四章・温泉

 外は日が照っている。

 このベルゼの町は宿の風呂だけでなく、温泉が湧いているという。

 石造りの町にときどき建つ木造の小さな小屋、その一つ。

植物の置かれたカウンターと、奥にベッドがある。

 手前には、座ってものが読める椅子が三つ。

 まるで本屋のようにとはいかないが本も売っている。

 本は壁の本棚に陳列されている。ここは小さな情報屋だ。

 夜は変態が集まって小さな娼館になるという噂の情報屋で、

 椅子に座り、パピルス紙一枚分の手書き新聞を読むシュナイヴ。

 情報屋というのも物語の種を集める今のシュウには必要だが、

 新しい冒険者がのきなみ減って騎士が情報を統制する今では、

 情報屋はギルド並みに不人気になっているので、この町にはここしかない。

 最近、この国の字がまた読めるようになってきた。

 心因性か、もしくはイフロムのお陰だ。その両方か。

 小声で読み上げるシュウ。

「セシハカの神が守る歴史ある港町、トルトリの町で大きな召喚事故。

 召喚ショーの最中、用意された魔法陣に誤りがあり、

 ドレイン・デーモンが町なかに1体召喚。控えていた騎士団が鎮圧」

 やとわれた男女計10人の召喚士は始めに悪魔に吸収されて死亡、

 ほかにも多数の被害……、悪魔は魔界に送還された、とある。

「ショーは中止、今後は禁止することを決定……。

 レイセオンの王の一人、最も力を持つ美髯王イゥンジャンが最終国に訪問、

 皇帝マリガル陛下と会食の予定。我らが最終国、女皇帝のお手並みはいかに。

 交渉材料の少ない中で滞在期間中にどの程度の親交が深められるかが課題か……。

 格闘チャンピオン・拳の聖者クロユリが、帝都闘技場で二回目の優勝を果たす。これは。

 大魔導士を名乗るハラエライト、王宮に大きな熊を放った罪で投獄。はははっ……え?」

色々と書いてるのは本当に面白い。

 情報を集めると、時としてプレゼントのように重要な出来事も分かったりもする。

「ん。先日ベルゼの町にオープンした菓子屋が売れ行き好調につき、

 小麦粉を高級なものに変更、値段はそのまま。新しい菓子屋。どこだろう?

 ……おや」


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「温泉か。そういう施設があるのは良いことだ」

「お兄さん、温泉好きなの? そこウチの知り合いがおる」

 日出国から来た鬼娘、チョウソカベ・サチ(長宗我部幸)。

 カウンターから人懐っこく笑う。

肩までの黒髪で額のところから二本のツノ。栗色の瞳、大人しい鼻、胸も大人しい。

 袖が少し垂れているなど着物のようなところがあるシックな花柄のメイド服。

 客寄せ? その効果はある。長いスカートも優雅。シュウの近くに来てくれた。

 クッキーのかおりがする。食べていたのだろうか。顔つきは幼く背はイフロムと近い。

 まるで子供のようで、言われないと絶対分からないが、シュウより年上だという。

「チョウソカベ、サチさん……。愛称があるといいね」

 隣の椅子に座り、

「覚えにくいでしょ~。来てくれるし、サチでええ。

 フェリシティって、分かる? おんなじ意味ながよっ」

 明るい表情。

至上の幸福フェリシティ。幸福を示す名……か。

 教えてくれてありがとう、サチ。

 君と同じくオレは日出国に住んでいたこともあるんだ。

 でもオレが居たのは海沿いの何もない村だった。

 ただ、船が行き来していたから、

 生まれる前にこの国から行って、……、

 今は戻って来たんだ。

 君のいた所はどこかな。知ってるかも」

「コチ。旅とかしたけど、出身はそこ」もじもじして答える。

「知らないな……」

 サチはこけるフリをして、

「やろ、と思った。良いとこぜよぉ。あは、普段こんな言い方せん……」

「ふうん。スシ、はあるのかな?」

「はい? そんなの、どこでもある……。

 でも味の方は海、近いほうがええろ。全然ちがうでしょ」

「きっとそうだろうね。あまり食べたことがないんだ、昔は興味なくて。

 この字は君が書いてるの? きれいな字だ。読みやすい」

「そう? そんなの仕事やき。仕事だから。それで?」

「いやいや、綺麗だ。オレは急いで書き過ぎると、

 自分の書いた字がたまに読めない……。よくインクを倒すし」

「あは! お兄さん。笑わそうとしゆう? きゅーんっ」

 用事を済ませて、ここを出ようと立ち上がるシュウ。

「いや、ほんとにそうなんだ。もちろん笑ってもいいよ。元の話は何だっけ、温泉か」

「そうやね、温泉好き? ウチ心細いろ、外国に居って。

 だから……一緒に入ってもかまんよ。かまいません」

 目を閉じて頬を当てるようにシュウの腕に抱きつく。手と頬が柔らかい。

 特に記さないが、色々と隠れた特徴を見つけ、噂は本当なようだと感じた。

 ここが夜には変態の集まる小さな娼館になるという噂のことだ。

 今いる女性はサチ一人。少女と言われても全然分からない。男も一人。

 タイミングを計り男を誘い、そういう仕事をしている、のか。しかし、

 サチを買う他の男と鉢合わせしたいかというと全然したくない。

「お金もないし。経験がないんだ」

 言葉とは裏腹に鬼娘の頭を撫でてしまうシュウ。心地よい。年長の感触ではない。

「ハジメテかぁ! もう、なら言って……」

 角は少し硬い。恋人が居るのならこの感触を自由にできるのだろう。それと客も。

 ほとんど甘えているように、あわくて良い匂いをふりまきながら離れる。

 シュウを引き込むことを意図し、そんな事しないほうがいいかも、

 と加減もしてくれているわけだ。そんなことでやっていけるのか心配だ。

「オレもわがままだと思うが、自分の気分でないとノらないんだよ。

 ん……? サチ、君が大事でないという意味じゃない。

 何か読むものが欲しいとき、ここは最高だ。

 ベルゼの本屋は今ちょっと高いようだからね。

 ……、ああ、行くところがあるから」

 シュウは100ギルの紙幣をサチに渡し、

「これ、もらっていくよ。さよなら」

 手書き新聞をもって出ていく。扉を閉める。

「お金ないがやろかぁ? もう、もう、メンドクセーッ! もう」

 うまくいかなかったのでやっていることがいやになって、もじもじするサチ。

 がちゃりと扉が開いて、シュウが顔を出す。

「ああごめん。子供用の本があったと思うんだが……」

 と言ってまた入ってきた。紙幣をサチに渡す。

「子供さんに? そう、おるのぉ~? ウチ、ほんとさみしい」ぶーたれ顔。

「え? まだだよ。子供……。自分だって余裕はないんだぜ。これ下さい。サチ」

 しょうがなさそうにサチは笑った。


 帯剣した男とエルフの娘が木陰で話している。

「ねぇ、ここからでも、湯気が見える。行きませんか? アースリィ」

「オォン? 温泉かぁ~。

 だいたい風呂は好きなんだがなァ、行きたくねぇような。

 傷が開いちまうといけねぇ。体もイてェしよぉ~」

「傷に良いんですよ。それに、もう頭の傷はふさがっているみたい。

 覚えていないでしょう? すぐに治してもらったの……。

 どうして、わたしの魔法じゃ嫌なんですか?」

「んあぁ~、……。エルフは魔法を使うと寿命が一日縮む。

 髪の毛が一本、老けるんだ。俺の婆ちゃんが言っていたからなァ」

「え? そんなことで……? お婆ちゃん、はエルフでしたか」

「ただの人間だぜ。

 でも、物知りだったなぁ~。

 そんなの耐えらえるか? 重すぎるよな?」

「さぁ? わたしはエルフです。もしそれがほんとでも、

 一日なんて、髪一本なんて、ほんのちいさな……」

「俺が耐えられねぇッ! ……」

 謎のこだわり。ただの人間である彼は、

 長命のエルフより先に死ぬだろうに。

 うるさくて最低の男で、しかも先に死ぬくせに。エルフは微笑む。

 二人のもとへ少女が歩いてくる。

 黒猫を抱いた、

 白化症(肉体が全体的に白化する、アルビノ)? 少女が歩いてくる。

 二人の見たことのない神秘的な紫色の瞳、黒の草模様が入った白のネグリジェドレス、

 ドレスの胴から下は、前の方だけ逆三角形に空いている。

 下着を履いていないが、形が良いばかりで性器のようなものは見えない。

 羽根の装飾がある金色の靴、脚線美を引き立てている。

「オーナ(ええと)……。ワタシ、カラーアリス」

 話しかけられた男はアースリィ・モッズ。ゴロツキのような男。

「……。な、なんだ……?」

 エルフ以上の美はモッズを警戒させる。それは、魔物だ。

 しかしそれは単に経験則。少女はそういうふうではなく微笑んで言う。

「ワタシヲ……私を仲間にしてほしいの。

 トアズラオキア・サナア・ミラ……私と一緒に……」

 紫色の瞳が輝く。モッズは僅かに警戒し、

「……。俺は冒険なんかやってねぇぜ。このなりでもな。引退したんだよ」

「こ、この子は……? とってもかわいい……。

 わたしは……普段から耐えているのに! かわいい子が来るなんて~っ!」

 いきなり泣きそうになって、エルフ、リューンナナがモッズを見る。

「知らねぇよ!

 ――おい、お前に言ったんじゃねぇ。気にするな」

「キニシテナイ」

「仲間って、何の仲間だ。いや、ダメだダメだ、もう帰れ!」

「……。ウン、ワカッタ……」

 とやけに物分かりよく猫を下ろして走っていく。黒猫もついていく。

リューンナナが泣き出したのでモッズは抱き寄せた。

 しかし少女は草陰に隠れているつもりで、モッズを見ているのが分かった。

「???」

 どういうことだっ?

 ただの魔物なら滅茶苦茶にしてやって遊びまくるんだがな、グへへ!


シュウは一人で温泉に行こうと思い、

 まずは宿屋の部屋に戻ると、中には猫むすめのフォエンが居るだけ。

 しっぽがゆらゆら、誰が入って来たのか見ずにわかるのか、

「シュウさん、お邪魔してますニャ~」

 じっと本など読みながら、勝手にベッドに横になっている。

 もちろんシュウは前にオッケーしている。

 素敵な先輩が自分の使うベッドの上、何の損も無い。

 シュウは手書き新聞を胸ポケットから取り出し、

 それと購入した子供向けの本を荷袋に放り込む。フォエンに言う、

「シュウ、でいいんです。

 オレの尊敬する先輩なんだから。……彼女、イフロムは?」

「部屋をもう一つ借りるって言ってたニャ。

 じゃあ、先輩じゃなくて名前だけでいいんニャ。ボクは年下……恥ずかしくないの?」

 別に恥ずかしいとは思わない。それは、

 もちろん彼女の挑発というエスコートだろう。

 作法では男性がすることだが、お作法と違い実際には、

 女性でも何かにそって誘導する。

 シュウがフォエンを見ると、

 本を置いて向き直って見るフォエン。

「勝手に上がってごめんニャ。ボクの名前を、呼んでみて」

 その提案に挑戦するシュウ、

「フォエン、先輩……先輩。フォエン先輩」

 ? 変えられない。

 変えていいというのだから。

 変えてもいいはずだ、

「センパイ、あれ?」

 でもどうも、うまくいかない。もうちょっと時間がいるのかな。

 フォエンは何か感情をぶつけるように、それにしては優しく甘く、

「ねえ、シュウさん。色々呼んでみようか。ねぇ、シュウ、シュウ君。ふにゃ~」

 フォエンはベッドの上で伸びた。

 本当に可愛い事だが色々意味がある。

 今のシュウは猫むすめのソムリエになったように間違いようもない、

 最初のシュウさん。は、簡単な事をしてくれなかったことへの小さな報復のフリ。

 シュウ、は、試しに呼び捨てをしたかった。シュウ君。はパターンの模索。

 ふにゃ~、は挨拶だ。

 間違いようもなく、それを理解した。要するに変態だ。

 とても立派な変態が居るが、猫むすめもそれを喜んでいる。

 数年にわたり色々な手紙を交換し、実際に会ってからダンジョン探索。

 お互いの良い点が、ちょっとした所にもよく現れて見えて、

 二人の今は、恋。そんな感じだった。

「先輩、可愛いです。今の声……」

「ニャ……。い、言わんでいいニャ……」

 フォエンはシーツに綺麗なふとももを擦り付けて、

 ベッドの上でコロンと動いたり伸びをする。

 布に触れる感触を感じながら、わざと、そして本心から、油断したように力を抜いた。

 動きでシーツにしわが出来てスカートもめくれる。下着は、今日は淡いピンク。

 興奮したしっぽが、シーツにぐにぐにと食い込んで巻き込む。

 この夜、シュウはそのベッドで寝るのだが。

 夜、思い出しても良いということだろうか?

 夜にも同じ町、近い住処に居ることを考えると耳が熱くなった。

 やはり、これは恋愛だ。二人で居ることが嬉しい気持ち。

 シュウは後で自分がこの記憶を使うと直観しながら、

「そんなことをして……っ。

 先輩は、伏線という言葉を知っていますか! 

 オレは今のを、それと認め……」

 フォエンは我に返ったように一瞬、下着を隠した。

 感覚の優れたフォエンはこんなことをしていても、

 少し前に足音が聞こえた。

 ガチャ、とイフロムが入ってくる。

「シュウ、帰ってきましたか」 

 シュウは「ッホン」と咳払いし、

「――でもどうして、部屋を二つ借りるんだろう」

「伏線でしょ、それくらい知ってるニャ~……。おはなしすき。

 寝てたら、掃除の人にびっくりされたからって、言ってたニャ~」

「……?」

 おかしな空気、この二人まるで、二匹の猫。

 人が来ると急に、それまでしていたことを止める。

 していたとは何を?

 首をかしげるイフロム、

「部屋のことですか? そのことならば、そうです」


 魔女の帽子とマントを持つイフロムは、

 休む時にそれを変化させてコウモリのような形で天井に張り付く。よく眠れる。

 帽子も含めて、ハザード・マント・ベアトリスという。

 常識に近いもの。それを変えるほどの寝心地だ。こんなにすごいものはない。

 もちろん睡眠の世界観以外もいろいろと壊せるものだから、


 誰かに少し自慢をしたい。


 金属と異空間技術、意思を持たないホムンクルス・ボディで出来ている。

 だから、その実質や触り心地は好きなものに変更できる。

 普段は光沢を抑えた絹にしてあるが、植物でも人肌でも、獣の感触でも、

 体に良い金属や鉱石でもいい、そうやって疲れを取る道具にもなる。

 武器にも……。なんでも劣化の無い本物以上に再現する。

 イフロムは普段から使い過ぎて、それを忘れてしまうことがあるが、

 人からは分からない極秘のアイテムだ。本物には劣化がある、これには無い。

 働き者がこれで眠れば、最もよく眠れた頃のように、

 いつまでも最高の夢を見ながら眠ってしまうだろう。

 そして起きたときにはちゃんと身体は休まっている。

 見た目がコウモリかミノムシだが、……。

 最近、それを他の人に見られたことがあった。


 その日はなぜか頼んでおいた時間でなく、

 昼過ぎになる前に清掃の人が来て、

「失礼します、

 部屋の掃除に来ました……。

 うきゃあああああ!」

 うるさい声だ。

 シュウは上着を着終えた所で、起きるのは遅い方だが、

 私、イフロムはまだ寝ていた。

「? ……。何ですかぁ」

 私は惰眠を好む。とても。

 何の用事もない日は昼まで、時にはそれ以降も寝る。

 好きなだけ寝ていたいのだ。余計なことがなくなるまで。

 もちろん用があればすぐに起きて……。

 叫ぶメイドさん。

「きゃあああああああ!」

「……」何?

 想像と比較して背の低いエルフの女。 

 恐怖のコウモリ魔女を見て震えている。

 口を出すシュウ。余計な事を言う。

「こういう寝方なんですよ。魔女だからかな? だから大丈夫――」

「ひいいい、ま、魔女っ! ああああああ!」

 美人な方だが、多少静かにしてほしい。

「……」

 今の私は喋るミノムシに見えるだろう。

「……シュウ、降りますから。黙っていなさい」

 起き抜けで仕方なく降りてる気分は――イマイチ。

 惰眠にはツケがあるようだ。

 うるさい声、

「ひあああああ!」

 バンと閉めて出ていく。怖がりで脇役のメイドさん。

 この人、その日は清掃に来なかった。

 3日後の昼過ぎには来てくれたけれど、

 驚かせてしまった。

 だから、

「今度からベッドで寝ることにしました。

 隣に部屋を借りましたから、私に用があれば来てください」

 イフロムは少しスカートをつまんで、わずかにお辞儀。

 綺麗だな。この女の子の挨拶は、カーテシーと言う名の動きらしい。

 シュウは合わせるよう軽く一礼して、天井を指し示す。

「上に寝なくて、それでいいのか?」

「別にそれでもいいのです。マントはベッドの中でも使えます。

 他人を驚かせたくないので」

「わかった、イフロム。カラーアリスはどこだろう」

「どこかへ行きました……。

 ズウちゃんも、また居ないの……。

 私は好きな相手には嫌われるタイプかもしれませんね」

 などと言うのでシュウは励まそうとし、

「そんなことないさ。無償の愛、お花のような君に限って」

 イフロムは多少甘えたい気分になり微笑む、

「そうですか? シュウ」

「そうだとも。君の力は……」

 しかし力なんか褒めても、どうでもよかったようで、

「――何の花でしょう?」

「詳しくはない。が、マムの花。花言葉は、高潔。オレは君に――」(マム――洋菊)

 シュウが続けようとするのをフォエンも聞いているはずだ。

 イフロムは手を出し示してやめさせ、

「んっん。だといいのですが。

 まぁ、どこかへ行っても問題はないんです。

 私からは彼らの居るところが分かる。

 そうしておきましたから。

 私はマム? じゃあ、お母さんからは逃げられません」

 イフロムはシュウに近寄って手を伸ばしネクタイを直す。

 その手が届きやすくするため屈んでいた姿勢を戻すシュウ、

「そうだな……君の本当の子供が居れば、見てみたいが」

「居ませんよ、16歳なんですから」

「そうか。導師さまのご友人でいらっしゃる、偉大なる魔女イフロム。

 いくら探しても君の文献は見当たらない。ぜんぜん」

「何をして……。探さないでください」

 とシュウの胸板に手を置く。文献も無かったのでオーケーするシュウ、

「わかった。知らなくても君の優れた感性は学べること、理解し始めたしな」

「んぅ。私は感性なんか考えたことありません。

 私の知り合いは買い被りが多いんですよ」

「そうは思えない」

「いいえ、貴方もそうですね。シュウ」

「ふっ……。それにしても、動物の本を買ってきたのに」

「カラーアリスに?」

「そう。でも居ないなら仕方ない。

 本は荷袋の上に入れたから。

 ちょっと行ってくる」

「どこに?」

 シュウは首を傾げ、

「……。裸になるところ」

「っ? なぞなぞですか?」

「君はオレのプライバシーを考えるべきだな。

 分かりすぎるから、怖くなる。

 正解は……、戻ってから言うよ」

「夜には戻りますか?」

「ああ、心配しなくてもいい。その必要も無い」

「ふふ。心配なんかしていません。ば~か、ですね。貴方は」

「心当たりはいろいろとあるが。そろそろ行くから」

 思いついたように、急にフォエンの方に向いたシュウ、

「……オホン! ――せ、先輩も行きませんか」

 本を置いて寝転がったままのフォエン。

「えっ? どこニャ~っ?

 それから! ボクが花だと何かニャー」

「柿の実……」

「ん? なんにゃそのチョイスは! お花で~っ!」

「柿です。花は小さいが厚いし、実は大きいから」

「わからんニャ」

「ええ。ふつうのものは段々マンゴーのような味になります。

 リンゴほど硬く、しかしそれとは違い次第に柔らかくなり、

 最後には甘いままドロドロになる。勝手にジャムに――」

 フォエンはベッドから降りて、

「分かりにくいニャ。もっと説明は……しなくていいニャ~」

 薄紅色の尻尾、しぱぱぱとシュウの黒ズボンを叩きまくる。

「いいものなんですよ」

「え~いっ」叩く尻尾。

 なるほど、二人の遊びを中断したイフロムを花に例えたうえに、

 柿の実にされたのがお気に召さなかったようす。すみません。

 シュウは分かり過ぎるほどだ。

「い、印象ですから……」

 二人とも出ていった。

 イフロムはフォエンが置きっぱなしの本を片付けようと手に取り机に置く。

 ふと目に入るベッドの多すぎるシワをみて、あっ、と赤くなった。

 もはや二人が愛の行為に及んだ……という風に誤解したわけではない。

 誘う動きで作ったシワ、フォエンがシーツに作ったサークルを見て、

 恋の兆候を感じ取った。正確な認識。

 イフロムは神秘の技だけでなく、

 こういう観察眼も働くことがある。

「なんてこと……」

言いながら多少引っ張ったが、ハッとして、

 もうそれ以上は触らずに置いておいた。

 この後シュウが使うだろうから……。

――魔女も分かりすぎる。


 マントを留める紫色の宝石が光りを発する。

 イフロムはすぐに右手を開いて指を揃え、親指で人差し指の付け根を押す。

 印を結ぶことで効力を持つ魔法がある。その簡素なものだ。

「ジョンフラム」

その光りの中からイフロムの胸当たりの空中へ、小さな導師が現れる。

 小さな導師を追い回すようにつつくイフロム。

「うわぁ~。危ない! 危ないよ! なんてね。ね」

 やられたフリ、つつくフリだ、姿の像だけだ。今は触ることは出来ない。

 魔力の少ない静かな所で立ち止まっていないと使えないので、

 戦いのさなかには使えるものではないが、平和な時には連絡に使える。

 イフロムが近ごろ作り出した遊びのもので、特に流通させる気はない。

 これは、雨、風、いろいろな条件ですぐに使うことが難しくなるものだ。

 だんだんジョンフラムの像は大きくなり本人と同じ大きさで映し出される。

「温泉があるんだって。僕たちも行くから君もおいでよ」と地図を見せてきた。

「隠者イフロム。

 前回の、神霊ホムンクル……の件は、ありが……ざいました。またお話しを……」

 そう声がして、勇者の姿が光りの中に写り込んだ。

「ええ、ザ・ブレイブ。ですが例のコートの全摘は無理でした。

 村娘が掛けられるようなのは魔力と細胞の反応ですが、

 ホムンクルスボディの中に封じられていたのはプラチナ製、時間製、重力製の――」

「何重にも……そ……しい技ですな……内部……異次元に?」

「ええ、世界の誕生にかかわる巨大な魂を封じるために、

 時間と重力をも素材にするとは、よくできている……。

 今は半分が限界です。無理に解放しようとすると、

 この世界に影響が出てしまう。聞こえていますか?」

「聞こえております。はっ……あ……困りま……ね」

「私の声は聞こえてるんですね?

 あれは表面処理じゃない。

 あれじゃあ服従する器官です。疼いて惚れさせる。

 その為にあそこまでするとは、頭の痛い問題ですね。

 私の猫が前にこんなことをしているとは悲しいです」

「……に……なさらず……」

 この新しい魔法には送る側と受ける側との難しくはない立ち方がある。

 どうやら勇者はそのコツが分かっていないのか、像がちらついている。

 よく見ようとするイフロム。ジョンフラムが遮る、

「あ~っ、もう! 勇者さまが自分から話しかけたぁ。

 イフロムも話してるし。そんなことするなら僕は嫉妬の炎だ!

 僕と二人が仲良し。あとの二人同士はまぁまぁ仲良しでいいの。そうでしょ?」

「ふふっ。そうですか?」

「困り……たな。この通り、話も出来ないようですぞ」

「我儘だって分かってても、君たちの仲が良すぎると僕は破裂しそうなの。

 もう切るんだから。後で話せばいいでしょ」

「すみませんな」

「気にしないで! 話しましょうね! 聞こえましたか。ふふふ」

「きこえなーい。じゃーね。

 温泉で待ってるよ」

 ジョンフラムはソフトに投げキス、

 イフロムは微笑んで頷く。

「そうか、温泉。いいかもしれませんね」


 木陰で休んでいるアースリィ・モッズと、

 リューンナナ。その傍で遊ぶカラーアリス、ズウズウ。

「日が陰ってきたな。ちょうどだ」

「そうですか? あまり変わりませんけど」

「変わったんだよォ。おめぇはエルフの癖に自然を感じねぇのかっ!」

「差別。少ししか変わってないって言ってるんです~」

「フン。やっぱり温泉に行くか。

 どうせ夕方んなりゃあ、行きたくなってくるはずだぜ」

「最終国では夕方に入るんですか?」

「いいや朝だよ。でも今は関係ねぇな。夜でも行く……」

「レイセオンでも日出国のせいでお風呂がふえていました。湖もあるのに」

「フン。いいんじゃねえの? エルフどもが俺のために体を洗う、グヒヒ」

「そんなのダメ。関係ないでしょう。鬼族に興味は無いの?」

「さあ? 鬼族たちは、あれだ、朝、昼、晩。風呂に入りまくるんだよ。

 最後の最後、死にかけたときには風呂に入って休むんだよ。刀を持ったままな。

 湯船が血だらけになるが、あいつらはそれが信念なんだ。カタナ、知ってるか……?」

「うふふ、そんな。うそ! ほんとう?」

「嘘に決まってんじゃねえか」

「ネエ、ネエ、オーイ。コレ見テミローッ! モッテキタ」

カラーアリスは四葉のクローバーを見つけて摘まみ、リューンナナの傍に来て、

 仲良くなろうと触れようとしたり笑ったり。ちょっかいを出している。

 リューンナナは近寄ってきたカラーアリスに指先で太股を示して見せ、

「ほらほら……。どうぞ」

 ゆっくりとリューンナナの足に頭をのせるアリス。

 膝枕しながら言う。

「この子は、どこから来たんでしょう」

 カラーアリスは人間の恐れるミカエザ語を発しないように口元を押さえた。

「俺もわからねぇ。でも、今のところはしょうがねえぜ。

 それより温泉だァ。なんか無性に行きてぇ」

「はい。すぐに行きます?」

「少し後から行こうぜ、もうちっと休ませてくれや」

「はい、はい。わかりました……」

 それから一時間ほどして、

 そろそろあと少しで夕日になろうかという、まだ明るさが残る太陽。

 モッズたちが丘から降りると、ちょうどシュウとフォエンが歩いてくる。

 思いがけず会って驚くシュウ。

「モッズ! 何してる? お前は本当にどこにでも行く男だな」

「シュナイヴ、……てめえだろ、それはよ。前は、悪かったな」

「いや。……仕方なく聞くが、休んでなくていいのか。

 お前はあのとき何にやられたのだ?」

「這い出してきていた、ドレイン・デーモンのでけえヤツよ。

 俺様の回復魔法に怯えてやがったァ。セシハカの神に祈ったこの剣技にもさ」

「そんなわけあるか! ……。そんなのから逃げられるものか」

「向こうが逃げたんだぜ。グハハ! まぁ、それで助かったんだがな」

「もういい、傷は――」

「傷は大丈夫ですかニャ」

 フォエンが近づく。

「あんたが助けてくれたんで? 俺はアースリィ・モッズですぁ」

「いえいえ。モッズさん? 大したことじゃないですニャン」

 フォエンの頭に手を置いてネコ耳をつまみながら、礼のつもりで言うモッズ、

「いい女だなァ。獣人じゃねぇ、ソウルだろ。鞍替えしそうだ」

 鞍替えは、仕事、行動をほかに変えること。この場合は、浮気すること。

「まぁ!」

「ニャ~ッ!」

 リューンナナもフォエンも驚いて声を上げる。

 冒険をたしなみ、受ける感触に鋭敏なフォエンには、

 分厚くて節くれだった指は好きな感触だ。仲間の男の手はそういうのが多い。

 良い冒険が出来るような力があるなら、余計に貴重と言っても良い。

 そんな手に撫でられる、勝手な反応は止められない。

「は、放して……。フォエンですニャ。よろしく」

「! 塔の……。聞いたことありますぜ。思ったより若けぇ」

 今のがどうか分からないが、モッズは何も知らずに、

 その意図しない所で勝手に人を引き寄せることがある。

 そのあと相手を振り回すこともある。

 それを何となく知っているシュウはモッズを指さして、

「! アースリィ・モッズ、貴様~ッ!」

 フォエンを取られると思ったのだ。

「おっ! おめえがそんな怒るとは、そんな感情があったのか?

 いつもすかしやがって、そりゃいいぜェ! やめといてやらぁ。ハハハ」

モッズは今はこだわりなくやめた。

 頭の上では、エルフこそが最高と思うモッズだが、

 その本能はやはり他にも美しいものを探しているのかもしれない。

 美しいものと言えばもうひとつ。

「……。そうだァ、シュナイヴ、おめぇ、あれ知ってるか?」

 モッズが自分の体で隠して後ろを指さす。

「あれ?」

「ああ。近寄るとどうも殺気が無くなっていけねぇ。

 気を付け、ろぉ? おい……」

 モッズが止めるのは間に合わず、シュウは走って行った。

「カラーアリス!

 どこにいたんだ」

 カラーアリスはズウズウを抱いて立っていた。

「オマエナンカ、キライナノ……用なんかないのに」

 シュウは彼女の一度だけ言ったミカエザ語を聞いてから、いじわるする。


 私を見て不快なものを見るようにした。嫌な気持ちになった。


 実はそうではなく、シュウはカラーアリスの教育係になろうと思っているのだ。

 アリスの正体が分かれば何かを教えるなど不届きな事だが、

 それは知らないシュウの良心でもあった。

 今のシュウにはアリスが『人外の娘』に見えている。

 人外、人の棲む世界の外。スラングでは、人間ではない生き物。

 だからどちらにせよ、かなりの美しさをもってはいるけれども、人外の娘。

 実はカラーアリスの正体を知覚しても、

 カラーアリスの本心であるハハネの女神が許さない限りは、その記憶が失われる。

 だから他の認識が第一の感想に置き換わるのだ。許されれば記憶できる。

 それはこの地上に顕現したアリス自体にもゆるやかに影響がある。

「アリス。

 君はまだ、色々知らない事があるだろう?

 宿で待っていてほしいと言ったのに。

 居なくなったら、オレには見つけられない。心配した」

 そのドレスを揺らすように少しシュウを避け、

「ウソダネ。アソビニイッテタネ」

「嘘なものか。遊びには行こうとしたが。

 偶然見つけることもあるだろう? いま、そうだ」

「……ウウ~」

 紫色の瞳がきらめく。

「アオー……」

 ズウズウもつられるように鳴いた。

「ベエ、ダ。おそろしくつまらない男」真っ白い舌を出す。

 とんでもなく可愛いのだが、

 シュウは少し怒り、

「オレにも用事がある。

 本来の君はどこか、人とは違う遠くに住むのだろ。

 本当に居なくなったら見つけ出せないんだぞ」

 アリスはズウズウを抱いたままくるくる回る。

 だが、それをぴたりとやめ、シュウに伝える。

「ドウデモイインダゾ。オマエナンカミステルノダ。

 ワタシヲ嫌ウ者ハ、永劫の闇の中で雌熊に引き裂かれるがいい」

 実は今のカラーアリスは非常にストレスが溜まっている。

 天地自然の創造主、癒しの力。


 慈愛の権化でありながら、ス・ト・レ・ス・フ・ル!


 今のボディから出ていくことができないのだ。その点も腹立たしい。

 この世界、ネオファンタジアの神。この世界の上にあってはならない道具、

 神が地上に存在することを強制するたった一つの装置・神霊ホムンクルスから、

 大いなる魔女の手によって、問題となる器官が半分は摘出されたことで、

 そのフルなストレスは発散されようと表に出てきていた。

 しかし原因になったズウズウに腹を立てているわけではない。

 他の魔物や人間をどうにかしようというわけでもない。

その点は計り知れない。

 おそらくは良い事に、半分のオーガンでは、カラーアリスの中身、

 ハハネの女神を押しとどめることはできない。力が戻ってくるはずだ。

 だから、いずれはホムンクルスを抜け出して元の天界に戻ることになる。

 それまでは自分の世界を見まわし、ゆっくりして遊んでみようという意図も少し。

 特にシュウに対して初対面でホムンクルスに刷り込みが起こり、

 いじっていいやつ、遊んで、もてあそんでいい、と判断している。

 モッズに対してはその獣……察知した半分のオー……が疼…………ている。

 神と恋に理屈はないと詩人は言う。それは真実か、幸運か、不運であろうか。

 事情も意味も知りえないシュウは、

「どうでもよくない。嫌い、といつ言った?」

 とアリスの頭を軽くつく。

 何故か機嫌が良くなった様子で、

「オッ! アハハ~、ヤルナァ~。ユルスゾ。

 ――でも最後には終わらない地獄へ投げ捨ててやる」

 とシュウに抱き着く、シュウはそれを受け止めてから降ろし、

「この。ゴホニ・ゲヘナの話などするものではない」

 ゴホニ・ゲヘナ、人を含むゴミ捨て場。くだらないことをいう子だ、

「なんだか、教えることが多すぎるようだな。

 それに、彼女から紹介されたんだから、

 君とオレは、特別な知人同士だ。帰結するのは未だに君がそれを……。

 ――おーい、先輩、すみませんが、待ってもらえますか?」

「ニャ~。大丈夫、待つから」

 フォエンはシュウの方へ歩いていく。

 モッズはそのまま歩きながら小声、

「じゃあな……。といっても同じ行先か。

 カラーアリス! 俺は聞いたこともねぇ。

 あいつにどうにかできんのかな」

 リューンナナは振り向いて声を出して言う、

「シュナイヴさん、温泉に行くんですよね。

 わたしたちもそうです。また後で!」

「ええ、美しいリューンナナ! モッズに気を付けて!」

「オォめぇ、あの野郎に挨拶するな……っ。

 何が気を付けろだ。ボケがあ」

「ふん。……」

「このっ」

モッズはリューンナナの腰に手を伸ばす、

 リューンナナは手で払い、早く歩いて避けた。


 大きな浴室に通じる、

 男女共用の大きな脱衣所の入り口に見張りの男。

 刃の無い分厚いだけの鉄のついた槍を持って泥棒を見張っている。

 イフロムは「お仕事ごくろうさま」とスタスタ、

 ジョンフラムは目礼して中に入って行った。

 素晴らしい湯船を期待しながら、

 いつもの深い紺色の帽子もマントも最初に脱いで置いて、

 ぱちんと指を鳴らすとその二つが消えてしまう。

 魔法で見えなくなっただけだ。

 残りの服を脱ぎはじめるイフロム。

 今日は淡い黄色のブレザー。

 あかねいろのチェック柄のスカートも脱いで、

 現れたブラジャーとショーツ(パンツのこと)、

 上下ともシルク、薄めの灰色で、ちいさなもの。

 隣には着替えが速くて、もはや下着を脱いで放った、

 素っ裸のジョンフラムがイフロムの用意を待っている。

 イフロムもブラジャーを外し、傷一つない肌をさらしながら、

「ブレイブはどうしたのですか」

「簡単に脱げないから。ここでなんか、とんでもない」

「はぁー、ふうーん」

 用意が終わってから呼んでほしい。

 ジョンフラムは気を抜いた様子でとりあえず言う、

「きっと来るとも。だいじょーぶ。

 100パーセントです」

「ほんとですか、ジョンフラム? フフッ、

 三分後に流星が落ちても? ここが更地になっても?」

「あぁ~無理な事わざと言うの、だめぇ~……。

 ……いや、彼なら来るかな……」

イフロムは納得したのかしてないのか、

 ジョンフラムの金色の髪の毛をなで、すこし屈み、

 するりとパンツも脱いで、そのまま二人で浴場へ。

 脱衣所と浴場の間には階段があり、

 ゴシック格子の門があるが、開けっ放しだ。

 スクロール(巻物、書物)を持つ人間族の像、

 弓矢を構えるエルフの彫刻、

 刀を構え牙むく鬼族の彫刻が全部で六体ある。

 何処かから持ってきたのか色などに経年変化がある。

 それぞれ別種族の男女が向かい合うようになっている。

 浴場は天井と柱のほかには開放されていて外と繋がっている。

 この構造、入り口からではなく勝手に入り込んで、タダ風呂に入れてしまう。

 それを防ぐ要素は(リラックスしに来た)人の目のほかには、

 遠く離れた、しかも朽ちつつある小さな柵しかないようだ。

 何処を修理したのか、いつまでも押して戦うブレイブとは大違い。

 あの柵が勇者でなくてよかった。ふふふ、柵と比べてはいけないか。

 いいえ、他の何とも……。他の何とも。

 あくまで功績の話……。


 夕方の太陽と木々の色がきらめく湯に流れて揺蕩う。

 広い浴場と湯を、オレンジ色と明るい緑に染め上げる。

 ここの木は見た目は代り映えしない常緑樹だが、ちょっと変わっている木だ。

 夕方でも明るい緑に見える。葉っぱが昼に蓄えた光りを夕方に放つ。

 夜になるとザワザワと黒く見えるのは他の木と同じだ。

 ちなみに、夜に光るよう人の手で調整も出来るというが、今は入ろう。

他のお客はそこそこ集まっている。日ごろの緊張を解き、ひと時を楽しんでいる。

 同意を求めるように言うジョンフラム、

「ここ、僕らは二回目なんだよ。雰囲気あるでしょ!」

「っふふ! ありますね。あるんだと思います……」

「もうっ。おこなの。怒った。一生怒ったぁ」

「怒ったのですか~? ごめんなさい」

 暖かな湯気を受けながら、ゆっくり歩いて会話する二人。

「私もセンスはないですから……。ほんとに分からなくて」

「君はセンスあるもん! すーぱーオリジナル感性があるの!」

「ふうん? シュウにも感性のことを言われましたが、ぜんぜん……。

 ほんとに? どこを見て――」

「雰囲気!」

「言う方が、そうだっていう事でしょうか?」

「なるほど確かに! 僕は~天才です。

 ムードあるオーラの雰囲気が漂うお風呂に入るんだ。

 やっぱりイフロムはすごいね。僕、よ~くわかったよ!」

「??? 私はよくわかっていないんですが。ねぇ。

 向こうの、人の空いたところに入りましょう。

 あなたほど面白い子はいません。ジョンフラム」

「うん! だいすきなイフロムと一緒、とっても楽しいな~」

「可愛いわ。貴方の方がセンス、あるようですね」

「え~? ほんとかなぁ。自信ない」

 そういうセンスは関係なく誰でも癒してくれる、

 温泉にだけある有効成分の匂いが感覚を癒す。

 湯船につかる二人。

「ふあー」

「ふー……ん」

 少し待っても、

 やはりブレイブが来ない事が気になって、

「ねぇ、鎧を脱ぐのを見てあげないでいいんですか、

 あの鎧は――」

「グローリィ・シャイニング・アーマー」

「ええ。神霊セシハカの玉鎧でもあります。いつかは……」

「だぁい丈夫。あれは人には見えない、魔物は触れられないし。

 はーあ……。もう終わったんだよ、あの時代は……。

 絶対不可能さ。キミも関わってるんだから、知ってるはずだろ。

 それとも他の問題があるのかな? あー……ないよねぇ~……」

 のびのびと湯を享受するジョンフラム。イフロムは注意するように、

「……そうですが。貴方は導く者でしょう?」

 ジョンフラムはうつむいて言う。

「~、手伝ってあげても良かったけど。

 勇者さまを手伝ってるとムズムズしてくるんだ……。

 今度、機会があったら君がやりな……。分かるから」

「え、どうしてくるですって?」

 なぜかおかしく、

「あははは!」と割と元気よくイフロムの笑い声が響く。

 もっとも浴場は、自然の音、湯の流れ、人の声、

 他の騒音も多いので目立ったりすることはない。


 その少し近い所では、モッズとリューンナナが湯船に入っている。

「気持ちいいです……」

「あぁ。俺も傷は沁みねぇや、痛くねェ……。

 リューンナナ、来てよかっただろォ!」

「わたしが誘ったと思ったんだけど……」

「ん? 俺が行こうとしたんだよ。同じことだぜ」

「……。あの子の事、シュナイヴさんのこと気に入ってるんですか」

「んなわけあるかよ。あいつは俺を嫌ってる」

「あなたが気に入ってる? って言っているんです~」

 珍しくにやっと笑う、モッズは分かっちゃないという顔で、

「俺が何歳か知ってるか?」

 それと比べるとあいつは若すぎる、という事にしたかったのだが、

「45歳、子供みたいな歳ですよね」

 180年を生きるリューンナナにとってはそこまで変わりないのだ。

 その事に気が付いたモッズ、

「……。そうだよ。せぇ解。

 まあそうだろうがな。似てるのかなァ。――俺様、子供がいるんだ」

「! 隠し子? ひどい」

「違う、縁を切ったよ。あんとき15だったな。

 あのころあいつの母親も死んで、一緒に冒険してよぉ。

 立ち寄ったレイセオンの、ちっせぇ村で……。

 俺が居ねぇ時に、馬鹿が、斧につまずいただけだぜ。

 腹に当たって、……。冒険はもう絶対に嫌だとさ。

 置いた奴にこそ腹が立ったが、しかたねぇ。

 あいつの心を折っちまう前に俺の回復魔法が間に合えばなあ。

 お前にあう、すぐ前だ。しまいには俺との縁を切ると言って逃げてった。

 あんときはもう何もかも嫌になっちまったが。

 お前が居たんだ」

 リューンナナは狩りに出かけている時、山中で自暴自棄のモッズと出会った。

 話しかけると返事をしたので話すうちに仲が深まり、そのまま一緒になってしまった。

 そのころからエルフのハーレムが欲しいだのと言っていた。

「……」

 言うだけではなく故郷、リューンナナの故郷、レイセオンでハーレムを作ろうとして、

 エルフの軍隊から派遣された小隊などから報復を受け、最終国に逃げてきたのだ。

 リューンナナは、その報復の時のことはよく知らないが、

 モッズが最終国に逃亡することについては協力してしまった。

「だからよ。お前には感謝して居るぜ!」

 そんなリューンナナには一つのことが頭にある。事実でもある。

 この破天荒なモッズであれど、いつか先に寿命を迎える。

 長生きエルフ、立派な温泉、居るというその子より先に、当然ではある。

 こんな人だから己の殺気に呑まれて死ぬか、不運に呑まれて死ぬか。

 リューンナナからすれば人間族の老いと寿命は、

 世界の中でも本当に哀れなことのひとつだ。


 回転が早すぎる車輪たち。


 この近所に住むのだろう裸の子供たちが走っていく。

「鬱陶しい顔するんじゃねぇ~。しょうがねえ事よ。

 まぁ、シュナイヴの野郎だろ? 息子に、似てないことはねえ。

 俺を嫌い俺から離れていく癖に、偶然また会ったりする。そこがな。

 まぁ、息子の方には近寄らねぇけどな。避けられているし……、俺も知らねぇ」

「言ったげます。遊んであげてって。二人に」

 うつむくリューンナナ。

「馬鹿か……言えばお前、うまくいくと思うのか?

 言ってほしくねぇ。今よりもっと気味悪がられるだろうよ」

 リューンナナはまだ入っていたかったが、

 少しは入れたし、なんとなく気分の影響を受け、

 もう風呂からあがろうと立ち上がる。

「入り過ぎました……」

「おい。もう行くのか? そんな顔すんな。

 これから俺が膝に矢を受けた話をするからよォッ!」

立ち上がったモッズの両膝は、湯気でよく見えない。

リューンナナを捕まえて、

「おい、のぼせたのか~……?」

「…………」

「……」 

 立ったまま何やら話している。


 お客さんが着たり脱いだり。ぞろぞろと来ては帰る人々。

 フォエンはシュウに裸を見せるのが恥ずかしく、

 先に着替えて行ってほしいと言うので、 

 シュウは脱衣所で先に服を脱いでいるところだ。

 まずは信心板の入った重いバトル・ジャケットを放り、

 ネクタイもシャツも、ブーツもズボンも何もかも脱いで置き、

 入り口で借りたターキッシュ(タオルの一種)を腰に巻く。

 壁には連続して大きめの空洞が開けられていて、そこに脱いだものを置く。

 カラーアリスは、なんと、翼をしまうようにドレスを肩の中に収納してしまって、

 下腹部のところに小さな三角に整った綺麗な毛を生やし裸らしい格好になった。

 ヒュウ、と口笛を出してしまうシュウ、ターキッシュを巻いてやり、

「これを付けるんだ、アリス。

 先輩、着替え終わりましたよ」

 脱衣所に入っただけで、まだ着替えずに壁にもたれていたフォエンは、

「分かったニャ。じゃ、待っててね」

 と、上着だけ脱ぎかけ、照れたように言う。

 何故かシュウはそれだけで少し赤くなった。

 浴場に出ると、中々、お客さんが居る。

 ズウズウはシュウの傍に付いてきていたが湯が嫌なのか、

 浴場に着くと、さっさと浴場の外に走って行って戻ってこない。

「アリス。濡れているから足元に気を付けるんだ」

「キヲツケテイラレナイ。

 デキナ~イ! 自由にさせろ。キャハハッ!」

 カラーアリスが駆けだすと、

 めざとい男たちの視線が感嘆の情をもって追いかける。

 それに気が付いて、ターキッシュを外してくるんと回るアリス。泳ぐつもりのよう。

 シュウはしょうがないことだ、という顔。美は時に行き過ぎることがある。

 そもそも彼女は、人間ではない、人外の娘。

「大丈夫なら好きにするがいい」

 向こうからも美しい、今度はエルフの少女が歩いてくる。シュウに気が付いた。

 少女は借りるはずのターキッシュを持っておらず手だけで胸と股を隠している。

「リューンナナ……」

「あっ……シュナイヴさん。恥ずかしい……。そ、それじゃあ」

 リューンナナは行きたそうなので、

「はい」

 シュウは失礼のないように道を開けて礼した。

 美しいエルフの少女が裸体をさらして照れている。

 男性にとっては、もはや見るだけの価値がある事。

 だが何故、完全に裸なのだろう?

 泳いでいたカラーアリスが誰かに近寄って、その誰かがアリスを撫でている。

 シュウはちょうど見ていない。

 誰か、はモッズである。アリスに向かい2~3回キスして、

 もうあっちへ行けというふうに手で追い払うとカラーアリスはまた湯舟を泳ぎだした。

 思案をやめ、もう湯船へ行こうとするシュウ、モッズがこちらへ歩いてくる。

「よう、遅かったじゃねえか」

 両膝に2枚のターキッシュをぐるぐる巻いている。

 異国風の毛むくじゃらの方はそのままだ。

 見てしまい呆れるシュウ。

「なんだその姿は……。何のためだ?」

「俺たちはもうあがるぜ」

「あ、ああ……」

「けっこう鍛えた身体してんだなァ」

 そういってモッズが素早く殴ろうとするので、

 シュウは自分の左腕を差し込んでモッズの腕をそらし、

「その足のやつはなんだ?」反対の手で指さして言う。

「ガードだよ、膝を狙われちゃ敵わんだろ」

 腕を戻して歩いてく。見送るシュウ、

「ガードか。そうかぁ」

 同伴の女性を裸にして自分の膝をガードとは、

 何の意味がある? なんという男だ。

 アースリィ・モッズは人の内心で下される評価も関係なし!

 階段を上がり脱衣所に消えていった。


 大男と少女らしき二人、仲良さそうに湯船につかっている。

「ふぅん……少しのぼせました。ブレイブ、遅すぎます」

「少しは話せたが……遅くなってすみませんな、イフロム」

「ええ……」

「先に上がるね~、おじいちゃん!」

 イフロム達は温泉から上がり、行こうとする。

「ジョン様、私はまだ若い……。ううむ……」

 大男、さらに肩まで身体を沈めて湯に入る。

 先にジョンフラムがとてとて歩いていく、

 その隙をついて、例のジョンフラムの感情とは何か、

 今それはどういうものかと、そろり、大男の肩を触れよう、

 しゃがみかけるイフロム。

 ジョンフラムはその手を押さえ、

「やっぱり、だめ」

 首を横に振った。気が付かれた。

 イフロムは反対側の手でするか迷う。それも捕らえられた。

 そのちょっと素早い動きが二人ともおかしく笑ってしまう。

「ふふふ!」

「あはっ! 騎士に通報するぞっ」

「やん、ここには居ないでしょう……」

 ジョンフラムは歩いていき、イフロムを見ながらブレイブの肩をいっぱいさする。

「おやめください。ハッハッハ……」こそばゆく笑ってしまう勇者。

「貴方はいいの?」

「そうだよ~。一回10000ギル、無料なのは僕だけ~。あはは!」

 イフロムは勇者の肩に触れるのをあきらめて行こうとする、

 だがブレイブは立ち、少し歩きその手を取って、

「イ・アルム・フロム・アース。――隠者イフロム。懐かしくも永遠に」

「……」

「美しいあなたに、構いませんか?」と言う。

 イフロムが待っていると、

 口づけするふりをしてくれた。微笑むイフロム。

「また会いましょう。ラオ・アム―ル……。ザ・ブレイブ!」

「ええ、ではまた。大、失礼をしました」と言葉をかわし、

 待っていてくれた優しいジョンフラムとつつきあったりして歩いていく。

 勇者は肩まで浸かり直し、人間の疲れをいやす湯の力でボーっとしている。

「ゴハー……ッ」

 と息を吐く。湯船が出させた、ため息だ。

 喉も含め身体が大きすぎるので、

 ため息がだいたいの人と違う音で響く。


 シュウは大浴槽の反対側にイフロムたち二人の姿を見つけた。

「おや? 彼女たちだ。イフロムと、導師ジョンフラム……」

 呼びかけようと手を伸ばしてみるが、

 あの二人は何も借りなかったのか一糸まとわぬ姿だし、

 すこし離れていたので声をかけるのをやめて、湯船に入る。

 シュウが視線を外すと遅れて気が付いたイフロムも手を伸ばすが、

 急に自分が裸である事が気になって話しかけるのをやめ先に帰って行く。


 温度が良い。

「ふー、結構だなぁ。

 さらに風呂が好きになりそうだ」

 同じように人々が休息している。

 休む姿だからこそ逆にその姿は、

 めぐる世界の存在をありありと映し出す。

「……湯船につかる人間の感情は一種の芸術……」

 と、シュウが大げさに言っていると、

 向こうから大男が、ざぶざぶと湯をかき分け近寄る。

「シュナイヴ君」

 口元の慈愛のような微笑。

「え。――勇者さまですか」

 裸だが、声で分かった。体格もそうだ。

「ハハハ。ハイ」

 しかし、その顔には白いモヤのようなものがかかっている。

 目を擦るシュウ、

「失礼ですが、お顔がよく見えないような……」

「そういう魔法です」

「ああ、そうですか」

 さすが勇者さまは違うな。納得するシュウ。

「隣、よろしいですかな」勇者が隣に座る。周りの湯が動く。

「はい、光栄です。ご一緒出来て……」

「いえ。前回はお話しができんかったので。

 ごほん、急に、おられたので声が出ませんでした。あのときは」

「いやそんな。あの洞穴で、やっぱり勇者さまだったんですね。

 だと思ったんですが、どうも、あのあとは記憶が……」

「そういう魔法です。本当に申し訳ない。

 ですが、あんなところに行ってはいけませんぞ。……。本当に」

「はい。もっと簡単な所だと、……思ったんですが」

「うむ……。そういえば、隠者イフロムから聞きましたが、

 シュナイヴ君、お仕事の方はどうですかな」

 シュウは盗賊になって奇譚を集めて売ろうとしている。

 一蹴されてしまうかもしれない。言いにくい。だが、

「聞いたって、言ったのか……」

「どうしました」

「いっ? オ、オレなんかの……っ。

 あまり、大したことは出来ずにいます」

「そうですか……。まあ、

 このままやっていれば何かになれますよ。なりたかったものに」

 頼りがいのありそうなその体躯で、その強く美しい声で言われると、

「ほ、ほんとうですか~! オレは……。あっ、す、すみません」

 シュウは乗り出しそうになって、それを恥じた。彼の子供になった気分だ。

「焦らないでいい。面白みのない、ありふれた言葉で言わせていただきますが。

 まずは落ち着いて道を決めてほしい。それだけです。

 世界には正と邪が満ち溢れているから、こんな言い方をしなければいけないが。

 君の道は、他の間違った誰かには決められない……。そう信じてほしいのです」

 大きな拳がシュナイヴの胸を軽く叩く。

 だがリラックスし過ぎたのか、

 聞くポイントを間違うシュウ、

「ありがとうございます。本当ですよね。

 世の中、おかしい所なんですね……。

 オレも引きこもって気を付けます」

「こっ、こら! シュナイヴ君、違う、間違えないようにっ!

 私の言う事が変わってしまいますぞ。どうしたのか」

 勇者はシュウの頭をさする。

「はい……」

シュウは、ぼーっとしてしまった。


 カラーアリスは遊び終わり。

 最後にもぐったり顔を出したり、

 シュウの傍に泳いで近寄って、

「オーイ。モウ、帰ルカラナ~」

「……ん~」

 シュウを触る。胸板を両手で触れてみるが、

「ネテイルノ? ……この子。

 オコシテヤラナイ。オモリハ大変ダカラネ」

そういうと、ふわーんと翼を広げて、

[Zuzu witisuna kuto](ズウズウ、来て)

 その力で黒猫を浮かび上がらせてキャッチし、

 どこかの方へ飛んでいった。

 トアズラオキア・サナア・ミラ、元の世界に戻るにはこれが必要になる。

 アリスは内なる女神の声に従い、それを探すことにした。


少しして、シュウが気が付いたら勇者は居なかった。

(オレは……、眠っていたのだな。

 カラーアリスは、夢じゃないならさっき帰ったか……)

 シュウが頭の中でふわふわ思う通り。時間にして何分ほどだろう。

 他のお客さんもいくらか帰りつつあるのか先ほどより減っている。

 シュウの隣に座る、流動する、湯が動く感触がある。

「シュウさん。寝ちゃったんニャ?」

 フォエンの声、その楚々とし、とても健康な肉体を、小さな布が二枚で覆う。

 ターキッシュは借りることが出来なかった。

 用意しておいたものが一旦全部なくなったので、と言われ、

 小さな布を貸し出された。おしりは見えると思う……。

 尻尾の興奮よ収まれ……。揺れすぎる、おさまりたまへ~。

 そういうことで、着替え終わってもなかなか、

 浴場まで行く心の準備が終わらず、

 深呼吸をしないといけなかったフォエンだが、

 そろそろ行かないと待たせすぎるので、

 意を決して、しかたなーいと馳せ参じて湯に入ると、

 シュウは眠っているようだった。

 フォエンは自分の裸に近い姿、

 その恥ずかしさに笑みがこぼれる。

 それでもシュウに近寄ると彼のことが気になり、

 傍に寄り添って、シュウの目を見ようとする。

「ねぇ? シュウさん。起きてる?」

「お、……、起きてる」

「にゃっ」

「先輩、遅かったですね」

 ネコミミがぴこぴこっと震えた。

「ご、ごめんニャ……」

「大丈夫ですって」

 二人は湯の中で触れ合えるほど近い。

「あの……前のこと謝らなくちゃいけないと思ってて。

 危ない所に連れて行って、ごめんニャ……。

 ボクも分かってなくて」

 あの時。3秒間ほどシュウを敵に晒し、

 おそらく恐怖させたことをフォエンはだんだん後から後悔していた。

 冒険者を続けてもらうためには言う選択が最善だとは思えないが、口から出た。

 シュウにとっては己が釣り合わないのに居たせいだったから他の話を始めた。

「秘密の塔の宝、沃懸地杏葉螺鈿太刀いかけじぎょうようらでんたち、言えるよう覚えたんだ。

 別名、衛府の太刀……。練習じゃないときは刀を使うんですよね?」

「うん。今度見せてあげる……。でも……」

「オレも怖かったですよ。あれでオレは本気ですから。

 でも、謝らないでください。自分が分かって良かったです。

 オレは勇者さまにはなれない。中級の冒険者にもきっと……。

 だから……逆に言えば大丈夫なんですよ。

 でも、遅かったの、恥ずかしかったんですか? 本当に?

 最初に会った時はあんなことをしてくれたのにね、面接のときのこと。

 オレは――」

「ニャー、言わないでっ……」

 フォエンは真っ赤になった、風呂に誘われたと知ってこのあと、

 ――キスとかするの? と思っていたが、もうできなくなった、今ので。

 最初のあれは……半分は、寂れたギルドでの遊びだったから、

 言い訳するなら誰もいなかったし、一応、知り合いで。

 冒険者も輩出したかった、それでやったのだ。

 でも今、中級でもなんとかって言ったよね。もうかよ。

 だんだん気持ちが高ぶってきた。本気になってくると、

 もっともっと簡単でやっていいような事でも恥ずかしい。

 初恋した時と同じずうっと恥ずかしいままになってしまいそう。

「うにゃぁ~……」

「っ……」

 シュウの記憶が潤んでいく。記憶が満ちる。心が癒える。

 おそらく、なぜか残ったままで忘れたままの後悔が、

 それは何だったのかさえどうでもいいまま消えていく。

 そうではなく、いま二人の記憶が同じ思い出を作っている。

もし自分の人生に伏線というものがあるなら、これは良い伏線だ。

「ねえ、前、がんばったからご褒美ニャ!」

 フォエン、シュウに頭突きをしてしまう。

「うおっ……」

 それは、フォエンの肩を押さえながら反って、

 うまく避けようとするシュウの鼻先をかすめた。

 急にやろうとしたのでキスにならなかった。

 フォエンは真っ赤になったまま。

 すぐ前に心の中で、止めようと思ったのに。

 体が勝手に動いて心を押し切ってしたので、

 顔が下向いたまま頭突きが出た。

シュウはフォエンの純粋な心と湯の心地よさに微睡ながら笑った。

「先輩、可愛いです。本当にすごい人だ」

 その頭の上に鼻をよせて感じるようにして、

「可愛いだけじゃなくて、優秀な仲間ですよね」

「……~」

 フォエンは耳の位置のせいで聞こえすぎる。

 このあと、柿の実とか花とか言ってすみません、

 でもその花言葉は、自然の美、恩恵らしいだとか……。

 言わんでいい、聞かなくてもいいことをわざと耳元で囁かれた。うれしかった。

 でも、こんなことばかりしていると馬鹿になっちゃうので忘れたい。


 二人はしばらく湯に浸かった。

 互いに明確な原因の分からない安心感が波になって肉体に広がる。

 良く温まり、帰るころには月が出ていた。

 月明りにも度合があり、

 本当に明るい月明りは、すこし眩しさがある。

 今夜はその月明りが出ていたので、夜道でも、とても良く見える。

 いい眠りにつくには湯冷めしないうちに帰ろう。

 シュウは宿に、フォエンはギルドに泊まっているので、

 途中で別れて帰りについた。

 また行こうとか、おいしい菓子がある好きなカフェがあるとか、

 また会う約束をして。

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