4-9

 どれくらい飛んでいただろう。急に狼のスピードが落ち、あの変な場所から抜けられたのだと分かった。先までは真っ暗だった下方には街灯や民家の明かりがずらりと並んでいて、吐き気も怖気も治まり脂汗が引いて、それで漸くほっとした。それから慌てて男から離れる。背に置かれていた腕は、何の抵抗も無く離れた。

「……ありがとう、ございました」

「おう」

 ぽん、と頭を撫でられる。

「……怒らないんですね」

 訊くと、ん?と訊き返されたので、一つ深呼吸をしてから口を開いた。

「掲示板にも書きましたが、シュン先輩から聞いてるんです、あなたの事。マヤ先輩が廃校で助けられた時の話も。それで……その、怒りっぽい、みたいなイメージが……」

 遠慮がちに云うと、ああ、と男が小さく笑った。

「そりゃあ、自ら危険な場所に行く様な馬鹿には説教の一つもするけれど。お前は単に、偶然巻き込まれただけだろう。叱る必要なんて無い」

 カミコ先輩の話もあって、もっと理不尽で常に怒りを振りまいている人なのだと思っていたが、意外とちゃんとした人らしい。それとも、カミコ先輩が知らないこの四年で、少し人が変わったのだろうか。

「それより、お前、家どこだ。近くまで送ってやるよ」

 住所を伝えると、一番近い公園で下ろされる事になった。

 緩やかに下降して、芝生の上に音も立てずに着地する狼。先に男が地面に降りて、その手を借りて僕も降りた。文字通り地に足が着く感覚に、心底安堵する。

「今日の事は、なるべく内緒な」

 そう云って、男が再び狼の背に乗ろうとしたのを、止めた。掴んだ彼の腕はやっぱり細くて、カミコ先輩の話が頭を過ぎる。当時は太っていた。四年の放浪で、その余分な脂肪はすっかり削ぎ落とされている。それが、酷く痛ましい。

「逃げないで下さい。知っているんでしょう、あの人があなたを探している事」

 暗い中、彼がはっとした。その表情は直ぐに苦々しいものになり、掴んだ手を振り払われた。

「覚えのある気配だと思ったら……お前、最近マイヒメの側に居る、あいつか」

 カミコ先輩を名前で呼ぶ目の前の男に、何故だかカッと頭に血が上った。男を見ていられなくて、自然と視線が落ちる。

「やっぱり知ってて逃げてるんですね。あの人がずっと探している事」

 知らず声に険が混じる。

「あいつに云っておけ。俺は人間を已めたんだ、追うだけ無駄だって」

「本人にそう云えば良いじゃないですか、直接、会って」

 僕が云ったって、きっと聞いてくれない。生きていて良かったと泣いて、そして必ず連れ戻すのだと意気込むに決まっている。

「会えない」

 ぽつりと呟く様に云った男の声が思いの外頼りなくて、今度は僕がはっとする番だった。視線を上げると、男は肩を落として俯いていた。

「俺が人間を已めた経緯、聞いて知っているんだろう。あの時に思い知ったんだ、俺は人間では居られない……居たくないんだって」

「だから! それをあの人に直接、」

「勘弁してくれ!」

 叫ぶ声は、トンネルの前で僕の無事を伺った時よりも切羽詰っていた。

「戻りたくなったらどうしてくれるんだよ……」

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