第17話
「師団長!こちらにサインをお願いいたします」
「...こちらにも」
「バカか。その書類のサインは俺じゃなくてロイだ」
「師団長。先日諜報したサンドラ地区の領主ですが、やはり税をカサ増ししてそれを報告しておりませんでした。」
「やはりか。詳細を記録して上に報告する。詳細を教えろ」
「団長...先日入隊した団員が逃げ出しまして....」
「あ!?このクソ忙しい時にか。空いてる者がいるなら連れ戻してこい。辞めるなら辞めるで後で話を聞く」
「団長、先ほどの訓練で3名負傷だそうです」
「....実戦以外で重傷を負ったものは減俸だと言って医務室に放り投げておけ」
昼の鐘を聞いてからだいぶ経ったが相変わらずバタバタとした執務室でランスロットは悪態をつきつつ対応をしていた。
ここ数週間、国外で不穏な動きがあったこともあり諜報機関である第2騎士団の一部にも王直々に依頼があり慌ただしく動いている。やっと帰ってこれたと思ったら溜まっていた書類の整理やいくつかの問題点がランスロットに立ち塞がっていた。
暇があるなら動いていたい性分であるのでこのような慌ただしさはある意味充実している気がするが、現在右腕であるロイが不在なことでいつもそこで止まる報告まで受けなくてはならなく目まぐるしい。さらに言うならランスロットにビクつく団員も少なからず居て、説明にまごまご要点が見えない案件も報告を受ける事で時間がかかりそれがかなり堪えていた。
(こう言う時あいつの技量を思い知るな)
まぁ、本人には言ってやらんが。とニヤニヤと笑う顔を思い出して眉を潜めた。
人の波もようやくひと段落ついたところで、ランスロットは手元にあった携帯食を齧る。ここ最近エレーナと料理長の作るお弁当は食べられていない。今までは感じた事無かったが、味気が無く思うように喉を通らなかった。
原因は1つしか見当たらない。
最近「食」に関して「楽しい」と思う事が増えたからだ。
ふとある一人の女性を思い出す。最近良く笑うようになった彼女の事だ。彼女の笑顔はロイのそれとは違い花が咲いたように笑う。それと同時に彼女の影響なのか自分の中にもぽかぽかと陽だまりを浴びたような、そんな暖かさを感じる。
一緒に食事を取り始めた事で会話の回数も増えた。持たされる昼食用の弁当がたのしみになった。今まで食べていた携帯食の味気なさを今更感じ食べたくも無くなった。
彼女は今一人で食事しているのだろうか...いや、ほかに使用人がいるのだ。独りという訳ではないが、少しは俺の事を思い出してくれているだろうか。
だれかに「会いたい」なんて感情を向けるのはいつぶりだろうか。
『でも気に入っているんですよね?姫さんのこと』
いつかロイが俺に言い放った言葉が脳裏に焼き付いている。気に入っている。....そうだ。俺は彼女の事を気に入っている。
ああ...いつのまにか彼女の存在がこんなにも大きくなっていた。
最初はただの小さな興味と気まぐれで家に置いただけなのに。すぐに、追い出すつもりだったのに。約束だった奉公先の件も「世間に疑われない程度に数ヶ月置いておく」つもりが、仕事が忙しく事を理由にして先へ先へと伸ばしていることに薄々気づいていた。
そして極めつけはあの月夜の出来事だ。
変人と言われていた俺に...バカな勢いで仮面を付けたあの日の俺に、俺の心を守ってくれた。ただ「良かった」と微笑んでくれた。それだけで救われた気がした。
こんな酔狂な俺に手を差し伸べてくれる人間は少なかった。
その人達は、俺にとって意味のある人間で大切で、今まで大切にしてきたつもりだ。
でも彼女、エレーナはその誰よりも大切にしたいと思えた。
大切に丁寧に扱って彼女の笑顔を守りたい。そしてその笑顔をずっと近くで見ていたい。自分に向けて欲しいとも思った。
だがそれは彼女にとって迷惑な感情だ。
彼女はクレメンス家との結婚を望んで屋敷に訪れた訳ではないのだから。
きっとこれから与える奉公先で、変人などと言われない心優しい男性と出会い恋をするだろう。
ただそれまでは1番近くで守らせて欲しい。
そう思う。
そしてそれと同時に恋をする相手を思うと胸の奥でもやもやとした物がわだかまる。
ここまで考えて今がまだ職場だという事に気づく。あたりを見渡し誰も居ないことを確認すると今日何度目かわからない溜息をついた。
「くそ....」
いつからこんな腑抜け野郎になったんだ。俺は。
自己嫌悪に陥って居た時コンコンコンと執務室のドアが叩かれる。
「ただいま戻りました」
「遅い」
ドア先からロイの声が聞こえて肩の力が抜ける。これでやっと要領の得ない会話から解き放たれる。今日こそは屋敷に帰る。帰って彼女を一目見たい。
いくら待っても入ってこないロイに苛立ちを覚えて思わず立ち上がった。ついでにロイのサインが必要な書類をひったくるようにして握りしめるとツカツカとドアの方に歩き出す。
ガチャ!!
「早く入ってこい。仕事が山ほ....ど」
「あの....」
「ご...御機嫌ようランスロット様」
勢いよくドアを開けると、そこには先ほどまで会いたいと願ってやまなかったエレーナ・ラド・ソフィアが申し訳なさそうに立っていた。
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