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「カミコ先輩!」

 部室に向かおうとして、喫煙所から出て来たカミコ先輩とかち合った。四歳上の、二学年上の先輩。僕の所属する文芸部で編集を担当している。一年と二年を二回ずつやったと云う猛者だ。

 時々喫煙所で不味そうに煙草を吸っている所を見かけるが、不味いなら吸わなければ良いのにと思うのと同時に、そんな姿すら絵になる様子にぼうっと見惚れるばかりだった。

「サイトウくん」

 そんな美人の先輩に名を呼ばれただけで、僕の顔はぱあっと明るくなる。喫煙所内に居る、他のサークルの人達が笑っているのがドアのはめ窓からちらりと見えたが気にしない。今僕の目の前にカミコ先輩が居る。それだけが大事だった。

 そのカミコマイヒメ先輩は大事な人を探している。高校時代知り合った当時大学生だったそうだ。先輩は彼が通っていたと云うだけの理由で、彼を見付ける手がかりを得られないかとこの大学に進学したらしい。流石に学科は好みで選んだそうだが、それくらい、大事な人なのだ。その人の為に講義をサボりまくって二度も留年するくらいだと云えば、その大事さが少しは伝わるだろうか。

 そんな先輩は大変な美人で、涼やかな目元が和らぐと途端に可愛い雰囲気になる人だ。身長は僕より少し低いくらいで、スレンダー。

 彼女に一目惚れした僕は、少しでも役に立ちたくて知り合ってすぐに人探しを手伝う様になっていた。講義のノート・プリントの確保から代返、ネットでの情報収集から現地への同行。

 単位の世話しか知らない筈のサークルメンバーにさえ知れ渡っていた僕の好意は、しかし、先輩には全く伝わっていなかったと思う。それくらい探し人が大事で、その人の事しか頭に無かったのだろう。少し切ない。

 でも、僕はそれでも良かった。先輩と沢山話す事が出来たし、頻繁に連絡を取る理由にもなったし、二人きりで何度も遠出が出来たからだ。

「それっぽい噂を集めて、纏めたんですけど」

 そう云うと先輩は、少し考える様な仕草の後、

「場所を変えましょう」

 と云って僕が来た方へと歩き出す。

 あとを追ってエレベーターで四階から一階まで降りる。廊下を進んで左へ曲がり、またエレベーターに乗って今度は八階。

 そこには喫茶店が設置されていて、しかし安い学食や金の掛からない休憩所があるこの大学では、たまに教員が利用する以外殆ど客が居なかった。

 今日はその数少ない教員も居らず、十はあるテーブル席はすっからかんで、これが個人経営の喫茶店ならとっくに潰れていそうな状態だった。

 先輩は迷わず奥の窓際のテーブルに着く。僕は向かいの椅子に腰を下ろす。

 鞄から紙の束を取り出して、先輩の前に置いた。注文を取りに来た店員に、コーヒーを二つ頼む。

「あの人が居なくなってからのそれっぽい噂を時系列に沿って並べてみました。それと、地図に時系列順の数字を振ってみました」

 無言で紙束を手に取り、眺めていく先輩。細い指先が紙を捲る仕草から、目が離せない。

 先輩の探し人は、それはそれは奇妙な人だった。あまり詳しくは聞いていないが、それでも奇妙だと思うくらいには、奇妙なのだ。

 まず人間嫌い。気に食わない奴は蹴るし殴る。かと思えば妙に素直なところがあって、面倒臭がりのくせにお人好し。そしてオカルト方面に明るい。カミコ先輩と知り合ったのも、それが関係しているらしかった。

 そして居なくなった経緯がこれまた奇妙で、狼の様な妖怪と共に消えたのだと云う。

 人間に、絶望して。

 この詳細は未だ訊けないで居る。

「噂の信憑性は置いといて、でも殆どの噂が同時期に近い場所で出てるんですよね。移動に規則性は見られなくて、気紛れに道内をふらふらしている感じです」

 カミコ先輩が地図の紙を見ている時に、そう話した。

「確かに、南へ行ったり北へ行ったり……てんでばらばらね」

 紙束を置いて溜息を吐く先輩。ちょっと眉を潜めた顔すら絵になる美人。そんな美人を独占している僕。

 不純な動機で少し申し訳無くなるが、色々な苦労が報われる思いに自然と表情が緩む。

「これじゃあ、次の行き先を予測してって云うのは無理ですよね」

「そうね」

「でも、追いかけても追いつけないですね」

「……そうね」

 先輩は何やら考え込んでいる様で、彼女はそうなると返事が短くなる。まだ短い付き合いだが、他にも先輩の癖は幾つか把握していた。

「噂を信じるなら、一ヶ所に長ければ半年くらい居るみたいですし、噂が出始めた場所に駄目元で飛んで行きますか」

「……その前に、」

 先輩が口を開くと、店員がコーヒーを運んで来た。店員が去るのを待って、改めて話し出す。

「噂の出た場所について調べましょう。次の行き先を決める理由が、あるかもしれない」

 カミコ先輩の言葉に頷いて、手分けして出来る限りネットで調べる事にした。今日は金曜日なので、明けて月曜日にお互いの収穫をまたここで話す事にして、そのまま部室へ向かう。部室棟を上がるエレベーターの中で先輩が不意に、

「ありがとう」

 と云った。

 吃驚して振り返ると、

「自分で云うのも何なんだけど、私、頭は悪くないと思うの。けれど、この事になると途端に冷静な判断が出来なくなる。もう四年以上探しているクセに、情報の整理すらしてなかった。ただ噂を追いかけて来ただけ。馬鹿みたい」

 何と返して良いか分からなかった。ただ、カミコ先輩が馬鹿ではないと云う事は彼女の作品を読めば誰にだって分かる事で、そんな先輩が全く冷静じゃあ居られなくなる程、探し人が大事なのだと云う事が分かって悲しくなる。

 無言のまま部室に入り、タバタ編集から自由参加冊子の原稿提出が促された。今日が締め切りなのだ。

 その後夏休み中に開催される合宿の話を部長から聞かされた。

 行き先の希望を来週中に出す事、日程は三泊四日、参加希望も来週中。

 ちなみに部長はミサキと云い、僕と同じ臨床心理学科の四年生である。

 月曜日に喫茶店で成果を伝え合った僕らは、大した収穫も無いまま合宿先の希望を探し人が一番最近目撃されたと思われる土地にする事にした。

 最終的な目的地は部の役員で話し合って決めるそうで、役員の一人であるカミコ先輩曰く、

「二人も希望者が居れば、何とかそこに決められると思う」

 との事で、次の週の金曜の夜、部長から来た合宿参加者への詳細メールには、確かにその土地の名が記されていた。

 ゴールデンウィークの時も、きっと自分の意見をごり押ししたのだろうと思ってちょっと笑う。

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