夜桜の句

 春は遠い。早くに来た夏は漸く冷めだし、ビル群へ落ちる夕は宵と滲み始める。9月の末、妹が所用で東京に出てくるというので終業後父親と共に3人夕飯ついでに都内で落ち合うことにした。丁度アクアリウムの展示が行われており、彼女は用事のついでに其れも見てきたのだという。幾らか写真を見せてもらえば、絞った地灯りの暗い室内と水槽を照らす鮮やかな色が幻想的に思えた。その色合いの所為か、後ろに置かれたパネルの所為か、酷く夜桜を思わせるものがあって、思わず瞬いた。

 自分の記憶が確かなら、未だ伊豆にいた頃、中学生になる前の事だ。幼かった妹と自分と母親の三人で近所のお大社へ夜桜を見に行ったことがある。父親は当時遠く九州へ単身赴任していた記憶があるし、自分も母親へあれこれ言って返した記憶があるから、きっとその頃だろう。近所のお大社と言えば、神池の周りを濃く薄く池面ぎりぎりまで覆うような桜々が大層見事で有名な場所だ。その夜は、夕暮れ時に家を出たから遠く西の空はまだ仄紅かったのだが、池の周り、径路の外側に並び立つ雪洞と屋台が赤々と仄色の花を夜空に浮かべていたのを覚えている。常は静々と満ちる神池の、昏く沈んで路の端と同化する様と言い、池淵の桜の、屋台の白熱灯に燃やされて一層煌々と池面に倒になる様と言い、昼間とは様相をすっかり変えて、逢魔刻と呼ばれるに相応しく確かに異界と交わる特異点のように思えた。

 その帰り道、お大社から南へ走る旧道沿いに村社へ逸れる道を歩きながら、母が珍しく機嫌の好い調子で、さっきの桜で一句読んでみようじゃないかと言いだした。その少し前の頃に詩を書こうと筆を取りだした自分の事も母の頭にはあったのだろう。当初お前の文は独り善がりだから止めろと言っていたのに、と思ったことを覚えている。妹が分からないよと言いながら「夜桜よ ああ夜桜よ 夜桜よ」と詠んでいて、同じ語を繰り返すのはありなのかと母親に問うた記憶がある。なお田原坊の「松島や、さてまつしまや松島や」を知るのはそれから随分後の事となる。肝心の母の句も、自分の句も全く記憶にないのだが、その句だけはよく覚えている。ただ、それを正しく狂気と認識していたか定かではないが、あの異界と交わる狂気を詠みたいと思ったことだけが確かだった。

 あの狂気は何処から来たのだろう、何から来るのだろう。仄光をもって天も地も埋めんと侵蝕する白だろうか、それとも夜の花に意味を持たせ騒ぐ人の方か、はたまたその両方か。人が狂ってない事はないだろう。しかし椿でも梅でもなく桜に狂気を感じるのは何かあるはずだ。譬えばその色か。殆ど白でありながら決して白でない色。椿それも梅もさなりき白かりき云々、とは与謝野の歌であるが、白は罪を問う色だという。潔白とも言うし、理解はできる。ならば、暗闇の中で確かに視認できながら決して白ではない色に罪を問われぬまま酔うのか。ところで、ご存知の通り幻を想うと書いて幻想と読む。幻のように儚く何処か非現実的なものに古代は神を見出したのだとしたら、古事記の表記では木花之佐久夜毘売が咲いた木の花の女神で、美と短命の象徴と言われるのにも納得する。周りの木が今と違って桜であるとは限らず、夜闇の中では暗く沈むばかりの中で、その花だけが仄白く笑うのだ。幽光で夜闇に確かに浮かび上がる花の、輪郭の覚束なさ、風によって光の当たりが変わって、また散って、決して全貌が見えず刻々と変化する細部を幻と見たのに違いない。夜とは死の時間である。魔物の時間、百鬼夜行の頃である。その夜に煌々と咲く生に、触れれば零れるような脆い花に恐らく異界そのものを見出したのだ。零れる梅も、舞う菊も、崩れる牡丹も中々だとは思うのだが、桜の繊弱さには敵わない。その幻を神とするならば、日本人の精神もののあはれとして語られるに屹度相応しい。現実、江戸時代に本居宣長は「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」と詠んでいる。散り際を賛美するではなく、朝日に佇む桜の、脆く、狂気を解きながら腹の底から狂っているのを麗しく思うのが彼のもののあはれであると言う。残念ながらこの歌は、戦時中軍部により散り際を賛美する歌として解釈を捻じ曲げられてしまっているのだが。日本人の精神とは同時に日本人の狂気でもある。その狂気故に、花の散る儚さや潔さを諸行無常に譬え、時に人生を投影し、その樹の下に屍体を埋めたのだ。

 さて、桜である。男を惑わせ、女を鬼にし、時に浚う桜である。殺したり殺されたり狂ったり狂わせたりする桜である。得も言われぬ寂寥と静寂と幽玄と刹那を佇ませる桜である。本朝、多くの物語で語られる花である。奈良まで遡れば花は梅だともいうが、それも今は昔。花見の狂気も、祭り《狂気》の後の寂寥も、染井吉野によって加速したに相違ない。江戸時代に配合され、全国に何万本と植えられたクローンによって。染井に居ながら吉野のような桜が見られると名付けられたそれによって。花と葉が同時につく山桜でも八重桜でもなく。染井吉野や江戸彼岸の、葉よりも先に花が付く特性を、咲き狂うとも咲き乱れるともいえるあの特性を以って語られるからこそ一層恐ろしくなったのだ。幹の涅色とも黒橡とも言えぬ色を除けば一斤染めより薄く、退紅よりも淡い、殆ど白のような色で一面が覆われる。其処に葉はなく、群生して花の萼も見えず、吹けば散る弱さゆえに天も地も同じ色になる。空を覆わんと侵蝕する一面の同じ色は容易く人を狂気に陥れる。花見客の内、本当に生きている人間はいるのだろうかと問うたのは、さて一体誰だったか。

 そう、桜である。その樹の下に生者はいないと言われる桜である。墓標であったと言われる桜である。桜の樹の下には屍体が埋まってゐる、いたこともあるのかもしれない。都市伝説とも言われるが、諸兄らに於いては梶井基次郎の小説、桜の樹の下には、を真っ先に思い出すだろう。もしくは西行か。彼の場合正しくは、桜の下で死にたい、ではあるが。それか西行自身じゃなくて能の西行桜かもしれない。「春の夜の、花の影より明け初めて。鐘をも待たぬ別れこそあれ」。確かに有名になった一端は梶井の小説だろう。それ以外だと桜が陰陽道的に陰の性質を持っていると言うのが都市伝説の一端担っているらしいが、その説だと柳は陽の性質を持っており、柳の下に幽霊が出ると言うのも可笑しな話だ。この陰陽の性質もどうやって決められたのか甚だ怪しいものではあるが。そう言えば桜染めは花びらではなく、蕾が付く直前の枝を使うそうだ。若し桜を墓標と言うのならば、爛漫と咲き乱れている樹の下へ一つ一つとあるならば、枝には死体から吸いあげた血が含まれていて、その血の色で染まっている。死体の分解速度の方が屹度速いが。花が死体の血で染まるというのなら同じように布も血に染まろう。命の染物だと言うのも納得に難くない。元々桜は白い花だったという話もある。染井吉野なんかも年々白くなっていると言われる。それもあって血で染まっているなどと言われるようになったのだろう。尤も、成長に伴う眼細胞の減少によって可視色が減少しているというのもあるのだろうが。同じ空の色なのに、幼いころ見た空の青さが鮮烈なように。

 結局は其れと同じなのだ。桜の罪も、寂寥も静寂も幽玄も刹那も、祭りの狂気も。見つけて以来、屹度其れに非現実をずっと見出し続けたのだ。八重が一重になろうとも、花の時期が多少ずれようとも屹度重要ではなく、死の季節を乗り越え無事に迎えた春に、命の季節に刹那死んでいくからこそのあはれを見つめてきたのだ。仄かな、年を追うごとに見えなくなる幽かな色を見つめ続けているのだ。その下に生者は居らず、其の脆さ故に狂乱と異界を見出され、古くは信仰や占いに植えられた。姿は変わっても屹度其の性質は変わらずに来ているのだろう。西行が詠んだ桜の咎も、本居の感じた大和魂も、梶井が見つけた屍体も、その本質は変えずに今後もあり続けるのだろう。

 年が明けて、突き刺す冬が明けて、また花が咲く、花が咲く。川沿いを真白に染めて花が溢れる。仄紅い緑が追うように鈴なり命を光らせる。幼いあの日に鮮烈に突き刺さったあの狂気を、境内に湛えられたあの奇妙な違和感を、もう一度見に行かなければならない。そうして、あの夜から幾らか年を経た自分がその桜に何を思うのか、それを一つに詠って、そうしてやっと。屹度自分の中であの日は終わるのだ。

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