1-9

 風呂が済み、部屋に戻って寝る前の寛ぎ中。ドアがノックされ、カミコ先輩が顔を覗かせた。そして目が合った僕に向かって、ちょいちょいと手招きをする。少し吃驚したが、みんなに冷やかされながら先輩の元へ行くと、

「ここじゃちょっと……」

 と云われて宿のロビーへ移動した。あそこにはソファがあった筈だ。

「さっきはごめんなさい」

 ロビーに人の姿が無い事を確認して、先輩が云った。僕は取り敢えず、と彼女にソファを勧め、隣へと腰を下ろす。

「何が、あったんですか」

 問うと、先輩は考える様に眉を潜めた。

「あの草むらが……少し、変な気がして」

 夜目が利くのよ、と、先輩は小さく苦笑した。

「誰かが、最近あそこに入って行った……様に思えて、」

 それで、草をかき分けて行ったと。しかし、どうして?

「私が探している人が、ああいう場所を好みそうだと思って」

 どう云う人だ。

「それに、オガワ君が云っていたでしょう。あそこの曰く」

「ああ……」

 ええと、何て云っていたっけ。あまり興味が無いのですっかり忘れてしまった。

「とっくに打ち捨てられた筈の神社へ向かう……石段を上がって行く人影を見ただとか、狼を見ただとか、夜な夜な遠吠えが聞こえる、とか」

 そう云えば、そんな事を云っていた気がする。他にも、男二人の会話が聞こえるとか、虎よりでかい獣が神社の上を飛んでいたとか。子供騙しにもならない様な話だったので、完全に右から左へ受け流していた。

「それが、先輩の探している人に、何か関係があるんですか」

 訊くと、先輩は困った顔で微笑する。

「こんな話、信じられないでしょうけど」

 そう前置きして先輩が話してくれたのは、狼に似た妖怪と連れ立って消えてしまった男の話だった。ヒトに絶望して、忽然と姿を消した……友人の、話。

「ううん、友人とも呼べない様な関係だった。私はあの人が嫌いで……あの人は私を鬱陶しく思っていた」

「それなのに、探すんですか」

「後悔しているの。どうして引き留められなかったんだろうって」

 思い詰めた様な先輩の横顔。僕には分からない。

 ただ、先輩の話には何だか覚えがあった。あれは、確か……

「先輩の作品って、もしかして、」

「……その人との、話よ」

 実体験だったのだ。それで合点がいった。自分で見た物、感じた事しか書けないと云う作家は珍しくない。先輩もそう云うタイプだったのだ。だからこそ、あそこまで細かい描写が出来たのだ。鮮明に思い描ける程の、文字による描写。

「……信じるの? こんな話」

「だって、先輩が嘘を吐く理由が思い当たらないですし……嘘を吐くなら、先輩ならもっとマシな嘘を吐くでしょう」

 そう云うと、先輩は少しきょとんとした後――笑った。今度は絶対。

「ありがとう」

 その一言が、僕には堪らなく嬉しくて。

 だから決めたのだ。この人が、探し人に会える様、自分に出来る事をしようと。精一杯、出来る限り、幾らでも。

 その結果が、例の甲斐甲斐しさだ。それだけでなく、他の部員の知らない所で探しに行くのにも付き合った。旅費の為にするつもりの無かったバイトも始めた。それらしい噂を可能な限り収集して提供したし、噂を確かめる為に合宿の行き先として提案したりもした。当然、合宿中は殆どカミコ先輩に付きっ切りだった。

 そうして僕は、文芸部内ですっかり「カミコの忠犬」として認識されたのだった。

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