4-10
男を背に乗せて飛び立つ狼を見送った後、公園で草に埋もれたベンチに座り込んだ。
泣いている様な男の声に、とてもあれ以上引き留められなかったし、何も云えなかった。
男の声は、戻りたいけれど戻れないと、そう云っている様だった。カミコ先輩に会えば人を已めたその決心が鈍り、揺らいでしまう。だから、会えない。
皮肉な程に綺麗な星空を見上げて目を細める。
カミコ先輩には、今夜の事はとても云えないと思った。
気が付くと、自室のベッドで寝ていた。訳が分からない。
両の掌を見る。夕べ、確実に擦り傷くらいは出来ていた筈のそれは、綺麗なままだった。ただ、酷く疲れている。
窓の外は未だ暗く、早朝だと云う事が分かる。
いやに重い身体を引き摺る様にして起き出し、床に放ってあった鞄を拾い上げ、携帯電話を取り出す。夜中に、シュン先輩からの着信とメールが来ていた。
マナーモードにはなっていなかった。それなのに、着信やメールのあった時間、ケータイが鳴った覚えが無い。
首を捻りながら居間へ降りると、母が出勤するところで、僕を見て目を丸くした。
「あんた、いつの間に帰ってたの」
どうやら夕べ、僕が帰る筈の時間、家族は母を除いて既に寝静まっていたらしい。起きていた母は、僕の部屋の隣にある寝室で起きていて、一時頃に眠ったそうなのだが、その時点で僕の帰った気配は無く、無断外泊で明日は説教だな、と思って眠りに就いたのだそうだ。
そして起きたのは、始発よりも少し早い時間。終電で帰らなかったのに、どうして今居るのかと、酷く驚かれた。
「……終電で帰って、コンビニとか寄ってたらちょっと帰りが遅くなったんだよ。一時過ぎには家に居た」
「ふうん……だったら説教は勘弁してあげる。今日は休みでしょ。もう少し寝たら」
「そうする。行ってらっしゃい」
少し怪しんでいる様だったが、一先ず母は納得してくれたらしい。僕は母を見送り部屋へ戻ると、ベッドに寝転んだ。
あれは、単なる夢だったのだろうか
明けて月曜日。シュン先輩から連絡があった。空き時間にでも会えないか、と云う事だったので、三講と四講の時間が空いている事を伝えると、昼食を奢るから食堂の上の階にある喫茶店で会えないかと返って来た。断る理由も無いので了解と返した。
二講が終わって喫茶店に行くとシュン先輩は既に来ており、奥のテーブル席に座っていた。以前カミコ先輩と来た時に、丁度彼女が座っていた席である。恐らくはあの時の僕ら同様、人に聞かれたくない話をする為に呼び出されたのだろう。
挨拶を交わしながら、シュン先輩の向かいの椅子に腰を下ろす。メニューを差し出されて、日替わり定食を選んだ。先輩は既に昼食を終えていたのか、呼んだウエイトレスに定食を一つ頼むだけだった。
「掲示板、見てたぜ」
先輩の言葉に、口に含んだお冷を吹き出しそうになった。
「な、」
「キサラギ駅ってほんとにあったんだなー」
頬杖をついて、にやにやとシュン先輩が云う。どうやら本当に見ていたらしい。
僕が呆然としている間に、先輩は楽しそうに話す。
「電話を掛けてみたが不通だったし……メール送ったんだけど、届いてたか」
へなへなと、体の力が抜けていく、気がした。
「大丈夫か」
「……夢かと」
「ん?」
「夢かと、思ったんです。公園で別れた筈なのに、気が付いたら自分のベッドで寝てるし、線路で転んで掌擦り剥いた筈なのに無傷だし……起きたら、駅に居ただろう時間の、先輩からの着信とメールもあったけど、駅に居た時には電話もメールも無かった筈だし」
云いながら、改めて両の掌を見る。あの時、暗くて良く分からなかったが、僕は派手に転んで、掌に焼ける様な感じを覚えた。あれで無傷だなんて有り得ない。
「ああ、スレッドの続き、見れてないのか」
「続き、ですか」
「そう。山犬の飼い主さんの書き込みを総合すると、キサラギ駅に迷い込んだのは君の魂だ。肉体は電車の中に置き去り。飼い主さんはその置き去りにされた肉体の存在に先に気付いて回収はしていたが、肝心の魂の在り処が分からずに居た。のちに掲示板への書き込みにより居場所が判明し、無事魂も回収。その時点で魂は肉体に戻った訳だな。そして自宅の近くで君と別れた直後、君はぶっ倒れた。親切にも飼い主さんは、君を改めて自宅まで送り届け、事の顛末をわざわざ掲示板に報告、その後再びどこかへ……と云う感じみたいだな」
「魂だけって……じゃあ、どうやって掲示板に書き込んだって云うんです。写真だってアップしたし……」
「俺に分かる訳ないだろ。でも、念写とかあるし、そう云うアレなんじゃねーの」
「でも……」
「ケータイの実物は、君の肉体と一緒にあった。だから、ケータイに届いた着信履歴もメールも残っていた。けれど、魂だけの君はケータイを持っているつもりだったから、ケータイで写真を撮ったつもりで念写して、ソレと同じ原理で掲示板に書き込めもした。でも実際にケータイを持っていた訳じゃないから、着信もメールも当然その時は気付かない。原理は分からないが、これで説明がつくだろ」
納得がいかない。けれど、僕もシュン先輩も精々ネットや怪しげな文献からの知識しか無い以上、これ以上の説明は無理だろう。そして事実、僕のケータイには着信もメールもきっちり残っており、そして撮った筈の写真は残っていなかった。
「……そう、ですね」
「で? この事、カミコさんに云うの」
不意に、先輩の瞳が真剣味を帯びた。先程までのにやにやとした表情はなりを潜め、思わずぎくりとする。
「……云うつもりは無いです」
「どうして」
「だって……」
口篭って俯く。僕は彼を引き止められなかったし、彼はカミコ先輩に会いたくないと、はっきり云ったのだ。本当は会いたいのだろうと察しはついたけれど、それでも会えないと、彼は云ったし思っているのだ。
それなのにこの事を彼女に云って、どうなると云うのだろう。僕はどうすれば良いのだろう。
「……ま、良いけどな」
先輩の言葉に顔を上げる。その瞳からは先の鋭さはすっかり消えていて、いつもの先輩の貌だった。
「これからも、カミコさんに付き合うの」
答えは決まっている。
彼に会う気が無かろうと、先輩は彼を探す事を決して止めないのだから。逃げられない様、今度は先輩を連れて、彼と会うのだ。
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