第2話

「実は私、ホームレスなんです!!」


 ……。それ、そんなに堂々と大きな声で(しかも腰に手を当てて)言える事なのだろうか? 僕だったら絶対無理である。


 ホームレス。その名の通り、家を持たない人を意味する。事情は人それぞれなのだけれど、この子も何かしらの理由でホームレス生活をしているに違いない。


「はぁ、ホームレスですか。だから橋の下なんかにブルーシート敷いてるんですね?」


「まぁそんなところですよ。それにしてもあなた、よく私に気付きましたね」


「橋に沿って歩いていたら、不意にあなたを見つけたんです。よく見たら着ている制服とかボロボロだし、心配になったので話しかけたんですよ」


「そうだったんですか!? 心配してくれてありがとうございます!」


 今にも泣き出しそうな顔になって、強く僕の手を握ってきた。ありがとう、ありがとう、とピョンピョン跳ねながら、何度もお礼を言ってくる。


「いや、あの、もういいですから」


「あ……。そ、そうですね。ごめんなさい……」


 そう言うと女の子は僕の手を離し、少し離れて俯うつむいてしまった。気持ち良くない沈黙が二人を包む。ちょっと悪い事しちゃったかな……。


「そう……ですよね? ホームレスなんかに、触られたくなんかないですよね。……すみません、調子に乗っちゃって」


「いや、違いますよ。そういう訳じゃないんです。こんな生活してて、こんなに元気でいられるなんて。ちょっとびっくりしただけなんです」


「私、いつもこうなんです。ホントは泣きたいくらい苦しいのに。けど泣きたくても、もう泣けないんです」


 彼女は徐に、自分の心境を語り始めた。そして……「もう泣けない」とは、どういう事なのだろうか。

 途切れ途切れではあるが、彼女は話し続ける。


「四か月前、家庭崩壊しました。父が、他の人と浮気してたんです。実際、あの頃父は確かに家に帰ってくる時間が遅くなっていました。帰ってこなかった事も何回か。母も私も、父のそういった行動に疑問を持ち始めたんです。そしてあの日、父は急に母に離婚を迫ってきました。「他に女ができた。別れてくれ」それだけ言って母にハンコを押させて、父は家を出て行きました。もちろん母は取り乱しました。毎日泣き続けて、遂には頭がおかしくなって入院したんですよ。でも……、本当に最悪なのはここからでした」


 彼女の声色が、急に変わり始める。


「私はまだ中学生、つまり義務教育が基本なんです。しかし、母は重度の精神病で入院。こどもを教育する能力なんて無くなっていました。……私の保護者名儀は? 親戚、いとこ? そんなの私の家系にはいませんでした。私は何処に預けられたと思いますか? 浮気した父の所でしたよ! 離婚なんてこんなもんだろみたいな感じで、無感情に家を出て行ったあの男の下に預けられたんですよ!? そして、見知らぬ女もいました。母と私から父を奪った悪魔がいたんです! 解りますか!? これから毎日、この男とあのクソ女の下で暮らしていかないといけない苦しみが!!」


 彼女は吐息が僕の鼻元にかかるほど、歪んだ顔を近づけてその怒りを言い放つ。僕にはもう、会話の間に言葉を入れる事すらできなかった。激しい口調のまま、更に続ける。


 「まさに地獄でした。あの女は私にとても優しくしてくれましたが、正直言ってとってもウザかったです。話しかけられても大抵は無視。しつこい時は「うぜぇんだよ、クソ女!」とか「死ねよ、クソ野郎が!」とか言って拒絶してましたよ。だけど、それでもあいつは笑ってました。私にはあの状況で出る笑みの理由が解らなかったんです。そして……一か月前でした。父は、アイツに捨てられました。通帳の中身も空っぽにされて……。あはは、笑えますよね? これで父も一文無しですよ? 会社もクビになり、借金まみれ。しまいには家を売って、私のところから消えました。やっと気付いたんです。ああ、あの女の笑みは私からの罵倒に耐える強い姿でなく、これから始まる、私たちの地獄以上の苦しみへの嘲笑だったんだと……」

 

 やっと……彼女は話を終えた。

 さっきまでの狂気に満ちた彼女の表情は、今ではすっかり消えている。むしろ……最初に会った時より元気になっていたのだった。「ツライ事は、人に話すと少し楽になれる」とはよく聞くが、本当にそうなのかもしれない。彼女のその過去の話からすると、相当なストレスが溜まっていたのだろう。

 彼女が話を終えた後、周りには沈黙が渦巻いていた。身体からだに感じられていた川の涼しげな空気は、今ではもう寒気にしか感じられない。

 俯いてしまった彼女を見て僕は一言、恥ずかしながらにこう言った。


「……僕の家に来ませんか?」


 

 今、僕は彼女と神田川沿いの道を僕の家に向かって歩いている。


「あのっ、ホントにいいんでしょうか? 私みたいなのが家にお邪魔しても」


「いいんですよ、遠慮なんかしなくても。むしろ大歓迎です! 小中時代に家に滅多に人を呼ばなかった僕が言うのも難ですけど、人を連れてきた、それも女の子を! となれば母親も泣いて喜ぶでしょうしね」


「そっそうですか? 今日は……いろいろとありがとうございます。私の話を聞いてくれたうえに、家にまで招待してくれるなんて、うれしいです」


「礼には及びませんよ。僕はそんなに感謝されるような事もしてません」


 久しぶりに歩く路上らしく、僕たちの横を走っていく車にさえも少しばかり怯えている。彼女は僕の腕を掴み、後ろに隠れるように歩く。車が来るたびに、その腕を掴む力が強くなるのだった。……なんか、いい感じ。


 ここで僕はある事を思い出す。


「すみません、あの」


「はっはい! 何でしょうか」


「あなたの名前は……?」


 僕の後ろに隠れながら、彼女は言った。


「私は、広瀬衣怜那と言います」

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