少年の失くしもの

黒崎エノ

少年の失くしもの

僕達は昔からずっと一緒にいた。

一緒に喜んで、怒って、一緒に楽しんで、悲しんだ。



ある日、君は傷だらけで僕の元へ帰ってきた。

君は顔を熟れた林檎みたいに真っ赤にして


「転んじゃったんだ、そこの坂で」


と恥ずかしそうに笑った。



だけど僕は知っている。

本当は君が嘘をついていることを。

細めた目の端に溜めた涙も、必死に隠そうとする手の隙間から見える痛々しい傷口も、坂道で大勢に囲まれた君も。

僕は全部全部知っている。


「大丈夫だった?もう帰ろうか」


そう言うと君は喜んで僕の手をギュッと握った。

僕もギュッと強く優しく握り返した。

君が僕の元に帰ってきてくれたことがとてもとても嬉しかった。




別の日、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら僕の元へ帰ってきた。


「宝物が川に流されたんだ」


と悲しそうに大粒の涙を溢れさせた。



だけど僕は見たんだ。

本当は川に流されたんじゃないってことを。

誰のものかもわからない手にもみくちゃにされて、

無数の棒のような足で踏みにじられたこと。

僕はこの目でしっかり見た。


「大丈夫だよ。きっと見つかるさ」


根拠の無い僕の言葉にこくりと頷いて


「こんなのあんまりだよ」


そう呟いて僕の手をギリギリと握りしめた。

言葉にしなくても静かな怒りが手のひらから伝わった。 僕は君と一緒に泣いた。



ある日君は帰ってこなくなった。

雲ひとつない真っ青な空だった。


今では蹴られても殴られても何も感じない。

喜びもしない。怒りもしない。

悲しくもないし、楽しくもない。


ただ胸のあたりが急に軽くなった気がした。

もう手のひらからあの温もりは感じない。


「いつから君は僕の側にいたの?」


初めて蹴られたあの日から?

いや、もっとずっと前からだ。


夢を見たあの日だろうか?

いや違う。きっと、もっとずっと昔のこと。


「あぁ、君は。君は、ずっと僕の側にいたんだ」


初めて風を感じたあの日。

初めて叫んだあの日から、僕達はずっとずっと一緒だった。



とても大切なものを失った。

けれど僕には何も感じるものはなかった。


雲ひとつない青空は空っぽだった。

僕の頬を涙がたった一筋だけ伝った。


きっと、今の僕なら簡単に押しつぶされてしまうだろう。

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