二章・食事
しっかりした石造りの宿屋だ。
ちゃんとした宿泊施設と言ってよい外観。
明かりを焚いて宿泊客を誘っている。良さそうだった。
入るとまずは広い受付。一階は高級ではないレストランも兼ねているようだ。
食事を終えた様子の、かなりの大男と従者の姿があった。談笑している。
大男の全身鎧は鉄製のよう。だがときおり鉄ではない、
白銀の瞬きがあったり金色に輝いたりしており、
ただの鎧とは違うことを物語っている。
買うことは出来なくても見る事だけならある、
超金属、もっと灰色のミスリルでも、黄色っぽいオリハルコンでもない。
ヒヒイロカネとも違う。確かに鉄だが、そのどれよりも……、
他の物を含有していて……。
もしかして、と思う。
顔を覆う兜の四角の窓からのぞく、高潔な目。
あの噂。伝説の剣を鎧に鋳込んだ男が居た。
綺麗な深緑のマント。上等のものだが小さい? いや、体が大き過ぎるのだ。
この姿形の特徴は、話に聞いた通りの、勇者そのものだ!
じゃあ、もう一人は従者じゃない。
導師ジョンフラム、勇者を導いた謎の存在。
神の仲間で少年にも少女にも化身するという。縮毛の金髪に青い目。
本物なのか。いま見る分には白と紺の司祭服を着た子供にしか見えない。愛らしい。
ナプキンを首からかけているのかなと思ったがフリルがある。服の一部のようだ。
その子供はシュウとイフロムの二人を見ると、微笑んでイフロムに言う。
「君も来たんだね? お世話してあげてるの、その人」
「ええ。そうしたいので」
イフロムの言葉に頷いて、
「僕、ジョンフラム。よろしくね!」と、シュウに向かってピースする。ぴすぴす。
シュウはピースを返す。そして、
「オレは……、シュナイヴ。よろしくお願いします」(で、いいのかな……?)
名前を言ったのを聞いているのか大男は首を傾けた。
イフロムは二人に問いかける。
「ザ・ブレイブ、ジョンフラム。勇者と導師。貴方たちが二人で居ると、
この地で何か起こっているのではないかと思いますが……」
ジョンフラムは首を振って、
「ん~ん」
神に仕える出で立ち。司祭服なのも気にせずスラリとした足を放り出し、
とん、とソファに座る。一瞬クリーム色の下着が見えて、それを隠す。
「僕たちだって遊びで旅行することもあるよ。
今はむしろそればっかりさ。ねえ」
「そうですな。前よりも自警団が強くなって平和になったものですから」
大男、勇者殿は座らずに立ったままだ。
体が大きいため気を付けていて、しっかりしたところでないと座らない。
下手なところは座るだけで壊してしまう。良い椅子は無かった。
「ごほっごほっ、……。
気にしないでください。
遊びに来ただけなのだ。隠者よ」
隠者と呼ばれてイフロムは笑い掛ける。
「おからだの調子はどうですか、ブレイブ」
「至極結構だ。もう五十九になるが、おかげさまで」
軽く抱き合うようにして、イフロムは口づけするふりをして、親しく挨拶する。
ジョンフラムもイフロムの手に口づけするふりをして言う、
「ブレイブ様は喉が弱いの、前からね。……声はいいのに。
でも、元気だもんねっ」
「もちろん。十五年は平気そうです。前もあれ、ダーク・ドラゴン、
会いたかったぞぉ、って追いかけていきましたもんな。こっちから。
角が欲しかったが向こうからは来てくれませんのでな! ははは、
会ってくれんのでこっちから行くしかない。若いうちに」
「若いうちに?」笑って問いかけるイフロム。
「若いうちに。おぉ、あの竜はこの姿が悪い、
美形でないというのでしょうな。シュナイヴ君」
話しかけられて戸惑ったが、お話しに使えるかも。
新しい情報を得た。
あとでもっと考えてみるが、この人は、勇者だろう。
勇者は若者のために冗談を言う。
五十九歳は若いうちに入る。
イフロムはやっぱり普通の子じゃないようだ。
まだあるが、まず返事をしないといけない。
「はい、えーと……。
美形かどうかは関係ありますか? 兜をしてるし」
うまく答えが出てこない。大きく笑う勇者。
「ははは! この通りの姿ですから、確かに」
怪訝な顔でもしていただろうか? ジョンフラムに言われる。
「勇者さまは、こういう方なんだよ」
そうか。何かイメージとは違う感じだったのだ。
パッと華やいだ印象を勇者から受ける。
地獄へ向かう神の使者、真面目一辺倒というイメージを勝手に持っていた。
そうだとしてもきっと、とうぜん人格とか人生もあるわけで、
ただ戦うだけじゃないんだな。
ましてや最も大きな戦いはシュウが生まれる前に終わっている。
この大きな姿に戦い抜いた男の風を感じた。
過去、そして今なお通用する正義と、荒みの無い爽やかな風だ。
「あはっ。そーだ、君のホムンクルスを見つけておいたよ。イフロム」
ソファから立ってザ・ブレイブの傍から歩いてきて、
カバンを開けるジョンフラム。
喜ぶイフロム。
「あ、ありがとう。このあたりだと思ったのに、全然私の傍に来ないので!」
「すぐ君のだってわかった。捕まえてたから……ごめんね」と瓶を取り出す。
「いいの。助かります。う~、ママ、ママですよ」
イフロムはそれを大事そうに受け取る。
「ギャォォ、ニャオー、ゲンゲロ」
いぶかしがるシュウ、
「瓶の中で蠢いて……カエルの形になったぞ……どういう生き物だろう」
シュウに少し寄ってイフロムがそれを開けると、
カエルはシュウに飛び乗って大きなカラスに変化する。驚くシュウ。
カラスはさらに黒い猫になった。すとんと降りて歩いて行ってしまう。
「久しぶりに会えてよかった。隠者イフロム。
シュナイヴ君も、今夜は初めまして」
そう言うザ・ブレイブの腕はガントレット(籠手)も含めてだが、
片方だけでシュウの両腕くらいある。ちなみにシュウの腕は細くはない。
勇者の腕が大きいのだ。足も同じように太い。他の人の胴ほどある。
この鎧とそれを保持している巨体が、どこもかしこも柱のようだ。
「ふうぅ~。さあもう休みましょう、ジョン様。
朝に出ないと夜に間に合いません」
どこへ行くのだろうか時間の計算をしているようだ。
ジョンは返事をしてから言ってくれた。
「は~い。ここより高い、高台の村メフィスで星を見るのさ。きっとムードがある。
そこで二匹の動物になって駆けまわる……? 僕の魔法の道具でね」
「ぐふっ……喉の調子が。
この通りジョン様は、私が若い青年であるかのようにからかうのだ。
本当のところ星も見ますが、その村に教義を教える説法にも向かうのです。
誰かが真に――」
「えぇ? ブレイブ様が嫌がる事なんて、できないよ?
じゃあ、おやすみねぇ~二人とも」
「ええ。おやすみなさい。良い旅を」
答えるイフロム、シュウは目礼するだけ。
今日はすごい日だなぁという感覚が体に満ちている。
勇者は彫刻の騎士像もこんなに威厳は出ない、そんな風体で動き出し、
「……。ありがとう、そちらも。では、おやすみなさい」
その兜からは目しか見えないが慈愛の表情で笑っているような印象を受けた。
行く後ろを見ると羽根が頭に沿う装飾がなされた金属が頭を守っている。
髪は白髪交じりの茶色。何キロある鎧なのか、ずしん、と足取りも確かに歩いていく。
だがもう老齢に達しようとしているとは、シュウは知らなかった。
「とてもデカい。一生かなわない相手のような気がするな。あの、オーラがある感じ……」
「ええ。でも貴方が勇者になる必要はないでしょう? シュウ」
「無理だろう。けどなりたい、なんて」
「不可能です」
実のところ色々な冒険を知っているイフロムは一蹴した。
「不可能か。やっぱりな。ってハッキリ言い過ぎじゃないのか」
イフロムは首を横に振る。
「男って勇者になるのが好きですね。その資格が全くなくてもね」
「ひどいな」
「不可能な事をしようとすると存在価値まで傷を負います」
「もう分かった。ん? ……どうしたんだ?」
勝利する前のザ・ブレイブの運命は、
シュウには耐えられない。そんなことがあれば、
全ての言葉も忘れるほどバカになって、心と記憶を失ってしまうだろう。
過酷な道。もしも耐えられたとしても味わわせてはいけないことだ。
イフロムはシュウを見て、
「……、移り気な! 物語を集めるのでは?
盗賊になって喜んでいたところでしょう」と笑う。
「あ、そうだよな。――」
シュウは先輩になるフォエンに総合的に考えて良くしてもらった事と、
ちゃんと面接に受かったことを思い出した。勇者さまにはなれない。
「――オレはそれでいいんだな。移り気なんていけないね」
「そうです。部屋を借りて、夜ご飯を食べてから寝ましょう」
「そうしよう」
確かに伝説を見られただけで十分だ。ご利益あるんじゃないの。
「ズウちゃん、ズウちゃん。そばへおいで」
イフロムが呼ぶ。ホムンクルスのズウちゃん、ちゃんとした名前はズウズウ。
黒猫の姿は二人に付いていく。
「ァーオ」
さっそく部屋を借りて荷物を置いてくる。
次は食事だ。料理の注文を二人とも済ませて席で待っていると、
エルフがやってきた。背が低く透き通るような肌のウェイターが、
「お待たせした。若カモ肉のソテー二人前、マリアージュになります」
ウェイターの頭越しに見える、そこまで上品とも言えない楽し気な看板があって、
具体的にはボトルからワインが噴き出す絵、そこに字が書いてある。
『マリアージュ! シェフがワインをお選びします。+200ギル』
この宿の食堂ではマリアージュっていうのは、
シェフが選んだワイン付けますの意味らしい。そりゃありがとう。
ワインのことは知らないので助かるサービスだ。しかしシュウはワインを頼んでいない。
「どうも」
「チップをどうぞ」
「はい。ごゆっくり」
とエルフのウェイター、お辞儀して下がった。
まことのエルフは不老不死で神に近いともいうが、それは特別なことだ。
多くのエルフは不死でもないし神でもない。つまらない人間の仕事もする。
それでも人間族で言えば十代から二十代の姿で、美しいままで姿が変わらず、
弓と魔法を嗜む者多く、その集まりは様々な秘密の技を隠し持つという。
遠い土地にある秘匿された地下神殿では『レイセオンの連盟』と、
その為政者が永遠の平和を得るための秘術を執り行う。
しかし長い命と美しい姿を持つなど、危険すぎる。
他の種族の玩具にしてくれというようなものだ。
昔とは違いエルフの方も最早それを理論的に承知していて、
各国と距離を置き、それでいて各国の狡猾さと武芸を吸収している。
だが、人間族、ヒューマン・ビーイングと同じで、
全員が完全に団結して生きているわけではない。
おそらく鬼族、シャオグイも団結については同じ事情だろう。どこも大変だ。
美しいウェイターが行ってから、
「赤ワイン……」
「可愛い店員さんですね」
「ああ、肌の艶、子供か女の人かと思うが。
エルフは何歳か分からないから。好みなのか?」
「まぁ、私はエルフが好きです」
「オレも。ワイン……頼んでないけど」
「私から貴方に」
ワインを奢ってくださる、ということらしい。
イフロムの膝から降りた黒猫のズウズウ、シュウの膝に乗る。
動物好きのシュウは左手で猫を撫でながら、
「いいのか? お酒、好きなんだよ。自分からは飲まないけど」
「だと思いました」
「何故……?
まぁ、もう問わなくてもいいか。食事前に……めんどうだ」
「ふふふ」
するりとシュウの膝から抜け出してズウズウはどこかへ行ってしまう。
「おっと、せっかく膝の上に乗ったのに。
なんだか初めて会った気がしないあの猫、オレの友達かな?」
「きっとそうですね。ただ、彼は正確には猫ではありません。
ホムンクルスですから。――私も猫は友達みたいに好きです。
ズウズウにはこれからは猫で居てもらうようにお願いしましょうか?」
「うん。忘れないでくれ」
「……。即答ですね」
「……。そうだが」
出来上がって今こそ食べ時の料理が食欲を誘う。
シュウはワインのコルクを外して傾け、
「目のまえの美しい魔女のお嬢さん。聞いてしまうが、年齢は?」
「16です。天変地異、大爆発、宇宙収縮、何があっても。ふふ」
「ん。分かった、それを信じよう。オレは24歳だから……」
そういうわけで自分のグラスに遠慮なく注ぐシュウ。
魔女はどういう年の取り方をするのだろうか。
彼らは知り合いだった、まるで元々はパーティーの仲間のように。
なのに16歳。 ホントに16歳? いやいや、内心で疑うとは、
信じるといったばかりだ。きっと原因があるだろう。
それが本当だという理由があるはず。
導師がそうだったように――。
そうだったようにといっても噂に基づいているが。
何かの秘術、これだ。でもそれくらいしか予想できない。
シュウは国中を旅して、色々な奇譚、
変わったお話を集めてきた以上は噂も大好物だが、
勇者と導師は一人ずつしかいない。
勇者と導師の偽物が湧いたっていう話があっても、
誰かがだまされたっていう話は聞かない。
めっぽう強いらしい神の選んだ大男と子供の姿をした何か。
噂は誰でも聞いたことがあるが、その形だけ真似しても通じるものでもない。
仮にあれが真似だとしたら鎧も体格も物凄く、遊びではないものだから変だし、
導師の方はエルフではなかった、エルフはよく見れば耳以外も人間族とは違う。
そうすると数年後には子供の方は歳を取って背が伸びている。
他の子供を探して何度も用意しないと、だませないだろう。
だました上であの真面目そうな態度? そんなことをすれば余計に怪しくなる。
偽物をやる方がやたらと手間がかかる人たちだ。
本物なら一発で、ああやっていられる。そのまま旅するだけでいい。
心のほうはもう本物だと信じている。理屈でも、信じられそうだ。
しかし。隠者イフロム。聞いたことが無い。
さっき会話で隠者と言っていたけど隠者となると不確かでしかも大勢いる。
何か偶然か運命の作用でも起こらないと、この少女の文献を見つけられるはずもない。
けっこういろいろと野放図に物語を探し回ったのに一度も聞いたことがないからだ。
ただ近所の女の子がオレを担ごうとしているのとは最早、違うだろう。
それで満足しよう。
それにギルドで受かり、女の子にワインを奢ってもらうとは、
今日は自分だけの記念日にしてやろう。今日これ以上は何か望めない。
「まだ若いものな、イフロム。君は飲まないだろう?」
「私はアルコールは嫌いです」と舌を出す。
グラスは二つ用意されが、一つは使われないことになった。
「へえ。じゃあ、ホントにオレだけのために」
「……ほんの、そのくらいのことで?」
「いや、うれしいよ」
なみなみ注いだのを半分ほど飲んで置く。
「君は何者なんだ」
あっ、聞いて良かったのかなと思うシュウ。イフロムは、
「私が誰か。貴方が夢を追って、私と一緒に居ればわかります」
と伏し目がちな笑顔。
「貴方が夢を追っている間、私とあなたは大事な友達です……分かりましたか?」
「……。分かったよ。ありがとう、イフロム」
長い旅でシュナイヴは少し疲れており嬉しかった。
二人とも遊びみたいにサッとうれしげに指切り。
異国の文化、子供のする約束の意味。不思議な事だ。
それだけで甘い心が膨れて偏っていく。
もちろん証があるわけではない。その裏までは見えない。
だがそれこそ家族のような感覚にとらわれるのは……。
そんなことを考えるのは……みたいな。
……が言うような。……って誰だ。
海には電撃をまとった怪物が住むという。
サハギンは槍を持つことがある。……。
メデューサの血を飲むと体が少しずつ……。
いやいや何の脈絡もない違う。鋼鉄になる。
もう少しで気が狂う所を、助けてあげた……。
? 今ちょっと降参だ。なんだ、今のオレの頭の中は。
今までの生の中に何も誇れる出来事がない、そんなことでも確かに、
人はおかしくなることがあるのだろう。いま自分自身がそうだ。痛ましい人になる。
ときおり分からない。だが、頭中の混濁、
こんなものが人生の伏線であるわけがない。
この人生の伏線は……。オレが、自分の力で……。
一時的に、瞳から光りを失ったシュウ、
それを冷静な顔でじっと見るイフロム。
ズウズウは戻ってきてまたシュウの膝の上に乗る。
シュウの表情が戻る。
猫が乗った重みや感触でハッとした様子。
「シュウ。……」
「少し待ってくれ。
か、考え事をしている……。止まらない。あとほんの少し――」
貧相な男を救う趣味でもあるのか。
自己嫌悪にさせてくれる。いや。
魔女は家族が欲しい? そういうこともあるか。
勝手な想像だが、それを続けてみると、
たまたま気に入った者を捕まえ、家族にするつもりか?
それは面白い。そうだったら都合がイイ。
オレの探す奇譚にもなって余計にイイ。
そんな変なことが――。
「ふっ……」
「笑いましたね。
ねえ、考え事はもういいですか」
目を覚ましたように今、
気になるのは全く別のことだ。
「ああ……。驚かせて悪かった。
――これ全部、飲み干しても良いだろうか? この、ボトル……」
酒、赤ワインのことだ。
確かにこの料理に良く合う。無くなりそうだ。
「だから、どうぞ。16歳ですし、
アルコールは脳に良くないので私はいりません」
「すまないな。じゃあ、もらうよ」
ワインを飲みだす。
「この、ソースはどうですか」
イフロムは肉に掛かったソースをナイフで指し示す。答えるシュウ、
「合うと思う。フルーツのソース、思ったより合うんだね。カモの肉に」
「そうですね。全部、食べられます。……。料理はお好き?」
「まあ好きかな。時間があれば練習をしたいね。
もしも自分で作れれば安く浮くはずだし。君は得意かい」
「ふふふ。私が何でもできるっていう事、教えてあげたいです」
「んん? そいつはいい! ハハ」
シュウの膝の上で「ニャ˝アオ~」と鳴くズウズウ。
入り口から新しい客が入ってきた。
無精ひげ、ギラギラした目つき。チンピラ同然の、とはいえ多少逞しい体つき。
橙色の上着で長いだぼだぼズボン姿で帯剣している男がエルフの少女と入ってくる。
エルフは緑のマント、胸と腰だけを薄布と金の枠で隠した姿。
金色サラサラの長い髪と宝石よりも生気がある青い瞳。
萌え出る芽のような若さの特有の透き通った肌。
女の子らしい身体つきが恥ずかしそうに外気に晒されている。
男が言う、
「ここはなぁ、飯もうまいし風呂があるぞう。
向こう東部温泉が工事中だしな。まずは風呂に入ろうぜェ」
「~……。一人で先に入りたいんですが……」
「おう、このアースリィ・モッズ様と一緒に入ろうじゃねえのッ!」
「うぅ……」
「おっ、……」
のそのそと男がシュウたちの方へ歩いてくる。
「シュナイヴ、てめぇじゃねえか。
こんなところで何してやがるんだ?」
多少の嫌悪感に目を細めるシュウ。知り合いだ。
「アースリィ・モッズ……。元気そうだな」
「まあな。嫌そうな顔すんなよ」
「最近会わなかったのに。このあたりをぶらついていたのか」
「たまたまだぜ。国中、ぶらついてるのはお互い様だろ」
「そうだな。オレは疲れている。
夜だし。ちょっと休憩したいかな」
「ええ? そっちのお嬢さんは誰だい?」
「イフロムです。……よろしく」
「ただの人間か。
エルフだったら俺様の未来のハーレムに加えてやるがなァ」
ここ『栄光最終国』の誇れるところは、
エルフも鬼族も、もちろん人間族も、それを人として認めるという事である。
他の国々も、その利点を察知し、それに準じるところが増えている。だが、
「ちッ、ただの人間じゃあな。一瞬しか輝きがねぇ」
「差別ですね……。貴方も人間のようですが」
「オン? やりにくい女だぜ!」
この男はその点、
時代とは逆を行っている。
いや、取り残されていた。
そういう逆を行く者や取り残された者たちにとって、
魔王討伐後は一気にやりにくい時代になった。
何でも物事を押し通すことが難しくなっている。
だがそれは仕方ない、それでいいとも言える。
最終国の為政者が規制と復興を進める、今のように息苦しい世界と、
過去の負の遺産がまかり通る地獄では、前者、息苦しい世界が少しマシだからだ。
しかし、せっかくの息苦しさを無にしてしまう者は居る。
アースリィ・モッズ。
この男もそういう下卑た人間の一人だが、
その中ではマシな方だ。徒党を組まないし、怪物退治は経験あり。
たまには若い騎士の指導に呼ばれることがあるらしい。
「……」
イフロムは初対面でこの態度か、と冷めた瞳。
食事中の宿泊客たちは一瞥したり何か囁いている。
「もうっ!」
パシパシとエルフの少女がアースリィ・モッズを叩く。
シュウはワインを飲んで、
「今は売るような物語は無いよ。モッズ」
「フンうぬぼれるな。おめえの話は中々いいが、オチが俺の好みじゃねぇ!
何だこの前の? 明るい姫が実は魔物のとりこで犬の呪術で犬娘になる話な」
「割と最近の出来事らしいが。お前には良かっただろう」
「そうかい。そうじゃねえ。最後、助かってんじゃねえかぁ!
どうして陰陽師のセーメー殿が出てくんだよボケ。
お話しだろ? 最後も助かっちゃいけねえぞ、ああいうのは。
姫の中の雌が泣き叫んでよぉ! 獣性を、獣性っていうのかなぁ。
悲鳴が股間にギンギンギンッ、ギンギンギンッと鈴が鳴るみてえに、
矢は中心に当たり竜はぶっ倒れ、ズオッと来るようじゃなきゃ意味ねえんだ。
ええ? 聞いてんのかあああ~ン?」
食堂だぞ。ホント大丈夫なのかこの発言。大丈夫じゃない。
ああいう物語は助かっちゃいけないというのなら、それだけ言えばいいのだが。
しかしこの男のようにここまで口や態度に出さなくとも、
魔王が死んだことで、それまで苦しんでいた人々は、
精神の我慢や抑圧から解放され無責任な激しさを求めている。
それが新しい仕事にもなりそうだと思うシュナイヴ自身も、無関係ではない。
とはいえ呆れて、
「……食事中だ。場所をわきまえろ。助かって何が悪い?
それにどうもお互い他の用があるようじゃないか。
とっても忙しいというか。あー、そっちのお嬢さんは――」
追い払う糸口にとエルフの少女に話しかけるシュナイヴ。
エルフは、はにかんだ様子、
「わたし、ですか。……リューンナナ、です。
モッズとは10年前から一緒なんですよ。
一通りの魔法と、竜に変身するソウルを使います」
ふっと、息を吐くと、キラキラした火が少しだけ飛ぶ。
モッズが口を挟む。
「鱗もねェ、弱いソウルじゃねえか。ぜんぜん無いも同然だぜ……」
シュウは続けてリューンナナと会話する。
「ふん、あるだけでもすごいじゃないか。
オレは3年というところかな、嫌なことに。
――10年? なんで今まで会わなかったんだろう?
近くに居なかったのかな」
「はい。初めてお会いしましたね。
でもわたしの方が年上だと思いますよ? えへ」
「エルフの人がそう言うなら、おそらく違いない。
でも、こいつから逃げようと思わないのかな?
こんな男が嫌になったら役場にでも行って相談すると良いよ」
「! ちっ。シュナイヴてめぇ、気に入ってやってんのに馬鹿がよォ!」
シュウの黒いネクタイを引っ張ってすごむ。顔がくっつかんほどに睨むが、
その引っ張る手を除けようとしてシュウが手を掴むとネクタイから手を離し、
「ま、争う気はねぇんだ」とのこと、
剣の使い手であるモッズの方がシュナイヴよりも強い、助かる。
「がんばれよ。オチをちゃんとしろよ」何故か優しい言い方。
「……ふー、考えてみる。姫の中の女……か」
「そうじゃねえ。間違えんな、え?
ぜんぜん違うだろ~思い出せ。
じゃねえと、俺の回復魔法が火を吹くぜ」
「それなら大丈夫なんじゃないのか。どう違うんだ」
「まだある」
「はぁ?」
「あと、お前の書くクチビルの話はあんまり好きじゃねえな。
物語の中の女の唇がぷっくりしてるなんて全然ダメだぞ」と主張。
「ん? 大体はそうだろう? いま連れているリューンナナさんも」
そのぷっくりした綺麗な唇だ、
「多くの女性はそう見せるために紅をさす、と思うのだが……?」
「おめえの物語では! 書いて欲しくねェ。チッ。じゃあな」
「ふん……どういう意味なんだ」
ネクタイをなおすシュウ。
アースリィ・モッズはリューンナナの尻に触れようとしながら、
リューンナナはそれを手の甲で払いながら、二人とも風呂の方へ消えていった。
「あいつも困った男だ」
「彼が来たと同時に頭痛がして今は収まりました」
「ははは」
「ジョークではないのですが……」
と自分の頭をさするイフロム。
そうか冗談じゃないのかと思ったシュウ、
「うん……オレのせいで会わせてしまった。すまないことをした」
「貴方のせいではないですが、あの後だと、
正直なところ謝られて少しは気分がイイです。
それに偶然ですから、別に。
……さっきの方は?」
説明するシュウ。
「彼は嘘ばかりつくオッサンだ。でも、
オレの話を買ってくれることがある。
そういっても、安い……。
もっと安いワイン一本程度の値段さ。君のの半分だ」
「へえ。でも……褒めますよ」
「大したことないさ。ほんとに」
「値段のことですね。もし安すぎるなら、
貴方も他の売り方の方が良いでしょうね。ふぅん」
と上品に息を吐いた。シュウは少し評価されたので微笑んでいる。
シュウとイフロムは食事も済んだことだし、
借りている部屋へ行こうと食堂から場所をうつした。
二階があるが一階と違って明かりが小さい。
ここには明かりの魔法は、あまり入れてないようだ。
他に人は居ない。部屋の中にいるんだろう。
薄暗い静かな廊下はまるで良く掃除された秘密の場所のようだ。
借りた端っこの部屋。さあ、と部屋に入る。
先ほど荷物を置いたがよく見ていない、どんな感じかな。
とうぜん夜なのでよく見えなかった。明かりを点けようか止めようか。
月明りだけの薄暗い部屋。イフロムが聞く。
「……さっきの男の嘘ってどんな嘘ですか?」
シュウはベッドに腰かけ窓の月を見ながら、
「そうだな。おかしな話だよ。
奴が一人で居た時。
ドラゴンと、エルフと、オーガの軍勢から、
一斉に弓で狙われて膝に無数の矢を受けて、
冒険者を引退したっていうんだ。膝に無数の矢だそうだ。
そんなことあるか? 他のところに当たるだろ。
それにドラゴンはブレス。なんじゃないのか?
だって……」
「ふふ。バカな」
「そうだよ。どっちの足かは知らないしズボンの中の膝を見たことはないけど、
まともに受ければ一発でもさ。オレをだますつもりだろうな。それを――」
「くだらない」
イフロムが笑ったことでシュウも「確かに」と冷静になった。
「……。そうだな。
ま、君が気にすることはない。なんにも」
「ええ、もう寝ましょう」
よく見るとシュウの黒ずくめの服にはベルトが多用されている。
腰のほか、胴、手首、足首、それぞれベルトがあり、手首のを外しだし、
「うん。君もしばらく泊まるのか。
君が行くことになったら、ギルドが頼りだな」
溜息を吐くシュウ。
魔女のわずかながらの苛立ち、
イフロムは自分の小さな胸を押さえて言う。
「私は、……偉大な魔法使いにして、大金持ちなんです。
魔女は死なないんです、すごいんですよ? 私に……迷惑を、かけてみなさい!」
瞳が一瞬、昂ぶりに沿うように赤く輝いた。続けるイフロム、
「私は、力があります。
何度も言うようですが、貴方のことを応援します。これから」
「……」
そんなことを言ってしまった。言えば、そんなことを言えば、
弱ったシュウは疑念と危険を感じてここで逃げ出す可能性はあった。
だが、
「確かに君は何らかの力を持っている。認めるよ。
オレの運命を言い当て、君の知人を紹介してくれた。
黒猫も飼っているし好みのワインを奢ってくれた。
たとえその動機が見えなくても、ここ数年で楽しい時間だった。
君なしでは今日はどれも無かったのだ。
だから逃げたり隠れたりしない。
でも、もう眠いな。君もそうだろ? 寝るまでの間すこし話をしよう」
「よろしく……」
ナイフみたいに切れそうな瞳をしているイフロム、
でもほんとう、ただの子供のようだ。
しかしイフロムはシュウにそう感じており、
お互いが同じように感じていた。
力とか応援とは何か。お金のことを言っていたから、
宿代などを出してくれるという意味だろうか。逆に聞いてみよう。
「何か欲しいのか? 応援される、報酬を渡した方が良いだろうか?
もっとも今は……」
ちょうど月明りが強くなった。
「黄金なんかいりません。
貴方のいつか未来を見せてもらう。
いつかの未来。それが報酬で構いません」
「そんなもの。報酬にはならないな」
「それではお嫌ですか? 貴方の死に様でも構いませんよ」
近寄って、わざと残忍そうに悪ぶって笑っているが、乙女の目だ。
「ふ……。そんなもの見せられるか」
やっぱりどういうつもりだろう。
シュウは困ったので彼女を試すべく、
イフロムの顎を指先で軽く軽く一度、はじく。
「いや……」
「オレを気に入ってくれたようだが。
もし恋人が出来たら……? オレや君に」
イフロムはすこし避けるようにし、
「私はっ、ええ……男好き……ですから?
貴方を助けて、要するに暇をつぶすだけです。
貴方も好きになさい。それを見たいので。
それでいいでしょう」
「そうなのか? ……」
よく分からない。シュウは決めかねている。
何かに頼るだけなら実はプライドはない。もう時代は違う。
魔物がはびこる狂おしい時代を生き抜いた、過去の人々とは違う。
ご老人たちに聞けば、必死に生き抜いて救いを待つだけだったという。
しかしオレは違う、多く頼っている……。平和に、人に、いま現に。
そして国中を旅するため歩くときは地に、地図のないときは空に頼っている。
だが彼女の本当の許容範囲が分からない以上、どうしていいのだ。
魔女。
だが彼女はどうあれど、女の子。そう独断する。
一緒に居ようとするらしい彼女と関わるに一つルールを決める。
それはイフロムの感性を学ぶことだ。
まだ彼女の言いたいことがよく分かっていないのだ。
理屈の上では今二人でこうしているのも変わっている。
だからその理屈をいったん放棄し、分かるには感性からだ。
それが双方の負担を軽くし、こちらは彼女の目的を知ることにつながる。
感性は繊細なモノ。だからその為に。彼女の嫌がることは避けよう。
この場合は頭から拒否することがそうだ。
「……貧相な男を救う趣味でもあるのか?」
「大きな方だと思いますよ」
「見た目の問題ではない」
「貴方は気の毒な人です、不幸な男です、今は。
だから助けたい……。ね? 別にそれだけですよ」
「保留にする。……。逃げたりして、君に恥をかかせたりはしない。
もう寝るからどいてくれ。君がベッドを使うだろ。……ン……」
イフロムはしかえしにシュウの顎を小さな人差し指ではじいて、
「いえ。貴方が使いなさい。話してくれてありがとう」
「え?」
礼など言う所か。それを言うなら、こちらが……。
「おやすみなさい」
そういうとイフロムは浮かび上がって、
コウモリのようにマントにくるまれた。
魔女の帽子は後ろ側がマントと融合し、頂点は天井に張り付いてしまった。
「長い付き合いになると思います」
くっつくときに少しイフロムの体は揺れたが、すぐ収まっていく。
「……」
唖然、そんな寝方をするのか。シュウは身体の力が抜けた。
だって宿の中に巨大コウモリ。もしくは巨大ミノムシ。
ともかくベッドに座ったまま小声で言う。
「……。おやすみなさい、イフロム。聞こえているかな、
今日はいろいろと、もったいない励ましをありがとう」
「……」
こういう時は女性をベッドに自分は床にと思ったが、
今回はそれは浅はかなようだ。彼女は眠る準備を終えている。
自分がベッドで寝よう。立ち上がり、
「ズウズウ、寝るか。オレと」
ズウズウは「ニャオ」と飛び上がるとシュウの腕の中に飛び乗り、
そこを足場にしてイフロムのマントへまた飛び、その中に吸収されていった。
「……あらまあ、だな」
猫好きとして追いかけそうになる手を下ろす。
黒ずくめのシュナイヴ、その服が所々ベルトでロックされているのは、
以前、野盗に引っ張られた際に千切れてしまい装備が無駄になったからだ。
ベルトがあることで引っ張っても位置が変わりにくく、外さないと脱げない。
適切さと防御力。加えて、どの程度で外れるか堅めに調節しないといけない。
旅には偶然もあるが、簡単に外れればもちろん防御の意味がない。
信心板(防御板、矢を止める)を両腕に四つ、
胸に四つ、背中に四つ編み込んだ、
黒い皮の服を脱いで雑に放るとドシンと音、
うるさくて、イフロムを呻かせてしまう。
「ん~……」
シュウはハッとして、
「これは失礼した……」
後は音を立てずに鉄板入りの黒ブーツを脱ぐと、
ネクタイを外し、ブーツの中に押し込んで手袋もそうして、
白シャツ、黒ズボンからホコリをはたいて、それでベッドにもぐりこんだ。
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