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 僕は、前後の駅名も無くただ「きさらぎ駅」とだけ書かれた看板を見上げながら、必死に都市伝説の「キサラギ駅」について思い出していた。初めはある掲示板への書き込みだった。SNSでも確か「きさらぎ駅」で降りたと云う人の話があった。後者は起きると普段利用している駅だったと云っていた。けれど、前者は……。

 ポケットからケータイを引っ張り出す。幸い、充電は八割程ある。GPS機能を利用して現在地を確認しようとしたが、結果はエラーだった。確か、掲示板もSNSも、同じ様な結果だったと思う。

 噂によると、ここは降りてはいけない駅なのだ。ここで降りずに居れば、元の路線へ戻るのだと云う。きさらぎ駅で降りなかった人の書き込みが何処かにあった筈だ。それが事実かは分からないが。

 キサラギ駅で降りてしまった人達はどうしていただろう。

 兎に角僕は、此処にあるモノを飲み食いしてはいけない、と云う事だけしっかり自分に云い聞かせた。

 何故ならキサラギ駅は黄泉だったかそこへ至る途中だったかは忘れたが、兎に角そんな考察が多かったからだ。それが本当であれば、もし此処にあるモノを口にしてしまえばそれはヨモツヘグイとなり、黄泉の住人となってしまう為に元居た場所へは還れなくなる。漢字で書くと黄泉戸契。黄泉はそのまま、戸は入り口、そして契はちぎり。つまり、黄泉へと入る契約だ。これだけは決してしてはならない。

 思わず苦笑が零れる。ほんの八ヶ月前まで僕はオカルトになんて全く興味が無くて、黄泉戸契もキサラギ駅も知らなかったと云うのに。惚れた弱みですっかり詳しくなってしまった。

 駅を見回す。人の気配は無かった。明かりは弱々しく光る裸電球が古く小さな駅舎の中に一つと、寂れたホームに二つか三つ。無人でもおかしくない様子だ。僕が知っているキサラギ駅もやはり人気が無く、明かりは乏しかった筈だった。

 ここがキサラギ駅なら、多分、あまりのんびりはしていられない。

 ホームをケータイの明かりを頼りにして、丁寧かつ急いで調べて回る。自動販売機が一台あったが、中には見た事の無い飲料の見本が並び、メーカーは不明。普通は販売元の連絡先なんかがある筈だが、そう云った情報は一切見付けられなかった。また、大抵のホームには病院だとかホテルだとかのチラシや看板が設置されていると思うのだが、ここにはそう云った物は無く、幾ら田舎の駅だとしてもそれはあまりに不自然で、少しだけ気分が悪くなる。

 冷たい水が飲みたい、と、強く思った。

 ぶんぶんと首を左右に振って、改めてホームを見回す。僕が乗って来た電車が発車してもう十五分は経つと思うが、以降行き来する電車は未だ無かった。次の電車まで三十分空くくらい、この辺りでは普通だが、ここが本当にキサラギ駅なら多分もう電車は来ないし、そうじゃなくても僕が行きたい方向はあれが終電だった。期待は出来ない。

 改札を抜けた。誰も居ないし、改札機はあるが動いていない様だったので、少し罪悪感を覚えたが通り抜けさせてもらった。

 駅舎の中にも広告は無く、そっと覗く様にして外を見れば街灯の下にぽつんと自動販売機が一つあるだけだった。ホームの物と同様、見知らぬ飲み物が並んでいた。

 意を決して駅舎を出る。しん、と静まり返った中で響くざりっと云う砂を踏む音が思いの外大きくて、僕の肩がびくっと跳ねた。

 暗くて良く分からないが、少なくとも民家の影は見当たらなかった。遠くに山の稜線が辛うじて見え、それに周囲をすっぽりと囲まれている様だった。ごくり、と喉が鳴る。

 周囲に誰かが居る訳でもないのに、意識して気配を殺し足音を立てない様にして、駅舎に戻った。薄汚れたベンチに浅く腰かけ考える。

 確か、掲示板では自宅に連絡し、家族が迎えに来てくれると云っていた。しかしSNSでは電話やメールは一切通じず、そのSNSにしか繋がらないと云う話だったと思う。……僕が居るきさらぎ駅は、どちらだろうか。

 少し迷って、僕はケータイのアドレス帳を開いてカミコ先輩のケータイ番号を呼び出した。親指が迷って画面の上を彷徨う。と、不意に右上に小さく出た時刻表示が目に入った。

 2 2 : 5 0

「は……?」

 僕が乗った電車は、十時……二十二時四十五分発だった筈だ。うとうとしていたのがほんの数分も無かったとしても、此処で降りてから少なく見積もっても二十分は経っている筈だ。絶対におかしい。

 そう云えば、SNSのキサラギ駅も、時間にずれが生じていた。確か、二、三時間ずれていた。暫くは時計が進んでいたが、夜中の十二時を回った頃から止まった……と書き込んでいた様に思う。確か駅の方が進んでいた。

 僕が電車に乗った時間はほぼ間違い無いので、時計が止まっているか、こっちが遅れている。掲示板ともSNSとも違うきさらぎ駅だろうか。となれば益々対処法が分からない。

 もう指は迷わなかった。通話ボタンを押し、耳元に当てる。呼び出し音が……鳴らずに、ぶつっ、つー、つー、と空しく鳴った。

「マジかよ」

 吐き捨てる様な呟きが漏れる。目の前が真っ暗だった。

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