第4話
誰も喋らない、なんとも言えない沈黙が執務室に立ち込めてどれくらい経っただろうか。
「.....いつまでそうしているつもりだ」
はぁ、とため息をついたのと同時に、感情の無い声で告げられる。そっと顔をあげると、先ほどと同じように書類に目を向けたままのランスロットが目に入る。
「....申し訳ございません」
「....結婚の話だが、出て行くのなら勝手に出て行くがいい。破断金も言い値で用意してやる。今なら荷解きもなく楽だろう。」
「え...」
そこにはあからさまな拒絶だった。最初から結婚する気はないと、お前は必要ないと言われたのだ。
「ランスロット様は、結婚をするつもりは無いのですか?」
「.....無いな」
無機質な返答にエレーナは「そうですか」と返すしかないのだ。しかし、エレーナ。この身一つで家を追い出された。怖いものなど無いのである。
「でしたら、私をここで雇っていただけませんか。」
「....は?」
ここで初めて、ランスロットが顔をあげる。隣にいたテイラーからも訝しげな視線を感じたが、エレーナは再び最上級のお辞儀をし、なおも言葉を続けた。
「料理洗濯お裁縫一通りはできます。この家のルールがあればできるだけすぐに覚えます。なのでここで使用人として雇っていただけませんか」
「ソフィア家の娘にそんなことできるわけがないだろう」
「ソフィア家のものという認識は捨てていただいて結構です。ただの領民の娘だと思って雇ってください」
食い下がるエレーナを、その言葉の意図を見定めようとするように凝視し無言を貫くランスロットに、エレーナは内心冷や汗をかいた。捨て身の申し出ではあったがクレメンス家はソフィア家にとって格上の相手。このような提案は失礼で、下手をしたらランスロットを怒られせてしまうのだ。それによってはこのまま外に放り出される事も考えられた。
だが、ソフィア家に戻れないエレーナにとっては必死な申し出だった。
「おかしな娘だ」
カタリと、彼が椅子から立ち上がり、ふわりと部屋に動きが起こる。
カツカツカツ
ゆっくりと彼が近づいてくる気配がする。
カツ...
エレーナの前で足音が止まると、先ほどよりも凄く近くから落ち着いた低い声が頭上から降りてきた。
自分より高い場所からの視線。しかし不思議と恐怖は感じなかった。
「.........だが、結婚相手として連れてこられたお前は、紛うことなくソフィア家のものだ。使用人として扱う事はできない。」
予想通りの返答にぎゅっと目を瞑る。良く考えればわかることだ。仮にも嫁ぐためにとあてがわれた貴族の娘を使用人として使っていると表沙汰になったら、いくら変人と言われるランスロットであれ、クレメンス家の処遇を脅かす自体になる。
「出過ぎた事を申しました」
「....顔をあげろ」
「!?」
謝罪の言葉を伝えると、手袋をした手でガッと顎を鷲掴みにされ勢いよく顔を上に向けられる。
エレーナより随分高い背をゆるやかき曲げ、仮面をつけた顔が間近に迫る。貴族らしい立ち振る舞いと赤銅色の髪が緩やかに靡く姿は思わず息を呑むほどに綺麗だった。
「そのかわり、こちらで働き口を見繕ってやる。処遇決める間はお前を、婚約者候補としてここに置いてやるから好きにしていろ。」
「!!」
「わかったな」
ぐっと顎を掴んだ手に力を込められてコクコクと頷くしか無いのだが、それに満足したのか手を放したのち、テイラーに全て一任し執務室から追い出す形で廊下に出されたのだった。
しかしエレーナは、今まで虐げられていた分、自分の意見が通った事に呆然として、この後どうやって自分の部屋に連れていかれたのか思い出せないのだった。
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