらいです……(><)
作者からの返信
今回の公募は特に痛感しましたよ。
自分の読んだ『面白い』ですら否定されたようで。
私はキャラクターだけです。
キャラクターの濃さだけは誰にも負けません(笑
最初に断っておくのですが、私の言葉は受け入れ難い言葉だと思います。
しかし、残念ながら真実である可能性が高いので書いてしまいますが、この世界では面白い物語よりも、シンプルで受け入れやすい作品の方が売れます。(東野圭吾やワンピースや鬼滅の刃が話題になるのを見れば伝わるでしょうか?
これは公募であっても正直に言うと同じ結果になる可能性があります。
なぜなら、編集部という奴はプロの仕事屋であり、本が売れなければ給料が出ないからです。
つまるところ、面白い作品よりも、売れる要素や可能性の高い作品が公募を通過する可能性の方が高いのです。
いや、化け物レベルに、この世の傑作だと言えるレベルの作品であれば間違いなく通ると思うのですが、仮にそんな作品と、同じぐらい面白くて、それにプラスして売れる可能性の光る作品があった場合、選ばれるのは結局のところ後者になるだろうということです。
……ここに書かれていることも間違いではなく、自分にとって面白い作品を書くことは正しいことで、むしろ私の言っている事の方が心情的に間違っていることは百も承知です。
しかし、この考え方が絶対に正義だと思い続けて仮にプロになったとして、その後に悩むのは「自分の面白い作品は何故売れないのか?」という絶望かも知れません。
つまるところ、大事なのは、自分の面白さをどのように読者に届けるのか? そのためにどこをシンプルで分かりやすくするのか、などの試行錯誤であると私は考えていたりします。
……結局のところ、私の考え方が間違っている可能性も間違いなくあるので、そういう考え方もあるのか、ぐらいに捉えて下さいね大汗
気分を害されたようであれば、こんなコメントは削除してしまって下さいね!!!
お見苦しいコメントをすみません!
作者からの返信
気分を害すなんて、とんでもないです。
私は星浦様のおっしゃっていることの方が正論だと思いますよ。
ただ、凄く面白い物語はやっぱり売れると思うんですね。
その『凄く』を目指す必要もあるんじゃないかなぁと。
出版社は売れると判断しなければ本を出しません。その通りです。その『売れる』という門をこじ開けるのも、作家様の務めではないでしょうか?
この辺の判断が、難しいですよね。
自分の売れると、出版社の売れるが同じでないと、公募は通らないワケですし。
けど、最終的にできるのは、自分の面白いを、周りが引き込まれるくらいの面白いにブラッシュアップさせなきゃいけないのかなぁなんて思います。