第38話


あの日、当たり障りのないおもてなしを行い、朝に馬車を用意する。そのいつもの手はずをランスロットから指示されていたのはテイラーだった。勿論テイラー自身もその手はずを踏む予定だった。ランスロットが幼少期からこの屋敷に仕えていた彼は、ランスロットの事を1番理解していた。内心主人の生き辛さを誰よりも心配していたのは彼だった。


いつか、ランスロットの心を救ってくれる誰かを──



婚約が白紙になるたびにそう思って過ごしてきた。



そして現れた。大旦那様ランスロットの父が亡くなってランスロットが屋敷の主となってから数年後、ようやくクレメンス家に落ち着きが見えてきたあの日、小さな旅行鞄を抱えただけの小さな少女にテイラーはふと奇妙な何かの予感を感じたのだ。



いつものように玄関で出迎え、いつものようにランスロットの書斎へ案内する。しかし、いつものように馬車の手配はできなかった。

いつもとは違った事に期待してしまった。何故か、彼女に。


「その風はどんな風でしたか?」



エレーナは瞳を細めてテイラーに問う。その姿をみて、テイラーもにこりと微笑んだ。




「とても心地よい春風でしたよ」





あの判断が今後ランスロット...ひいてはクレメンス家にどう影響するのかテイラーにはまだわからない。

ただ、主であるランスロットと、その隣にいる彼女がいつまでも笑い合っていてくれるならと願うだけだった。




「だれかーちょっと助けてくれー!!」




突然、近くから声がかかり2人は声のする方へ視線を向けた。その声は酒屋の主人のようだ。その男は困ったような顔をして店から出てきた。



「どうしたのですか?」

「いやぁー店の中で、呑みつぶれた客を動かすの手伝ってくれ。男手が足りねぇ」



ちらりと店の中を見ると、小太りな男性が机にうつ伏せになって大いびきをかいている。店主の声で集まった数人が思い思いの表情を浮かべた。



「奥さんに逃げられたっつーから酒を出してやったらこのザマさ。」

「そうかぁ相当参ってんだなぁ」

「けど、たしかにあの位置は邪魔だな。店の外からも見えちまう」

「そろそろ掻き入れどきの時間だからせめて店のはじにでも転がしてぇとこだ」



中々優しい会話だ。そしてついに集まった人で店の端に連れて行こうということになった様だ。その時ふとこちらを振り向いたのは店主だ。



「おい!そこの!!」

「え?私ですか?」



声を向けたのはどうやらテイラーにだった。目を少しだけ開いたテイラーは言葉を返す。




「猫の手も借りてえ!お前も手伝ってくれ!」

「....わかりました」



たしかにあの体格の人間を、この人数で抱えるのは少し無理がありそうだ。テイラーはすんなりと頷いた後エレーナの方へ向き直った。



「エレーナ様申し訳ありませんが、少し席を外すことをお許しください。それほど時間はかからないとは思いますが、そちらのカフェに入ってお待ちください」

「ええ。でも大丈夫よ。ここで待っているわ」



本当なら自分も手伝えたら良いのだが、力のない自分が言っても無駄だとわかっている。邪魔をしてしまうのも申し訳無いので、エレーナはここで待つことにした。テイラーも少しだけ逡巡した後ゆっくりと頷いた。




「すぐに戻ってまいります」

「いってらっしゃい」



テイラーはエレーナの笑顔を見届けると店内に入って行く。ガヤガヤとする街並み。少し言葉遣いが悪い商売人と、貴族とみられる女性達が会話をしながら通り過ぎていく。王都に住んで知ったこの賑やかさがエレーナは大好きだった。







「随分楽しそうね」



ザワリ。

後ろから聞こえた声に視界が歪んだ気がした。

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